第15話 あの日止まってしまった時計は……

 彼の卒業後、侵入することのできなくなった時計は止まり、その一年後にわたしは卒業しました。同好会は代表を引き継ぐものもいなくなりそのまま解散となり、この場所を忘れられなかった私が大学を卒業後教師として赴任することになったのは必然でしょうか。


 ――あるいは運命?


 こんなものを、こんなタイミングで見せられてしまったらそう考えるのも無理のないことなのかもしれない。


 なくした鍵が挟まっていたという彼の書いた文芸部時代の文集。その間には一枚の栞が挟まれていました。

 桜の押し花で作られたその栞には一言メッセージが書かれています。

『××年 8月 7日 17:00 ここで君のことを待っている』


 その日にちは、約一か月後のことです。夏休みの期間中であるその日にち、先日渡された資料によると当直が私になっていました。



 8月7日 晴れ 七夕です。

 一部の地方都市では旧暦の関係で8月に七夕を行うところも多いのです。件の優秀な生徒が言っていたのですが、8月7日、一か月遅れの七夕の願い事は、本当に願いが叶うのだとか。


 その日の夕刻、当直の時間も終わり帰り支度をする。自分一人しかいない職員室は電気代を節約して照明を半分しかつけておらず、まだ日が落ちているわけでもないのに薄暗さを感じる。エアコンを使わず開いた窓からは湿り気を含んだそよ風がカーテンを揺らす。

 あの、甘酸っぱい夏のにおいがした気がする。

「来るわけないですよね……」

 独白して文集と栞を手にする。気が付けば旧校舎へと向かっていた。

『文芸部』の表札のかかった空き教室。誰もいるわけないと思いながら戸を開ける。

 ――嘘。

 本当は、そこに誰かがいてほしいと思っているからこそあえてそんなことを考えているだけ。

 戸を開けて、そこに誰もいなかったときにがっかりなんてしたくないから。



「あの……すいません……」

 古びた教室の窓にかけられたえんじ色のカーテンを開き、ただじっと空を見つめている男性に声をかけた。

 振り返る男性は奥山先輩でした。

 8年という時間が私と彼に相応のしわを刻んではいるもののそこにはあの頃と変わっていないものも幾分含んだ姿があった。

「本当に……来たんだ……」

 奥山先輩は少し照れくさそうに頭を掻きながらあたりを見渡し、私以外に誰もいないことを確認しながら歩いてくる。

「ああ、いや、怪しいものではないんです。自分はこの学校の卒業生で……」

「わかってますよ。先輩……」

 その言葉に驚いたらしい彼はめをみひらきわたしのことを見つめる。

「桜樹……なのか……な、なんでここに……」

「な、なんでって、今日この日、ここに来るようにって書いてあったので……」

 手に持っている栞を眺め、もしかするとこの栞は自分にあてて書いているものではなかったのかもしれないということに気づいた。

 奥村先輩がここにきているということは、書いたのは先輩で間違いないのだろうけど、その栞を発見してきてほしかった人物が自分以外にいたかもしれないということをどうして考えなかったのだろう。

「ごめんなさい……私……」

「ああ、いや、誤ることなんてないんだ。ただ、桜樹がこんなところにいるなんて思いもしなかったから……。そ、その……俺もつい意味も分からずここに壊れた時計を直しに来て……」

「壊れた時計を直しに?」

「ああ」

「それって、もしかしてあの時計塔の?」

「ああ、直してくれって言われたんでな。この間ここに来た時も止まったままになっているのが気にはなっていたんだが、まさか俺に直してくれなんて言ってくるやつがいるとは思わなかった」

「えっと……ちょっと待ってくれる? なにがなんだか……。時計を直してって誰に言われたの? それに、この間も来たって?」

「ああ……えっとまあ、なんだ。俺は今、教師をやっていてな、ここからそう遠く離れていない中学校だ。受験生を受け持っているから進路の関係でちょっとな」

「そうだったの? わかっていればその時に会えていたのに……」

「え、もしかして桜樹はここで働いているのか?」

「ええ、現代文の教師をしているのよ。それにしても偶然ね、二人とも教師になっていただなんて」

「ああ、まったくだ。それにしても原田のやつ、それならそうと教えてくれてもよさそうなもんだが」

「原田先生にもあったの?」

「ああ、進路相談会の時にな。アイツ、だいぶ薄くなってる」

「ふふふ、それは言ってはダメよ。あなたは教師なんだから」

「そうだな」

「それで、誰に時計を直してと言われたの?」

「いや、はっきりはわからない。まあ、なんとなく心当たりはあるんだが……」

「それってやっぱりこの栞の待ち合わせの人かしら?」

 文集に挟んであった栞を奥山先輩に見えるように差し出す。

「あ、そ、それは……」

 先輩は顔を真っ赤にした。焦ってしまって視線がきょろきょろと定まらない。しかし、少しして栞を見つめ「俺のじゃない」と言った。

「確かに俺の作った栞に似ているけどこれは俺の作った栞じゃないし、俺はこんなことを書いた覚えはない。第一俺はこんなきれいな字を書かない」

 言われてみれば確かにそうです。ここにある手書きの文集もそうだけど、奥山先輩の字はとても趣のある字だ。それに対してこの栞の字はとても丁寧できれいな字。

「ところで先輩、先輩はこれ以外で似たような栞を書いたものがあるんですか?」

「いや、だってそれはほら……」

 先輩が私の手からぶら下がる夏目せんせいのキーホルダーを指さす。

「あ、そういえばこれ、先輩を卒業したころからずっと行方不明だったんです。最近になって一人の生徒が見つけてきて……」

 しばらく黙り込み、何かを思索する先輩。

「もしかして手紙は読んでいない?」

「手紙?」

「……いや、なんでもない」

「そう……ですか」

「ああ、そうか。そういうことか……」

 奥山先輩はポケットの中から少ししわくちゃになっている便箋を取り出した。とてもかわいらしい、女の子が恋文でもしたためていそうな手紙だ。


『8月7日 17:00 止まってしまった時計を直してください』


 私の手元にある栞とよく似た文章だ。それに、よく見ればわかるがふたつの文字はそっくりで丁寧できれいな文字。

「俺は、この手紙を受け取ってきたんだ」

 言いながら足元にある工具箱を指さした。

「止まってしまった時計って言われて真っ先に思い出したのがここの時計台だ。この間ここに来た時に気になっていて、それから少ししたある時に学校の俺のデスクの上にこの手紙が置かれていた」

「じゃあ、同じ人が私たちそれぞれに今日ここに来るように指示を出したっていうこと?」

「ああ、間違いないだろう。多分その犯人がそのキーホルダーを見つけて……いろいろと余計な気を回してこんなことを仕組んだんだろうな」

「このキーホルダー?」

「あっ、いや……まあ、ちょっとな……。それは桜樹がなくしたんじゃなくて、俺が隠していたんだよ。俺が卒業した後になってお前が見つけると思ってな」

「それを私が見つけなかった……」

「だからそれに気づいたアイツが下らん世話を焼いたという訳だ」

「犯人に、心当たりがあるのね」

「ああ、この学校の生徒の竹久だ。アイツは中学の時に俺の教え子でな、少し前にここに来た時にもここで会ったんだ」

「ここで?」

「ああ、文芸部なんだろう? アイツ。それから少しして中学校にも顔を出した。そのあとで俺はその封筒が俺のデスクに置かれていることに気づいたんだ。こんなことをしたのは竹久という生徒だ。知っているか?」

「ええ、竹久君なら知っているわ。でも、犯人はその子じゃないと思う。あの子はこんなきれいな文字は書かないわ。たぶん、笹葉さんね。その子がキーホルダーを見つけてきたのよ。この文集の間に挟まっていたって」

「おわ、そ、その文集!」

「奥山先輩でしょ。これ書いたの?」

「読んだのか?」

「もちろん」

「そ、そうか……」

「面白かったわよ」

「いや、すまない」

「ふふふ」

「まあ、でも、要するにその笹葉さんって子が俺たちを逢わせたわけなんだな……」

「ええ、たぶんそうだと思うわ」

「確かにこの間竹久が中学に来た時に彼女を自慢するように連れてきていたな」

「きっとその子ね。賢くて、とても美人な子。そういえば竹久君とはいつも一緒にいるわね」

「ああ、そりゃあ間違いないな。まったく、竹久にはもったいなさすぎるほどにいい子だよ」

「あの二人、付き合っていたのね」

「生意気な奴だ。さあ、時計台を修理に行こう」

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