12月3日【玄関のお掃除】


 なっちゃんは、リビングの椅子に座ってぼうっとしていました。

 フキコさんのおうちに来てから、まだほんの少ししか経っていませんが、ひとつ、気が付いたことがあります。このおうちにある椅子は、どれも座り心地がとても良いのです。

 今、なっちゃんが座っている椅子もそうです。少し古びた様子のマホガニーの椅子には、見るからに手作りといった風体の丸座布団が乗せてあって、お尻が痛くならないようにしてあります。

 ですのでなっちゃんは、昨日と同じような、簡単な朝食を済ませたあと、食器を片付けもせずに、椅子に座ったままなのです。


 ぼうっとしながらなっちゃんは、これからどうしようかな、と考えていました。

 なにせこのおうちは、丸々ぜんぶ、なっちゃんのものなのです。何をするにも自由なのです。それはとっても素敵なことでしたが、とっても難しいことでもありました。



 なっちゃんが考え込んでおりますと、鳥のようだけれど立派な角を持っているミトラが、何かを咥えて飛んできました。『ゆうびんでえす』と言われ見てみますと、なるほど、確かにそれは封筒です。

 少し色褪せた、オリーブ色の洋封筒でした。表側に『なっちゃんへ』と書いてあります。文字の書き終わりが、よくかき混ぜたホイップクリームのようにツンと立っている、その癖に覚えがありました。

 これは、フキコさんの字です。


 慌てて封筒を開きますと、封筒と同じオリーブ色の一筆箋が入っていました。そして、フキコさんの字で、こう書かれていました。


『まずは玄関のお掃除。玄関が汚くちゃ、来るものも来ない。去るものも去らない』



 そんなわけでなっちゃんは、玄関のお掃除をすることにしたのでした。

 ほうきもちりとりも、はたきも雑巾も、お掃除に必要なものは全て物置に揃っていました。ほうきは、またがってジャンプしたら空を飛べそうな、素敵な竹ぼうきです。

 窓という窓を開けて、おうちの中に風を通します。冬ですのでもちろんとても寒いのですが、なっちゃんはしっかりと厚着をしていますので、へっちゃらです。


 ミトラたちは、寒いのが平気なものもいれば、苦手なものもいるようです。

 寒いのが苦手なミトラたちは、きゃあきゃあ悲鳴をあげながら、リビングに備え付けられた暖炉の中へ避難していきます。しかし暖炉もすっかり冷えていますので、灰の中からは『ここもさむいよう』と悲痛な声が聞こえました。

『なっちゃん、玄関のおそうじが終わったら、つぎはだんろをそうじしてね。火がなくっちゃ、さむくてこおっちゃう』


 あんまりかわいそうに思えたので、なっちゃんは物置から古いオイルヒーターを見つけ出して、リビングのお向かいにある小部屋に持ち込みました。この部屋を、寒がりなミトラたちの避難場所にすることにしたのです。

 避難部屋が暖まりますと、寒がりミトラたちは大慌てでそこへ転がり込みました。暖炉からリビングと廊下を真っ直ぐ横切って、灰の道が出来上がりましたので、なっちゃんは玄関のお掃除の前に、その灰の道を掃除しなくてはなりませんでした。



 さて、寒がりミトラたちも避難させましたし、お掃除を始めましょう。


 まずは、はたきをかけます。玄関の上っこの方には、ふわふわ綿糸のような蜘蛛の巣が引っかかっています。どうやら全て空き家のようでしたので、なっちゃんは思い切って、全部取っ払ってしまいました。蜘蛛に似た姿のミトラが、ちょっと残念そうに『あー』と言いましたが、聞かなかったふりをしました。


 蜘蛛の巣や、すなぼこりや、わたぼこり。はたきでぱっぱっぱっと払います。

 舞い降ってくるほこりに『雪みたいだねえ』と、ミトラたちがはしゃぎました。はしゃいで、そして『ぺしょっ』『ぺふしょっ』と、なんだか変なくしゃみをしました。なっちゃんは、頭と口元をしっかり布巾で覆っていましたので、くしゃみはひとつで済みました。


 はたきかけが終わったら、次はほうきで床を掃きます。さっき舞い落ちてきたほこりも、三和土たたきの隅に溜まった砂も、からからに乾いた虫の死骸も、まとめてさっさっと掃いてしまいます。

 物置に眠っていた素敵な竹箒は、本当に、おとぎ話の魔女が使うほうきのようでした。ほうきにまたがって、ほうきの柄には黒い猫を乗せて、空を自在に飛ぶのです。


「ほんとに飛べたら良いのにな」

 なっちゃんが呟きますと、『なっちゃんは飛べないの?』とミトラが言いました。

『フキコさんは飛んでたよ』『時々ね』『ほうきがなくても飛べるけど、あった方が良いって言ってたよね』

 そうか、フキコさんは空を飛べたんだ。

 なっちゃんには、なぜだかそれが、とても当たり前のことのように思えました。そういえば、子供のころに会ったフキコさんは、どことなく魔女のような人だった。そんな気がします。


 魔法が使えそうな。魔法が使えるんだよ、と言われたら信じてしまいそうな。お母さんとも、友達とも、学校の先生とも違う……違う、違う、ちがう存在のような。



 フキコさんのことを考えながら、なっちゃんは玄関の隅々まで、ほうきを走らせました。それが終わったら、最後に雑巾がけです。水では手が冷えてかじかんでしまいますので、台所からぬるま湯を汲んできて、雑巾をひたして、かたく絞ります。

 上の方から下の方へ、順番に拭いていくのです。本当は、天井の方も拭きたかったのですけれど、手が届かないので仕方ありません。

 なっちゃんは精一杯背伸びをして届くところから、ドアや柱を拭き始めました。それから、靴箱の天板や棚板も、忘れずに拭かなければいけません。

 もし靴箱が靴でいっぱいですと、まずは靴をどこかに移動させる必要がありましたが、靴箱は見事に全ての棚が空っぽでしたので、なっちゃんはほっと胸を撫で下ろしました。


 上の方が終わったら、最後に床を拭いていきます。ときどき雑巾を洗って、またかたく絞って、なっちゃんは膝をついて、腰を折って、黙々と床を拭き上げます。



「はい、終わり」

 ようやく雑巾がけを終えますと、なっちゃんは立ち上がって、やれやれと背伸びをしました。そして、こぶしを作って、腰をトントントン、と叩きました。

 ミトラたちはわあわあ喜んで、『きれいになったねえ』とか『なっちゃんは、おそうじが上手だねえ』とか、口々に言いました。それほどでもない、となっちゃんは思うのですが、しかし頑張ってお掃除をしたのは本当のことですし、褒められて悪い気分はしませんので、「まあね」と言ってにやっと笑います。


 少しだけ明るくなった玄関は、フキコさんの手紙の通り、来るものがちゃんと来て、去るものがちゃんと去っていくような、そんな印象なのでした。


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