キリウム死す
シモンの許可がおりた。ラミル流の魔導師三十四名全員を前線の詰所に連れていくのだ。
全員白いローブを羽織り、馬に乗り大礼拝堂を後にした。
サキヤはまだ考えている。
(一万人の皆が悪魔じゃないよな。一部の悪い魂を持った奴が悪魔なだけだろう。人外の存在になっても、良心は忘れまい)
すでに真夜中である。サキヤは母とミールを心配する。
(たぶん、大統領府に進軍するだろう。逃げ遅れなければいいが)
一緒に付いてきているニカラーニャ司教が、バームに声をかける。
「大司教様の話を聞いてどう思った?」
「話が突拍子もなく、まだ頭の整理が付いておりません」
「そうであろう。大司教様は人間ができたお方じゃが、残りの一万人がこちらに大量に出てきたとしたらこの世は悪魔だらけの地獄と化す。大司教様は楽観的じゃが、私は悪い予感しかしないのじゃ」
「ごもっとも」
「大司教様には悪いが、なんとかあの悪魔の予備軍の巣窟を壊す手立てはないのか、私がこの道に入ってからずっと考えている問題よ」
「よーし宿場町に着いたぞ。ここで一旦休んでいこう」
ジャンが声をかけると、皆が同意するのであった。
ミールがサキヤの大きめのリュックに下着など最低限の荷物を詰めそれをかるうと、金の盾も左手に持ち準備は整った。母はバッグに荷物を入れている。
人々は、寄り添いながらこの町をあとにする。
ミールは「アルデオ島に行きます」とサキヤに置き手紙をし、母と二人で通りに出る。避難する者たちの流れに身をまかせ、歩き始めた。
しばらくして宿場町に着いた。しかしどの宿も避難民で満杯である。しかたなしに夜通し歩こうと決めた。母にそう告げると、母が応じる。
「平気よそれくらい。まだそこまで歳をとっているわけじゃないつもりよ」
と、母は笑った。
翌朝、バーム率いる魔導師の一団が、負傷兵でごったがえす詰所に入っていく。
「こりゃあひどいな」
バームがうめく。
ラミル流の使い手たちが早速ヒールで手当てをしていくと、治った者が口々に訴える。
「ドーネリアの前線に怪物のような魔導師がいるのです。こちらの攻撃も全く当たらず、オーキメント側が束になってもかなわず前線は地獄と化しております。必ず大統領府にたどり着くでしょう、私は家族がいるので退却いたします」
兵が続々と撤退していく。大統領府に向かって。
ドーネリア軍は大統領府まで、あと一日の距離にまで迫っている。霧が晴れてくると大量のテントから、兵があくびをしながら出てくる。
その前線に二つの魔方陣が浮かび上がった。そこに人の影が表れた。一人は老婆、もう一人は軍服にマントを羽織った若者。キリウムとカルムである。
「お師匠様、気をつけて」
「なんということはない。寿命もたっぷり頂いたしな。若返った気分よ。ほっほっほ」
さかのぼること一時間前……
もみの木の家にオーキメント軍の人間三人がやってきた。そしてキリウムに出陣するように乞い願う。
「とにかく一人の魔導師さえ倒してもらえれば、それでかまいませんので!」
キリウムがまだ眠そうに言う。
「ワシゃもう隠居の身じゃ。若い魔導師を当てればよいではないか」
「いえ、相手は化け物のような魔導師。キリウム様でないと到底かないません。報酬もほれ、この通り」
バッグには大量の金貨が。
「金などいらんわい、どうしてもと言うんならそこに置いていけ」
「で、では」
「しかたない。行ってやろう。ただしじゃ、お主らの寿命を十年ずつ貰う。文句はないな?」
「我らは兵士、もとより死を覚悟した身。十年くらい喜んで差し上げましょう」
ゆっくりと、ゆっくりと、リーガルが歩いて来る。そして止まった。キリウムとの距離三十メートルに迫る。
「ついにこの婆さんまで出陣とは、オーキメントもいよいよネタ切れか、ふっふふ」
「ほざくな、リーガル!これまでの悪逆無道の数々、逐一お見通しじゃ。観念せい!」
「はりきってるな、婆さん。また寿命でももらったか。これから死ぬというのに」
「こちらから参るぞ、クレピタス!」
リーガルの前で大爆発が起きる。煙がもうもうと上がりリーガルの姿が消えた。
「よっしゃ、いったか?」
叫ぶオーキメントの軍人たち。
しかし煙が晴れてくると、リーガルは無傷で立っている。
「ではこちらの番だ、セカーレ!」
「セカーレじゃと?」
リーガルが人差し指を真横に払うとキリウムの防御陣を切り裂き、さらにキリウムも上半身と下半身が切り裂かれた!
「ぐ!ピザを切る程度の魔法を、ここまで増幅するとは……がは!……お主は悪魔……か……」
リーガルはさらに指先をピッピッピッと横に払う。キリウムはドシャメシャと至るところ切り裂かれ崩れ落ちた。
「お、お師匠様ー!」
駆け寄るカルム。しかしすでに息はなく、ただの肉塊になりはてていた。
「うわー!」
覆い被さり泣きわめくも、すでにキリウムは旅立ってしまった。
「クレピタス!」
カルムが必死で反撃するも、リーガルはにやにやするだけで一歩、また一歩と近づいてくる。
「お前を氷の中に閉じ込めてやろう。グレイス!」
「スクートゥム!」
見えない壁が冷気を受け流す。その隙にカルムはキリウムの頭部だけをつかむと、魔法陣に走って行き、かき消えた。
詰所の重症者もラミル流の僧たちによりあらかた治った。
「撤退だー、俺たちも撤退するぞー!」
皆に号令をかけるバーム。そこに忍びよるリーガルの影。
ドーン!
大砲の玉が詰所を爆破する。間一髪逃げ出す僧たち。馬に乗り大統領府へ走り去る。
その時!バームは何者かの影がドーネリア軍側に走って行く気配を感じた。
「まさか!……いや、まさかな」
「どうした、バーム」
親しい僧が聞く。
「いや……俺が軍師なら、この間隙をついて、魔導師をドーネリアの首都ガレリアに送り、同じく街を崩壊させる……と思ったんだがな。この状況じゃあな」
ふと思い出す。前リーガル教皇を殺害し、逃げ去った男のことを。
(ふん。そんなことが……)
「は!」
バームは馬を飛ばした。
サキヤはアパートに帰った。これからドーネリア軍が進軍してくる。狙われるのに、この一角も入っているのは間違いない。
「ただいまー!」
人の気配はない。
中に入ってテーブルにある置き手紙を見つけた。
(よーし、よかった。アルデオの実家に帰るようだな)
サキヤは近所のジャンの家に向かう。
ちょうどジャンと玄関で鉢合わせた。
「おー、サキヤか。家族は多分避難した。無事だ」
「こっちもです。アルデオ島に向かっています」
「よし、俺たちも避難しよう。軍人としては口惜しいが、反撃のしようがない。これからこの街は破壊される。逃げるが勝ちだ」
「はい。行きましょう」
二人は街を離れた。
フォン
空間が切り裂かれカルムが帰ってきた。
庭に佇み、しばしキリウムの顔を見る。たったの二ヶ月ほどの弟子入りだったが、ユーモアと笑いにあふれた生活だった。祖母と姉のつらい死を忘れさせてくれた毎日だった。
「お師匠様……」
キリウムの頭を抱きしめると、渇れていた涙がまたあふれ出た。
穴は自分の手で掘った。
「くそっ!くそっ!」
穴に首を安置し、好きだったピザを横に添えて祈りを捧げる。たった一人、いやたった二人っきりの寂しい葬儀だった。
シャワーを浴び、ベッドに体を投げ出す。
憎きリーガルの顔を思い出し、脳裏に刻み込む。
(なぜあんなに魔力が強いんだ……)
怪物退治の時もそうだった。あまりにも差が開いている。
(なぜだ)
リーガルは悪魔だということがカルムには分かっていないのだ。
(どんな手を使ってでもリーガルを倒す!)
うつらうつらし始める。
(どんな……手を……)
カルムは眠る。より良い明日が来るのを信じて。
月が出てきた。もうすぐ冬が終わる。
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