第2話


         ※


 麻琴たち六人は、三人ずつに分かれてタンカーに潜入した。と言っても、同じ廊下左右に分かれての内壁に沿って三人ずつ進むだけ。それから操舵室に突入、制圧すればいい。

 だがこういう場合、操船にあたっている船員たちは、自分たちが麻薬の運び屋の片棒を担がされているなどと知らない場合が多い。ひとまず主犯を捕らえなければ。


 狭い廊下を、早川と副隊長が先頭に立って進んでいく。

 しばらく進むと、嫌な臭いが彼らの鼻腔を刺激した。この狭苦しい空間では嗅ぎ間違いようがない。火薬と血の混ざった、現場の臭いだ。


 早川が振り返り、立ち止まるように指示を出す。それから視線を下げるようジェスチャー。

 最後尾を固めていた麻琴も、一瞬だけ振り返って正面の光景を目に入れた。


 床に三つの物体がある。倒れた人間だ。

 一人は恐らく、このタンカーで麻薬の警備をしていた密輸業者だろう。拳銃が手元に転がっていて、腹部と眉間から出血している。


 残る二人は、警察官の制服を着ていた。所轄の警官だ。


「所轄に突入させるとは、なんて無茶な……。上は何を考えているんでしょう?」


 副隊長のもっともな質問に、早川は答えた。


「きっと俺たちの間で競争意識を高めさせたいんだろう」

「それでは現場の人間の冷静さを奪うことになります!」


 小声で抗議する副隊長だが、話は後で聞くと早川に言われ、素直に黙り込んだ。

 すると、何かに気づいた早川が屈み込んだ。


「警官二人は生きてるな。脈がある」


 それは妙だと麻琴も思った。

 てっきり、この狭い通路で壮絶な銃撃戦が行われたのだと思い込んでいたのだ。


 考えられるのは、警官二人が密輸業者を射殺し、それから別の何者かによって眉間を強打された、というパターン。額は血が出やすいから、大量出血と考えてしまったのだ。


 では、その別の何者か、とは? 密輸業者の仲間割れだろうか? いや、だったら警官も一緒に殺してしまうはずだ。


 誰がここにいたんだ?

 そこまで考えついたところで、麻琴の背筋にぞくり、と嫌に冷たい感覚が走った。

 この感じは、まさか……!


 麻琴の意識を正気に戻したのは、早川の指パッチンだった。ここから先で声を出すことはできない、ということだろう。

 副隊長がゆっくりと、次の隔壁を押し開ける。


 その先には、広いスペースが開けていた。きっと自動車やコンテナを運ぶためのスペースなのだろう。

 天井は十メートル近くあり、床面は学校の体育館ほどだ。


 再び指パッチンを放つ早川。腕を掲げてぐるぐると回す。全員散開して捜索せよ、という合図だ。

 だが、それでは遅いという直感が麻琴の脳裏に走った。


「皆、散開急いで! 狙われてる! 伏せて!」

「はぁ? また戯言を――」


 そう言いかけた刑事は、全てを言い切ることはなかった。どこからともなくナイフが飛んできて、彼の意識を刈り取ったからだ。


「がっ!」

「全員伏せろ!」


 早川が叫び、衛生担当の刑事が倒れた刑事の下へ這っていく。


「状況は? 負傷の程度は!?」

「生きてます! 恐らく脳震盪かと……」


 脳震盪? 飛んできたのは立派なナイフだった。偶然、柄の部分が人の眉間に当たる、などということがあり得るだろうか。


「全員、発砲を許可する! 我々以外で動くものには弾丸をくれてやれ!」


 さっと拳銃を抜き、麻琴は身を屈めながら壁に沿って展開した。そして、はっきりと見た。

 灰色の半透明な人影が、次のナイフを取り出すところを。


「次、来ます!」

「矢野、何だって? なにが――がっ!」

「あっ、早川警部補!」


 まずい。司令塔である早川が倒された。

 彼も命に別状はないだろうが、命令を与えられないのは致命的だ。


 麻琴が次に思ったこと。それは、自分がこの場をどうにかしなければ、という義務感だった。

 きっとあの灰色の人影は、他の皆には見えない。自分が捕縛しなければ。だがどうやって?


 人影は悠々と振る舞っている。弾丸が貫通、否、透過してしまうからだ。

 これでは味方がどんどん戦闘不能に陥らされてしまう。相手に殺意がなかったとしても、どうにかしてここは身柄を拘束したい。


 ここで麻琴は、一つの賭けに出ることにした。

 拳銃を撃ちながら、人影に向かって駆け出したのだ。狙うは人影ではなく、飛ばしてくるナイフ。真っ直ぐ飛んでくるから狙いは定めやすいはずだ。


 案の定、麻琴の手元から発せられた弾丸はことごとく破砕された。

 十分な速度がついたところで、一気に前方へ跳躍。人影の手首に手刀を見舞い、敵のナイフき落とした。


 すると、人影はさっと後退し、トレンチコートを開いてみせた。


「お前、俺の姿が見えるのか?」

「ええ」

「霊能力者なのか?」

「そうかもしれない。家はそういう血筋でね」


 短く答える麻琴。

 後方で待機中の警官たちは、麻琴が邪魔で発砲できずにいる。しかし、麻琴の行動にやや異常性が見られたのは今日が最初ではない。


 確か幽霊が見えるとか言っていたな、と副隊長は思い返す。よって発砲を止めさせ、自分たちには見えない存在とコンタクトを取る麻琴に時間を預けることにした。


「ここに来る途中、一人が死亡、警官二人が気絶していたけれど、あれはあなたの仕業?」

「警官二人に関してはそうだ。くたばっていた一人は、既に警官に射殺されていた。だから俺が天使――エンジェに頼んで天国送りにしてもらったんだ」


 随分と流暢な日本語で語る人影。

 一方の麻琴は、得られた情報から今後どうすべきかを考えていた。


 幽霊には一旦行動不能になってもらうしかない。だが、こちらの弾丸はすり抜けてしまう。恐らく殴打も蹴りも一緒だろう。

 いや、待てよ? もし何もかもが透過してしまうのだったら、どうしてこの幽霊はナイフを握ることができたんだ?

 もしかしたら――。


 麻琴は短く飛び退り、拳銃を構えた。


「無駄だと分かっているだろう、お嬢さん。俺は今霊体で――」


 その言葉をぶった切って、ズドォン、という凄まじい銃声が響いた。タンカーの内部だからなおさらだ。


「飽くまで戦うつもりか!」


 弾丸が透過するのを見送りながら、幽霊が呟く。そしてナイフをトレンチコートの内側から取り出そうとした。今だ。


「はあっ!」

「ッ!」


 麻琴の中段回し蹴りが、見事に決まった。幽霊の手からナイフを弾き飛ばしたのだ。


「貴様、俺がナイフを手に取るために実体化した隙を狙って……?」

「ええ。実体にも霊体にもなれるなんて、羨ましいけれど」


 すると今度は、幽霊が上段蹴りで麻琴の側頭部を狙った。

 麻琴は冷静にその足を掴み込み、ぎゅるり、と捻る。


 通常なら相手はバランスを崩し、背中を床に打ちつけるはずだ。だが、そう上手くはいかない。

 幽霊は足を霊体化して麻琴の腕から脱出。側転して距離を取り、ナイフを手に取る。

 その直前、再び響いた銃声に、幽霊は慌ててナイフを手放した。

 もしナイフに固執していたら、今頃彼の片手は消し飛ばされていたはずだ。


「ふっ、ははっ」


 幽霊は戦闘態勢を解き、バックステップで再度麻琴から離れる。


「何がおかしいの?」

「いや、ここまで俺の戦い方に驚かず、ましてや攻め入ってきたのはあんたが初めてだ。だが、今ので弾切れだろう? ご自慢の大口径リボルバーは」


 惜しかったな――。そう言われて、麻琴は無言で拳銃を床に置いた。

 幽霊は腕を組み、じっと麻琴の目を見つめている。


「一つ提案がある」

「仲間を散々痛めつけたあんたに貸す耳はない」

「まあそう言うな。この国にとっても大事なことだぞ?」

「私が国や法のために戦うのは方便。本当は――」

「いや、今は言わなくていい。まあ、こんな大口径の銃器を扱ってる時点で、見当はつくがな」

「……」

「おい、エンジェ! 出てきてくれ」


 何事かと、麻琴は目を上げる。すると、天井から金粉のような光が降り注いでくるところだった。


「なあに、ジャック?」

「このお嬢さんを説得したい。ナビゲーターになってもらうんだ」

「は、はあっ!?」


 これには流石の麻琴も驚いた。たった今まで殺し合いをしていた相手をナビゲーターに? 何の真似だ?


「自己紹介といこう。俺はジャック・デンバー。ご覧の通り、イギリス出身の幽霊だ。生前はサーカス団でナイフの曲芸をやっていた」


 何を言われているのかをも察することができず、麻琴は幽霊――ジャックの方を見遣った。


「あんた、名前は?」

「……」

「ちょっとジャック! 突然訊かれたら困るじゃない! あ、あたしは天使のエンジェっていいます! よろしくね!」


 完全に調子が狂った。麻琴は両腕を腰に当て、やれやれとかぶりを振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る