30.屋根の上 ♡ 自覚 → キミを助けに

 いつかと同じ。

 夜の屋根にのぼって。

 

 勇者はひとりで物思いにふけっていた。


「そうよ。もともと〝ひとに恋を〟なんて、おこがましいことだったんだ」


 彼女は夜の中に消えていくような声でひとりごちた。

 見上げる空には、ほとんど満月に近い月が浮かんでいる。

 

「恋愛なんて、どこまでいっても〝ひとの気持ち〟だもの。他人が口を出してどうにかなるものじゃない。そんなの当たり前のことだったのに――どうして、気づくことができなかったのかしら」


 勇者の頭の中に、過去に憧れた御伽話おとぎばなしが思い浮かんだ。

 

 いばらの森に閉じ込められたお姫様のもとに、

 白馬の王子様が颯爽さっそうと現れて助けてくれて。

 それをきっかけに二人は恋に落ちて、

 愛をはぐくんで、

 やがては結ばれる――そんなよくある夢物語。


「強がってみせたけど……あたしだって本当は〝恋愛初心者〟なんだもの。知ってるのは、御伽話の中の恋愛だけ。創作つくられた、理想を詰めこんだ現実からは程遠い恋物語、だけ」

 

 勇者は息を吐いてつづける。


「恋は、だれかによってものなんかじゃない。自分の中から自然と生まれてくる感情で。他人から強制なんて、できるわけがなかったんだ」

 

 それなら。

 恋は。

 どうやって――生まれるのだろう。


 勇者は考える。


で恋に落ちる人もいれば、かかる人もいるかもしれない。その結果、恋をしたとしても……相手からも恋をされないと、一方通行で終わってしまう」

 

 そもそも、ひとりの人を好きになること自体が〝奇跡〟なのだ。

 そんな奇跡が、に起きなきゃいけない。

 

 正々堂々と恋をすることは、こんなにも難しいことのだ。


 ふつうでホンモノの恋をすることは、こんなにも――


「やっぱりどうしたって、途方もない〝奇跡〟だわ――それを、たった3日でなんて」

 

 ――あと3日でホンモノの恋をさせてみせる。

 

 今ではそんな約束が果てしなく無謀なものに思える。傲慢なものに思える。

 『恋愛は傲慢な感情だ』と涙を流して言った聖女のことを思い出す。

 好きな人に好きになってもらえないことをなげいたひとりの少女。

 

「いったい、だれが悪かったのかしら」と勇者は考える。

 

 あれだけ積極的に迫られても、想いをぶつけられても。

 なんの反応も示さない魔王が悪いのだろうか?


「……違う。そんなことない」と勇者は首を振る。「魔王は悪くない」

 

 ――余も自身の心に〝嘘〟を吐くことだけはしたくないのだ。貴様と同じでな。

 

 魔王のその言葉は正しい、と勇者は思う。

 自分の心を偽って恋をしたところで、待ち受けるのは幸福と真逆のだ。


「ああ、そっか――」

 

 月にかかっていた雲が晴れた。

 勇者の目にその月光が反射する。


「あたし、魔王に――になってほしいだけなんだ」


 月の輝きはどこまでも怪しく幻想的だ。

 その光を見ていると、今は隣にいない魔王のことを思い出す。

 

「どこまでも鈍感で。どこまでも非常識で――今までの魔族としての常識を打ち破る、一見冷たくても情熱的な魔王――」

 

 勇者はつづける。

 

「そのことが原因でこれまで色んな不条理や不幸を経験してきたぶん、きっとあたしは――あいつに〝しあわせ〟になって欲しかったんだ。魔王に生まれたからって理由で命を狙われて。まわりの命を奪われて。争って。勝ち取って。だけど争うことのあやまちにだれよりも気づいてて。、どこまでも優しい、世間知らずのあいつに――創作つくられた恋愛なんかじゃなくて、ホンモノのしあわせを――」

 

 頭の中に魔王との記憶が蘇ってくる。

 

 はじめてあの森の中で予期せず出逢って。

 勇者としてを浴びせたこと。それをなんなく受け止められ、返り討ちにあったこと。


 『なんでもする』とすべてを諦めたのに――『婚活を手伝ってはくれぬか』と魔王らしからぬお願いをされたこと。


 世界を救うためだと魔王は言って。それを自分は受け入れたこと。


 恋愛経験豊富だと見栄をはったこと。

 同じ宿屋で夜を共にしたこと。

 自分は眠れないでいたのに、魔王はすぐに眠りに落ちたこと。

 それがなんだか悔しかったこと。


 結婚相談所に行って。

 登録したら空から聖女様が落ちてきたこと。

 式の途中で許嫁がやってきたこと。

 形だけの結婚は認めないと訴えたこと。


 世界を平和にするための〝壮大な結婚〟だからこそ、そこで結ばれる愛はホンモノじゃないといけない――そう語気を強めて訴えたこと。


 あれはぜんぶ、あたしの本心だった。


 舞踏会で一緒に踊ったこと。

 今と同じ屋根の上で――ふたりで語りあったこと。


「……あ」

 

 勇者はそこで、いちばん〝大切なこと〟に気がついた。

 魔王との想い出を振り返っている時の自分の感情は――

 

「どうしてこんなに、あたたかくて、同時に――胸がしめつけられるんだろう」

 

 鼻をすする。

 眉間がじいんと痺れるような感覚がある。

 ふと目の端に手をやってみると、指先が濡れていた。


「どうして涙が――出ちゃうんだろう」

 

 月光がふたたび雲居くもいをまとった。

 勇者のところにまで届く光ははかなく、同時になにかを求めてさまよっているようにもみえる。

 

「……そっか」

 

 勇者はこくりと唾を飲み込んで。

 唇を一瞬かみしめてから、言った。


「自分の感情に嘘を吐いてたのは――あたしも、同じだったんだ」

 

 そうだ。

 自分で認めていなかっただけなんだ。


 勇者は自分の心に耳を澄ますようにする。

 そこから聞こえてくる音がはらんだ感情は――


 きっと、と呼ばれるものだ。

 

 

「――あたし、きっと、あいつのことが――」


 

 がたり。

 そうつぶやいた瞬間、勇者の背後で何か物音があった。

 

「え? だれ……? まさか、魔王?」

 

 勇者は慌てて振り返る。

 しかし……その視界は、すぐにになった。


 

「えっ――」


 

     ♡ ♡ ♡


 

「勇者様、結局昨夜は帰っていらっしゃいませんでしたね……」

 

 聖女が心配そうに言った。

 

「ん――なんの連絡もなかったのは、すこし、へんかも」

「確かに珍しいな。あやつがそのような心配をかけるようには思えぬ」

 

 淫魔と魔王もつづいた。


「心配、ですわ……」

 

 気づけば例の大聖天日だいせいてんびの当日になっていた。

 

 聖なる力が高まるこの日にだけ発動できる【古代聖兵器ラピトス】を用いて、聖教会は魔界を滅ぼそうとしているとの見立てだったが――

 

「そういえば――ここまで、聖教会側になんの動きもない」と淫魔がいぶかしげに言う。

「なにか不穏なことに巻き込まれていなければよいのですが――きゃっ⁉」

 

 聖女が不安を吐露した瞬間、急に窓ガラスが割れた。

 飛び込んできたのは一本の〝矢〟だった。窓際の床にびいんと突き刺さって、の部分にはひとつの【手紙】が結ばれている。

 

「こ、これはっ……⁉ 噂をすれば教会の印ですわっ」

 

 聖女が手に取って広げる。

 

「ん……『勇者は、あずかった』――」


 中身を淫魔を読み上げていった。


 勇者の身柄を聖教会で拘束こうそくしていること。

 助けてほしければ――


「『魔王ひとりで聖教国に来い』――とありますわ……!」

「ん……」

 

 聖女と淫魔が魔王を振り向く。

 魔王は文の中にひととおり目を通したあとに首をふった。


「しかたあるまい。文には『ひとりで』とあるのだ。余だけで参ろう」

 

「待ってくださいまし! これは明らかに罠ですわ……! 聖教会が欲しいのは、【古代聖兵器ラピトス】起動のトリガーである聖女モエネの存在ですっ。もともとは聖教会の内部のごたごた……魔王様がわざわざ行かずとも、モエネの身を差し出せば、きっと――」

「罠でも構わぬ」

「えっ」


 魔王は珍しく語気を強めて繰り返した。


「罠でも構わぬ。余が必ず――

「魔王、様……!」


 魔王は淫魔を振り返って言った。


「というわけだ。クウルス、余の留守中にモエネを頼む」

「ん、魔王様のたのみなら。でも――」

「ぬ? ――ああ」

 

 魔王は気づいたように言った。

 

「以前の約束は破棄だ。――どのような手段を使っても構わぬ。なにがあってもモエネを守り通せ」

 

「ん……わかった」とクウルスは頷いた。

「ああ、よろしく頼むぞ」

 

 魔王はほのかに口元をあげて満足そうにしたあと、漆黒のマントをひるがえしながら言った。


 

「それでは出かけてくるとしよう――



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