4.幻想龍の赦免と焦燥。

メレイズ王国の王都は玉座の間のある王城と、その前に広がる大きな広場、そしてそれを取り囲むように家々が連なっていた。その広場は豊穣祭なども開かれるとても大きなものだ。

その広場が急に巨大な影で覆われた。何事かと外に出てきたところでその影が巨大な船とその周囲を飛ぶ竜と分かり、メレイズ王都の住民は大混乱に陥った。

近衛騎士達が走り回り、安全を告げて回る。

そう分かれば、人々は好奇心を抱く。見たこともないほどの大きな物体が空を飛び、この広場に近づいてきているのだ。

メレイズ王国王都の広場にエンデアの巨大な飛空船が着陸する。

周囲には珍しいもの見たさに集まる住民と、それを隔てるように立つメレイズ王国の近衛騎士、そして飛空船の周囲を飛んでいたエンデアの護衛の竜が人に姿を変えて立っている。

王城から国王と宰相が共を伴って歩いてくる。

自国の王の登場に住民の興味はさらにひとまわり大きくなる。

ガコンと音がして飛空船の前方、浮いた床が開いて足場タラップが降りる。

住民の視線が一点に集まる中、現れたのは白と青の荘厳な服に身を包む男。その背後には赤い服を着た若い男がエンデアの紋章があしらわれた装飾旗を掲げている。

正使者である氷竜フロストと、エンデアの紋章を掲げることを許された『赤・第一軍』に所属する竜だ。

「メレイズ王国へようこそ。」

人々の中から宰相が進み出て歓迎の弁を述べた。宰相の案内でエンデアの旗が王城までの道をゆっくりと進む。

玉座には国王、その横には宰相と裁判長官、さらに公爵が並ぶ。

赤い絨毯を挟んで両側には有力貴族や甲冑を着た近衛騎士。事前にあった情報共有により、全員が蒼白な顔をしていた。

皆、国王の目の前に立った竜が何を言い出すかと戦々恐々としているのだ。

騎士達はその言葉によっては自殺を覚悟して目の前の竜に切りかからねばならない。事前の命令で、最悪の場合は騎士が時間を稼ぎ、住民を地下通路から逃すということが決まっているのだ。

「歓迎しますぞ。エンデアの使者殿。長旅でしょうからまずは疲れを癒されては…。」

使者である竜は挙げた手で国王の典型的な挨拶を遮り、話し出す。

「ご厚意感謝する。が、まずは当初の目的を果たさせていただく。

 先日我が国で海洋より流れ着いた人間の子供を保護した。調査の結果貴国の国民であると判明したので送還する。」

使者である白い竜が後ろを向き、合図をすると玉座の間に竜に連れられた人間の子供が入ってくる。ウォルと共に海の荒波に流された子供達だ。

王や宰相の離れている位置からでも怯えているのが見てとれる。それは国の玉座を前にした恐れか、はたまた竜への怖れか。

近寄った近衛騎士に竜が子供達を受け渡す。国王は別室に子供達を移動させようとしたが、それを察知した使者である氷竜フロストに制止させられた。

「お待ちなさい、ここからが本題だ。その子供も関わること故、この場に残した方がよろしいかと思われますぞ。」

近衛騎士達が一斉に剣の柄に手をかけ身構える。国王は、竜を刺激するのは良くないと騎士達と子供を壁際まで下がらせた。

「このことについては私ではなくこのお方から。

 我らがあるじが一龍。“幻想龍”様であらせられる。」

その場にいた使者の竜や護衛の竜達が一斉に頭を下げる。

玉座の間に足を踏み入れたのは水色のローブとベールを纏う女性。すぐ横に腕の一部が竜鱗とわかる半竜人族の少女を連れている。

玉座に座る王が霞むような圧倒的な存在感。その圧を受け、貴族達も言葉を失い近衛騎士達に至ってはその場に踏みとどまるのに必死だ。

己の生死が関わっているなど知らない下級貴族はその美貌に息を呑む。

“幻想龍”は使者のいた場所まで歩を進めると、立ち止まって口を開く。

「メレイズ国王に問う。

 ひとつ、我が国との制約を破棄し竜人族を奴隷としたことについて如何なる理由があるか。

 ひとつ、この半竜人族の娘はこの国にあって人間の子供より暴虐を受けた。さらにその親はこの娘の生を奪わんとした。

 これはこの国の総意であるか。」

“幻想龍”はその場に小さな水晶球を取り出して投げる。

それは空中で止まり、そこに半竜人族の娘の過去がそれを俯瞰する形で映し出された。


地面に蹲り、ただひたすら動かずに耐える少女を周囲の子供達は殴打していく。拳や足だけでなく木の角棒なども使われている。

場面が切り替わると目の前の子供が手に持つナイフで少女の腕を切り裂く。鮮血が飛び散った。

最後は首に手をかける男。そしてその背後には囃し立てる他の大人達。


どよめきが起きた。国王をはじめ、貴族達は驚愕に目を見開く。

このようなことが本当にあったのか、と。

日頃から奴隷を使う彼らにとってもあり得ないような惨過ぎる内容だった。


ドサリ、玉座の間の入口の方でひとりの女が崩れ落ちる。黒い服に付き添われたその窶れた女はそのまま地面に突っ伏した。誰もその女に気を止めることはなかった。


「暴虐を加えた子供はそこにいる今送還したばかりの者たちだ。

 これの親も私が捕縛している。」

“幻想龍”が手を振ると地面と並行に水色の膜ができる。

そこから捕らえられた子供の親達がどさどさと落ちた。落下の衝撃でも意識を取り戻すことはない。彼らは“幻想龍”の力によって擬似的な仮死状態となっていた。

「返答を聞かせてもらおうか。」

水色の澄んだ目が国王を射抜く。

「我々も今初めて知ったことだ!しょ、少々時間をいただきたい!」

宰相が慌ててそう言い、国王や裁判長官、公爵らと共に小さな扉にバタバタと向かう。

「早急に返答を願いたい。長引けば私の怒りがこの者たちを殺してしまいそうだ。」

“幻想龍”は気を失ったまま積み重なる子供の親達に目を向けて釘を刺す。その目は比喩などではなく本当に実行に移すことを物語っていた。

誰かがヒュッと息を呑む音が聞こえる。

近衛騎士に連れられた子供達も、国に帰れば親に守ってもらえるだろうとたかを括っていたが、積み重なる人間の山に自分の親の顔を見つけて絶望の表情を浮かべている。

どれほど経っただろうか。慌ただしく国王らが玉座の間に戻ってくる。

「へ、返答をお伝えする。

 竜人族の方々を奴隷としてしまったのは、この国で過去に結ばれた誓約が忘れ去られてしまっていたからだ。とはいえ奴隷としてしまったことは事実。

 こ、この通り、平にご容赦いただきたい。」

出てきた流れで“幻想龍”の前に行き、土下座をする国王。

近衛騎士や貴族が驚いて駆け寄ろうとしたが、侯爵や宰相がそれを制止し自らも膝を折る。

「次に、その娘さんに人間がしたことは、断じてこの国の総意ではない。その者らが勝手にしたことだ。

 だが、この国の国民であることには変わりはない。この通り、代わって謝罪申し上げる。

 もし、もしお許しいただけるのであればその者達をご助命いただけないだろうか。

 誠に、まことに申し訳ない。」

額を床につけて許しを乞う国王。

この謝罪に自らの、この場全員の、そして全国民の命がかかっているのだ。この程度で命が助かる確率が上がるならと必死に頭を下げる。

「そうですか。この国はあなたのような王を持って幸運ですね。」

“幻想龍”はそれを見下ろして言う。

国王にとっては予想だにしない優しい言葉だ。

「で、では…!?」

「いいでしょう。エンデアはメレイズ王国の謝罪を受けその罪を許します。

 新しく条約を締結しましょう。これからも良い関係を続けられることを望みます。

 この者達についても ー “幻想龍”は積み上がった人間の山を一瞥する ー 命を奪うことはしません。あなた方の方で裁定を下されるといいでしょう。」

“幻想龍”は横の半竜人族の娘に向かって何かを問いかける。その娘はゆっくりと頷いた。

「ありがとうございます。ありがとうございます!感謝します!」

昨晩から玉座の間で話し合いを行なっていた面々に満面の笑みが浮かぶ。

気を抜いてため息をつく者や、安心からその場に座り込む者もいた。

メレイズ王国は一世一国の転換点で勝利を収めた。


その時だった。

広場が騒がしくなり、なにやら言い合う声が玉座の間にも聞こえる。

国王や宰相が何事かと顔を見合わせていると、近衛騎士のひとりが玉座の間に飛び込んできた。

「国王陛下、隣国ディグロス皇国から来たという者が参っております。」

それを聞き、宰相は自分が書状を送っていたことを思い出した。

「私が行こう!説明せねばならん。」

宰相は早足で報告にきた近衛騎士と共に玉座の間から広場へ向かう。

広場には何の力か宙に浮き、睥睨するように王城の門を見下ろす二人がいた。

宰相が広場に到着した時、二人は手に持つ投げ槍を構え、今にも放たんとしている。

「人間に仇なす竜め!我らの前でその暴挙を許すわけにはいかない!」

「お待ちを!私はメレイズ王国宰相。あなた方は!?」

宙に浮く男の声に負けぬよう宰相は精一杯の声を張り上げる。

「ディグロス皇国より参った!

 『竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤー』の称号を持つ騎士、イディトだ!

 今、我らがメレイズ王国を竜から解放する!」

「ディグロス皇国の騎士どの、お待ちください!」

慌てて声をかけるが、もう遅い。

「問答無用!竜は死ね!」

男の手から槍が放たれる。標的は一番近くにいた飛空船を護衛する竜だ。

「笑止。その程度で我ら竜を害せると…。」

あらゆる武器による攻撃を防ぐと言われる竜鱗。たかだか投げ槍で貫ける訳がない。それが広場にいた竜の共通認識だった。当然自らの竜鱗で槍を受けようと試みる。

だがここで、竜の誰もが予想しなかったことが起こった。

腕だけを竜の姿に戻して槍を受ける護衛の竜。その槍は、竜鱗を無視するかのように切り裂き、その竜を貫いた。

「ぐはっっ…!?」

驚愕と苦悶の表情を浮かべながら槍を受けた竜は勢いに押されて吹き飛ばされる。

ちょうど玉座の間にいた“幻想龍”や正使者の氷竜フロスト、ウォルが声を聞いて広場に到着したのと同時だった。

男の顔に汚い笑みが浮かぶ。

「その程度の鱗でこの槍を止めることはできない!

 故に!我ら竜殺しの騎士団ドラゴンスレイヤーズは最強なのだ!」


「護れ!」

鋭く響くのは“幻想龍”の声。

その声に反応して黒衣集が即座に行動を開始する。

三人は“幻想龍”と空に浮かぶ二人の間に盾となるように並び、二人が攻撃を受けた竜に駆け寄る。

その間にも宙に浮いた二人は竜を殺さんと動く。

「戻れ、竜殺しの槍よ。」

その声に合わせて竜を貫いていた槍がひとりでに抜けて男の手元に戻る。

高速でその場に落下し、唖然としている近くの竜に槍を撃つ。一人、二人と犠牲者が増える。竜達も打倒と仲間の復讐を叫び攻撃を繰り出すが、己の体による打撃は槍の格好の的。返り討ちとばかりに腕ごと切り裂かれてその場に倒れていく。

竜のひとりが奥の手とばかりに放った竜力の奔流。竜の姿で放ったならば『咆哮ブレス』となるであろうそれ。だがそれすらも槍の先に当たり霧散してしまった。

「まさか!?」

攻撃が効かないことに驚く竜に、その槍が竜力を破ったことに驚く“幻想龍”。

竜達とは少し違う方向の驚きを見せる。

「竜、退がれ!その槍は竜鱗を貫くぞ!一人は殺せ!一人は捕らえろ!」

続け様に命令を飛ばす。

槍を持つ二人を、竜と入れ替わるように取り囲んだ黒衣集は、それぞれがその手に得物を掴んでいる。

その中の刀を持った一人が踏み出して男に迫る。

「貴様らも竜であればこの槍の前に無力!」

男は迫る黒衣集に向かって再び槍を投げつけた。

だが、今度はその男が自信を打ち砕かれる番だった。

その槍は黒衣集の手にする刀によって打ち払われ、落下して地面に転がった。

男の顔が焦りを含む驚愕に変わる。

黒衣集が凄まじい速度で男のすぐ横を通り過ぎる。立ち止まって鞘に刀を納刀する音が響く。

黒衣集の操る刀が男の周囲を滑らかに舞った事に気づいた者はごく少数だった。

「剣に、神力を纏わせてる…!」

半竜人族の少女は“幻想龍”にしっかりとしがみつきながらつぶやいた。

一瞬その場に立ち尽くしたかに思われたその男は両肩、手首、足首、膝そして首から血飛沫を上げて崩れ落ちた。

それを目にし動きが止まったのは男と共に現れたもう一人の女の方だ。

黒衣集はその隙を逃さない。

赤黒く鈍く光る鎖がその女を囲む黒衣集の手に現れる。一度、二度、黒衣集の手元で勢いをつけられた鎖はまるで生きているようにその女に伸び、六人の黒衣集の鎖は一瞬にしてその女の自由を奪う。

黒衣集の一人が何かを投げる。それはくるくると空中で手枷にその姿を変える。

腕に手枷をはめられた女はその場に力を失ったように崩れ落ちた。

「至急“世界龍”に連絡を!」

「既に送っております!」

ホールンが素早く“幻想龍”の言葉に答える。

「治癒力が働かないぞ!」

古代魔術オールド・ソーサリーでは無理だ!」

一方で初撃を受けた竜の状態は深刻だった。盾とした右腕と胸を貫通されている。

自然治癒力もなぜか働かず、助けようと近寄った竜や黒衣集の古代魔術オールド・ソーサリーによる治癒魔術も意味をなさなかった。大量の血を流し、微かに息をしているもののその身体は痙攣し風前の灯だと言うことは明白だった。

それを見て自ら動き出そうとする“幻想龍”に“銀角龍”が待ったをかける。

「“幻想龍”様、ここはウォルをお願いします。」

ウォルが心配そうな視線を向ける中、ホールンは倒れている竜のところまで転移する。

「離れなさい。」

周囲にいた黒衣集や他の竜を下がらせ、ホールンが力を行使する。それは、神力を用いた世界に干渉する力。

「【・傷治守命・《傷を治し命を守る》】。」

彼の翳す手の前に四つの文字が現れる。半透明で赤橙色をしたその文字は、ゆっくりと竜の傷口に吸い込まれて行く。

その変化は劇的に現れた。何をしても治癒の兆しを見せなかった傷が塞がって行く。大量の血を失い蒼白だった顔にも赤みが戻ってくる。

ホールンは倒れた竜を周り、この力を使って治療を行っていった。

その様子を捕縛されて地面に転がった女があり得ないという表情で見つめている。

地面に転がった槍を竜のひとりが近寄り拾い上げようとする。それに気づいた“幻想龍”が慌てて止める。

「待て!その槍は黒衣集以外触れてはならん!」

その竜は慌てて伸ばした手を戻す。

「おそらくその槍には竜を傷つける力が備わっている。むやみに触れるとその身を傷めるぞ。」

“幻想龍”がそう指摘した時だった。

「その通り。」


声と共に、広場に停まっていた巨大な飛空船が爆散した。

内部にいた竜は直にその衝撃を受け吹き飛ぶ。その攻撃によって重傷を負った者もいるようだ。“幻想龍”が咄嗟に力を使って竜と王都の人々を守らなければ今の崩壊だけで三桁にも及ぶ死者が出ていただろう。

“幻想龍”はその声の方に目を向ける。

それは飛空船の上、王城の一番高い塔と同じ高さの空中。

あの槍を持った人間が十五人浮かんでいた。

それを見る“幻想龍”の目に変化はない。だが周囲にいた者の反応で状況はわかる。

黒衣集は厄介な、という苦虫を噛み潰したようなもの。

竜に至っては半恐慌状態に陥っている。絶対の自信があった鱗が通じず、攻撃も無効化される相手だ。自分がなにもできないとわかっているために。

とはいえそこは竜。ここで竜の姿に変化するなどまとを増やすと同意。すぐに周囲の状況を確認し、寸前で躱せるだけの広さの場所を確保する。一部の勇敢な者に至っては広場の中央に躍り出て槍を持つ人間を見上げる。彼らは竜を狙うことは先の二人の行動で理解している。“幻想龍”やこのメレイズ王国の住民に敵意が向くのであれば、自身があえて敵対心ヘイトを買おうというのだ。

十五人がゆっくりと下降する。

「ご機嫌よう、竜ども。

 我らの仲間がお世話になったようだ。たっぷりとお返しをして差し上げよう。」

中央に浮かぶ金髪の男だ。その男だけは周囲の人間と違い槍ではなく剣を持っている。

「黒い服の奴らは竜なのか?」

隣に浮いているスキンヘッド、革製タンクトップの男が狂気の目をギラつかせて剣の男に問う。

「いや、あれは竜の国の精鋭だ。

 機密情報だが出会ってしまったのでは仕方ない。

 攻撃するのではなく守らせるようにしろよ。あいつらは別格。」

焦ることもなく情報を交わす。

「どの程度だ?」

「一体で一個師団程度。」

「そうか。……一個師団・・!?…本当か?」

「とは言っても推定だがな。数年前に一個大隊が全滅した消えた報告があっただろう。

 目撃情報が合致した。竜の腕を持つ黒い服だと。」

男がなおも嗤う。

「それは楽しみだな。」

「やれ。」

次の瞬間、槍の雨が降る。

黒衣集は自らの武器で打ち払うが、竜は防御手段を持たないがために逃げ惑うしかない。

槍の一本が目標を外れてメレイズの国民に迫る。

それを止めたのは水色の力。“幻想龍”だ。

打ち払われて転がったり、目標を失った槍は自動的に宙に浮く騎士達の手元に戻って行く。

その一撃は竜を屠る。それが無尽蔵に降り注ぐのだ。

今この場にいる黒衣集は十人以下だ。そのうち二人は“幻想龍”とウォル、氷竜フロストを庇うように立っているので動けない。凄まじい速度で波のように迫る十四本の槍を黒衣集が全て撃ち落とすのは不可能だった。

「あいつらメレイズの国民も守るつもりだ。

 弱点だ、狙っていけ!」

王都の人々に衝撃が走る。彼らは竜を目当てに来たのではないのか、と。自分達までもがその標的となっていることを理解して。

“幻想龍”も今この場にいるメレイズの国民の上に障壁を展開してそれを維持している。その槍は触れた障壁と相殺されるようにその勢いを失うのだ。その都度空いた穴を塞ぐために障壁をかけ直さなければいけない。

そんな“幻想龍”の目の前に剣を持つ人間とスキンヘッドの男が優雅に下降してくる。

「お前が頭か。不可思議な力を使う竜。この私、竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤー筆頭の名を預かるゲイトが直々に殺してやろう。感涙するがいい。」

そんな声と共に真横に振るわれた剣。

“幻想龍”を守る黒衣集の二人がそれぞれ錫杖と刺突剣エストックを構えてそれを封殺しようとする。だが男の一閃はその二人を容易に吹き飛ばした。

「死ねっ!」

再び剣が振られる。その先には回避し損ねた“幻想龍”と半竜人族の少女。男の目が二人を捉えて歓喜に歪む。

それでも、“幻想龍”の顔に恐怖は無い。迫り来る剣を意に介さぬような素振り。

それもそのはず。

この戦場にはあの男がいる。黒衣集の最上位者にして“幻想龍”の直弟。

迫る剣は“幻想龍”とウォルにその害を働く前にキンッと軽快な音を立てて止められる。

その剣の動きを邪魔したのは、割り込むように宙に浮く銀の剣。一本の剣が宙に浮き、その振るわれた男の剣を受け止めていた。

宙に浮く剣は攻撃を止めたまま液体のように流動し三本の短剣にその姿を変える。

ウォルはその金属が変化していく工程を一度見ていた。だから、声が飛ぶ前にその浮遊剣の主の方を向くことができた。

「私がいる限り、何人も“幻想龍”と勇敢なる少女に触れること叶わず。

 図に乗るなよ人間!」

竜を治療し終わった“銀角龍”ホールンがゆっくりと空中を移動しながらこちらに向かってきていた。その龍はゆっくりとフードを脱ぐ。銀色の長髪が光を受けて輝いた。

その周りには彼を中心に円を書くように幾つもの剣が浮いている。その数二十本以上。

剣と共に大気と龍力、神力が混ざり合い彼の周りを渦巻く。

「【・槍切断落・《槍、断ち切られて落つ》】。」

四つの文字が現れて彼の周囲を旋回する風に溶ける。

風の刃が拡散する。それはホールンの近くに降り注いだ五本の槍をバラバラに切断した。

地面に落ちた槍はそれ以降の動きを止める。

「『竜殺しの槍』は破壊不可能のはず!?」

男は慌てて振っていた剣を引き戻してホールンに向け構える。

黒衣集を二人も吹き飛ばした男だったが、そこからは一方的な蹂躙。

二桁にも及ぶ宙を舞う剣が男を襲う。どれだけ躱そうと、ピッタリと銀の剣は追従して斬りかかる。その剣はホールンの手の動きによって動く。全てを完璧に制御しているのは明らかだった。

挙げ句、男が剣の一つを斬るとそれはそのまま分裂して二つの剣となった。

「うおおおおおお!」

剣に意識を向けていると踏んだのだろう。スキンヘッドの男が“銀角龍”に突撃を敢行する。

ホールンは手元に残しておいた剣の中から一本を掴むと片手の逆手持ちで槍を受け止める。

スキンヘッドの男はそこからピクリとも“銀角龍”を押すことができなかった。

そのまま剣を槍に滑らせ無防備になっていた男の片方の手首を切り落とす。

その間にも逃げ回っている男も肩を、腹部を、足首を次々に斬られていく。スキンヘッドの男は、ホールンが剣を操りながらもその隙はないことを悟る。

気づくのがもう少し早ければ、スキンヘッドの男は自身の命を失わずに済んだだろう。

だが、それにはあまりにも遅すぎた。

ホールンは剣を握っていた手の手首を返し、順手に持ち直す。その剣は目の前の男の胸に深々と沈む。手を離し、一歩下がるとスキンヘッドの巨漢がゆっくりと倒れ込んだ。

それを見て、絶望的な状況を感じ取った剣の男はその身を斬られるのにも構わずホールンに斬りかかる。

「この剣に切れないものなど無いぃ!うわあぁぁぁぁ!」

そう叫びがむしゃらに迫りくる男。

そんな男からの剣戟をホールンは何を思ったか微動だにせずにそのまま受ける。

小さな勝ち筋を見出した男は全身全霊の力を己が剣に込めて、渾身の一撃を振るう。

音速に近づき、白い空気の膜を纏ったその剣は、ホールンを黒いローブごと叩き斬る……ことができなかった。

手に凄まじい衝撃を受けて男は剣を取り落とす。

剣はその黒いローブの発する力に阻まれ、そのローブにすら刃を触れることなく無効化されていた。

「おや、切れていないようだが?」

無感情に告げられる事実。

先程は二人を確かに斬ったはず!男は剣の力が健在であることを証明せんと先程吹き飛ばした二つの黒い服を探す。

追い打ちをかけるようにその男の目に飛び込んできたのは黒服の二人が起き上がって何事もなかったかのようにこちらに歩く様子だった。

「申し訳ありません!膂力だけでいけると思ったのですが押し切られました。」

「この剣が特殊なだけだ。お前達が失敗したわけではない。」

ホールンが地面に落ちた剣を見て指摘する。

「だが護衛としての役割は果たせていないな。帰還したら私が鍛え直してやろう。」

「ぐ、申し訳ありません。」

「申し訳ありません。護衛対象をお護りできませんでした。」

二人は頭を下げる。

そんな日常と言わんばかりの会話を聞いて、男の心はどす黒い何かで覆われていく。

自分の無力、相手との隔絶した力の差。ゆっくりと、だが確実に忍び寄る死の恐怖。

極め付きは、目の前にいた水色のベールの女とその服にしがみつく半竜人族の少女が揺らぎ、霧散したことだ。見回せば既に後方で白い服の男と共に他の黒服に守られている。

「“永遠の隣人の囁きウィスパー・オブ・デス”。」

ホールンは古代魔術オールド・ソーサリーを用いてその男の意識を刈り取る。

続けて周囲を旋回する剣を変形させ、男の手足を金属の枷で拘束する。吊り下げられ浮遊した男はゆっくりと位置を変え、“銀角龍”に付き従った。

その戦場は、既に大勢を決していた。

指揮者であろう二人がホールンに打ち取られたのを皮切りに、黒衣集が近接戦を挑むことであっさりと片づけられていく。最後に残った三人がそれぞれの背を預ける形で最後の抵抗を続けていたが、銀の剣が飛び、瞬く間に崩れ落ちる。


戦闘が終わった後の広場に沈黙が広がる。

“幻想龍”の防御障壁によって幸いメレイズの住民に死傷の被害は出ていなかった。

それでも傷ついた竜の血がそこかしこに広がり、エンデアの巨大飛空船や広場にあった噴水、王城の門や建物の一部が見るも無惨に崩れている。

人間も、竜もその場に立ち尽くしている。

“幻想龍”をはじめ黒衣集は、メレイズの宰相はじめ国王らが彼らを呼んだことに気づいていたが、それを責める気力も起きなかった。

おそらく最悪の事態を想定して助力を請うたのであろうが、誰が問答無用に竜を殺そうとすると予想できただろうか。


そんな哀愁漂う広場の一箇所に突如として神力が吹き荒れる。

この場にいる誰のものでもない。それに最初に気づいたのは半竜人族の少女だった。

「あそこ、神力が…。」

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