6章 『夏への扉』ハインライン著 を読んで  竹久優真

第17話 『夏への扉』ハインライン著を読んで  竹久優真


 ハインラインの『夏への扉』はタイムリープ小説の草分け的名作である。コールドスリープに未来型掃除ロボットに時間遡行するタイムマシン。いくつもの伏線を回収しながら物語は大団円へと向かっていく。

 物語のキーパーソン(キーキャット)として登場するタイムリープする猫は、実は日本人なら知らない人はいないあのキャラクターのモデルだったりもする。

 物語の冒頭、猫のピートは家中の扉を開けて回る。その扉の向こうが夏へと続いているものだと信じて扉を開け続けるのだ。

 たとえ何度失敗しても決してくじけることもなく、ただひたすらに扉の向こうが夏だと信じて挑戦し続ける姿はあの日の友人を思い出させる。



 子供のころ、もしタイムマシンがあって未来に行くか過去に行くかと聞かれたなら迷うことなく未来だった。

 過去のことならばある程度は調べればわかるけれど、未来がどうなるかなんて誰にも分らないからだ。

 だけどその友人は過去に行きたいと言ったのだ。


 あの頃よりはいくらか大人になった僕には彼の気持ちがようやくわかるようになってきた。

 人は、かけがえのないものを失うと、その失ったものをどうにか取り返せないかと苦悩し、過去に戻りたいと考えるようになるのだ。そのままの状態だと、遠い未来のことなんてとても考えられる状態ではないのだということを理解できるようになった。


 あの夏の日。友人、鳩山遥斗はタイムリープをしようとした。

 


「タイムリープってできるんですか」と彼は言った。


 中学一年生の終わり、学年末のテストも終わった頃の理科の授業の時間だった。

 もう中一で習うべき範囲はすべて終了し、理科の教科担任は時間をもてあましていた。

 それでも国の定めるだか何だかよくはわからないが、決められた授業の時間数をこなさなければならないのがこの国の決まりで公立の中学校においてその決まりは絶対だ。

 理科の教科担任、奥山先生こと『おっさん』は仕方なしに「何か理科について聞きたい話はあるか」と訪ねるのだった。

 はじめ誰かが宇宙はどこまで広いのかという質問をした。

 学校の授業に関係ないじゃないかとその時、僕は思った。

 しかし奥山先生の意はまさにそこにあったようだ。

『おっさん』というあだ名をつけたのは他でもない僕なのだが、普段の彼は実年齢こそまだ二〇代半ばの若手教師なのだが、あまり覇気がなく、ぼそぼそと喋るその姿からその名をつけたのだが、あくまでイントネーションは頭の『お』につけ、奥山という名の『お』に敬称をつけたように発音する。その事で呼ばれた本人は悪い気がしていない様子だが、生徒の誰もが心の中では中年オヤジを意味する『おっさん』の気持ちを込めて呼ぶ。イラッとした時などはわざと『お』のイントネーションを外して呼ぶが、本人は気にしている様子はない。

そんなおっさんが珍しく、水を得た魚のごとく、言葉流暢に語りだしたのだ。

 太陽系の外の銀河全体のこと、さらに隣の銀河や銀河団、そして、ビックバンからインフレーション理論。宇宙の果てがなお拡大し続け、宇宙がいくつも存在するような話まではじめてしまった。初めのうちはおもしろがって聞いていたが途中から何のことなのか理解が出来なくなってきた。

 おそらくは奥山先生の本懐はここにあって、生活するために職業教師を選択しているにすぎないのだろうという事が見て取れた。

 おそらくはクラスのほとんどが話についていけなくなっていた時だろう。もう一人水を得た魚が存在した。


鳩山遥斗はかわいそうなやつだった。

 中学一年の途中で転校してきた彼はほとんど誰とも口をきかなかった。初めのうちは急な環境の変化になじめないのだろうくらいに思っていたのだがそうではなかった。

 周りの生徒たちはしきりに彼に話しかけ、心を開いてもらおうと必死になっていた。

 ある日など女子のクラス委員長がクラス会でそのことを議題に持ち出すほどだった。

 そんなことをするのが一番無神経なやつなんだと心で呟いた。

 後から聞いた話ではそのことが原因で余計に心が開きにくくなってしまったそうだが、その時の僕がそれを知る由もない。

 余計に周りとの溝を深めた彼にはいつしか誰も話しかけることもなくなっていった。

 無論僕だって例外ではない。僕はこれでも周りの空気を読むのが得意だった。周りが彼の心を開こうと必死になっていたころは僕もそのふりをした。

 周りが彼と口をきかなくなったら僕も口をきかなくなった。おそらくそれが最良の選択であり、そうして僕は校内で明るく振舞い、それなりの人気者、とまではいかないもののどうにかいじめや仲間外れといった被害は受けずに過ごせていた。

 そうして中学の一年も終わりがかったその日に彼は、鳩山遥斗はおっさんに質問をした。


「過去にタイムリープって、できるんですか」と。


 

 正直、驚いたのは僕だけではなかっただろう。だが、鳩山は躊躇する様子も見せずに続けた。

「先生はタイムマシンって作れると思いますか」


 僕の意見としてはこうだ。

 ――タイムマシンなんて作れるわけがない。もしタイムマシンが未来で完成するのであれば今ここにタイムマシンがない道理がない。

 未来でタイムマシンが完成したのならきっと過去に帰ってその作り方を教える人がいるだろう。そして今タイムマシンは普通に流通していて自由に使えるようになっているはずだ。それがないのならやはりそれは未来永劫タイムマシンなんて完成しないことの確固たる証拠だ。

 もし僕が未来でタイムマシンを発明したとする。そうすればそれを世に発表するか? いや、しないな。もっと過去に行って時間を操る神として降臨するだろう。

 しかし残念ながらそういった神や伝説の存在を僕は知らない。そこを考えてもやはりタイムマシンは未来永劫完成しないのだ。

 もし仮にタイムマシンを完成させた人物が聖人君主のような人物でその発明を世に公表したとしても結果は同じ。誰かが過去に戻ってその発明をさも自分の発明と言ってしまえば未来は変わる。本来の開発者が開発しなくてもその未来にはもう、普通にタイムマシンのある世界に変わっているだろう。

 もし、それを法律で定めたり時間警備隊なんてものが現れても無理だろう。野望は失敗に終わったとしても、それ自体また過去に戻ってやり直せばいい。それに未来が永劫続くのならば野望に失敗してもなお、その未来においてそういった輩はいくらでも出てくる。

 そしてその野望すべてが失敗し続ける未来を予想するほど楽観的ではない。

 それを中一(もうすぐ中二)になっても理解してない鳩山をかわいそうに感じた。

 教室内は一時、タイムマシンが可能かどうかという理論で湧いた。僕はただそれをロマンのあふれる愚者どもの戯言として聞いていた。誰かが僕に近い意見を言うものがあった。

奥山先生はそれに何と答えたか。

「タイムリープによって発生するパラドクスをどう説明するか。それについては大きく二つの考え方がある。

 まず、並行宇宙の考え方だ。この宇宙のすぐ隣、重なっているといってもいい。

 そこにはもう一つ、いやひとつどころかおそらくは数限りないほどのここと同じような宇宙がある。タイムリープをするというのはこの宇宙と別の宇宙を移動するという事で、今とは違う時間が流れている別の宇宙に移動するという事にすぎない。

 たとえばこの教室の誰かが過去の時間に行って先生を殺してしまったとする。

 もちろんその世界で先生はいなくなってしまうんだが、それはこの宇宙とは別の宇宙の出来事だからこの宇宙の先生がいなくなるという事はない。

 それともう一つの考え方としては宇宙には弾性があるという考え方だ。

 この宇宙には元に戻ろうとする力があり、変化を与えようとしてもいろんな事象が起きて結果、大きな変化は起こせないというわけだ。

 たとえば過去に行って過去の先生を殺そうとする。が、つまずいてナイフを落として失敗に終わったり、もしくは出会う事すらできなくなるという遇然が必然的に起きて未来は結果的に変わらないという考え方だ。つまり一般に言うタイムパラドクスはタイムリープの不可能を示すものではないという事だ」

 奥山先生の長い長い講釈が終わると同時にチャイムが鳴った。ほとんど生徒は納得したようなしないような面持ちで授業を終えるともうそんなことにははじめから興味がなかったかのように休み時間を満喫し始めた。ただひとり、鳩山を除いて。


 鳩山遥斗はしばらくふさぎ込んでいた。その日の授業が終わり放課後に至るまで相変わらずだった。

 この友達のいない彼のそんな様子に周りは気づいているのかいないのか、誰一人としてその様子を気遣うものはいなかった。他の生徒たちが教室を出ていった後もひとり座り込んだまま。

 僕はしばらく気になって教室を出ずにおいたのだが、やがて一人、またひとりと教室を去っていき、次第に僕と鳩山以外数名の生徒しか残っていない状態となった。

 ――声を掛けるべきか? 

それが脳裏をかすめた次の瞬間僕は立ち上がり、そのまま教室を出ていった。

 結果としてこのことが彼に対する負い目になってしまったのかもしれない。この時声を掛けなかったことが小さな後悔となり、その後の僕に小さな影響をもたらした。

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