第23話 百の眼を持つ堕天使バヤン(後編)

「着きましたよ」


先生はそう言って、地下書庫の扉を開いた。

地下の書庫はひんやりと湿った感じがした。

実際には本を管理しているのだから湿度は本に最適なように保たれているはずだ。

しかしここは古い本が放つ雰囲気と言うか魔素というか、そんな不思議な雰囲気が『ひんやりと湿った感じ』を作っているのだ。


「さぁ、それではさっそくバヤンについて調べましょう。ここに長く居る事は精神に良くない影響を与えるかもしれない」


リー先生はそう言って書棚から一冊の大きな本を取り出した。

本は百科事典より二回りくらい大きく、厳重に鍵が掛けられている

先生は閲覧テーブルの横に鎖で繋がれている鍵で、その本を開錠した。

なるほど、こうしてこの本はここでしか読めないようになっているのか。

先生はパラパラとページをめくる。

私はその横でじっと本を見つめていた。

半分ちょっとを過ぎた所だ。


「ありました。『百の眼を持つ堕天使バヤン』。これですね」


そこには挿絵と共にバヤンについての詳細な記述があった。

挿絵に書かれた姿は「コウモリの羽と、山羊の角と、人間の腕を持ったオオトカゲ」と言ったものだ。


「あんまり天使っぽい姿に見えないですね」


私が思わずそう言うと、リー先生は笑った。


「悪魔の挿絵はそういうものです。だって本当の姿を見て描いた訳じゃないでしょうから。それに四大悪魔の姿を見た人間が居たとして、その人間は無事ではいられないと思いますよ」


「でもここに『バヤンは氷地獄の北の迷宮に閉じ込められている』って書いてありますよね。それを見る事ができるんですか?」


「実際にその目で見た人間はいないでしょう。ですが四大悪魔は常にその精神の一部を私たちの世界に送り込んでいると言われています。その時に夢の中で現れた姿は見た事がある人間はいるはずです」


「ふ~ん、夢で見た姿なんですね。でもこの挿絵で見る限り『百の眼を持つ』って感じには見えないんですけど」


「『百の眼を持つ』と言うのは一つの比喩です。同時にいくつもの場所を見る事が出来る千里眼と言う事でしょう。それに伝承ではバヤンは自分の鱗を飛ばして、そこに目が開くと言われています。ホラ、ここにもその事が書かれていますよ」


先生が指を刺したところ見ると、確かにそういう記述があった。

バヤンはこの『鱗を飛ばした百の眼』で、敵の天使軍がどこから攻撃してくるかを事前に悟る事ができたと書かれている。


「ちなみにこのバヤンは人に憑りついたりするんですか?」


私は昨夜、ルイーズが言っていた「バヤンでも憑りついている」と言う言葉を思い出していた。

しかしリー先生は首を傾げる。


「う~ん、どうでしょうか。確かにバヤンの精神の一部が人間に憑依する事もあるでしょうが、それは憑りつくと言うよりもバヤンと契約をした場合じゃないかと思うんです」


「バヤンと契約? 悪魔との契約って事ですか?」


「そうですね、悪魔にはそれぞれ契約の儀式があって……」


先生は本をめくりながらそこまで言った時、その手が止まった。

私もそこを覗き込む。

なんと、本のページが数枚、破り取られているのだ。


「貴重な資料に、なんて事を……」


リー先生が思わずそう呟く。

私も残念に思ってその破かれた部分を見つめた。

するとページとページの隙間に、ごく小さな紙片が挟まっているのが見えた。


「これは何でしょう?」


摘まみ上げた紙片に、なにか黒い網目のようなものが映っている。


「見せて下さい」


先生にそう言われて、私はその紙片を手渡す。


「もしかして、破かれたページの一部かもしれませんね。何かの手がかりになるかもしれないので、これは私が預かっておきますね」


先生は取り出したハンカチに、その紙片を丁寧に包んでポケットに仕舞った。


「さて、次はあなたの番です。あなたは何故バヤンの事を調べようと思ったのですか?」


私は躊躇した。

いったいどうやって私の事を説明したらいいのだろう。

まさか「私は別世界の人間で、本物のルイーズと入れ替わっている」とは言えないだろうし。

仕方ない、『入れ替わり』は別にして、話せる所まで話しておこう。


「先生は最近、私が関連した事件についてご存じですよね」


私はそう切り出した。

「私が起こした事件」ではないし、死んでもそう言いたくない。


「はい、シャーロットさんとの事件を言われているのですよね」


 んぐぅ


一瞬、喉が詰まる気がしたが、まぁ仕方ないか。


「はい。それで、何をしても私が悪くなっている気がして……それも最悪のタイミングで誰かが見ていて……まるで事件が起きる事を予知して、全てを仕組んでいるような……」


リー先生は無表情のまま、私の話を聞いていた。

彼はこれを『単なる私の言い訳』と思っているのだろうか?


「それで友達にこの事を話したら『私にバヤンが憑りついているのかも』って言われたんで、それで気になったんです」


「ふぅむ……」


先生はしばらく考えているかのようだった。


「私から見て、あなたに悪魔が憑りついているようには思えませんが……憑りついているとしたら、もっと別の何かでしょうね」


「え、どういう意味ですか?」


私が問い返すと、先生は見下ろすような感じで答えた。


「一人の人間に二つの魔法属性が現れるなど、あり得ないことです」


その目が冷たく光ったように思えた。

思わず私の背筋がゾクッとする。

だが先生はそんな私を気にするでもなく、本に鍵をかけて元の書棚に戻した。


「そろそろ戻りましょう。あんまりノンビリしていると、上の司書のお爺さんが要らぬ心配をするかもしれません」


そう言ってリー先生は、地下書庫を出るように促した。



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この続きは、明日の朝8時過ぎに公開予定です。

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