第37話 なりたい自分

 やがて薄暗くなった道場に、いっそリズミカルとも言える激しい音が鳴り響き、柚木と葵はまるで踊るかのように一進一退の攻防を続けていた。


 面、小手、胴、小手、面、面、小手。

 それらに向けて繰り出される一撃はどれも必殺必勝。だがそのどれもがいなされ、弾かれ、ある時はカウンターに、攻守も目まぐるしく変化する。

 目が離さない。皆もその様子に魅入られ、誰も声を発することなく固唾を飲んで見守っている。


(くそっ、強い…っ!)


 予想外の苦戦に心の中で毒付く柚木。

 いつもと違う試合の展開に焦りが生まれている自覚がある。

 対して葵はいっそ清々しいほど獰猛な笑みをうかべる余裕があり、それが一層柚木の焦りに火をつける。


 一体何が、何がいつもと違う?


 わからない。

 わかるのはただ、葵が打倒柚木を目指して積んだ研鑽が、こうして身を結んでいるということのみ。

 それにしてもほんの1ヶ月前、GWの時の試合とはあまりに違い過ぎやしないか。  

 今まで手を抜いていた? そんな疑問が浮かぶもすぐさま否定する。

 葵はそんなことをするような奴じゃない。


「そこっ!」

「っ!? って、やらせるかよ!」

「これに反応しますか!」

「はっ、余裕余裕」


 余計なことを考えていたせいか、死角から狙った小手の反応に遅れるもなんとかやりすごす。今のはさすがにやばかったと背筋に冷や汗が流れる。

 言葉で余裕と言いながら、手詰まり感もあった。


 体力の消耗が激しく、呼吸を整えるのもままならなず、顔に流れる汗が鬱陶しい。

 一方、葵はといえば涼しい顔のまま。必要最小限の剣捌きが彼女の消耗を抑え、そのまま技量の高さを物語っていた。


 ――もしかしたら勝てないかもしれない。


 そんな考え過り、ぎちりと奥歯を噛み締めていると、ふいに葵が愉快げに唄うように声を上げた。


「ふ、ふふ…っ、やっぱりあなたとの試合は楽しいです」

「……ぁ」


 瞬間、目の前の葵がかつての心春の姿と重なった。

 それは初めて心春と戦った時に掛けられた時と同じ台詞。


 なんだよ、なんでそうなに嬉しそうに、楽しそうに剣を振るってるんだよ?


 自分が、相手がいつもと何が違う、よく見ろ、考えろ。


 葵の剣には一切の曇りも迷いもなく、柚木を斬ることのみに特化しているように見えた。


 迷い、迷いならあのストーカーにもなかったはずだ。

 なんで自分はあんなに簡単に勝つことが出来たんだ?


「……さっきは勝敗をつけておきたかって思いと、なによりも心春のためにと思って……そっか、自分のためじゃなくて、俺、剣を振ったんだ……」

「なにをぶつぶつと言ってるんですか!」

「っと、あぶねえ!」


 間一髪で葵の面に向かってきた振りを受け止める。


 誰かの為に剣を振る、それはなりたい自分に近いのかもしれない。

 でもそれだけじゃ今の葵には勝てない。


『今の目標ですか……倉木君に勝つ。それ以外はありません。あの憎たらしい彼にとにかく勝ちたいです』


 あの動画からも、葵にとって柚木は勝ちたい相手。

 それは幼い頃自分が心春を目標にしていたのと同じ、同じなんだ。

 勝ちたいと思える相手がいるのが何だか羨ましく感じる。

 負けたくないと思うから練習するし、自分を相手に認めて欲しくて……。

 試合になれば自分の力を存分に発揮する。


 今一度葵を見れば、面で素顔は隠れていても、幼い時の心春のように心底楽しそうに剣を振っているように感じた。

 あの時と同じ、勝てるかわからない相手。

 それでも、対心春に対してもこんなに自分は追い込まれていただろうか……?


 あの時と、自分はなにか違う――


「……君の剣、すっごく楽しかったよ」


 試合を見ていた心春からの言葉にはっとさせられる。

 それは声援なのか、今の柚木を見て咄嗟に出た言葉なのかはわからない。

 楽しい、はじめて試合した時も、たしか……。


『あの剣なに――クール過ぎでしょ』

『ちょっと、なんですかさっきの? キレもこの前よりも増してましたし、動きもなんか……』

『いつも言ってるだろ、己を知ること』


 頭に呼び起こされるのは最近の柚木の剣の評価。

 以前からずっと感じていた自分の剣への不満と違和感。

 その答えは自分が忘れてしまっていただけだったんだ。


「なんてこった……」

「……?」


 いつの間にかクールな剣、感情の伴わない剣になってたのか。

 始めた頃は子供たちに見せた様に、楽しんで剣を振るってた。

 アニメのキャラに憧れて、心春と試合するときもいつもその気持ちは消えなかった。


「そうか、そうだよな。今の葵に勝つには練習通りの力を出すだけじゃ勝てない。今の自分を超えるために、今この時を楽しみながら剣を振るわなきゃ、つまらねえもんな」

「またぶつぶつと」

「それに、全力でぶつからなきゃ相手に失礼だもんな。いつも心春はめいっぱいだった……じゃあ行ってみっか!」


 葵の鋭い振りに対して受け止めながら半歩前に出る。


「っ! 急にはやく」

「ついてこいよ」


 葵と同様にその振りはキレも伸びもそれまでとは違う。

 何より柚木は心底楽しく剣を振っていた。


「嬉しそうに、楽しそうに、それがほんとのあなたの剣、やっとですか……」

「なんだよ、待ってたのか」

「全力の、倉木君に勝ってこそ意味があるんです」

「これでも止められるのか、ほんとに強いし隙がねえ……だったら」


 中段の構えから、見せたことのある技じゃ防がれる。

 葵に見せたことのない技で……。


「っ! 片手!」

「せいっ!」


 左片手一本で葵の右面を強烈に叩いた。

 たまに練習はしていたが、実戦でこんな技をやるのは初めだったが嘘のようにうまく入る。


「勝負あり」


 一礼し、ふうと息を吐き、面を取る柚木。


「しんどかった……」


 言葉とは裏腹にその表情は充実感が漂っている。


「柚木、すっごいの見せてもらった。片手面かよ!」

「いや、心春の片手の突き思い出してな。ちょっと悪い……」


 駆け寄ってきた心春に一言告げてから、まだ面をつけたままの葵に近づく。


「……なんですか?」

「その、すげえ楽しかったよ。また試合しようぜ」


 幼い頃心春が柚木に対してかけてくれた、今思っていることをそのまま言葉にして伝える。


「っ! あの場面で片手の面とか卑怯です。せっかく勝てると思っていたのに……」

「……それは想定してた反応と違うな」

「はあ! なんですかそのわかったつもりでいるふうは。そういうところが気に入らないんです! ああもう、腹が立ちます」

「おっ、そうだ。犯人捕まえてくれてありがとな」

「今頃ですか、おそっ!」


 面を取り、ぶすっとした顔でそっぽを向く葵。

 そんな彼女の態度に柚木は苦笑いを浮かべる。


「いい画、撮らせてもらっちゃった。最後はそれまでとはまるで別人だったね。目標、見つかったみたいだね」

「はいっ!」


 水城の言葉に、柚木は笑顔で頷いた。

 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る