12月21日【星を視る人】


「ああ、びっくりした。まさかここまで来て、私に会わずに帰ろうとするなんて、思いもしなかった」


 気が付きますと、なっちゃんは、本がたくさん並んだ部屋の中に立っていました。なっちゃんの右手は、灰色の侍女と繋いでいます。彼女も、状況が理解出来ないといった表情で、立ち尽くしています。


「さあさあ、そんなところに立っていないで、座って座って。こっちはずっと待っていたんだから」

 わけも分からないまま、なっちゃんと灰色の侍女は、椅子に座りました。丸座布団の乗った、座り心地の良い椅子は、おうちのリビングにあった椅子と同じです。


「あなたは、星を視る人ですか?」

 なっちゃんが尋ねますと、目の前の人は「そうだよ」と笑いながら言いました。

 その人は、見たところなっちゃんと同じ歳くらいの人です。男の人なのか女の人なのかは、よく分かりません。黒と紺色の中間のような色の長い髪の毛が、床まで垂れて、床についたところから暗闇に同化しています。

 この人の髪の毛を踏んでしまっていないかと、なっちゃんは少し不安になりました。



 星を視る人は「どうぞ」と言って、熱いコーヒーが波なみとそそがれたマグカップを、ふたつ、丸テーブルに置きました。

 なっちゃんはブラックコーヒーも飲めるのですが、灰色の侍女は、甘い方が良いかも知れません。なっちゃんが「お砂糖とミルクをいただけますか」とお願いしますと、星を視る人は灰色の侍女の方をちらりと見まして「ああ、そうか」と言いました。そして、山のような角砂糖と、たっぷりのミルクも、テーブルの上に出してくれました。

 灰色の侍女は、「子供扱いするでない」と言いつつも、角砂糖とふたつと、コーヒーの倍くらいの量のミルクを、入れました。


 灰色の侍女が、自分のコーヒーを甘くしている間、なっちゃんは改めて、ふくろうのように首を回して、ぐるりと辺りを見回しました。

 この部屋には、天井がありません。どこまでも高く伸びる本棚が、空の果てまで続いています。本棚のあるスペースの隅っこに、地球儀やら天球儀やら、望遠鏡やらが肩を寄せ合うように置かれています。そのあたりには、羽ペンやインク壺、丸まった羊皮紙なんかも散乱しています。


「ここは、書斎ですか」

「そうだよ」

「書斎が、この世界の最上部だったんですか」

「そうだよ。私はここから、きみたちが来るのを見ていたんだ。久しぶりのお客さんだと思って、楽しみにしてたんだよ」

「でも、肉体を脱ぎ捨てなければ、最上部へは行けないって……」

 なっちゃんの言葉に、星を視る人は、海外の映画俳優のように大げさに、肩をすくめてみせました。

「肉体を脱ぎ捨てたかったら、眠れば良いんだよ。眠ってしまえば、きみの心は過去にだって未来にだって、宇宙の果てにだって、世界の果てにだって、自由に行けるじゃないか。そんな簡単なことも、分からないなんて」


 そうか。と、なっちゃんは膝を打ちました。考えるより、思いをはせるより、眠ってしまう方が、ずっと自由に、心を飛ばすことが出来るのです。

 自由ということは、思った通りには行けないということでもありますが、思いも寄らないところに行けるということでもあります。毎晩、ベッドの中で見る夢のように。


 納得したなっちゃんは、まだ物珍しく書斎の中を観察しながら、マグカップのコーヒーに口をつけます。酸味が少なく、かなり苦味が強い、濃い味のコーヒーです。

 なっちゃんは、灰色の侍女の方をちらりと見てみました。すると案の定、彼女はみっつめの角砂糖を、マグカップに放り込むところでした。



「それで、きみたち、私に聞きたいことがあって、こんなところまで来たんじゃないの」

 自分もマグカップからコーヒーを飲みながら、星を視る人が、どこか前のめりな声で言いました。

 そうです。元々なっちゃんは、誰にでもプレゼントを配ることが出来る魔法のそりを、何とか準備したくて、その方法を聞くために、最上部へ向かっていたのです。

「クリスマス・マーケットの虫さんたちに、あなたのことを聞きました。あなたなら、魔法のそりをどうやって準備すれば良いのか、分かるかもしれないと」

「うん。もちろん、分かるよ」

「でも私たち、正解かどうかは分かりませんけれど、答えに辿り着きました。それで、もうクリスマスまで日にちもないし、帰ろうかと思っていたんです」

「えっ、そんなあ」


 星を視る人は、眉毛をしょぼりとハチの字に下げました。落胆を隠そうともしない様子は、まるで小さな子供のようです。

 なっちゃんが慌てて「だけど、具体的にどうやって造るかは、全然分かっていないんです」と言いますと、「じゃあ、教えてあげる」と胸を張りました。

 それはもう「えっへん」という声が聞こえてきそうなくらい、見事な胸の張りようで、それもまた、小さな子供のようなのでした。



「さて、ではなっちゃん。持っているものを、全部ここに出して」

 星を視る人に促されて、なっちゃんは、コートのポケットをひっくり返しました。

 コートの中には、たくさんのものが詰まっています。かけら、本、ちびた石鹸。ホットジンジャーをかき混ぜるのに、飲み物屋の店主にもらった、金のティースプーン。

 それから、おうちから持ってきたものもあります。通貨として使うための冬のかけらに、キーリングと三本の鍵。全部、テーブルの上に並べます。

「あ、そういえば、これも持ってきていたんだった」

 最後に取り出したのは、大棚の奥に眠っていた、ラム酒の小壜こびんです。持ってきていたというより、ポケットに入れたまますっかり忘れていたと言う方が正しいのですが。


 なっちゃんの持ち物をじっくり眺めて、星を視る人は「これは必要。これは必要ない」と言いながら、そりを造るのに必要のないものを、コートのポケットに戻していきました。

 最終的にテーブルの上に残ったのは、かけらと、ホットジンジャーのスプーン。そして、ラム酒の壜だけでした。


「さて、さっきなっちゃんは、答えに辿り着いたと言ったけれど、聞かせてくれないかな。クリスマスのプレゼントを望む誰もに、プレゼントを届けに行く方法は、いったいどうすればいい?」

 なっちゃんは、煙突の煤のことを説明しました。煤の海を渡っていけば、誰の元へも辿り着くこと。星を視る人は、嬉しそうにうなずきながらそれを聞いて、なっちゃんの説明が終わりますと、「すばらしい、その通り!」と、拍手をしてくれました。

 なっちゃんは照れくさくなって、にやにや笑いを噛み殺しながら、コーヒーを飲みます。


「理屈が分かっているのなら、話は早い。必要なものはだいたい揃っているけれど、もう少し足りないものがあるから、ここから取っていくといいよ。スプーンを持って」

 どうしてスプーンが必要なのか、分かりませんでしたが、なっちゃんと灰色の侍女は、スプーンを持って、椅子から立ち上がりました。

 星を視る人は、ふたりを、望遠鏡の前へと案内しました。望遠鏡は、透明で真っ黒な筒の中に、ふたつの凸レンズをきっちりと収めて、どこか遠くへと、じっとその視線を向けています。

「この望遠鏡を覗いて、なるべく星の少ない、真っ暗なところを、スプーンですくうんだ。すくったら、からのワインボトルをあげるから、これに入れてね」


 星を視る人が、何を言っているのか分からずに、なっちゃんはまごつきました。

「あの、スプーンですくうって、どうやってやれば良いんでしょう」

 今度は、星を視る人が、まごつく番でした。こんな当たり前のことを、どうやって教えれば良いのか分からない。そういった様子です。

「スプーンを持って、手を伸ばして、すくえば良いんだよ。ちょっとやってみるからね」

 そう言って、星を視る人は、なっちゃんからスプーンを受け取りました。そして、床に座って、望遠鏡を覗きます。

「良い? こうするんだよ」

 と言って、スプーンを持った手を伸ばして、何かをすくう仕草をしました。

「おお冷たい。ほらね」

 望遠鏡の前から立ち上がり、星を視る人は、スプーンを差し出します。その中には、確かに、きらきら光る真っ黒な暗闇が、たぷたぷと波打っているのです。


 星を視る人は、それを、ワインボトルの中にそそぎました。ボトルの底に、スプーン一杯ぶんの暗闇が、薄い層になって溜まります。

「宇宙の暗闇というものは、何もないのだけれど、何もかもを内包している。つまり、煙突の煤と、非常によく似た性質を持っているんだ。これがあれば、船は煤の海を、すいすい進むだろう。たくさんすくって、持っていくと良い」

 なっちゃんにスプーンを返して、星を視る人は、望遠鏡の前のスペースを、なっちゃんに譲りました。


 必要だと言うのならば、やるしかありません。なっちゃんは、望遠鏡の前に座り、レンズを覗きます。暗い視界には、ちらほらと光が見えました。本物の星の光なのか、これまで気動車に乗って通ってきた街まちの明かりなのかは、分かりません。

 星を視る人に言われた通り、なるべく星の少ない、真っ暗なところを探して、なっちゃんは望遠鏡を覗いたまま、手を伸ばしました。


 すると、どうでしょう。指先が、とぷりと水に浸かったような感覚があったのです。そして、そのあまりの冷たさに、なっちゃんは思わず「冷たい!」と悲鳴を上げて、手を引っ込めてしまいました。

 まるで、氷水のような冷たさでした。あれが、宇宙の温度なのでしょうか。

 なっちゃんはもう一度、今度はスプーンの先だけが宇宙に浸かるように、ゆっくりゆっくりと手を伸ばします。けれどそうしますと、なぜだかいつまでたっても、スプーンは宇宙の先に触れないのでした。


 これはもう、覚悟を決めて、手首まで思いきり突っ込むしかないようでした。

 なっちゃんは息を止めて、宇宙に手を差し入れました。氷で出来た縫い針のような冷たさが、指先から腕を這い上がり、全身をちくちくつつきます。

 痛みと言っていいほどの冷たさを我慢しながら、暗闇をスプーンですくって、ボトルに流し入れます。そうしたあとには、長い距離を走ったときのように息が切れて、心臓はどくどく言っているのです。それくらい、宇宙の暗闇は冷たいのでした。

 そして、そうまでしてすくった暗闇は、たったスプーン一杯程度の量しかないのです。ワインボトルをいっぱいに満たすまで、これをあと何回も、繰り返さなければならないのです。


「やっぱり、やめた」と投げ出すことが出来たなら、どんなに良いでしょう。ですが、そういうわけにはいきません。

 なっちゃんは深呼吸をして、スプーンを握りなおしました。やるしかありません。

 もう一度、暗闇をすくおうと手を伸ばしたとき、小さな手が、なっちゃんの肩に置かれました。

「なっちゃん。私が、やる」

 灰色の侍女が、なっちゃんを押しのけて、望遠鏡の前に座ります。「私がやるんだ」と、灰色の侍女は、自分に言い聞かせるように、呟きました。「だって、私は、女王なんだから」


 小さな手が、宇宙の暗闇に浸ります。灰色の体が、ぶるりと震えて、食いしばった歯の隙間からは、凍えた吐息が漏れ出します。

 震えながらも、灰色の侍女は、スプーン一杯ぶんの暗闇を、ワインボトルに注ぎ入れました。そして冷えた手を温めることもなく、すぐに、また宇宙へと手を突っ込みました。


 なっちゃんは、望遠鏡に向かう少女の体を、背後から抱きしめました。少しでも、彼女を温めてやりたかったのです。

 なっちゃんの腕の中で、灰色の侍女は、何度も何度も、宇宙の闇にその身を震わせました。

 ときどき、手を休めて、体の前で両手を組みます。その小さな手を、なっちゃんの両手が包み込みます。ほんのわずか、手が温まりましたら、灰色の侍女は、また作業を再開します。

 ワインボトルは、少しずつ、宇宙の暗闇で満たされていきました。



 やがて、ワインボトルが暗闇で満たされたときには、灰色の侍女の手はすっかり冷たく、真っ赤になっていました。

 灰色の侍女は、両手をなっちゃんのコートのポケットに入れて、じっくりと温めました。なっちゃんが「たいへんでしたね」といたわりますと、灰色の侍女は「うん」とうなずいたあとで「でも、私は女王なんだから、これくらいやるのは当然だ」と言いました。


 満杯になったワインボトルを見せますと、星を視る人は満足そうに頷いて、羊皮紙に書いたメモをくれました。そこには、煤の海を渡る船を、どうやって造れば良いのか、その詳細が記されています。


・出来るだけたくさんの種類のかけらを集めて、砕いて、粉にする。

・煙突の煤と宇宙の暗闇とを、一対二の割合で混ぜて、よく練る。

・練ったところに、かけらの粉を入れて、均一に混ぜる。

・出来上がったものを、船の外側に塗る。そうすると、煤の海に浮かぶ船となる。



「ありがとうございます」

 なっちゃんがお礼を言いますと、星を視る人は「お礼は良いから」と、再びなっちゃんたちに椅子を勧めました。

「帰る前に、もう一杯、何か飲んでいってよ」


 星を視る人は、書斎の奥にある小さな給湯スペースで、「ちょっとカフェインを摂りすぎかな……」などとぶつぶつ呟いて、熟考のすえ、ホットミルクを振る舞ってくれました。そして、「こうすると、美味しいんだ」と言って、ラム酒の小壜を開けて、中身を数滴、ホットミルクに垂らしました。


 そういえば、準備のために必要なものとして、ラム酒の小壜も選ばれていました。

 それってもしかして、材料として必要なのではなく、ただ飲みたかっただけなのかしら。

 なっちゃんがそういう、疑惑の目で見ますと、それに気づいた星を視る人は、「暗闇をすくったあとの、冷えた体を温めるのに、必要だ」と、得意げに言ったのでした。



 ラム酒入りのホットミルクを飲みながら、三人は、とりとめのない雑談に花を咲かせました。

 もらったら嬉しいプレゼントは何かとか、冬に咲く花で一番好きなものは何かとか、そういう話です。


 お喋りをしながら、なっちゃんは、心の底から安心していました。プレゼントを配る方法が、ようやく具体的に分かったから。それもありますが、なにより、この旅の中でずっと、緊張したような表情ばかりだった灰色の女の子が、ようやく、年相応の笑顔で笑うようになったためでした。



 たくさんお喋りをして、ホットミルクもなくなったころ、どこからか「ほう、ほう」とふくろうのミトラの鳴き声がしました。


 ほう、ほう。なっちゃん、おきるじかんだよ。ほうー、ほう。


「もう、時間だね」

 星を視る人が、名残惜しそうに言いました。なっちゃんと灰色の侍女は、立ち上がって、星を視る人にたくさんお礼を言いました。

「さようなら、なっちゃん」

 星を視る人が、なっちゃんに手を差し伸べました。なっちゃんはその手を取って、二人は固く握手をします。


 握手をしながら、なっちゃんは、星を視る人の瞳を正面から見つめました。

 髪の毛と同じ、黒と紺色が混ざった色の中に、たくさんの星々がまたたいています。あんまりいつも星ばかり見ているから、瞳の中に、星が宿ってしまったのかも知れません。


「私、星を視る人は、もしかしてフキコさんなんじゃないかって、思っていました」

 なっちゃんが言いますと、星を視る人は「それはないよ」と笑いました。

「フキコさんは、星を視る人なんてやらないよ。私とは正反対の人間だからね。彼女は、何かが失われることですら、あっけらかんと受け入れてしまう。私は、失われることに耐えられないんだ。だから、ずっとこの書斎で、星を視ている。とっくの昔に失われたものも、望遠鏡を覗けば、すぐそこに見えるからね」

「フキコさんと、親しかったんですか」

「うん。長いこと、友達だった。一緒にここで星を眺めないかと誘ってみたんだけどね。断られちゃった。彼女は、いってしまった」


 それから、星を視る人は、灰色の侍女とも握手をして、「頑張ったご褒美に」と言って、彼女にたくさんの飴玉を持たせました。

 灰色の侍女は「子供扱いするでない」と口をへの字にしたのですが、への字はすぐに逆さまになりました。



「じゃあ、ほんとに、さよなら」

 星を視る人が、手を振りました。

「さようなら、ありがとう。クリスマスに、あなたにも、素敵なプレゼントが届きますように」

 なっちゃんと灰色の侍女も、手を振りました。

 ほう、ほう。ふくろうの鳴き声が、近づいてきます。もう、ほとんど耳元で、鳴いているようです。


 ほーう、ほう、ほう。鳴き声が、なっちゃんの耳の内側から聞こえたとき、なっちゃんがまばたきをしますと、次に目を開けたときは、温かなお布団の中だったのです。

 灰色の侍女と一緒に、なっちゃんは、お布団の中で眠っていたのでした。

「ああ、よく寝た」

 コマドリも目を覚まして、羽をぐぐっと伸ばしました。芋虫のミトラは、まだ夢うつつのようで、伸びたり縮んだり、枕元でもぞもぞしています。


『おはよう、なっちゃん』

 ふくろうのミトラが、言いました。

「おはよう」

「おはよう」

 なっちゃんと灰色の侍女は、まだ寝起きでぼんやりとしたまま、おはようを言いました。そして互いに顔を見合わせました。

 夢だったのです。夢だったのですが、灰色の侍女の両腕には、重たいワインボトルとたくさんの飴玉が、大事そうに抱えられているのです。

 ワインボトルの中には、きらきら光る真っ黒の暗闇が、たっぷりと、入っていました。それを見て、なっちゃんと灰色の侍女は、にっこりと笑ったのでした。


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