7.戦略 ♡ おっぱい → 鈍感

「余計なことをしてくださいましたわね」


 聖女がきっぱりと言った。

 続いて片頬を膨らませてみせる。

  

「あのままなにもなければ、無事にモエネは旦那様と結婚できておりましたのにっ」

「あ、あたしだって、まさかあそこまでやるなんて思ってなかったもの……契約、だっけ? どうにか解除する手立てはないわけ?」と勇者が訊く。

「魔王さまがあの時施した契約は、魔族の中でも最上級に重い術式――内容が履行されるまで、破棄されることは、ない」と淫魔が首を振った。


 3人は同時に深い溜息をついた。

 勇者がまとめるように言う。

 

「とにかく議論を前向きに進めましょう」


 魔王が自らの命を代償とした〝真実の愛の契約〟を自らに課したあと。

 

 勇者と聖女と淫魔という――

 まさしく魔王とのを控えたようなメンバーが机を囲んで顔を突き合わせていた。

 

 議題はひとつ。


 契約の履行――つまりはいかにして、恋愛経験が皆無な魔王に〝本物の愛〟を知ってもらうか。


「あのっ、モエネは心から旦那様のことを愛していますわ!」


 先陣を切ったのはモエネだった。

 

「ですからみなさんで、旦那様がモエネに惚れていただけるようお手伝いをお願いできませんか?」

「絶対に……いや」


 淫魔が即答した。

 もともとの許嫁である彼女はあくまで否定の立場を取っている。


「ですが、他ならぬ旦那様ご自身が人間族との婚約を望まれていますわ。世界を救うために」


 しかし淫魔は瞳の奥に冷たい炎をたぎらせて言い放つ。


「世界なんて――滅びてもいい」

「え? な、なに言っちゃってるの……?」と勇者が焦る。

「世界なんて、滅びてもいい」それでも淫魔は繰り返す。「世界が終わる瞬間に、魔王さまと一緒に過ごしていられれば――それで、いい」

 

 勇者は頭を抱えた。

 

(う、うわあああああ……なんか想定以上に系の子だったーーーーー)


 淫魔は「きっ」と実際に言って聖女を睨んで。

 背中の羽を威嚇するように広げた。


「だから、私は魔王さまとの結婚を、あきらめない。その恋路を邪魔するなら――全力で、たたかう」


 聖女も笑顔のままで負けじと言う。

 

「あらあら、戦うもなにも……私はすでにマッチングを終えていて、式も目前だったのです。貴女とは階級ステージが違うと思いますけれど」

「階級は、私の方が――上」

「言葉足らずでしたでしょうか。もちろん、モエネがより高みにおりますわ」

 

 不倶戴天ふぐたいてんのふたりの対立により。

 ごごごごごご、と周囲の空気が歪んでいく。


「ちょっと、喧嘩はやめてってば!」


 勇者がふたりの間に入る。

 それでも一触即発の状態は収まらない。

 遂にはふたりが天地を揺るがすような特大魔法陣を空に描き始めたところで――

  

「ふむ。暴力はよくないぞ」

 

 いつの間にかやってきた魔王がそう言った。

 ばちばちと煮えたぎっていた空気がひとまず鎮火する。


「魔王さま……魔王さまが言うなら、分かった」

「あら。モエネったら、お恥ずかしいところをっ」


 魔王は首を振ってから、円卓の端に座った。

  

「余が人間界にまで出向いたのは、あくまで和平を願ってのことだ。ここで暴力に頼れば、今後の説得力に欠けてしまう」


 まさしく平和を望む立場である聖女が目をきらめかせた。

  

「これまでの魔族のイメージをご払拭されるお考え――さすがはモエネの愛したお方ですわ!」


 その後も『素敵ですわ』『ラヴですわ』『次の式はいつにいたしましょう』『愛してますわ』などと浮足立つ聖女に勇者が物申す。


「さっきから言うは易しだけど……あんたと魔王はさっき初めて会ったわけでしょう?」

 

 聖女は頷いた。


「それで本当に愛してるわけ?」

「もちろんですわ」と聖女は力強く言った。「心の底から」

「うーん……」勇者は腕を組んで首を傾げる。「こういう子に限って熱しやすい分、冷めやすいのよね」


 勇者の呟きは、きちんと聖女の耳に届いたようだった。

 

「あらあら。モエネはこと恋愛において、冷めたことなどありませんわ」

「過去の恋愛はどうなのよ」

「過去なんてありませんもの」聖女は堂々と否定する。「だってモエネは――誰かを愛すること自体、ハジメテなのですから」

「……え?」

「ですから旦那様こそが――モエネの初恋のお方ですっ」

「えええぇぇぇ⁉︎」


 勇者は後ずさるようにして驚く。

 

「だったらやっぱり盲目が過ぎるわよ。一目惚れで初恋で即プロポーズなんて……」

「ですが、この胸のは本物ですわ――このように」

 

 聖女はそこで椅子に腰かける魔王のもとに近寄った。 

 続く動作で魔王の頭を抱きしめるようにして、自らのふくよかな胸部にあてる。


「「なっ⁉」」


 勇者と淫魔が驚愕の声をあげた。


「……ぬ?」


 魔王は何が起きたか分からないように目を瞬かせた。

 

「旦那様――感じますでしょうか。旦那様への想いがほとばしり、どくどくと脈打つモエネの胸の鼓動が」

「ちょちょちょちょ! なにやってるのよ! 完全にお、……おっぱい、当たっちゃってるじゃない!」

「もちろんわざとです」とモエネが慈愛に溢れた笑みで言った。「戦略的おっぱいですわ」

「戦略的おっぱい⁉︎」

「いかがですか、旦那様?」


 しかし。

 魔王はいつもと変わらない、淡泊な表情を浮かべているだけだった。


「か……完全に平常心ですわ……モエネのおっぱいでは、足りませんでしょうか」


 聖女はそこでちらりと勇者の胸に目をやって続ける。


よりは自信があったのですが」

「こらこら、なんで今あたしの胸を見たのよ」


 べ、別にあたしもちっちゃくはないしー……! と勇者が物申す。


「ぬ? いや……足りぬもなにもだな。そもそも、」


 聖女の胸部でぽよぽよと頭を挟まれている中で。

 魔王は堂々と言った。


「おっぱいなら――男である余にもついているぞ?」


「「……っ⁉」」


「自分にもあるものを押し付けられたところで、特別には思わぬ」

 

 そんなふうに。

 不思議そうに首を傾げる魔王を前にして。


「か……完敗、ですわ……!」


 聖女は完膚なきまでに敗北を認めた。

 

「うー……たしかに、もおっぱいではあるけど……まさか、魔王の常識外れっぷりがここまでなんて……」


 勇者も連鎖的に凹んでいると、


「ふん。いい気味」


 淫魔がどこか余裕ある表情で言った。

 

「これくらいのことで動揺していたら――魔王さまに恋するのは、100年早い」

「どういうことよ?」と勇者が眉をひそめる。

「魔王さまはもともと、ありとあらゆる魔族の誘惑をもってしても、一切なびくことのなかった鉄の男。つまりは――魔界一の、鈍感」

 

「魔界一の……!」聖女と、

「鈍感……!」勇者が繰り返した。


 淫魔は「こっくり」と得意げに頷いて続ける。

 

「だから、魔王さまがおっぱいでしないなんて、日常茶飯事」

「な、なんてことなの……⁉」


 勇者は頭を抱えた。


(確かに恋愛経験が無いとは聞いていたけれど……そもそも女の子に対して興味がないんじゃない⁉ そんな相手に本物の恋をさせて、その先結婚までさせるなんて……)


 勇者はごくりと唾を飲んで呟く。


「どれだけ……ハードルの高い約束をしちゃったのかしら……」


 目の前では引き続き聖女が胸部を魔王に押し付け、

 

「旦那様! これでも、これでも駄目でしょうか……! モエネのおっぱいで興奮はなされませんでしょうかっ」

 

 などと聖女からはほど遠い言動をしている。

 それでも魔王はなびかない。

 見かねた淫魔が近寄っていく。

 

「魔王様はなにも感じていなくても……やっぱり、私以外の女と、必要以上にするのは禁止」

 

 ぷくう、と言って淫魔は頬を膨らまし、ふたりの距離を離した。


「うー……思ってた以上に〝結婚〟への道のりは遠そうね……」


 勇者が呟くと同時に。

 部屋の扉がばたーん、と大きな音を立てて開いた。


「きゃっ⁉ なによ急に、びっくりしたわね」 

「こんこんこーん!」

「ノック遅! って、ミミラミさん……?」


 やってきたのはギャル系占術士のミミラミだった。

 

「やはやはー☆ みんな元気のすけー?」


 手をひらひらと振りながら、相変わらずのテンションで占術士は言う。


「急にいらして、どうかされましたか?」と聖女が訊いた。

「あんねー。報告があってねー」


 占術士は懐から例の水晶を取り出して続ける。


「あのあと、また魔王サマがマッチングしたんだー」

「え……聖女以外にってことよね? 一体どこのどいつよ」と勇者が尋ねた。

「えとえとー、魔王サマとー」占術士はぐるりと部屋の中を見回して言った。「だよー」

「ふうん。ここにいるみんな、ねえ。……って、クウルス。あんた、いつの間にマリアベイルに登録したのよ?」

「ついさっき。魔王さまとの、相性を知りたかった。でも――ちゃんと〝まっちんぐ〟できて、うれしい」


 淫魔は嬉しそうに頬を緩めた。

 勇者はどこか引っかかるように続ける。

 

「よかったじゃない。って、あれ? さっきあんた〝ここにいる全員〟って言った?」

「だよだよー」と占術士が微笑む。


 勇者の脳裏に嫌な予感が走る。

 他ならぬ勇者自身も、以前に秘密の結婚相談所マリアベイルへ登録していたのだった。

 

「ってことは、まさかのまさかだけど……、ってこと……?」

 

「もちのろんだよー☆」


 占術士は白い歯を見せた。


「……ええええええええええええっ⁉」


 勇者はたまらず絶叫した。


「よかったねー、勇者っち! あれだけ待ち望んでたマッチングだよー☆」

 

 とあっけらかんと祝福されたが。

 

 ――しかしその相手は魔王だった。


 

「そんなの、聞いてないわよーーーーーっ……!」



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