第31話 クリスマスの奇跡

キリスト教の神が生まれた日は、たとえ仏教メインの日本でも奇跡が起こるのかもしれない。

国や宗派問わず、奇跡を願い行動することが、祈りが通じる秘策ともいえよう。

それだけ意思の力は大きく、思って手を合わせているだけではきっと、どんな神様も願いを叶えてはくれないだろう。


文子はリビングのダイニングテーブルの上に、ジャンボ焼き鳥を盛った皿を置いて夫の帰りを待った。

案の定今夜も帰りが遅くなりそうだ。

息子用に取り分けた料理とともにふたりで先にクリスマスを祝う。

息子は焼き鳥よりもフライドチキンのほうが好物なので、でかい焼き鳥は見た目で喜ぶも口にすることはなかった。

食後はゲームをして、頃合いを見計らって就寝の準備をし、自室に入る。

「おやすみなさい」

あと数年で中学生。その頃はさすがにこんなふうに一緒にクリスマスを祝うこともなくなり、友達づきあいを優先させるかもしれない。

それはそれで喜ばしいことだが、子供の成長は少々さみしくもある。

息子が巣立っていき、夫ともこのままの状況が続いたら、本当にひとりぼっちかもしれない。

窓の外、しんしんと降る雪をみていると、急に孤独に襲われる。


時計の針は午後11時をまわった。

もうすぐ日付が変わる。

2年前に止まってしまった夫婦の時間を取り戻せるのだろうか。

急に胸がドキドキする。


ガチャガチャ


ドアが開く音。


…帰ってきた。


いつもならこの時間に帰る夫を待つことなく、ベッドに潜っているので顔を合わすことはない。

なので油断していたのか、リビングに入り妻が座って待っているのをみて、夫の正浩はあからさまに驚いたリアクションをした。


2年ぶりの会話。何から話そうか戸惑い、緊張で喉が渇く。

「それ…」

意外にも、最初に声を発したのは夫のほうだった。

「あなたの好きな、あの居酒屋の名物ジャンボ焼き鳥。クリスマス用に買ってきたの」

話しかけられ、正浩は再び驚いて文子をみた。

声をかけられたことにこちらも戸惑いをみせていた。

「今日は、あなたとちゃんと話をしたくて」

座って、と手を差し出し促す。

「いや、今夜はもう疲れてるから…」

「待って!逃げないで!」

自分でも驚くほど大きな声が出てしまう。

「しっ、あいつが起きるだろう」

正浩は子供部屋を指差した。

「ごめんなさい…。じゃあとりあえず座って」

困惑した様子で、夫は妻の前に着座した。


しばし沈黙の時間が過ぎる。


カチコチ…


時計の針が進む音が、静かな室内に響く。


意を決したように、口火をきった。

「ちょうど2年前のクリスマスから口をきいてなかったと思うけど…」

「……」

「なんで」

「はっ?」

「話すチャンスもあったのにずっと無視してたでしょう?」

「それは違うっ」

「…あの日帰りが遅くなったのは、具合い悪くなった人を助けてたんでしょう?どうして言ってくれなかったの??仕事だなんて嘘ついて…」

「…店長か」

「それ買いに行った時に聞いたわ」

「言い訳みたいに聞こえるし…あえて人に言うことでもないし。当たり前のことしただけだから」


あぁそうだ。

この人昔からそうだった。

口下手で、誤解されても言い訳しない。

「…私ずっと、あなたに嫌われてると思ってた。子供ができて仕方なく結婚しただけだって」

「逆だよ。僕はずっと文子に嫌がられてると思ってた。子供だって、できたってわかった時うれしかったよ。でも子供苦手だったから、産まれてからもどう接していいかわかんなかった。文子も初めての育児でピリピリしてることもあって、自分が何したらいいか聞けなかった」

「シュンが死んだ時…あなた素っ気なかったけど…」

「ずっと一緒に過ごしてきたんだから、悲しかった。すごく悲しかったよ。だけど男は人前でなくもんじゃないってしつけられて育ったから、あの時部屋でひとり声を押し殺して泣いてたんだ」

「そんな…そうだったの?」


今までのことは全部思い違いだったのか?

拍子抜けして、身体から力が抜ける。

「でもどうして…2年もの間あなたからも話しかけてくれなかったの?」

「最初は様子みてたんだけど、怖くなってきたんだ。文子を怒らしたことはわかってるけど、こっちからまた変なこと言って、逆鱗に触れて離婚を言い渡されたらどうしようって。だからずっと避けてたらズルズルこんなに時間が…。だけど顔見れたり、側にいられるだけで充分かなって、僕は思ってた。それで満足してた」


ポロポロポロポロ…


文子の目から、大粒の涙が流れた。

「勝手に何でも決めないでよ…。言ってくれないと何にもわかんない…」

2年間の家庭内別居は、ただのすれ違い。

夫婦喧嘩にもなっていなかった。

そんな自分があほくさくて、情けなくて。この2年間意地張って、口きかなかったことがバカみたいで。

普段感情を表に出さない文子が、思いきり泣き崩れた。

正浩はどうしたらよいか、駆け寄るもオロオロしている。

「ごめん、ごめんね。こんなダメなヤツで。だけど、ずっとずっと前から変わらず、文子のこと好きなんだよ。愛してる」

「…ほんとに?」

心から聞きたかった一言。

「クリスマスの日に嘘はつかないよ」

「…私も疑ってばかりで、何も伝えてなかった。ごめんなさい」

文子は正浩の首に手をまわし、そっと唇にキスをした。

咄嗟のことに、正浩は顔を赤らめた。

「嫌いだったら、気にならない。好きだから、ほんとは愛してるから…あなたの行動を気にしてたのに…。もっと早く素直になってたら…2年も無駄にしなかったのに…」

「まだまだこれからの人生長いんだから、よかった。今日という日が来て」


心に積もっていた雪が溶けていく。

互いの体温が重なる。

凍っていた時が再び動き出す。


クリスマスの奇跡が、輝きだした。

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