失踪
「あー、俺、今から失踪することにしたから」
友人は、電話口で突然そう切り出した。
「失踪?」
「そう、失踪。俺今から行方不明だから」
そこまで聞いても、僕には彼が何を言ってるのかがいまいち理解できなかった。
「なんか、学校に行っていても家にいても、自分が腐っていく感じがしてさ。一回いなくなってみるから。まぁ、落ち着いたらまた適当に電話するわ。じゃ」
それだけ言うと、彼は電話を唐突に切った。
何のことかわからずきょとんとしていたが、すぐさま、僕は思い返して履歴から彼に電話をかけ直す。
電話はしばらく呼び出し続けていたが、10度目のコールの後、再び彼が電話口に現れた。
「おいおい、失踪したんだからさ、早々電話なんてしないでくれよ。別に用事なんて無いんだろ?」
不機嫌そうに彼は言う。
「いや、失踪ってどういう意味なんだよ」
僕の言葉に、彼が電話口で呆れ返っているのが感じられた。
「どうもこうも、失踪だよ、失踪。ま、家出して行方不明になるんだな」
あっけらかんと彼は言う。
「おいおい……」
色々と言いたいことはあったが、僕はそれ以上は何も言えなかった。10年以上のつきあいから、彼の一度決めたら引き下がらない性格は知っているつもりだったし、その経験から考えても、彼がこれ以上の干渉を嫌うのは明白だった。
「なんにせよ、しばらくは失踪するんで。ま、心配はいらないから。どうせ現代社会なら一人でも生きていけるし……」
彼は諦めたような自慢げなような、そんな口調で静かにそう言った。
「じゃ、電話切るぞ。これからは電源オフにしとくから、またなんかあったらこっちから電話かけるわ」
それだけ言うと、彼はこちらの回答も聞かずに電話を切った。
そして、彼の失踪が始まった。
彼はそう言って失踪を始めたものの、当然ながら僕の前には何の変化もない。
「失踪か……、あいつは何を考えてるんだろうな……」
ぼんやりと横になりながら、僕はそんなことを考えていた。
失踪。まあ詰まるところ家出である。24歳の成人男子が家出というのもなかなか笑えない話ではあるが、彼は前々から、それに似たことを口にしていた。
『何もせず家にいると、まるで自分が腐っていくみたいだ……』
彼は、大学を卒業したものの就職活動に失敗し、親の薦めとコネで専門学校に進んだが、それは彼の望んだことではなかったのは明白だった。
それでも責任感の強い彼はその期待と自分自身の責任として、そこでの生活を続けていたが、日に日に彼の心に迷いが生じているのが、外からも見て取れた。
彼は会うたびに自分自身の迷いや、学校での周囲の人間とのズレ、そして親の期待と自分の責任と自分の本心との溝に苦しんでいることを漏らしていた。彼にとって今の彼の立場は、いかんともしがたい物だったのだろう。そして僕は、そんな彼の悩みに何の力になることも出来なかった。
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