29.結婚生活シミュレーション ♡ モエネ編② → 溢れる想い

『続行するのはいいんだけど……本当に大丈夫なのかしら』

 

 別室からモニタリング中の勇者が言った。

 結婚シミュレーションが行われる部屋の中空ちゅうくう魔法画面モニターが浮かんでいて、そこに勇者と淫魔が映っている。

 

『ほんらい、【人間族】と【魔族】の魔力の起源はことなる』と淫魔が補足した。『正と負。陰と陽。日と影。互いに真逆の力は反発しあう。その中でも聖女モエネと魔王さまはに位置してる。とうぜん、相性は、わるい』

『ふうん……でもあたしも人間族だけど、魔王の隣にいてもそんなに反発する感じはなかったけど』

『起源はことなっても、同じ魔力だから。ふつうはそこまで影響はない。――それでもはぴりぴりしたりはするとおもうけど』

『うん? ……なんかその言い方だと、あたしが鈍感どんかんみたいじゃない?』

『否定は、しない』

『しなさいよ!』

 

 がちゃり。

 ドアが開いて、聖女がひとりで待っていた部屋に魔王が入ってきた。


「魔王さまっ!」と聖女が駆け寄っていく。

 

『あ、さっそくふたりが接触しちゃうわよ……!』

『ん。みまもるしかない』

『そ、そうよね。でも最初にふたりが出逢ってから時間も経ってるし。もしかしたら、すっかりふたりのオーラも中和しあったりして――』


 聖女が魔王に抱きついた瞬間。


「――きゃあっ!」

 

 聖女の澄んだオーラが、がんがんに染まっていった。


『わー! 全然中和されてなかったーーー!』と勇者が叫んだ。

「ぬ……大丈夫か、モエネ」

 

 一方で魔王は平然としている。


『ねえ。魔王の方はぴんぴんしてるけど……』

『ん。魔王さまも。シルルカと同じで

『あ! 今度ははっきり鈍感って言った!』

 

 勇者が頬を膨らませぷりぷりしている一方。

 部屋の中では、聖女が明らかに顔を青ざめさせ体調を悪化させていた。


「だ、大丈夫ですわっ」と彼女は強がる。

「大丈夫ではなさそうだから尋ねたのだ」と魔王は首を振る。「しばらく離れた方がよさそうに思うが」

「離れるなんていやですわっ! ……う、あ……!」


 聖女は逆に魔王のことを抱きしめるようにしたが。

 やはり周囲のオーラは毒々しい色に染まっていく。


「こ、これも〝愛の試練〟ですわ……! 乗り越えなくては、魔王様と本当の結婚生活は営めません……うっ!」

 

 聖女が魔王に接するたび、悲痛な声があがる中で。


『はいはい、そこまで!』

 

 モニタリング中の勇者の声が部屋の中に響いた。

 

「あ、ら……! 勇者様、監視はよくても〝口出し〟はルール違反ですわよ……!」

『そんなこと言ってる場合じゃないでしょうに』勇者は溜息をつきながら言う。『あんた、もうぼろぼろじゃない。いったんストップしましょう』

「い、いやですわっ!」と聖女はなおも強情に言う。「今はモエネの結婚生活の番ですっ。邪魔されるいわれはございませんっ」

『そんなこと言っても――あんた、ずっとでいるつもり?』

「え?」

『たしかに言うとおり、今は模擬生活シミュレーションで一時的だとしても――これから魔王となんてしようものなら、あんたの身体はどんどんぼろぼろになっていくのよ? そんなの、本当に〝幸せ〟って言えるの?』

「言えますわ!」


 聖女は即答した。


『……っ!』


 その勢いに勇者たちはすこしたじろぐ。


「カラダがぼろぼろになっても構いません。相性が悪い? 魔王様と聖女という関係上、そんなものは初めから百も承知です。カラダが拒絶しあってる? 望むところですわっ! モエネはそれ以上に――魔王様のことを、愛しております」

 

 聖女はオーラを黒に浸食しんしょくされながらも、まさしく幸せそうな表情で言う。


「どれだけ自らが犠牲になろうとも、愛する人と近くにいられる――これを幸せと言わずなんになりますか」

『……モエネ』


 勇者は微かな尊敬をも含んだような声を出した。


「犠牲――そうですわっ」聖女は魔王に向き直って言う。「このとおり、モエネは魔王様のためにならどんなことすらもいといません。魔王様、なにか〝望まれること〟はありますでしょうか? モエネにできることなら、思うがままになんでも叶えて差し上げますわっ」

 

 そう言ってモエネは、自らの衣服をはだけさせていった。


『ちょ、ちょっとモエネ⁉ なにしてるのよ!』

「これは結婚生活のシミュレーションですわ。それでしたら、をするのも自然ではないでしょうか……?」

 

 モエネはどこか妖艶ようえんな表情をつくりながら言う。


『そんなのだめに決まってるでしょ!』

『ん……さすがに、いきすぎ』と淫魔もたしなめる。

『そもそも、そういう〝いきすぎなこと〟を防ぐために監視が必要って言ったのはモエネでしょ!?』

「そうでしたかしら? そうだった気もしますが、いずれにせよ見られていたって構いませんわ」


 モエネはなにやらぶつぶつと呟いている。もはや目は正気にはなさそうだった。


「モエネはなんだって差し出します。魔王様の望むことなら、たとえこの純潔の身の上だとしても――」

『モ、モエネっ! 正気に戻って!』

「さあ、魔王様っ!」


 モエネはそこで両手を大きく広げて言った。


「魔王様は、モエネの〝ナニ〟を求められますか――?」

 

 そこで魔王は目を二三度またたかせて。


「ぬ……」

 

 すこしだけ首をひねり、考えるようにしたあと。

 

「特にないな」

 

 そうひとことだけ言った。


「……え?」

「考えてはみたが思いつかぬ。現状ではとくだん、求めることはない」


 モエネはショックを受けたように目を見開いて。


「――っ‼」

 

 全身の力が抜けたように床にへたりこんだ。

 

「魔王様っ……どうして、ですかっ」言葉をつむぐモエネの声は震えている。「ここまで自分なりにがんばってまいりましたっ。ハジメテの恋で。ハジメテの想いで。どうしたらいいのか分からないこともありました。自分の中から溢れて止まらない魔王様への想いを。どうしようもない感情を。どのように扱っていいか分からずに――それでも、魔王様にと。内側に秘めているだけでは、きっと伝わらないでしょうから。とくに魔王様は――、ですもの。だからこそ、はっきりと口にしました。言葉にしました。行動にしました。ですが――これ以上はどうしたらいいか、モエネにはもうわかりません」

 

 聖女の瞳からはぽろぽろと涙が零れていった。

 言葉の節々ふしぶしには嗚咽おえつが混じっている。


「すみません。こんなことはただのだとは分かっています。それでも自分の中の感情が抑えられず……。モエネはハジメテ知りました。恋愛というものは、こんなにも傲慢ごうまんな感情なのですね」


 魔王はなにも答えられないでいる。


「…………」


 しかし。その瞳には。

 これまでには無かった、はっきりとした〝感情〟がにじんでいた。

 

「モエネ――すまない」

「魔王、様……?」

「貴様が真摯しんしに余のことを想ってくれているということは伝わってきた。そのことには素直に有り難いと思う。しかし、余も自身の心に〝嘘〟を吐くことだけはしたくないのだ――貴様とでな」

「はいっ」聖女は目の端にたまった涙を拭う。「心得ておりますわ。ですから、謝らないでくださいまし」

 

 聖女がすすりあげる音が部屋の中に響く。


「………………」

 

 しばらくしたあとに、がちゃりと部屋のドアが開けられた。


「あ――勇者様っ」

 

 入ってきた勇者の姿を見て、聖女はつぶやいた。


「もう終了のお時間でしょうか。このあとは勇者様の番が控えていますものね。ええ、ええ。分かっていますわ。モエネもすこし〝やりすぎた〟と反省しております。どうか勇者様も、魔王様とのひとときを楽しんで――」

「やめましょう」

 

 勇者は入ってくるなり一言ひとこと、凛とした声でそう言った。


「――え?」

「模擬の結婚生活はこれで終わり。こんなの、やっぱりどこまでいったって言葉通り……ただの〝おままごと〟だわ」

「で、ですがっ」

「終わりったら終わり!」

 

 ぱん、と勇者は手を叩いて言った。



「それに……あたし、このあとはすこしになりたいの。あたしたちの〝これから〟について、考える時間をちょうだい」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る