第30話 雪の記憶

人は、誰かとの出会いで勇気をもらったり、人生が大きく変わることもある。

小山文子は光とナナとの出会いで、自分の気持ちが変化していることを感じていた(第16話参照)

夫への不満、恨み。

一生口もきかず、家庭内別居を続け仮面夫婦を演じていいと思っていた。

けれど、正直頑なに意地を張っていることにも疲れていた。


『話したい人とは、まず自分から話しかけるんです。それからのことはやってみないとわかりません』


以前光に言われた言葉が、彼女の背中を押していた。

今年中にアクションを起こすことをナナと約束した。

飼っていた愛犬と同じラブラドール犬。

純粋な動物との約束を破ることはできない。

しかし2年も無視してきた夫に話しかけるには、きっかけがないと難しい。

そこで考えたのが、クリスマス作戦。

ふたりが出会った居酒屋名物のジャンボ焼き鳥を買って、そこから時を戻そうと計画したのだ。


25日当日、電話で予約をしていた商品を受け取りに、懐かしい道を歩く。


…そういえば息子が産まれてからは子育てに追われ、あの人も仕事一辺倒の人だし、夫婦でちゃんと話すことなんてなかったかもしれないしな…。


そんなことを思いながら空を見上げると、白いものが降ってきた。

「雪だ…」

2年前のクリスマスも雪だった。

それよりずっと前、バイト帰りに一緒に帰った日も雪だった。

思い出の中には、雪と無愛想な夫がいる。

「この雪が吉と出るか、凶と出るのか…」

思わず変な身震いがした。


「いらっしゃいませー、おっ!文子ちゃん久しぶり!予約の名前見てもしかしてって思ったけど…全然変わってないねっ」

「店長も〜相変わらずお元気そうで。御無沙汰してましたのに、おぼえててくれてうれしいです」

バイト時代世話になった焼き鳥屋の店長は、炭火の七輪のように年月とともにいい風合いを醸し出していた。

「そりゃあ常連の小山さんと結婚して子供もできたっていうじゃない。結婚前は俺もよく相談も受けてたからね、ずっと記憶に残ってるよ。今だから言うけど、文子ちゃんのことが気になって仕方ないみたいだった」

「そうなんですか!?」

そんな気配、全く感じられなかった。

「結婚後は文子ちゃんは子育てで疲れてるだろうから、あの子は何でもきっちりやる子だからひとりの時間も大切だろうって、よく仕事帰りにうちで飲んでたよ」

「知らなかった…」

仕事で遅いだけだと思ってたのに。

そんな変に気を遣わなくても、自分だって仕事で疲れてるんだから、まっすぐ帰ってくればよかったのに。

複雜に気持ちが入り混じる。

「小山さんも文子ちゃんもおたがい不器用だからね、歳も離れてるしコミュニケーションちゃんととれてるのか心配してたけど、あっという間に十年だもんね」

人の良い店長に、まさか家庭内別居中ですとは言えなかった。

「そういえば2年前のクリスマスの日もさぁ、ちょうど仕事で近く通ったからってわざわざ挨拶に顔出しにきてくれたんだけど、たまたま急病で具合い悪くなった一人客の人いてさぁ、小山さん病院まで付き添ってあげるんだから、ほんといい人だよ」

「えっ!?」

…そんなことあの人一言も…。

問いただしても何の言い訳もせずいたのに、まさか人助けしていたなんて。

「その人、結局どうなったんですか…?」

「幸い点滴打って回復してさ、入院もせずその日のうちに帰れたらしいけど、小山さんタクシーで自宅まで送っていってくれてさ。自分が家帰ったのは結構遅くなったでしょう?せっかくのクリスマスなのにさぁ」

「あ、ありがとう店長。また来ますね」

ジャンボ焼き鳥を受け取ると、文子はそそくさとその場を後にした。

「おうっ、今度は御主人と一緒においでや」

雪道を小走りに駆けると、夫の忘れていたことを思い出した。

店の人誰も気づかない体調不良を、誰よりも先に気付きいたわってくれたこと。

近くで不審者情報が出ると、心配して夜道を送ってくれたこと。

つわりがひどい時、子供が小さい時、コソッとお弁当などを買ってきてくれていたこと。

一度たりとも、家事のことも口出しすることはなかった。

何も言わないのは、自分や子供に愛情がないからだと思っていた。

でもそれは逆に、静かに見守っていてくれたのだとしたら?

好きも愛してるも聞いたことなかったけれど。

2年前のクリスマスも、こちらが問い詰めても反論しなかった。けれどあの人の性格からすると、あえて急病人を助けたなんて言わないだろう。


今日は絶対、話をしよう。

2年ぶりに、ちゃんとあの人と向き合おう。

もし返事が返ってこなくても、万が一離婚を切り出されたりしても、それはそれで仕方ない。


「よし」

文子は腹をくくった。


もうごまかさない。

あきらめない。


吐く息が白い。

急ぎ足で文子は自宅ヘ向かった。

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