第12話
「皆、俺から離れろ!」
ジャックは両腕を突っ張り、麻琴と神崎を近づけないようにした。
そして、細かなサイドステップを連続で繰り出す。右に、左に、後方に。それでも赤い光は、執拗にジャックを追い続ける。
「しつこいぞ!」
跳びながら、鉤爪を赤い光に突き刺すジャック。霊的なエネルギーがぶつかり合い、相殺される。
しかし、ジャックが着地した時には既に第二波が迫っていた。最初の光とは違い、ズドドドドッ、と地面を抉りながら進んでくる。
それを見て、ジャックは大胆な策に出た。
ひゅんひゅんと鉤爪付きのワイヤーを振り回し、ロイの後方へと放り投げたのだ。
「むっ!」
警戒して回避を試みるロイ。だが、ジャックの目的はロイではない。飽くまで、赤い光からの脱出だ。
ジャックが放った鉤爪は、ちょうどロイから見て反対側の木の枝に食い込んだ。
それからジャックは、右手に握らせたワイヤー基部のボタンを押し込む。すると、射出したワイヤーの巻き取り機が起動した。
「ふっ!」
まさに赤い光にブーツの先を掠らせるようにして、宙を舞うジャック。それから振り子のように身体を操り、鉤爪を噛ませた枝に逆上がりの要領で飛び乗った。
赤い光の第三波のために霊力を溜めるロイ。だが、まさにそれが発せられる直前。
ジャックの手元から、小振りのナイフが投擲された。
「ぐっ!」
ロイはそれを、翳した腕で防いだ。
「麻琴、神﨑! 俺に構わず撃ちまくれ!」
木々の間や自動車の陰に隠れていた二人は、ジャックの叫びに素早く応じた。
拳銃と自動小銃の弾丸が、我先にとロイに迫る。
礼装の施されたナイフで刺されていたロイは、弾丸への反応が大きく遅れた。
殺到する無数の弾丸。これを回避するのは、幽霊であっても不可能だ。
ジャックは銃撃が始まってから、地面の草原を転がっていた。うつ伏せになり、後頭部を両手で覆う。
流石にこれだけの礼装弾丸を撃ち込まれれば、並の悪霊では致命傷どころか、即死してもおかしくないはず。やったか?
だが、ジャックは大きな勘違いをしていた。このロイ・バートンという悪霊は、並の悪霊ではなかったのだ。
顔を上げた時、ロイは立っていた。流石に無傷ではなかったが、大怪我を負ったわけでもない。
「なるほど、彼らが君の仲間というわけか、ジャック・デンバー?」
「あ……」
ロイがあまりに落ち着き払っているので、ジャックは驚きを隠せなかった。
「まあいい。このまま戦っても、君自身を痛めつけることにはなるまい。今日はこのあたりで失礼する」
「おっ、おい! お前はいったい――」
ジャックがそう言い終える前に、非攻撃性の魔力を練り上げるロイ。
そこから推力を得たロイは、ヴン、と音を立てて垂直に飛び上がっていった。
※
「総員、撃ち方止め。無事かい、麻琴ちゃん?」
「ええ、掠り傷程度。神﨑さんは?」
「僕もだ。行動に支障はない。ジャック、大丈夫ですか?」
ジャックは立ち上がり、シルクハットを被り直しながら片腕を上げてみせた。
「無事なようですね。これからどうします、神﨑さん?」
「そうだな……。その前に悪霊の狙いについて考えてみようか」
「それがいいですね。ジャック、作戦会議です! 早く来てください!」
※
こうして三人は自動車内に戻った。外装には多少の銃痕や物理魔法による凹凸が見られたが、走行するのに問題はなさそうだ。車内に貼られまくったお札も効果を発揮したと思われる。
「ほら、どいてくれ、エンジェ」
「あ、うん」
どこを探って見つけたのか、エンジェは今度は個別包装されているチョコレートに手を付けていた。
「エンジェ、お前は無事なのか? 酷く殴られたようだが」
「ああ、平気平気! この頭上の輪っかを使えば、あのくらいの傷の治癒なんて簡単だよ!」
自分自身に対して治癒魔法が発動できるとは、なんとも羨ましい能力だ。
それならいいが、と呟いて、ジャックは自分の肩を抱き、ぶるり、と震えた。
「ジャック、寒気でも?」
「い、いや、そんなことはないぞ、神﨑……」
ならいいんですけど、と言ってから、改めて神﨑は後部座席の方へ上半身を乗り出した。
「で、三人寄れば文殊の知恵、なんて言葉がありますが、今は四人とカウントすべきでしょうね、エンジェちゃんも含めて」
「ほへ?」
口内にぎゅうぎゅうチョコレートを含みながら、エンジェが顔を上げる。
その呑気な態度に、エンジェ以外の三人が思いっきり溜息をついた。
「ほらエンジェ、神﨑さんから会議の依頼よ。あなたもちゃんと参加して」
「会議って何の?」
「今襲ってきた影みたいな奴らを倒す、効率的な作戦を立てなきゃならないでしょう?」
「うん、それはそうだね」
上唇についたチョコを器用に舐めとりながら、エンジェが賛同する。
こうして各々が、自分の考えを披露していくことになった。
まずは霊能力者である麻琴、次に幽霊そのものであるジャック。そしてエンジェへと続く。神﨑はひとまず黙ってメモを取ることにした。
「じゃあ、麻琴ちゃんから」
「だから『ちゃん』付けはやめてくれと――まあ、もういいでしょう。私の霊能力の発現は、三歳の誕生日の頃からだそうですが」
その言葉に、ジャックはぴくり、と眉を引き上げた。
これで、神﨑と遭遇する前の麻琴の状況が掴めるかもしれない。
「あんなに殺意を抱いて迫ってくるような霊的存在と遭遇したことはありません。まあ、この世界にいる幽霊たちは、これ以上悪さをしないと誓ってでもいるのでしょうけれど」
そう言って、麻琴は眼球の動きだけでジャックの方を睨んだ。
ジャックにとって、自分が話す番である。が、自分にはなかなか難しいという考えに至った。
「ジャック、大丈夫ですか?」
「……」
「ジャック?」
黙り込んでいるうちに、先ほど自分の脳内に流れ込んできたイメージが点滅した。
あの真っ黒な、どこまで続いているのか分からないような空間。
あれは、間違いなく地獄への入り口だ。きっと、ジャックに恐怖心を抱かせるための脳波を、あのロイとかいう悪霊が送ってきたのだ。
天国ではなく地獄の姿を見せつけられるとは……。それに、ジャックは心配になっていた。もし自分が地獄に落とされてしまったら、と。
あの闇が、自分にとっては最大の脅威であり、恐怖対象である。
確かに自分は、生前も死後も人を殺めたことなどない。だが、暴力行為は散々働いてきた。
あの闇に吸い込まれて、俺の魂は終わりを迎えるのか――。そう思うと、口内に酸っぱいものがせり上がってきた。辛うじて飲み下したけれど。
「ジャック、大丈夫なんですか? いつにも増して青白い顔をしているようですけど」
「……俺に構うな、麻琴。エンジェ、順番交代だ。先に説明頼む」
「はいはーい。まず最初に天国のへの上り階段――エンジェル・ラダーってあたしたちは呼んでるけど、その階段を顕現させて、亡くなった人にはそれを上っていってもらうんだ。上ってもらう、っていっても、霊体化した部分だけなんだけどね」
ジャックはその光景を何度も見てきた。思えば、ジャックが殺されてからすぐにエンジェが現れてくれたのは幸いだった。状況をいち早く理解できたのだから。
「天国に着くと、そこでは質素だけど幸福な住環境が整備されているんだ。空腹になれば食物が現れるし、喉が渇けば水が出される。まあ、自分で買ってきたり、蛇口を捻って水を出してもいいんだけどね」
ふむふむ、と頷く麻琴と神﨑。
「天国に労働っていう概念はない。ただ、皆の魂は肉体から解放されるから、ボランティア、というか、生活を健やかにしていこうって活動をしている人が多いね」
「つまり、働いても働かなくてもよくて、水分や栄養源は与えられるわけだね?」
「神﨑さんの理解はそれでいいと思う。ただ、勝負をしなくちゃならない時もある」
「それは何?」
「スポーツだよ、麻琴」
淡々と言葉を発し続けるエンジェ。まるで自分が生徒になって、教師に教えを請うているみたいだ、と麻琴は思った。
「それで、スポーツが勝負って言うのは、現世と同じ感覚でいいの?」
「いや、ちょっと違うかな。天国には国、っていう概念が存在しないから、どのチームや個人を応援するにしても、バイアスがかからないんだ。皆、いろんな競技を楽しみにしてるよ。テレビはないけど、思念で見られるからね」
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