メロディ

秋色

メロディ

「先輩だ……」


 そのメロディを聞いた時、智則には直ぐに分かった。


 それは朝、郵便受けに入っていたチラシを見た妻、加奈の甲高い声から始まった。

「せっかくのお散歩日和だから、ちょっとその辺歩きましょうよ。ほら、このチラシ。『今日、西公園でラーメン新規メニューの試食やります』って。『費用は投げ銭形式。容器は持参を推奨。容器持参でなくてもOK』なんだって!」


「怪しいな。いつかラーメン店を開きたいって夢みてる若いやつが修行の一環としてやってんじゃね? 不味まずいラーメン、食わせられるだけかも。もしくは不衛生だったり」


「でも見てよ。『感染対策、安全対策を万全に行います』ってあるし、『大手ラーメン店主催』だって」


「感染対策万全って今や枕詞まくらことばになりつつあるしな。大手ラーメン店って一体どこだよ」


「……書いてない」


「ほらね。投げ銭形式だって本当だかどーだか。高額取られるかもな」


「ここに電話番号が書いてあるから、問い合わせてから行こ」


「電話番号って固定電話じゃなくて携帯の番号かよ。ますますアヤシイし」


 そして智則が電話で問い合わせをした時、野太い声が対応した。「投げ銭形式ですので、気に入らなければ食べてもお代は要りませんよ。気に入ったらその分お支払い願ってるんで!」とその声は言った。いつかどこかで聞いた声と話し方……。

 密閉容器でもいいかを尋ねた時、「少々お待ちを」と相手は答え、電話を保留にし、メロディが流れ始めた。その瞬間、時が一瞬、遡った。もう一度先程の声が応対し、「ウチは安全上、食品の性質上、会場で温かいうちに食べていただいてます」と告げられるまでの僅かな時間に。





 二十年前、高校を卒業し、飲食の世界に入った智則が経験した苦しい新社会人時代。その時代に約半年間、二つ年上の先輩と一緒に仕事をした。不器用な自分とは違い、器用で天才気質の先輩からよく叱られた。いつも説教されている感じだった。色々説教されても、社会人一年目で不器用な自分には、言われて何でも即実行できるわけない……等と心の中に抵抗と言い訳が渦巻いていた。先輩は天才で、作る料理はどんなに憎らしい時でも最高だった。

 結局は飲食業には向かなくて、他職種に転向したが、先輩の事は忘れられなかった。よく仕事の終わった後、車に乗せて送ってもらった事も。

 その先輩が車の中でよくかけていたのが、つい今しがた、保留の時かかっていた曲。昔、不良がかった連中からはカリスマ扱いされてたロック歌手の曲。先輩の車の中で聞くと、割と爽やかで良い曲だったのでいつか自分もCDを聞いてみようと思ったものの、結局は聞かなかった。苦しかった時代を思い出す気にならなかったから。




「どうしたの?」と加奈。


「いや、あのラーメン屋の声、昔、飲食で世話になった先輩の声だった」


「声が似てるだけじゃない?」


「いや。スマホの保留のメロディがさ、先輩の趣味だったんだ」


「ふうん。そんな偶然あるかな。でもとにかく公園に行ったら分かるよ」


「たぶん目立つとこにはいないと思う。実は先輩のラーメン店に行った事あるけど、オモテには出てなかったから。そういう主義なんだろ」


「主義、ね。ところで何ていうラーメン店?」


「秘密」





 智則が妻にラーメン店の名前を出さなかったのは、それがあまりにも大手のラーメンチェーン店だったから。そして社長のやり方がパワハラ行為に当たると最近辞めた社員達から週刊誌に情報の流出のあったラーメン店だったから。智則は一人、感慨に耽っていた。


―― ゴメン、加奈、正直に話さなくて。先入観なしにラーメン食ってほしかったから、さ。 先輩には自分も厳しく指導された。でもその時に言われた『とにかく時間を大切にしろよ』、『お客さんには腰を低くしろ』等の言葉が後の仕事でも思い出されて、役立った。一見コワモテなため、損しているけど、自分には分かる。コワモテは偽物の仮面で、先輩が本当は温かな心の持ち主だって事を。


 自分が店をやめる時、きっとこの世の果てにでもいくような顔をしていたのだろう。「これからきっといい事あるさ」と励ましてくれた。そういうキャラでもなかったのに、きっと精一杯だったんだろうな。


 先輩のラーメン店の本店に行っても、顔を見る事もできなかった。公園ではどうだろう。たぶんオモテにはいないさ。投げ銭形式というのもシャイな先輩の考えたカムフラージュで、本当は食事に困っている人への炊き出しなわけで。ラーメンから丼ぶりを除いたようなもの。たとえ有名店の丼ぶりを除いたって、ラーメンの美味さは変わらないさ。何年たっても。 ――




 




 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メロディ 秋色 @autumn-hue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ