第2章

第10話 王宮魔術師のとある日

 王宮の隣に建てられた研究棟での作業は快適だ。

 なんでも揃っている。

 

 魔術図書館が併設されていること、高価な薬剤を入手できる庭園や貴重な鉱石が眠っている倉庫。


 全てが魔術師として研鑽する環境として相応しい。


 だからこそ先輩からの厄介な魔術解析――バグの修正も案外すんなりと糸口を見つけ出すことができてしまった。


 いや、難題を解決できたのは単に環境が整っているからだけじゃない。

 

 きっとこれから逢うことになっている彼女の存在があるからだろう。


 彼女――アンナ・クレスファンと一緒に挨拶回りを行うという大イベントが待ち受けている。


 だからこそ、とっとと終わらせる必要がある。

 そのことの方が問題だった。


 というか、万が一アンナとの約束時間に遅れでもしたら……あのプライドの高いアンナのことだ。きっと怒るだけじゃすまない。


 一瞬、ピンク色の瞳が細められた蔑んだ視線が脳裏に浮かんだ。


 ――1秒でも早く確実にアンナの元に向かわなければならないという状況のおかげで作業に集中できたのだろう。


「――終わりましたよ」

「ありがとう、シュウくん。さすがに魔術師長にバグを見せるわけにもいかないからね」


 ソファーで 魔術書を睨んでいた先輩――ロイドは顔を上げて、銀色の縁のメガネの奥から切長の瞳をほっとしたように細められた。


「それにしてもなんで急に完成品を見せろなんてことになったんでしょうかね」

「さあね……?ただの噂だけど、どうやらお偉いさんの視察が近々あるらしいよ。まあ、いずれにしたって、さすがに僕一人だけじゃあ修正することはできなかったから、助かったよ!さすが、学院を主席で卒業した期待の新人だね!」


「いや、先輩だって主席で卒業したって聞きましたよ?」

「ハハハ、何年も前の話だから小っ恥ずかしいなー」


 少し困ったような表情で、ロイド先輩はガシガシと髪をかいた。


 学院を卒業して、オレは晴れて王宮魔術師として入庁した。

 そして初めに配属されたのが、先輩――ロイド・アルフォード侯爵の研究室だった。


「あ、あと給与への反映をお願いしますよね」

「ははは、それはわかっているから安心してくれよ。なんせ君が入庁してから1ヶ月でどれだけ助けられてきたことかを思えば、お安い御用さ」

「……冗談で言ったつもりだったんですが、ほんとにいいんですか?」

「もちろんだよ。だからほら?アンナちゃんとの挨拶回りに行っておいで」

「ありがとうございます」


 きっとこれから色々とお金がかかることを予見しているからだろう。

 理解のある上司は、ニコッと笑みを浮かべた。


 オレは会釈をして壁に掛けていたローブを取って、帰り支度をする。


 ロイド先輩の声が背中越しに聞こえた。

 

「シュウくんがアンナの結婚相手に相応しいのか、アンナのお父さま――クレスファン公爵から君を探るように言われてしまっていることは……くれぐれもアンナちゃんに内緒にしてくれよ?」


 オレがこの研究室に配属された時と全く同じ言葉だった。


 探りを入れていることをオレに対して告げるくらいに、先輩はなんというか……良く言えば正直な人物だ。


 だから、オレは背一杯の笑顔を取り繕ってから振り返った。


 ロイド先輩は乾いた笑みを浮かべてガシガシと頭をかいていた。

 

 まるで何か別のことも誤魔化しているような様子だ。


 いや……今はそんなことを気にしている暇はなさそうだ。


「オレとアンナの結婚については延期になりましたけど、なんとか反対派閥を説得するつもりですよ」


「そうだね、僕も陰ながら応援しているよ……あ、ちょうど呼んでおいた魔術馬車が来たみたいだ」


「ありがとうございます、助かります」


 ……どこまでも用意周到な上司だ。

 

 ロイド先輩はクイっとメガネの位置を直して言った。


「偶然、相乗り先が合致してよかったよ」

「最近、王国内で流行っている相乗りの魔術馬車ですよね?確かロイド先輩が考案したんですよね?」

「はは、まあ一応ね……って、そんなことより、さあ行った行った」

「あ、そうですね。そろそろ向かわないとほんとにアンナに怒られてしまいそうなので行きます」

「うん、ごめん……本当にごめんね」


 ロイド先輩はなぜかひどく申し訳そうな表情で答えた。

 

 会釈をしてからオレは研究室を後にした。

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