第13話  『タイムマシン』その後の考察


文芸部の文集の最後の物語を読み終え、ページを閉じた僕は机の隅にその文集を追いやり大きく背伸びをした。

夏休みを間近に控えた旧校舎の窓から風がそよぐ。さっきまで聞こえていたはずのピアノの音もいつの間にか止み、部室は静けさが響き渡る。

そしてその静寂を打ち破る元気な声――


「ちゃぁおー」

 

 元気と食欲の旺盛さと、それに外見の美しさとまっすぐで優しい性格だけが取り柄の宗像瀬奈の登場だ。

「あ、ユウ。またそれ読んでるのね」

「ああ、もう読み終わったよ」

「そう。それで、どんな話だったの?」

「ああ、もう僕は全部読み終わったし、あとは自分で――」

 彼女のほうに差し出す文集を有無を言わさず押し返して一言。

「ユウが話してよ。そのほうが分かりやすいから」

 そう、言われてしまえば僕だってやぶさかではない。

「そうだね。この文集、どの話もだいたいSFっぽいストーリーばかりだし、文体も筆跡もどれも同じだ。僕が思うにこの時の文芸部員は一人しかいなかったんじゃないかな。だから言ってしまえばこの文集はその一文芸部員の作品集ともいえる。だからどの話も似たり寄ったりなんだけど――」

 そんな簡単な前置きをしながら話を始める。

 瀬奈は僕の話に耳を傾けながらインスタントのコーヒーを淹れてくれた。


 瀬奈は最後の時間が止まる話を面白いと思ったらしく、そのことを僕は面白くないと思った。

 だからつい、しょうもないあらを指摘してしまうのだ。

「いや、でもさ。この物語の冒頭で、この後輩の女子生徒はものすごい近視だって言っていたにもかかわらず、旧校舎から坂道を自転車で登ってくる生徒を主人公だと認識するのはあまりにも無理があるんじゃないかな」

「そうかな。ただ単にその時は眼鏡をかけていたけれど実験室に行ったときに外しただけなんじゃないの?」

 思わぬ半本につい僕もむきになる。

「なんのために?」

「だってほら、この後輩の子は主人公を見かけて校内を探し回ったくらいなんだから、きっとこの主人公のことが好きだったのよ。だから、少しでもかわいいところを見せたくて眼鏡をはずしたんじゃないかな。好きな人のまでは少しでもかわいくありたいっていうのが女の子の心情よ」

「いや、別に眼鏡をはずしていたほうがかわいいとは限らないだろ」

 言いながら、ついつい栞さんのほうを向いてしまう。僕らの話に気を取られることなく漫画の原稿を描いている彼女は読み書きの時だけ眼鏡をかける。そして眼鏡属性を持っている僕はそんな彼女を黙ってさえいれば憧れる先輩だと常日頃思っている。

「そんなの少数派よ!」

 瀬奈は少しむっとしたように言う。さすがにそれは栞さんに失礼というものだ。しかし栞さんが普段は眼鏡をかけていないということは本人もそう思っているのかもしれない。

 そんなことより本題だ。

「いや、でもさ。それこそこの物語の彼女は実験室に入ってくる前に、そこに先輩がいると確信していたわけではないだろうし、それなら尚更眼鏡をはずしてしまうとそこにいるのが先輩であるかどうかさえ分からないじゃないか。要するにこれは単なる作者のミスに過ぎないよ」

 勝利を宣言した僕に瀬奈は食って掛かる。

「んもう、なによさっきからでもさ、でもさ、ばっかり! そんな感じだと女の子にもてないんだからね!」

 そういわれると、返す言葉がない。世間一般がどうあれ、彼女がそういう男を嫌いだというのならば僕はそうあるべきではない。反省するべきだ。

「ごめんなさい」

 瀬奈は許してくれた。


「それはそうとさ、アタシ思ったんだけどこの文集書いた人ってもしかして……」

「うん?」

「それにこの筆跡にもどこか見覚えあるのよね……」

「筆跡?」

「うん……あ、いや、別に……何でもないわ。多分ただの勘違いだと思うから忘れて」

 僕は素直に忘れることにした。忘却力には自信がある。

「ねえ、この文集。アタシ借りていってもいいかな?」

「それは構わないと思うけど」

「うん。ありがと」

 瀬奈が読書に興味を持ってくれること自体は喜ばしいことなのだが、この文集を書いたであろうどこの誰だかわからない相手にちょっとした嫉妬心も覚える。

「それはそうとさ。僕はこの話、ちょっと似たような話を知っているんだよね。あれは確かウェルズの『新神経促進剤』という話だ。薬を飲んでスローモーションになるという話だ。確か角川文庫の『タイムマシン』の中に収録されていたと思う」

「へえ、タイムマシンか。いつかできるのかな」

「まあ、さすがに無理なんじゃないかな。できるとしたらそれはそれでいろいろ矛盾もあるだろうし、そもそもそんなことができたら今を生きることの価値がブレる。過去は、取り返せないからこそ価値があると思う」

「まあ、人はそこに価値があると思うからこそタイムマシンに憧れるんだろうね」

「そう思うよ」

「ねえ、ユウ。ところでその『タイムマシン』ってどういう話なの?」

「あー、えっとー」

 ――知らないわけではない。が、さすがに僕も説明に少し疲れていた。

「『タイムマシン』という小説はね――」と、そんな僕に見かねたのか代わりに説明を始めたのはさっきまで無心に漫画を描いて栞さんだ。

 漫画原稿に一区切りついたらしくペンを置き、眼鏡をはずしていた。

「『タイムマシン』という小説はね、ジュールヴェルヌと並んで称されるほどのSF小説の基礎を作り上げた人の名作の一つさ。

 教授が自ら開発したタイムマシンに乗ってはるか未来の地球に行き、そこで未来人の色白のエロイひとの少女に出会う――」

 僕はそこでツッコミを入れずにはいられなかった。

「栞さん。たぶんわざと言っているんだと思いますけど『エロイ人(じん)』と読むのが普通であって『エロイ人(ひと)』と呼んでしまうと誤解を生じかねません」

 しかし、そうはいったものの栞さんは改めることなく『えろいひと』と言い続けた。もう、僕の知ったことではない。

「未来には色白美しいエロイひと、色黒で醜く恫喝な人種のモーロックの二種類の人種がいる。教授はエロイひとの少女のことを好きになるわけだが、夜中になると暗闇からやってくるモーロック人がエロイ人たちを襲うんだよ。そして教授はエロイひとの少女を守るためモーロック人と戦うわけだがその奮闘もむなしく教授の目の前でエロイ少女は醜いオークどもに捕まり、くっころ状態に。そして教授は泣く泣くタイムマシンを使って現代に戻ってくるという話さ」


 ――確かに栞さんの話は間違っていないともいえる。が、しかしそれはあえて悪意のもとに勘違いさせるような説明をしているとしか思えない。

 おそらく同人漫画を愛する瀬奈はその未来の出来事をエルフとオークによるくっころものだと勘違いしているに違いない。いや、そもそもさっきモーロックののことを明らかに『オーク』って言っちゃっているし……

 まあ、たとえそのことで瀬奈がよからぬ勘違いをしたところで僕の責任ではないはずだ。

 いつかまた、機会があれば瀬奈にちゃんとしたストーリーを教えてやんでもない。

 しかしまあ、さっきの時間が止まる文集の話の最後にもあったが、いつかまたそのうちなんてことを言っているうちはおそらくそんな日なんて来ないものである。


 さて、この『タイムマシン』という物語。栞さんの説明の通り教授の想いを寄せるエロイ人の少女はモーロックに襲われ、それを救うことができずに現代へと戻ってくる。

 そしてその続きの結末についてだが、それは表面上バッドエンドのようにも感じる物語になっている。

 現代に帰ってきた教授は皆に未来で起きた出来事を話し、それが終わるとまたタイムマシンに乗ってどこかの時代にワープし、そのまま二度と戻ってこなかったという結末だ。

 僕はその結末について考えてみる。

 もし、愛する人を守れないまま現代に逃げ戻り、そこにタイムマシンがあったならやるべきことは一つだろう。

 教授はタイムマシンを使ってエロイ人の少女がモーロックに襲われる少し前に時間に、ありとあらゆる武器と知恵を持ち込みなんとしてでもモーロックを打倒す道を選ぶだろう。そして、その時代でエロイ人の少女と幸せに暮らすことになったから現代に戻ってくることはなかったのだというハッピーエンドな結末だ。

 真実はどうだっていい。それが僕の想像する結末なのだから。

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