12月2日【先住者たち】


 目が覚めて、なっちゃんはふたつの疑問を抱きました。

 ひとつは、ここはどこだろうということです。いつもの、なっちゃんの部屋ではないようです。

 けれどその疑問は、すぐに解けました。なっちゃんは昨日、フキコさんのお家に来たのです。そしてとても疲れていたので、お風呂にも入らずに、フキコさんの寝室で眠ってしまったのでした。ですから、ここはフキコさんのお家です。


 もうひとつの疑問の方が、よほど問題でした。こちらは、すぐには解けそうにありません。

『おはよう』『おはよう、おねぼうさん』『おねぼうさん、おなまえは?』

 たくさんの瞳が、なっちゃんの顔を覗き込んでいました。つまりふたつめの疑問というのは、なっちゃんの枕元を取り囲んでいる、この生きものたちはなんだろうということです。



 なっちゃんは起き上がって、その生きものたちを見ました。どこかで見たような生きもののかたちをしています。猫のようなもの、芋虫のようなもの、鳥のようなもの、蛇のようなもの。

 けれどみな、そういった生きものとは違う特徴を持っています。目がみっつもあったり、脚が十本も生えていたり。なんだかちょっと、おかしな感じです。

『おねぼうさん、おへんじしないね』『ねぼけてるんじゃない?』

 言葉を話しています。これが一番、おかしなところかもしれません。猫も芋虫も鳥も蛇も、人間の言葉は話せないはずですから。


 夢を見ているのかもしれません。なっちゃんは、自分のほっぺたをぺちぺちと叩いてみました。変な生きものたちはおもしろがって、なっちゃんの真似をして、おのおのの手らしき器官を使って、おのおのの頬らしき部分をぺちぺち叩きました。


 ああ、どうやら夢ではないようです。少し強めに叩いてみたら、しっかり痛いのです。なっちゃんは困って、変な生きものたちをじっと見下ろしました。芋虫のようだけれど目がいつつもある生きものが、ぺこりと頭を下げました。


『おはようございます』

「あ、おはようございます」

『おねぼうさんは、だれですか?』『もしかして、なっちゃん?』『なっちゃん?』

 変な生きものたちは、なぜだかなっちゃんの名前を知っているのでした。なっちゃんが「そうだよ」と答えますと、『やっぱりなっちゃんだー!』と、飛び跳ねて喜びました。



 変な生きものたちは、自分たちのことをミトラといいました。といっても、ミトラという名前なのではないそうです。なっちゃんが人間であっても人間という名前ではないように、ミトラたちはミトラであって、ミトラという名前ではないのです。

 では、なんと呼べば良いのか、なっちゃんが尋ねますと、ミトラたちは『てきとうでいいよ』『ミトラでいいよ』と言いました。


 フキコさんの手紙にあった「先住者」というのは、きっとミトラたちのことなのでしょう。なっちゃんは納得して、納得したらお腹がすいてきましたので、上着を羽織って一階へ降りました。



 昨日は全く気が付きませんでしたが、このおうちには、ミトラたちがたくさん棲んでいるようです。さっきなっちゃんの枕元にいたミトラたちのほかにも、もっとたくさん、ということです。けれど、姿は見えません。囁き声や物音や、吐息や気配のようなものだけが、おうちの中に満ちています。


 ミトラたちは、なっちゃんに興味津々のようでした。なっちゃんが移動するたびについてまわって、楽しそうに笑っているようでした。

「ミトラたちは、フキコさんの知り合いなの?」

 お湯が沸くのを待ちながら、なっちゃんがミトラに尋ねます。猫のようだけれど脚がたくさん生えているミトラが『そうだよ』と言いました。

『なっちゃんが来るからねって言って、フキコさんどっか行っちゃった。なっちゃんも、フキコさんのしりあいなの?』

「私、フキコさんの姪っ子なの」

『めいっこってなに?』

「親戚ってこと」

『しんせきってなに? なかよしってこと?』


 困ってしまって、なっちゃんは黙りました。ちょうどヤカンが甲高い音で鳴り始めましたので、沈黙にはなりませんでした。



 台所の小棚には、紅茶の缶がいくつか並んでいましたので、なっちゃんはそのひとつを拝借してお茶を淹れました。すっきりとした香りが、台所に広がります。


 なっちゃんは、持ってきた荷物の中からクリームパンを引っ張り出して、それを朝ごはんにすることにしました。クリームパンは、かわいそうにすっかりひしゃげてしまって、中身がちょびっとはみ出していました。

 仕方ないな、となっちゃんは思いました。なにしろここに来るまでの山道は、たいへんな悪路だったのです。後部座席で何度もバウンドした荷物の中で、クリームパンも散々だったことでしょう。



 熱い紅茶と、ひしゃげたクリームパン。遅い朝食をいただくなっちゃんを、ミトラたちはしげしげと見つめています。そしてなっちゃんも、ミトラたちを観察します。


 ミトラたちは気配だけ残して消えてしまったり、急に現れたりするのでした。物陰や、視界の端や、まばたきの瞬間のような、そういうふとした意識のかげりの中に、いたりいなかったりするのでした。


『なっちゃんはフキコさんのめいっこ。ミトラはフキコさんのどうきょにん』

 ミトラたちは、奇妙なふしをつけて、即席の歌を歌っています。「同居人」なんて言葉をミトラたちが使っていることがおかしくて、なっちゃんはくすくす笑いました。ミトラたちはそれで喜んで、同じ歌を何度も歌いました。

『なっちゃんはフキコさんのめいっこ。ミトラはフキコさんのどうきょにん』


 ミトラたちの歌に笑いながら、きっと自分よりもミトラたちの方が、フキコさんのことをよく知っているんだろうなと、なっちゃんは思いました。


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