龍の耳の英雄 

@tukimibaku

第1話


「あの…冷泉れいぜんさん、手話を…手話を、教えてください」


 月雫るなは自宅に入ろうとした途端、ひしと腕を掴まれた。氷のように冷え切った手の主は、紫に唇を変色させ、小さく震えていた。ちらちらと雪の混じる北風の中、ずっと待っていたことがすぐに分かる出で立ちだった。




「あ…あんた、あの時の!本当に来てくれたの⁉︎嬉しい!仲良くしましょうよ!下の名前で呼んでよ。ほら見て、聾者が使う人のあだ名はサインネームって言ってね、こうやって『下弦の月』の表現が、旦那のあたしの呼び方なのよ」

 


 親指と人差し指を、左から右へ、下に弧を描くようにゆっくり開閉させて見せる月雫るなに、彼女は青白い顔をわずかに綻ばせた。

「あの時はろくにお礼もいえなくてごめんなさい。私、熱海あたみ喋子ようこって言います。…分かってると思いますが、息子は…」




  喋子ようこの背中で、しっかりと毛布に包まれた小さな男の子は、母親の切羽詰った涙混じりの声に全く反応することなく、すぅすぅと寝息を立てている。まん丸で大きな耳には、緑の可愛い補聴器が収まっている。




「この子といっぱいお話ししたいのに、周りに手話ができる人がいなくて…冷泉さん、貴方だけなんです」

 はっと月雫るなは息を呑んだ。




「この子の耳のことが分かった途端、元々疎遠だった義両親は一切の援助を打ち切りました。それでも夫はしっかり外で稼いでくれているので、贅沢なくらいだとは分かってます。でも、でも…」


「落ち着いて」

 

 

 ぎゅっと白い手に力を込め、彼女の目をしっかり見据えて、月雫るなはゆっくりと話しかけた。




「…あんたの息子、何dBくらいなの。手帳は何級?伝音と感音どっち?親族に聾者は?」




 最後の質問は、殆ど答えは分かっていたが、それでも確認の為に聞いた。喋子ようこは、「こんなに初めから色々と分かってくれる人はいなかった」と言わんばかりに、大きな瞳一杯に涙を溜めた。




「右耳が100dB、左が90dB…でも、お医者さんからは、いずれもっと悪くなるだろうって言われました。伝音性難聴も感音性難聴も両方持っていて、特に子音の聞き取りがしにくいだろうと言われました」

 


 日本の聴覚障害の等級は、かなり厳しく決められている。特に、難聴の作曲家のゴーストライター騒動から、さらに厳しくなったと、夫の竜一りゅういちが肩を落として言っていたのを思い出す。あのゴーストライターも、やった事は許されるものではないにしろ、理解されにくい感音性難聴だったのに。
 地域にもよるが、聴覚障害としての身体障害手帳は、大体50〜80dBが6級。会話がようやく聞き取れるレベルから、大声での会話がどうにかできるレベル。90の5級になると、耳介に接する大声がやっと聞き取れるレベル。それ以上になると、叫び声や飛行機の音がどうにか感じ取れる聴力となる。



 そして、伝音と感音、どちらの問題もあるということは、混合性難聴。『聴覚障害』と聞くと、普通の音が小さく聴こえるだけだと誤解している人は多いし、月雫るな自身、夫と出会うまで漠然とそう思っていた。

 だが、それは大きな誤解だったことを知る。聞こえの問題は、耳の外側と、内側に分かれる。

 耳の外側-伝音性に問題がある場合は、音を伝える力が弱いため、小さな音が聴こえず、騒がしい場所では特定の音を拾いにくい。これは、補聴器である程度聞こえやすくすることはできる。



 しかし、感音性-内耳より奥側にも問題がある場合、音そのものが歪んで聴こえる問題が発生するのだ。

 


 どのように歪んで聴こえるのかは、人それぞれだ。竜一りゅういちは、「あなた、竜ニがご飯ついでくれたわよ」が「あぁ|、@ゅーぃあおあんついて&ぇたぁ×よぉ〜」という風に聞こえるらしい。
 

 例えば、「かきくけこ」という音を聞いた時、母音AIUEOは聞き取れても、子音Kが聞こえない。同じdBの難聴でも、単なる伝音性難聴よりもずっと聞き取りが難しいのだ。




「親しい親族に、聾者はいません。義両親は私の家系のせいだと言っていますが、私自身分からないんです。元々両親のせいで親戚とは疎遠で」


「あんたの義両親が次になんか言ってきたら、『聾者の9割は聞こえる親から生まれてくるんだ』って言い返してやんなさい!…ていうか、実の親も何なのよ⁉︎」

 


 親族に聾者がいない-つまり、聾者にとって命綱となり、最大の意思疎通手段である手話文化を教える者がいないだけでも一大事なのに、実の親さえ支えてくれないなどと。




「とにかく、ずっとここで立ち話もなんだし、大体こんなに冷え切って!中に入って、あったかい紅茶を飲みながら話しましょ」

〈おかえり、月雫るなさん。あれ、また新しいお友達…かい…〉

 


 ちょうど持病で仕事を休み、竜ニの世話を見ていた竜一りゅういちが、話しかけて、喋子ようこのただならない表情に途中から顔が曇り、手の動きが止まる。




〈この人〉〈息子〉〈聾〉〈この人〉〈困っている〉〈非常に〉




 日本手話でそれらのことを一瞬で夫に伝えると、それだけで竜一りゅういちは大体のことを察した顔になる。冷えと不安で紙のような顔色の喋子ようこを、手振りでソファに誘導し、熱い茶を注ぎに台所へ急いだ。




《「さ、龍生たつおくんはここに寝かせなさいよ。竜二りゅうじのだけど、ブランケット貸したげる。さぁ、うち特性のみかん緑茶よ、召し上がれ」》




 喋子ようこに話しかけながら、竜一りゅういちにも分かる様に手話を付ける。今度はさっきとは違い、日本語対応手話だ。聾者本来の言語である日本手話は、聴者が使う日本語とは文法が違うため、喋りながらだとどうしてもうまく使えない。緑の渦の中に、オレンジの風味が仄かに沸き立つ熱茶を啜った喋子ようこは、僅かに頬を綻ばせて「おいしい…」と呟いた。

「すみません…いきなり押しかけた上に、こんなご厚意まで…でも、本当に頼る人が貴方しかいなかったんです」




 小柄な撫で肩をさらにすぼませる彼女に、竜一りゅういち月雫るなは優しく微笑みかける。




〈この人とはどこで知り合ったんだい?〉
〈聞きたい?私、ヒーローだったのよ〉




 数日前、月雫るなは仕事帰り、一人息子が急に熱を出したと連絡を受けた。喋子ようこ龍生たつおを見かけたのは、帰路を急ぐ途中だった。公園で、みんなが遊んでいるのを少し離れて見ている、5歳くらいの男の子。すぐそばで、それを不安げに見つめる女性は、小柄な体格と、卵顔に二重の垂れ目が男の子にそっくりで、すぐに母だと分かる。




(…あれ、あの子…視線が、竜一りゅういちさんと一緒だ)

 


 誰かの顔を見る時の目線の動かし方が、明らかに聴者と違う…。




「おい姉ちゃん、随分若いのにもうガキいんだなぁ」




 ふいに、我が子を迎えにきたらしい別の父親が、嫌らしい口振りで母親に話しかけた。




「あ…」

 


 それは、新入りの若い母親が来るたびにベタベタと絡んでくることで有名な、近所の父親だった。もしゃもしゃ髪の男の子が、困った様に、話しかけてきた男の口元を凝視する。




「坊やいくつだい?5歳くらい?お前の母さん、ひょっとして10代でデキ婚かぁ?」


「あ、あぅ…?」

 慌てたように母親が間に割って入る。



「やめてくださいっ」


「なんで?にしてもこの子、さっきから一度も話さないし、愛想悪いなぁ。やっぱりデキ婚の頭弱い母親じゃ、その程度の教育が限界かぁ」




 月雫るなはこの時点で完全に堪忍袋の緒が切れており、今すぐにでも男をぶん殴りに行きたかったが、大柄な体格が災いして、遠巻きに見る他の親達をかき分けるのに時間がかかっていた。




「龍生たつおを悪く言うのはやめてください!」
「女が怒ったらシワが増えちゃうぞ?」




 バカにしたように、男が母親の額を小突いた途端、今まで黙って男と母親の口元を交互に見ていた男の子が、ぱっと両手を広げて母の前に立った。




「おあぁあんおいぃえるぅなぁ!」

 


 その瞬間、月雫るな以外、他の親達が一斉に異物を見る目で男の子を注目した。その視線に、男の子の勇み顔が一転して怯えになり、母親の足にしがみつく。




「…な、なんだ?ひょっとして足りない子?」


「なッ…!」




 思わず月雫るなが怒りで固まる前で、喋子ようこが怯えながらも、それでも精一杯息子を守ろうと、一歩前に出る。




「うちの子は耳が不自由なんです。でも、自分の名前をもう漢字で書けるほど賢い子ですし、家のお手伝いもしてくれるんです。それに、足りない子って、知的な遅れのある子にも、凄く失礼な言い方ですよ…!」




 母親の声が悔しさと恐怖に震える。

「あぁ〜そういうことか。随分愛想の悪い子だと思ったが、しかし、随分と親不孝者に生まれたもんだ」

 


 その時、ようやく人混みから脱した月雫るなは、ずんと男の前に立ち塞がった。




「いい加減にしなさいよ‼︎信じらんない‼︎あんたそれでも人間⁉︎いきなりベタベタ女性に絡んでいった上に何よ⁉︎土下座して謝んなさい‼︎」
「あぁ⁉︎てめぇこそいきなりなんだこの電柱女‼︎」


「怒鳴られても仕方ないことをしてんだろうがあんたが‼︎この子がなんかしたの⁉︎」
「し、してんだろうが‼︎耳聞こえねぇわ愛想は無いわで、生まれてきたこと自体が親不孝で可愛そうだ!」

 


 今度は月雫るなの威勢の良いビンタが飛んだ。小気味いい音が夕焼けに響く。




「傷害罪だ‼︎訴えてやる‼︎」


「やれるもんならやってみな‼︎あんたの暴言、ぜーんぶ録音してんだから!あんたの会社に電話して責任者に聞かせてやる‼︎」

 


 勿論、録音などというのは謝らせるための口から出任せだったが、男が青ざめて怯んだ。その時、大人達が言い争う足元に、男の息子が何事かと走ってきた。


「パパ、どうしたの⁉︎」


「こ…この女が、勝手に切れてパパを殴ったんだよ!でもパパは悪くないよ、この男の子が全部悪いんだから!」




 指差した先の龍生たつおに、男の息子はバカにしたように言った。




「お前かよ、ママが言ってた耳無しの子って。ママが言ってたぞ、テレビを大きな音で聴きすぎて、耳が悪くなったんだろ?」

 信じられない教育をする親に植え付けられた暴言に、月雫るなは思わずその息子を凝視した。




「はあ…⁉︎」


「俺はちゃんとママが毎日ケンコー管理してるから、お前みたいに耳の聞こえない残念な子にはならないのよって、ママが言ってたぞ!」




 酷い言葉が無邪気な幼子の口から飛び出し、それは月雫るなの心にも刺さった。だが、その時龍生たつおの母親が、はっきりとした口調で反論した。




「騒ぎのもとになってしまったことは謝るわ。でも、龍生たつおが聴こえないのは生まれつきなのよ。お父さんも、子どもがこんな小さな頃から、不摂生のせいだと決めつけて、悪いことをしてない子を反面教師にさせるのは、やめてください…!」




 後半は父親に向かって、震えながら切った啖呵だ。父親は顔を真っ赤にして怒った。




「人の教育方針に口出しするな!」

 


 我が子を抱きしめて庇い、罵声と唾を頭から浴びせられても、喋子ようこは止まらなかった。




「いくら家の教育方針でも、それじゃ貴方の子も可愛そうだと思います!こんな小さな時から、困難を抱えた仲間を『あの子は悪いことをしたからああなったんだ』って教えられて、優しい人間になれると思いますか?一言『生まれつきなんだ』って言えば分かる話じゃないですか!龍生たつおに謝ってください!」


「そ…そうよ!」




 恐れをなして、それまで言葉を失っていた周りの親達が、堰を切ったように一斉に酷い酷いと父親に向かって抗議し始める。父親は顔をレンガの色にして子供を連れて帰っていった。




「ちょっと‼︎最後にこの子に謝んなさいって‼︎」




 大声で父親の背に怒鳴ると、「ガキには聞こえてねえんだからいいだろ!」という暴言が返ってきた。




「あーもう‼︎次会ったら背骨を真っ二つにへし折ってやる‼︎ちょっとあんた!大丈夫⁉︎」
「あ、ありがとうございます…!ごめんね、ごめんね龍生たつお、弱いお母さんでごめんね、怖かったよね…!」

 


 泣きながら、子どもを抱きしめる母親の背中は震えている。




「自分よりガタイのデカい男なんて、怖くて当たり前よ、あんたはほんとに頑張った!あたしこそちゃんとあいつに謝らせられなくて〈ごめんね〉」

 


 最後は男の子に向かって、流れるような手話で話しかけた。母親が、涙できらきらした目を見開いて月雫るなを見た。




「あの、それ…」


「あぁ、あたしも家族に聾者いるからさ。あっ、ごめんね、あたしもう行かなきゃ!うちの子の風邪が治ったら、また時々この公園来るから。また声かけてね」


「あの、よろしければご住所とお名前を教えてもらってもよろしいですか⁉︎」

 


 震える手で差し出されたレシートの裏に、月雫るなは電話と住所を書き、「また悪い奴が絡んできたら、いつでも連絡して。ぶっ飛ばしてやるから」と言い、その場は別れたのだった。





〈そうだったのか。やっぱり月雫るなさんは凄いね。それにしても、酷いことを言う人もいるんだね。こんなに頑張ってるお母さんに、許せないな〉

 


 そう言いながら喋子ようこを見ると、所在なさげな顔で、喋子ようこは夫婦の手話を交互に一生懸命見ていた。




《「あぁ、ごめんごめん!あたしたちだけで話して、分からなかったよね」》
「い、いえ…凄いですね、月雫るなさん、でしたっけ?…聞こえているのに、こんなに手話ができるようになるなんて…」




 うっという小さな嗚咽と共に、大きな垂れ目に涙が盛り上がる。




「私…母親失格ですよね。家事の合間に、色んな手話のニュースや本を読んで勉強してるのに、物覚えが悪くて学がないせいで、ちっとも使いこなせない」


「家事も子育ても重労働なのに、誰の助けも無しに手話をマスターするなんて、スーパーマンでもできないわよ!ねぇあんた、さっきも思ったけど、どういう環境で子育てしてんのよ。助けてくれる家族とか、友達とか、いないの?」


「友達…は、昔は、居ました…」

 


 彼女の生い立ちは壮絶なものだった。

「父は酷く高圧的な性格が原因で次々破談になって、最後に残ったのが、働きたくないけど家事もしたくないという、異常に怠け者の母だったんです。両親は、まだ夫婦仲が上手くいってた時期に産まれた兄は可愛いけど、険悪になってから生まれた私は可愛くないって口癖みたいに言って、何かにつけて差別されてきました」




 救いは、学校の友達や先生達が喋子ようこの味方になってくれた事だった。




「何人か、私みたいな家庭環境の子が友人にいたんです。私は一生家にいて家族の世話をしろと言われてましたが、高校を卒業した日、先生達の力を借りて、私達は一斉に遠く離れた街にバラバラに就職したんです」


 当時は携帯電話も一般的でなく、規制が緩い田舎だったので、18歳以上高卒済みの子が『事件ではありません、自分の意思で家出します』と書置きを残しておけば、地元のお巡りも真剣には探さなかった。


〈その時に就職先の電話番号の交換とか、しなかったのかい?〉

「私達の中で、1番厳しい虐待を受けていた子が、『どんなきっかけで親に居場所がバレるか分からないから、連絡先交換はお互いしないでくれ』と頼み込んできて…悲しいけど、そうせざるを得ませんでした」


 そうして喋子ようこはひとまず、住み込みの旅館で働く事になったという。小さい頃から家事全てを仕込まされていたお陰で、皮肉にも仕事はすぐ板についた。そこである日、生涯のパートナーとなる夫と出会い、成人後すぐに結婚した。暫くしてもうけた子の耳が聞こえないと分かったのは、龍生たつおが3歳の時である。



 孤立無援。友人もいない。そんな時に、学ぶ言語が違う子を授かる…想像しただけで、目の前が真っ暗になる。




「でも、私は子供の頃はちゃんと味方になってくれる友達がいました。けれどこの子は、話が通じる友達がいない。公園で、遊ぼうと他の子に話しかけるんです。でも、みんな悪気はないけど『変な声だ』とか『なんで何度も聞き返すの?一回で聞いてよ』って…。龍生たつおも、聞こえなくても、雰囲気で『おかしな目で見られてる』って悲しくなるみたいで…!」




 垂れた目尻から大粒の涙を流す喋子ようこに、痛いほど気持ちが分かるのか、おいおいと泣き出す竜一りゅういち。2人に挟まれて、場を少しでも明るくするために、月雫るなは殊更明るく提案した。




《「…大丈夫よ!友達なら、うちのりゅうz」


 
「おぇのおぉふ!かえしぇ!」




 月雫るなが言い終わる前に、母譲りの三角顔に一重吊り目の男の子が、弾丸のように飛び込んできた。そして、目敏く自分の大事な毛布にくるまって寝る龍生たつおを見つけ、走ってきた勢いそのまま蹴り飛ばす。




「ふぇ⁉︎」


「おぇの!あぁ|みさぁん@ぇ‼︎」

 


 目を白黒させて飛び起きた龍生たつおに拳骨を落とした竜二りゅうじの怒りの表情を見て、龍生たつおが泣き出し、そんな竜二りゅうじに容赦無い月雫るなの雷が落ちた。




竜二りゅうじー‼︎《わけも聞かずにお友達を殴るとは何事よ‼︎》」




 頭を押さえて睨みつける息子に、月雫るなが鬼の形相で手を動かす。




〈友達じゃねぇし!つか誰だコイツ!知らない奴に勝手に俺の毛布貸すんじゃねぇ‼︎〉
《「殴っといてその態度は何よ‼︎あの喋子ようこさん、うちの子を龍生たつおくんのお友達にするって話、やっぱり無しに」》




 しかし、わたわたと慌てる竜一りゅういちの横で、喋子ようこは大きな目を見開いて感激している。




「あ…あの…もしかして、竜二りゅうじくん、でしたっけ…その子の耳も…」


《「えぇそうよ、この子も両耳とも100dBくらい。でもいくら同じ先天聾で同じ5歳だって言っても、気の優しい龍生たつおくんとこの乱暴者じゃ、龍生たつおくんがいじめらr」》


「お願い!竜二りゅうじくん、龍生たつおと友達になってあげて。龍生たつおが聾学校で寂しくないように…!」




 不満顔を向けていた竜二りゅうじが、手を握りしめてきた喋子ようこに、きょとんとした顔をする。

「あ…ごめんね竜二りゅうじくん、おばさんったら。待って、今紙に書くから」

 慌ててメモとペンを取り出す喋子ようこの横で、龍生たつおがおずおずと、両手を組んで竜二りゅうじに出した。

 そして、黒の補聴器が嵌まった竜二りゅうじの耳を見て、自分の右耳に右手をあて、軽く首を傾げながら竜二りゅうじを指差す。




「あ、見て喋子ようこさん!龍生たつお竜二りゅうじに話しかけてるじゃない!友達になりたい、耳が聞こえないの?僕と同じ、だって!」


「あら本当!いつも手話教室の番組を録画して龍生たつおに見せてるんだけど、私よりも覚えが早いのよ!」




 怪訝そうに龍生たつおを見ていた竜二りゅうじが、竜一りゅういちが慌てて静止するのも無視して、龍生たつおの耳を引っ張り、小さな緑の補聴器を確認する。




〈なんだ?お前も聾か?〉




 瞳をいっぱいに見開いて、一生懸命に龍生たつおが頷く。

〈聞こえない〉〈友達〉〈僕〉〈はじめて〉

 一生懸命に小さな手を動かす龍生たつおに、竜二りゅうじも物珍しそうな表情を向ける。




〈お前も聾学校に行くんか〉〈それとも通級か?〉〈そこにいんのはお前の母ちゃんか?父ちゃんは?〉




 もの凄いスピードである。父親が同じ先天聾であり、竜二りゅうじの耳の事が分かってからはなるべく在宅で仕事を持ち帰り、手話で話しかけている効果も大きいが、それにしても竜二りゅうじの言葉の覚えはピカイチだった。




「んーん…?ゆぅくりぃに、はぁなぁすして…(ゆっくりに話すして)」




 大きな瞳を戸惑いに揺らす龍生たつおに、竜二りゅうじは馬鹿にした顔でベーっと舌を突き出し、両手を目の横から下に向けて人差し指を突き下ろした。




〈なんだお前。聾のクセに、手話も出来ねぇ、日本語もハンパだし、聴の奴らの言う木偶の坊みたいだな!〉




 『木偶の坊』は、聴文化では『役立たず』だが、聾文化では『最低の男』のような意味がある。このような違いで、聾者と聴者で誤解が起こることもあるのだと、月雫るなはこの前竜二りゅうじに教えたばかりだ。ちなみに、聾文化にはあるが聴文化にはない表現、その逆も沢山ある。



「ふぇん…」


竜二りゅうじ君!〉




 手話の意味は分からなくとも、馬鹿にされたことだけは分かって、しょぼくれる龍生たつおとの間に入り、すかさず月雫るなが目を吊り上げる。だがそれより先に竜二りゅうじを制したのは、竜一りゅういちだった。




〈世界中の聾の子みんなが、竜二りゅうじくんみたいに、生まれた時から手話も日本語も両方手取り足取り教えてくれる恵まれた環境にいるわけじゃないんだよ。龍生たつお君のご両親は、手話できないんだ。もし竜二りゅうじ君が龍生たつお君と同じ立場なら、初めて会った聾の仲間にそんなことを言われて、どんな気持ちになるかな?〉




 滅多に怒らない父親にしっかり目を見てそう言われ、竜二りゅうじはうっと詰まる。




〈そうよ!だからあんたが教えてあげなさい!〉
〈はぁ?なんで俺が!んなん聾学校の奴らとかデフコミュニティの大人に教えてもらやぁいいだろ…〉




 母親に言い返す竜二りゅうじだが、横でしかと見据えてくる父親に、何も言えなくなる。




〈つべこべ言わずにさっさと教えな‼︎ハイ決定‼︎〉

 


 その日から、竜二りゅうじにとってはやや不本意ながら、龍生たつお喋子ようこは折を見て冷泉家にお邪魔しては、手話を懸命に教わるようになった。本当に申し訳ないと泣く喋子ようこに、「いいのいいの、私達にとっても聾の仲間って貴重なんだから」と何度も気にしないようにと伝えた。




〈ホラ、これが『クソ野郎』だ、こっちが『死ねアホ』…痛ぇ!何すんだババア‼︎〉


〈何すんだはこっちのセリフよ‼︎アンタさっきから見てれば汚い言葉ばっかり龍生たつおくんに教えて!〉


〈聾をバカにする奴らに言い返すために教えてやってんだ!聴者のババアが口出すなよ!〉


 めきめきと手話を上達させていく息子に置いてけぼりにされそうになりながらも、喋子ようこもまた、必死で聾者の言葉を頭に叩き込んだ。通じ合う言葉が増える度、母子は笑うとおかめさんのように細く垂れ下がる目尻が瓜二つな笑顔を見合わせ、嬉しそうにはしゃいだ。



 喋子ようこは自身の引っ込み思案な性格と戦うように、龍生たつおを積極的に様々な場所に連れていくようになった。勿論、心強い味方である竜二りゅうじも一緒だ。

 どこに行っても、竜二りゅうじの行動力は凄かった。公園では、聞こえる他の子供達の真ん中に陣取り、身振り手振りで遊びに加わるのだ。




「あんな耳の聞こえない子と遊んじゃダメよ」




 心無い親の言うことを信じて、離れていく友達が出る度、龍生たつおは悲しくなった。けれど竜二りゅうじは、そんなことではめげなかった。




〈俺だって、お前みたいな耳の聴こえる宇宙人みたいなヤツ、仲間とは思わねーよ!〉




 筆談と身振り手振りでそう伝えられた子供はキョトンとしたびっくり顔になり、親は髪の毛を逆立てて怒ったが、竜二りゅうじは聴こえないことを馬鹿にする奴らがどんなに強そうだろうが、全く臆する事なく立ち向かっていった。




「お前らの喋り方おかしいぞ、怪しいガイジンみたいだ」




 自分より体の大きな男の子数人がかりで、そんな風にしつこくからかわれたら、今まで龍生たつおは悔しさと怖さを抱えて泣くだけだった。けれど今は、竜二りゅうじがいる。



〈お前、なんて言った!〉

 


 そう言って、手頃な石数個を抱えて、爆弾のように突っ込んでいく。投げた石がいじめっ子に直撃して血が出たが、幸い相手の親がまともで、「うちの子が悪い。申し訳ない」と逆に謝らせてくれた。竜二りゅうじは下僕になることを条件に、その子と友達になってやった。



 そんな竜二りゅうじは、いつしか龍生たつおの中でヒーローになっていた。


聾学校小学部

「…普通の小学校に通わせようとも思ったけど、やっぱり聾学校にしようと思うんです、私」


 もうすぐ2人が就学する時期に差し掛かったころ、月雫るなにそう打ち明けた喋子ようこの声は暗かった。


「教育委員会や特別支援学級の先生も、真摯に対応してくださったと思います。でもやっぱり、普通の学校では、龍生たつおの第一言語になる手話を見る機会が極端に少ない。どんどん聞こえづらくなるあの子の耳では、周りのお友達が喋る言葉を聴いて、意味を覚えるということが難しくなると思うんです」


  うんうんと月雫るなも頷く。


「あ、決して聾学校が普通学校に劣ってるとかじゃなくて…寄宿制だし、遠いから心配で…」

「分かってるわよ、もちろん」


 聾学校の数は、当然だが少ない。つまり、住む場所によっては、小学生でも通学に数時間かかったり、あるいは親から離れ、寄宿生活をする子どもも多い。


〈寄宿舎に僕を預けた母親が、泣き叫びながら先生に抱き留められている僕の前から、顔を覆って泣きながら遠ざかっていくんだ。まるで、牢屋学校みたいだと思ったよ〉


 竜一りゅういちの思い出を聞いた喋子ようこは泣いた。


「何をするにも私から離れない龍生たつおが、たった6歳で親元から離れるなんてあんまりだ!」


 喋子ようこは悩み、何度も教育委員会に赴いては、なんとか近くの公立校で龍生たつおが学べないかを問い合わせた。しかし先方の返事は芳しくなく、「前例がない」「来てもいいが、一切の配慮はしない」と突っぱねるところもあった。それでも懸命に龍生たつおの特性や聴力を聞き出しては、「筆談します」「他の子にはどのように伝えるのが望ましいでしょうか」等、精一杯対応を考えてくれる学校もあった。しかしながら、やはり先程の「手話をメインで教えられる人がいない」ことがネックになり、考え抜いた末、遠く離れた聾学校に預けることにしたのだ。


「ただでさえ、聴覚障害の子は普通に言葉を教えるのが難しいからね」


 聴こえる子どもが自然に言葉を覚えるのは、身の回りで、色んな人が喋っている言葉を、シャワーのように常に聴いているお陰だ。しかし、聴覚障害者には、そのシャワーが無い。

 それを解決するために手話や聾学校があるのだが、戦時中など、貧しく教育が不十分な時代に、聾者は自分の言葉を持てなかった。だから、意思を表すために暴れたりなどといった極端な手段に出ざるを得ず、それを「精神的に不安定」と誤解した聴者に、精神病院に入れられたという許されない歴史もある。

 それだけでは無い。


【えっ⁉︎竜一りゅういちさんの子供時代は、聾学校で手話が禁止されていたんですって⁉︎】


 筆談で、竜一りゅういちの話を聞いた喋子ようこは驚愕した。つい最近まで、手話は『手真似、猿真似語』で『音声言語に劣った存在』だと誤認識されており、『聾児が幸せになるには、聴者に近づけさせる他ない』という、これまた誤った認識も横行していたのだと。そのために聾学校でも手話は禁止され、口話と読唇教育が強制されていたというのを、喋子ようこは初めて知った。


【聾学校で、昔が酷いよ。僕の子ども時代に「健聴者に近づけさせるため」なので、聾学校で口話を使いました。生徒達の手を後ろに縛って手話を禁止するもの。だからです、僕らは授業の内容は分かるない。仲間内で情報共有もできるない。日本語力もあってと学力もなかなか上がるないでした】

【聾の子の手を縛るなんて…そんな酷いこと…】


 竜一りゅういちと筆談しながら、喋子ようこは絶句した。


(なんでそんなことをするの?聾って、耳が聞こえないことなのよ。それなのに音声言語で教えても、役に立たないことくらい、ちょっと考えればわかるでしょ?ひょっとして、今の聾学校もそうなの…⁉︎)


 絶望の思いで、喋子ようこは市の聾学校を覗いてみた。


「今は手話を禁止していませんよ。聾の子に聴者に近づけと強制した時代には、手話を教えようとする聾の教師を免職させ、口話を教える聴者の教師ばかりを雇っていました。しかし今は、手話を学ぶ教師も多くなってますし、授業も日本語対応手話と指文字を取り入れています」


 ホッとしつつ、悩み抜いた末に決めた聾学校には電車で2時間以上もかかり、やはり始業の時刻を考えると寄宿しかない。


〈お母さんと離れるのやだ!〉「おぁーぁんといっょにいう!」

「いぃ、いずくうぅ〜…」


 桜が舞う新学期。普通なら校庭は我が子の就学を祝う親でごった返すものだが、聾学校では幼くして離れることになる子と親の愁嘆場が繰り広げられることも多い。


龍生たつおくん、寄宿舎でお母さんにお手紙書こうね。休みの日も、早く1人でも家に帰れるように、バスや電車の乗り方も頑張って覚えようね」


 聾学校の教師が、優しく話しかける。…そう、口話で。実は、聾学校の教師全員が手話ができる訳ではない。特に、聾者のアイデンティティである日本手話を使える先生はもっと少ない。初めてその事実を知った喋子ようこは一瞬、「これじゃ、何のために龍生たつおを寄宿舎に預けるの?」と思ったものだ。


「すみません…正直言うと、私は新卒で急に『人手が足りないから聾学校ね』と言われて、手話も出来ない私なんかがって感じで赴任したんです。でもみんなのために、手話の勉強頑張りますっ!」


 自分よりも若い、その先生の熱意を信じることしか、喋子ようこは出来なかった。


〈へっ!聾で良かったぜ、口うるせぇババアからさっさと離れられるわ!〉

《「ババアって言うなって何度も言ってるでしょ!全くうちの子は龍生たつおくんと比べて可愛げがないんだから…」》


 しかし、そう言う冷泉母子の声と手は、お互い涙を堪えて震えていた。

 聾学校など特別支援学校では、通常の学校のように、小学校、中学校という風には分かれていない。小学部、中学部、高等部と、同じ校舎の中で学年が分かれている。


〈これが小学部か〜。なるほど、机が先生の周りを丸く囲むように並べられているんだね。こうすれば斜め下から先生の口の動きがよく見えるね〉

龍生たつおくんは、お母さんが言う通り、好奇心があって賢いね〜」

〈へへっ、ありがとうございます!…椅子の下のボールを着けてるのは何でなんですか?〉

「気になる?使ってみて!」

〈えーと…あ!椅子を動かす時、ギギギって音がしない!〉

〈外食する時とか、椅子のギーギー音まで補聴器がデカくするからウザかったもんな。そうならないために、なるべく雑音鳴らさないようにしてんだって、ジジイが言ってた〉

 

 聾学校は新鮮なことばかりだった。それまで龍生たつおにとって、聞こえない友達は竜二りゅうじだけだった。けれど、ここには沢山の聴こえない友達がいる。


〈聴こえる子と遊んでた時みたいに、『変な声』って言われる心配がないや〉


 お母さんと離れたのは寂しいけど、一般の学校見学に行った時、聴こえる人達の音声言語に囲まれた不安感、何人かの心無い保護者が向ける『こんな子がクラスにいたら迷惑じゃないか』という冷たい視線が無いのが、とてものびのびできた。

 冷泉家でも手話は習っていたけど、ここはもっと多くの手話を見られる。先輩や、家族全員が聾者の家庭の子がいつも使う挨拶や話し言葉を見て、ますます手話のバリエーションが増えていくのが誇らしかった。

 けれど、聾学校にもいじめがあったのが辛かった。


〈俺の方がお前より口話がうまい〉

〈お前は耳だけじゃなくて、知的にも障害がある〉


 そんな悲しいカーストが生まれて、特に重度の難聴の龍生たつお竜二りゅうじがターゲットになることもあった。

 しかし、喧嘩っ早い竜二りゅうじが殴り返して騒ぎになるのは勿論、弱いけれど正義感は人一倍ある龍生たつおも、竜一りゅういちてない相手に向かっていくことが多かった。


〈自分より重度の子を虐めるなんて、承知しないぞ…!〉


 自分の友達が虐められたら、震えながら我が身を盾にして守る。勿論一方的にサンドバッグにされてしまうのだが、すぐに先生が適切な処置をしてくれて助かった。


竜二りゅうじくんと龍生たつおくんが入学してから、ケンカやいじめがすぐ分かるようになったよ」


 苦笑いしながら教師が言った。

 一方の喋子ようこは、龍生たつおが寄宿舎に預けられてからというもの、パートに出る傍ら、地域の手話教室に通うことにした。


「私には頼れる親族がいないから、できるだけ龍生たつおに沢山のお金を遺せるようにしなくちゃ。それに家の中でも、龍生たつおの言語でいっぱい喋れるようにしてあげるんだ」


 ところが、手話教室では、暖かで真摯な講師もいる反面、とても高圧的で聾文化に理解の無い講師もいた。


「ダメですよ、そんなに表情や身振りを激しく表現したら。都会ではみっともないと言われますよ」

 ある日、馬鹿にしたように講師の1人からそんなことを言われ、喋子ようこはびっくりした。

「え?でも龍生たつおは、同じ手話でも表情によって意味やイントネーションが変わるから、絶対付けてって言ってます!」

 戸惑う喋子ようこを、呆れたように講師が見る。

「なら、龍生たつおくんに『そんな激しい表情をつけて手話をしたら、聴者にはおかしな目で見られるよ』と教えてあげなさい」

(そんな…例えば親指で口元を指差すにしても、顔の表情1つで「あ」か「5」かで意味が変わるのよ?そもそも聾の人が耳からの情報を補うために、表情豊かに会話するのをおかしな目で見る人の方が悪いんじゃないの?)


「講師さんから、『手話を生まれた時から使ってない聴者がいくら勉強しようがムダ』って言われました…」


 同じ手話教室に通っている龍生たつおの担任に打ち明けられた時、目の前が真っ暗になった。聴者も聾者も分け隔てなく、手話でコミュニケーションを取れるようにするのが手話講師の仕事じゃないの?なぜ、頑張ってくれる先生のやる気を削ぐようなことを言うの?


「でも、負けてられない!目の前に人がいるのに、話が通じない悲しみは、私が一番分かるもの。龍生たつおにまであの苦しさを味わわせない!」


 その間も、龍生たつお達は聾学校で勉強を学んでいった。手話や勉強を教えてもらう傍ら、手話にはない「てをには」文の筆記学習。龍生たつおが好きなのは社会の歴史で、ちょっと嫌いなのは、風船を口元に当てて振動を感じとる「発話訓練」だった。

「くぁー、きー…う…」


 「聾学校なんだから、手話で教えるべきだ」という先生は優しかったが、「いやいや世の中に出てから手話は通用しない。口話を沢山教えるべきだ」という先生は厳しく、何度もやり直しをさせられた。

 特に頑張ったのは、バスや電車に乗るための訓練だ。


〈これを覚えれば、一人でお母さんに会いに行ける!〉

龍生たつお君、やる気満々だね。今回は、『もし駅で迷ったら、どうする?』を考えるよ》

《駅にいる大人に道を聞く!》


 意気揚々と、龍生たつおの隣の友達が手をあげる。『日本語を覚えるため』と言う教育方針で、みんな授業中には、日本語の文法に当てはめた『日本語対応手話』で話していた。でも、龍生たつおは寄宿舎で、家族全員が聾者の先輩から教えてもらった『日本手話』で友達と話す方が分かりやすかった。


《いい答えだ。でも、その辺の大人の中には、悪い人もいるかもしれない。車椅子の女の子が、悪い男の人に、勝手に車椅子を押されて連れ去られそうになる事件も起こっているよ〉》


 皆の表情が固くなる。


《それに、多くの人は手話が伝わらない》

 その言葉がぷすりと龍生たつおの胸を刺す。

《そこで、みんなに覚えて欲しいことは、『自分が分かる駅に戻って、大人が来るのを待つ』ことだ。あと、駅員さんなら、その辺の大人よりかは信用できるから、駅員さんに筆談で聞くのもいい》

《俺は携帯持たされてるから、LINEで親にヘルプ出すから関係ないもんね》


 別の友達が呑気そうに言ったのを制したのは竜二りゅうじだ。


《バカ。東日本大震災の時は、聴者もメール使いまくるから通信が混雑して、全然携帯が通じなかったんだぞ。イザという時使えないんだから、駅員に聾学校の学生証見せて筆談してもらう練習しとけ》

《流石竜ちゃん!》


 そうしておっかなびっくり、休みの日に初めて1人で家に帰った龍生たつおは、一目も憚らず喋子ようこと抱き合って嬉し泣きした。ちなみに、聾学校の生徒は、このように遠距離移動することを幼少期から迫られるため、成人してからも、フットワーク軽く何駅もバスや電車を乗り継いで気軽に遠出する人が多い。

 小学部を卒業間近に控えると、みんな各々「進路はどうするか」という話になった。


 盲.聾学校や特別支援学校では、生徒を就労させることも大切な責務の1つであるため、高等部までに、職業訓練を行うのが普通だ。龍生たつお達が通う聾学校の職業訓練は、「理容科」や「工業科」があった。ちなみに昔、聴覚障害者の職業は主にこの職種だけしかなかった。


〈へぇ、理容か…ちょっと面白そうかも〉


 しかし、そんな龍生たつおの好奇心は早々に打ち砕かれることになる。


〈アッハハハお腹痛い!龍生たつおくん、どうすればそんな髪型になるの〉

〈おいケッサクだなぁ、みんなスゲェぞこれ、見てみろよ〉

〈ぼ、僕は真剣にやってるんです!〉


 爆笑する理容科の先輩達に囲まれ、無残な落武者のようなヘアカットになったマネキンを前に、半泣きになる龍生たつお


〈タツは昔から手話の上達も遅ぇし手先も救いようがないほど不器用だったからなぁ!〉

〈竜ちゃん写真撮らないでよ!やめてよそれ学内新聞に使う気⁉︎お母さんも見るのに!〉


 カメラを奪おうとする龍生たつおをひょいと躱す竜二りゅうじの前には、少し指導を受けただけで完璧なツーブロックとボブカットにしたマネキンの首が並んでいる。


〈凄い…冷泉れいぜん君器用すぎない?〉

〈聾の理容師界に革命を起こせるぞ!〉


 理容科の先輩はこぞって熱烈に竜二りゅうじを勧誘したが、本人は頑として拒んだ。


〈俺ぁ理容師とか、『昔ながらの聾者の職業』には絶対ぇ就かねぇ。聾者の職業選択に革命を起こしてやる〉



〈聞いたよ!竜二りゅうじくんはお医者さん、龍生たつおくんは弁護士になりたいってね!でもなんだか意外。《お互い逆のお仕事の方が似合ってそう》


 それからしばらく後。〈日本手話と日本語対応手話がごっちゃだし、遅い〉と竜二りゅうじに厳しくダメ出しされながらも、大分手話が上手くなった先生が2人に言う。


〈逆かぁ…確かに…へへ〉

〈タツは手先が絶望的に不器用だし、血ィ見たら一発でぶっ倒れるわ。まぁ弁護士だって相当エグい証拠写真とか見なきゃなワケだし、せいぜい心臓発作で殉職しろや

〈死ぬの前提⁉︎酷い!〉


 そんなほのぼのと言うには少々過激なやり取りをした後、龍生たつおの三者面談が行われた。いや、正確には、日常会話はできるようになったが、難しい話は手話でできない喋子ようこと担任のため、手話通訳士が付くので、事実上四者面談か。龍生たつおは、何故3人ともこんなに気まずそうなのか分からなかった。


「それで…龍生たつおくんは、やはり弁護士以外の職を目指す気はないというのですね」

「はい。とっても難しい職業だから、他の進路も考えたらと何度か言ったんですけど、『絶対陸路むろじ教授みたいに、聾でも夢を叶えるんだ』の一点張りで…」


 2人はしばらく押し黙った。担任が、悲しそうな顔をして、龍生たつおに向き直る。


龍生たつお君は、ずっと聾学校で学びたいんだよね?」

〈うん、聾学校がいい〉

「…けれどね…聾者で弁護士になった人は、日本で10人くらいしかいないんだよ」

〈じゅ…10人⁉︎〉


 絶望に青褪める龍生たつおに、先生も喋子ようこもがっくりと項垂れる。


「…ここから、難しい話になるんだけど。龍生たつお君の言葉の手話と、耳が聞こえる人の音声言語では、文法が違うってことは、前に教えたよね?」


 龍生たつおは頷いた。聴者の使う日本語は八万語以上のバリエーションがあるが、手話言語は八千字程度しかない。決して手話が日本語より劣っている訳ではなく、1つの手話で複数の意味を兼ねたり、様々な単語を複雑に組み合わせたりすることで、豊かなコミュニケーションを生み出す技術を持っているのだ。

 しかし、普段手話で生活する生まれながらの聾者は、聴者に囲まれて話をする時、手話にはない言葉に戸惑うことも多い。聴者の上司に「道草食わずに早く帰れよ」と言われた聾者が、「私は牛ではありません」と返事してしまった例もある。


 また、「てをには」などの文法も、手話では省略されることが多い。「赤ちゃんを産む」も「赤ちゃんが産まれる」も同じ手話表現になるため、二文の日本語の違いが分からない。「1つのリンゴがある」という日本語は、「1つの」という文節が必要だが、手話では「リンゴ」の表現の際に何個あるのかも同時に表現する。英語でリンゴを表す時、「a apple」と「a」1つで個数を表現してしまうのと同じである。

 「6時」という時制の単語一つとっても、日本語はまず数字の「6」の次に「時」を言うが、日本手話では、まず片方の手首に手をやって「時間」を表してから、「6」の数字を表す。さらに、「どうして彼は仕事を辞めたんですか?」という日本語の文を日本手話に訳すと、〈彼〉〈仕事〉〈辞める〉〈理由〉と、外国語のように目的語の順番が違ってくる。


 このように独特の文法や表現を持つのが、生まれながらの聾者が使う『日本手話』。日本語の文法に手話を後から当てはめたのが、中途失聴者が使う『日本語対応手話』となる。


「とにかく、そういう事情で、生まれながらの聾者は日本語で不自由することが多いんですよね。あるデータでは、18歳の聾者の平均日本語能力が、小学三年生だったとも言われています」

「小学三年…⁉︎」


 今度は喋子ようこが青くなる。


 確かに、喋子ようこも心当たりがあった。授業参観の時、算数の時間に、龍生たつお達は「二等辺三角形」や「直角三角形」をいちいち辞書で引いて調べるよう言われていた。できるだけ日本語の文に触れて言葉を覚えるためだが、これでは算数なのか国語なのか分からない。また、てをには学習で、間違った文法を教える先生もいた。後でそのことを指摘すると、「やっぱりそうですよね…」と返された。


「だからって日本語ばかり勉強したら、他の教科も疎かになってしまう…」

「はい…聾学校勤務の私が言うのも何ですが、発話や口話訓練、読唇習得、日本語学習などの面も影響して、聾学校の学びは普通学校より遅れてしまうことが多いです。その中で弁護士を目指すというのは…正直なところを言うと、うちの聾学校は職業開拓の面では遅れていて、『とにかく、高学歴でなくとも食べていける専門職種を学ばせる』事に心血を注いでいまして。龍生たつお君と竜二りゅうじ君の将来の夢が廊下に張り出された時、職員室がざわつきましたよ」


 その他にも、大学で学ぶ制度が…などと話が続いたが、龍生たつおは「日本でたった10人」「大好きな聾学校では勉強が遅れてしまう」という事実を受け止めるのにいっぱいいっぱいで、ただただ愕然と固まるしか出来なかった。


龍生たつおくん、弁護士じゃなくても、困ってる人を助けられる職業は沢山あるんだから。気を落とさないで」


 先生は慰めのつもりで言ったのだろうが、「聾者には初めから夢が閉ざされている」と突きつけられたようで、帰り道で我慢できずに龍生たつおは泣き出した。


《ごめんね、ごめんね龍生たつお、聴こえる子に産んであげられなくてごめんね…!》


 必死で習得した手話で、泣きながら龍生たつおに返す喋子ようこ。でも、龍生たつおが本当に欲しかった言葉は、それではなかった。


 しかしながら、龍生たつおは弁護士になる夢を諦めきれずにいた。そんな中、「中学から俺はインテ組になる」という竜二りゅうじの選択を知り、龍生たつおも一縷の望みをかけ、同じ道を行くことを決心した。


 インテ組、すなわちインテグレーション、統合教育組。聴こえる生徒に混じって、通常学校で学ぶということだ。竜二りゅうじもまた、医者を目指すという険しい道を行くために、通常学校を志望したに違いなかった。


 だが…その中で、竜二りゅうじ龍生たつおも相当悔しい思いをした。


「聾学校って、出席してるだけで単位貰えるんでしょ?それなのにウチのレベルについてこれるかねぇ?」


 全く事実無根の無理解な言葉を、中学の校長から投げつけられた時には、龍生たつおは地獄の底に叩き込まれたような気がした。


『ふざけんじゃねぇ!聾学校を何思ってんだクソ校長!』


 口の形と簡単な手話通訳で言われたことを察した竜二りゅうじが、激怒して殴り書きした紙を校長に投げつけ騒ぎになった。


「まぁ、あの子達かしら。通常校に進学したいって言う子」

「大人しく聾学校行けばいいのによ。あんなに騒いでみっともない」


 外には別の父兄がいて、口の形でそんなことを言われていると分かった龍生たつおは、ますますどん底の気分になった。


(先輩が言ってた、『聾学校と外の世界は異世界だ』って言葉は本当なんだ。ここでは本当に、聾者に理解も知識もないんだ…)


 それでも2人は夢を諦められない。あちこちの中学を回る喋子ようこのパンプスが擦り切れ、月雫るなのハイヒールの踵が折れる頃、ようやく納得できる支援をしてくれそうな学校が見つかった。波舟中学と言う。

 校長の清水フネコはとにかく子どもが大好きという人で、龍生たつお竜二りゅうじのようなケースを初めて受け持つことを、光栄だと言ってくれた。


「やめてください!うちの子を彼らのお守りにするつもりですか!」

「コミュニケーションが取れない子が、うちの子のクラスにいたら困る!」


 またしても保護者からクレームが上がったが、校長はここでもきっぱりした態度で挑んでくれた。


「勿論、障害のあるお友達の手助けで学業まで疎かにしてしまうようなことは、双方にとって良くない。ですが今は、手話通訳派遣などの制度があるじゃないですか。必要な部分は大人が支援して、子どもに過剰な負担がいかないようにしますよ」

「彼らは聾学校で、手話の他に身振りや笑顔、筆談でコミュニケーションを取る術を学んでいます。それと、私も微力ながら、少しずつ手話を習おうと思います。それでいいですね?」


 喋子ようこ龍生たつおは先生方が引くほど号泣し、月雫るなは息子の頭をグイグイと下げさせながら、校長に何度もお礼を言った。


中学校


 新学期。入学したのは竜二りゅうじ龍生たつおのほか、同じ聾学校から来た上戸と下田もいたが、彼らは伝音性難聴で、聴こえるdBの程度も2人よりずっと軽く、補聴器さえあれば大抵の音は聞き取れる。ただ、やはり周りがざわついている時に複数人と会話するのは厳しいので、そこは配慮してもらうと言っていた。


【えっと、熱海あたみ龍生たつおです。あたみたつおって読みます。〈よろしく〉】


 自前のミニボードにペンで自己紹介文を書き、最後は手話をつけてみんなに挨拶する。


「テレビで見たまんまだぁ。本当に筆談で自己紹介するんだ」

「障害者ってみんな大人しくて笑顔だよねー」

「24時間テレビのやつ?そうだね」


 数人の生徒が、悪気のない会話をする前で、ずんと竜二りゅうじが立ち上がる。


〈筆談でえっと〜とか書くんじゃねぇキメェ!【おい聴者のヤツら、俺はお前らよりも将来高額納税者になる男だ!】〈覚えとけ!〉

〈ち、ちょっと竜ちゃん、よろしくぐらい言いなよ!〉


 24時間テレビでは絶対に取り上げられないような、自己顕示欲も出世欲も竜のように貪欲な竜二りゅうじの登場に、クラス全員の空気が氷河期並に凍った。

 みんなの自己紹介の後、他の同級生達は、未知の障害者像を突きつける竜二りゅうじを敬遠し、大人しそうな龍生たつおに話しかけてきた。


「私達の言ってること分かる〜?」

【静かい所で、ゆっくり話してくれると分かる。一音一音、区切らずに、単語でひとかたまりに分けて話して】

「ねぇねぇ、それ補聴器?着けてたら普通と同じくらい聴こえるの?」

【さすがにそれは…そうなれば苦労がしないよ】

「苦労『は』だよ?さっきからなんでちょっと日本語おかしいの?」


 緊張した笑顔を更にピシリと固まらせる龍生たつおに、担任の兄山が優しく間に入ってくれた。


「先生もまだ勉強中なんだが、どうやら手話と私達の話す言葉は少し違うらしい。それに、彼らは元々音が歪んで聴こえると言っていたし、ガヤガヤしたところではますます聴こえづらいと聞いた。とにかく、彼らの筆談で少しおかしいところがあっても、馬鹿にしないように。また、彼らの近くで椅子や机で大きな音を立てるのも禁止だ。補聴器は雑音まで拡大してしまうので、喧しくても聞こえないだろうなどとは思わないように」


 そこから、危ういながらも龍生たつお竜二りゅうじの普通校の生活は始まった。

 担任は「口の形がよく見えるように」「できるだけ声が聞こえるように」と、2人を一番前の席にしてくれたが、これに筆談で苦言を申し立てたのは竜二りゅうじだ。


【先生、前過ぎ口の形見上げるが首が痛い。それに、周り状況が見えねー】

「あぁ、なるほど!それは気付かなかった。2人ともクラスで何かする時、ワンテンポ遅れるなと思ってたんだが、周りを見て何をするか察しないといけないんだね」

〈り、竜ちゃんありがとう…じつは僕も困ってたんだ〉

〈馬鹿野郎、ここで我慢してどうすんだよ。てめぇこそ自分で自分のケツくらい拭けるようになりやがれ、必要なことすら遠慮して言わねえ意気地なしは見ててイライラすんだよ!〉

〈ひ、ひぇぇ…だって折角気を遣ってくれてるのに文句言うみたいで…〉

〈だからお前はヘタレなんだよ。聴者の奴らは、24時間テレビでちょっと聾者を取り上げただけで自分達のやることは済んだと思ってやがる。そういう奴らに、いかに勉強不足かを教えてやってんだよ〉


 『こんなに支援してくれるお母さん達と先生達に応えなきゃ』という龍生たつおと、『聴の奴らに負けてたまるか』という竜二りゅうじは各々勉強を頑張り、特に聾学校時代から文武両道だった竜二りゅうじは、通常学校の中でもトップの成績を収めるようになっていった。


「す、凄い竜二りゅうじ君…ホイッスルの音が聞こえないから、並走者が走り出すのを目で確認してからスタートするのに、50m走6秒台…」


 だが、そんな彼らを気に入らない生徒も出てきた。


「障害者の癖に生意気な」

「機械を耳に入れてサイボーグみてぇだな。補聴器貸せや」


 そう言われて、本当に補聴器を奪い取られた時は、心底肝が冷えた。


「かぇぇして!ほょぅきぃたあぃの!」

「ハハッ、何言ってんのか分かんねぇよ!」

「面白そうだから、か・し・て?」

「いい加減にしないか!」


 親切な生徒が走って担任を呼んできてくれ、担任に襟首を掴まれたいじめっ子達はこってりと油を絞られた。


〈バーカ、お前先公に頼らねぇと補聴器も守れねぇのかよ。ダッセェ!〉


 そう言う竜二りゅうじは、ボコボコにされて魂が抜けている別の男子生徒達を片手にぶら下げている。その後ろで、上戸と下田が冷汗を掻いていた。


《「リュウの補聴器を取ろうとした⁉︎なんて命知らずな!」》

《「やっぱり通常学校は恐ろしい事をする奴がいっぱいだぜ…」》


 驚く所が違う気がするが、とにかく一年生の間は、彼らは何とか学生生活を送れていた。


 彼らが二年生への進学を控えた頃、喋子ようこ龍生たつおは例によって四者懇談-いや、手話通訳者に加え、校長も同席しているので五者面談を行なっていた。


「すみません、熱海あたみさん。こちらとしても早く2人の授業に手話通訳を派遣してくれと、何度も市に問い合わせているんです」

「でも、相変わらず『他の生徒の助けがあるなら必須とは言えない』『住居から市を跨いでいるから認可できない』の一点張りで…」

(他の友達が助けてくれるだろうから、大人は助けてくれないって?)


 龍生たつおは泣きたくなった。手話通訳者の派遣で学校と教育委員会、他の保護者や市と揉めている間、竜二りゅうじは下田と上戸に、龍生たつおは容姿を理由にいじめられていたのを庇ったのがきっかけで仲良くなった女子グループに、主にノートテイクをしてもらっていた。


 先生は1人の生徒ばかりに負担がかからないよう、日替わりに2人の隣の席のノートテイカーを交代したりと腐心してくれた。しかし、彼らは2人分のノートを書くことで、どうしても自分の分のノートまで書きそびれることがあって、その度に申し訳なくて堪らなかった。


(好きで耳が聞こえない訳じゃないのに、なんで授業のたび、胃が搾り取られるような申し訳なさと、迷惑がられていつか友達を辞められたらどうしようという悲しさと付き合わなきゃならないんだろう?それに彼らにも学業があるのに、なんで僕らのせいでタダ働きさせられなきゃならないんだ?)


「まして学年が上がるたびに、ますます授業は難しくなるのに、市の人達は何を考えているのやら!」

「本当にすみません…」

「お母さんが謝ることじゃありませんよ。にしても、成績の話ですが、竜二りゅうじ君も龍生たつお君も、暗記問題は優秀なのに、文章題でミスするんです。それに国語の成績だけがガクンと低いんですよね…何でかなぁ…」


 うっと詰まった。聾者は、聴者の話し言葉を日常生活で聞き取ることができないので、日本語の文章のみならず、漢字の読み方も間違えて

覚えていることがあるのだ。

 この前も、社会の地理で「この地方はどこ?」と聞かれ、元気よく『ヨコクです!』と答えてしまった。


熱海あたみ君、それは『四国』だよ」


 そう笑われて赤っ恥をかいてしまった。日本語を学ぶためにここに来たのだから必要な試練かもしれないが、それも専門の手話通訳者や要約筆記者がいてくれたら、言う前に気がつけたかもしれないのに。


「あ、その件は以前も言いましたが、手話は日本語と文法が違ってて」

「やっぱりそれが原因ですよね。我々も勉強はしているのですが、やはり専門の通訳者がいないと厳しい場面もあるのに…」

「こんなに手話通訳が欲しいのに、通訳者を呼ぶ費用や体勢は各地域や学校の努力任せだってこと自体が怠慢よ。でも熱海あたみ君、安心して。私が絶対に通訳者を呼んであげますからね」


 今回の懇談結果を持って、もう一度市に掛け合ってみると校長達が約束してくれたその夜、事件が起こった。


龍生たつお…校長先生が…》


 家の受話器を取った喋子ようこが、話し出す前から涙目で真っ青になりながら、龍生たつおに通訳した。


 校長が以前から目を掛けていた、虐待の疑いのある生徒が、「親にパチンコ代として全額献上する筈の新聞配達のバイト代をちょろまかして、生理用品とブラを買った」という理由で、下着姿で外に放り出されたと言うのだ。


〈生理用品とブ、ブラジャーって、必要最低限のエチケットのものすら買ってもらってなかったの⁉︎〉

《そうなのよ!校長先生が見かねて、自腹でこっそり工面してあげてたらしいんだけど、遂に申し訳なくなって自分で買ったらしいの!》


 女生徒は泣きながら夜の学校を訪ね、激怒した校長は即、警察と児童相談所に連絡した。それまで児相の担当者は「学校のサポートで何とかなっているなら、緊急性は無いのでは」と、怠慢な態度を取っていたらしい。

 しかし、ようやく動いた児相と警察が来る前に、学校に乗り込んできた両親が、「うちの教育に口出しするな」「勝手に通報しやがって」と逆切れし、校長を暴行したらしい。


〈校長先生は無事なの⁉︎〉

《頭から後ろに突き飛ばされて、今集中治療室にいるそうなの!》


 2人は車を飛ばして病院に行き、争うように全力疾走して病室前に向かった。そこには、見たことが無いほど青い顔の月雫るな竜二りゅうじもいた。


「校長先生は助かるんですか!」


 口の形で、月雫るな喋子ようこがそう叫んでいるのが分かった。だが肝心の医者の言葉が分からない。


【僕たちは耳が聞こえません。筆談してくれませんですか。校長先生が大丈夫なんですか】


 そうメモに書いて、近くの老看護師に渡そうとしたが、彼は面倒臭そうな顔をして紙にこう書いた。


【お母さんに訳してもらいなさい!】

「ふだぁけぇ…な‼︎おぇたちぃは、いぁしぃたいぃたよ‼︎」

〈竜ちゃん‼︎〉


 竜二りゅうじが口話でこんな大声を出すのは、聾学校以来だ。他の患者や医師達が異物を見る目で竜二りゅうじを振り返り、龍生たつおは必死になって竜二りゅうじを止めた。

 校長は命さえ取り留めたものの、眼底出血が酷く、失明してしまったと顔中涙に塗れた母に教えてもらったのは、家に帰ってからだった。


 それからしばらくして、全校朝会があった。勿論、手話通訳者が派遣されることはない。暗い顔をした先生が、ただ金魚のように口をパクパクさせるのを、内容が分からないまま龍生たつおは不安に、竜二りゅうじはイライラに支配されながら突っ立って見ているしかなかった。


【目が見えない先生を雇った前例がないから、校長先生が変わるって。それと担任の兄山先生、校長の事がショックで切迫流産になりそうだからしばらく休むって】

【きりはくりゅうざん⁉︎】

【せっぱくりゅうざんね】


 全校朝会の後、ようやく同級生に筆談してもらった。『切迫流産』という言葉に、赤ちゃんが死んでしまったのかと絶望した龍生たつおだが、後で辞書で意味を調べて、全身の力が抜けるほど安心した。


 だが…この校長が最悪だった。


「たった2人の生徒のために、手話通訳を派遣することはない。父兄からも、特別扱いで別の生徒から不満が出ると苦情も来ている。同級生のサポートで十分だ」


 その一言で、前の校長が何度も掛け合ってくれていた手話通訳者派遣の話をゼロに戻してしまったのだ。

 当然月雫るな喋子ようこは猛抗議したが、「ヒステリー女が2人喚いてる」と言わんばかりの態度の校長は馬耳東風だった。


 龍生たつおの願いが通じたのか、無事出産し育休に入った兄山担任の代わりに来た先生も最悪だった。クラスに入り、龍生たつおの顔を見るなり、鬼の形相で補聴器を奪われた時は、この世の終わりかと思うほどびっくりした。


「○ぁっ…ぅに…fぉんを…kぇ&ぇ…ぁぃぉt|ぉ…あ‼︎」

「へ?へ?」


 パニックのまま、何度も聞き返す龍生たつおに、新担任・たいらは更にヒートアップして罵声を浴びせる。その時、呆れた顔の竜二りゅうじが、『世話の焼けるヤツだ』という表情を全面に出しながら、担任に正対して自分の耳を指差した。

 「お前もか!」と言わんばかりのたいら担任に、【イヤホンと補聴器が区別はつかんのか】と書いた紙を突き出す竜二りゅうじ


 虚を突かれたたいらから補聴器を奪い返して耳につけ直すと、どうも「学校にイヤホンを付けてくるとは何事だ!」と叫ばれていたらしかった。


〈ありがとう、助けてくれて…〉

〈別に、俺まで誤解されたら面倒だと思ったんだわ〉

「おい、何ヒラヒラと内緒話みたいに喋ってんだ‼︎」


 突然耳元で大声を出され、2人の補聴器がキイィンとハウリングした。


〈何すんだ‼︎〉


  2人は片手で耳を押さえながら、竜二りゅうじは身振り手振りで『謝れ』と、元々上がり目の一重を更に跳開橋のように釣り上げて担任に凄んだ。ところが、たいら担任は謝るどころか、憤然とした態度で、黒板にこんなことを書き殴ったのだ。


【イヤホンに誤解されるような補聴器を着けてくる方が悪い!外せ!紛らわしいんだよ、最初から顔に障害者ですと書いとけ!】


 あまりの暴言に、龍生たつおは膝から力が抜けて崩れ落ちた。竜二りゅうじは最初こそ唖然としていたが、猛然とたいら担任に掴みかかっていった。だが、大岩のような体格の教師に発育途上の中学生では流石に勝てず、逆に弾き飛ばされてしまう。


〈竜ちゃん!〉


  竜二りゅうじに駆け寄る後ろで、今まで自分たちの味方になってくれていた生徒達が真っ青な顔でこっちを見ていた。反対に、自分達を気に入らない態度だった生徒は、面白そうな笑みを張り付けてヒソヒソと話をしていた。


 それからの学校生活は地獄そのものだった。

 『口の形を見るので、席を前から二番目くらいにしてください』とお願いしても、『どっちでもいいだろ』と聞く耳持たずだ。おまけに当て付けのように、仲の悪い同級生を隣の席につけてくるので、ノートテイカーがいない。あまりの事態に、味方になってくれていた生徒達が、こっそりノートを見せてくれようとした。だが。


『ブサイクと耳無し野郎❤️お似合いカップル❤️』

『バケモノ同士そのまま結婚しちゃえ!死ねブス』


 そんな酷い落書きが彼女らの机に書かれているのを見て、龍生たつおは彼女達の靴箱にそっと手紙を入れた。


【もう僕に話しかけないでください。君のノートテイク、悪くなかった。今までありがとう』


 そうやって、いじめの道連れを作るのを止めるしかなかった。


 それだけではない。前の先生は、いつも生徒側を見て大きく口を開けて喋ってくれるので、龍生たつお達は勿論、他の生徒からも分かりやすいと好評だった。ところがたいら担任は、生徒に背を向けて喋る。これでは口の形が読めない。得意だった数学や歴史も、ここで引く、ここで足すが分からない。天保の改革の直後に飢饉が起こって、どんな影響があったか聞こえない。2人の成績は急降下してしまった。


【先生、何言ってるなんだか分かりません。迷惑くないと、こっち見ての口話で願いします】


 精一杯の気持ちを、出来る限り丁寧な文で、一年分くらいの勇気を出して紙に書いてたいら担任に渡した。ところが、あろうことかたいら担任は、その紙を笑いながらクラスの生徒の前に晒したのだった。


「お前は中二にもなってこんな文章しか書けんのか?幼稚園児か!」


 いじめっ子達がどっと爆笑するが、龍生たつおはなぜ笑われたか分からない。ただ、自分が置かれた状況が地獄であることは、はっきりと理解できた。


 その後も待遇は改善するどころか悪化した。龍生たつおは負けてたまるかとばかり、ノートテイカーがない分、本屋で難しい参考書を何冊も買って、先生が向こうを向いて喋っている間にこっそり内職して補修した。だが、たいら担任に内申書に『授業中内職ばかりして、集中力がない』と書かれた上、龍生たつおが書くノートをいじめっ子が奪って笑うのだ。


「あぇぇ…て!のぉーと…!」

「宇宙人みてーな声だな!」

「コイツらの日本語、ホントにおかしいぞ!」

「なになに?『京都と東京は真ん中で中京工業地帯はある』?お前ら中二にもなって『に』と『で』の区別もつかねぇのかよ!」


 テストでも、前担任の兄山は文章題で『この文章はこう書くように』とアドバイスして返してくれていたのが、たいら担任は『日本語がおかしい!』『お前はそれでも日本人か!』と罵倒混じりのコメントをつけて返してくる。


 そのテストをぐしゃぐしゃに破いた竜二りゅうじが、家の前で月雫るなに〈テストの紙間違えて捨てた〉と言い訳しているのを見た龍生たつおは家で泣いた。


 学校の給食室のガス管工事で、臨時で弁当持参になっても、口頭でしか伝えられず、竜二りゅうじ龍生たつおはこっそり学校を抜けて、ローソンでパンを買った。落ち込みすぎて、店員が「袋は要りますか?」と聞いているのに気づかず、無視したと誤解されて釣り銭を投げられた。竜二りゅうじがキレて、龍生たつおが必死に宥めながら補聴器を店員に見せた。店員は気まずそうにするだけだった。


 片耳20万もする補聴器を壊されてしまい、でも母にいじめのことは言えなくて、わざとポケットの中に入れたまま洗濯に出し、〈ごめんなさいお母さん、間違えて洗濯しちゃった〉と誤魔化した。


 それでも母は、何かに気付いていたようで、隣の部屋のリビングからは、母の涙の気配がした。時を同じくして、龍生たつお竜二りゅうじの聴力は、この頃からさらに悪くなっていった。

 2人の親がそれに気づいたのは、龍生たつおが冷泉宅にお邪魔している際だった。その時2人は、『ろう・難聴児の英語教育』の教材開発をしている、栗くるみ教諭が出ているNHK番組をかぶりつきで見ていた。


 ドンガラガラガラガッシャン‼︎


 家の前で、大型トラックが標識に突っ込んで、鼓膜が破れる程の爆音が響く。近所の人達が何事かと出てくるが、龍生たつお竜二りゅうじも、振り向きもしなかった。


龍生たつおくん、竜二りゅうじ!事故!ねぇったら‼︎」


 『ピィーピィーピィー』とけたたましく警報音か鳴り響くなか、たまたま仕事が休みで、買い物から帰ってきていた月雫るなが2人に避難を呼びかける。


〈え?…あっ⁉︎〉


 2人とも、窓の外に横転したタンクローリーを見つけ、今しがた気づいたという顔で仰天していた。


 タンクローリーの中身は空で、引火等もなく、近隣住民に健康被害などは及さなかった。が、2人の親は聴力検査のできる病院に彼らを連れて行った。そこで判明したのは、2人とも感音性の音の歪みがさらに進み、伝音の方も、両耳とも110dB近くになっているとの残酷な通知だった。


「急に悪くなりましたねぇ…2人とも、ストレスがかかってませんか?思春期ですし、一番の悪化源になりかねませんよ」


 大好きなお母さんの声すら、ますます聞き取りづらくなった不安に加え、無理解な聴者達の無慈悲な仕打ちは続く。龍生たつおは毎晩、母への罪悪感といじめの辛さで、憧れの陸路むろじ白虎びゃっこ教授の自伝著を抱きしめてベッドの中で啜り泣いた。


〈悲観してるヒマがあったら、視野広げて周りをよく見ろ。家に片手に持って投げやすいモノ配置して、離れた場所から呼ぶのに使ってもらえ〉


 そう言った竜二りゅうじが、部活でいじめっ子に差別用語を言われながら後頭部を小突かれ、複数人相手に大喧嘩して、けれど筆談で事情を説明した竜二りゅうじの日本語の文章がおかしいという理由で、竜二りゅうじが悪者扱いされた時は、もう龍生たつおは涙も枯れ果てていた。


〈竜ちゃん…もう聾学校に戻ろうよ。ここに僕らの居場所は無い〉


 三年生の半ばに差し掛かった放課後。国語の授業で音読を散々笑われて、心身共にズタボロの龍生たつお竜二りゅうじにそう提案すると、竜二りゅうじ龍生たつおを殴り飛ばした。


〈この弱虫ウジ虫野郎が!聴者のバカみてぇなイジメに負けてたまるか!ここで転校したら俺達の負けなんだよ!後半年の辛抱だろ!〉

〈あと半年も我慢してたら死んじゃうだろ!運良く生きてたとしても、高校に入ってもこんなだったらどっちにしても死ぬよ!君もこの前、両耳50万もするテレビ用の補聴器と、外出用の補聴器両方壊されたじゃないか!〉


 無残に砕けた自分の緑の補聴器を握った左手で、電池部分が飛び出た竜二りゅうじのオレンジの補聴器を指差して叫ぶ龍生たつお


〈負けとかそんな次元の問題じゃない、もう生きるか殺されるかだよ!僕は、僕らをいじめてくるような人とこれ以上一緒にいたくないんだ!〉


 竜二りゅうじ龍生たつおの胸倉を掴み、一言〈…そうかよ〉と片手で呟いた。


〈だったら勝手に戻るか、名前通り海に飛び込んで泡になるかでもしろ〉


 広い運動場を一人で去っていく竜二りゅうじの後ろ姿を、龍生たつおはただ愕然と見ることしか出来なかった。


 魂が抜けたように、いじめっ子と鉢合わせして補聴器を取られないよう、回り道した公園で、龍生たつおは1人の男性がベンチに座っているのを見つけた。


(…あれ)


 男性は、『あのー、すみません…』と通行人に語りかけているようだったが、誰もそれに応える様子はない。彼の手には、白い杖が握られている。


(白杖だ!道に迷ったのかな?助けなきゃ)


 さっきまで本気で死のうと思っていたことも忘れ、龍生たつおは一歩踏み出した。


(あ…でもちゃんとコミュニケーションできるかな…この前みたいに、迷惑がられたらどうしよう?)


 遠出には自信があるものの、ある時道に迷って通行人に筆談をお願いした時、苦い顔で「字が汚いから…」と口の形で言われ、逃げるように去られてしまったことを思い出す。


「あお…」


 男性の正面に回り込んだ龍生たつおの声と息が止まる。


「おや、誰か来てくれたのかい?いやぁ助かったよ、かれこれ小一時間もここで待ってたんだ」


 男性が言うが、勿論龍生たつおには聞こえない。しかし男がこちらに顔を向けた途端、龍生たつおは今日一生分の運を使い切ったかと思った。


「あぉ…い…」

「ん?」

「ぅ…どじじゅ…?」


 後半は滂沱の涙が混じった。


「ええと…すまない、何と言ったかね?もう一度はっきりと言ってくれると助かるg」


 言い終わる前に、龍生たつおは感激のあまり、目の前の男-全盲というハンデを持ちながら、日本最高峰の大学教授になった陸路むろじ教授に抱きついていた。


「うわっ!えっ⁉︎なになに⁉︎新手のドッキリ⁉︎」

「あっ!」


 慌てて龍生たつお陸路むろじ教授をパッと離して必死で弁解をする。


〈す、すみませんすみません感極まりすぎて…!感覚に障害がある人にいきなり抱きつくなんて、心臓止まるほどびっくりするって僕が一番知ってるはずなのに、なんてことを!〉

「え?ちょっとごめん、凄く慌ててるのは分かるけどどうしたの君?ひょっとして君も迷子?」


 わたわたと慌てるお互いの言語は伝わらない。龍生たつおはようやく、陸路むろじ教授に自分の手話が見えないと気づいて、心臓が爆発しそうになりながら、そっと彼の白い手を取った。


(まままさか本当に彼とコレで話をする日がくるなんて…落ち着け、落ち着いて思い出すんだ僕!このために頑張って点字キーの場所マスターしたんじゃないか!)


 龍生たつお陸路むろじ教授の掌を上に向け、その指をタイプライターの六つのキーに見立てて、一文字ずつゆっくりと伝えてみた。


-わ か り ま す か-


 義眼のはまった目が見開かれる。


(これは…指点字!)

「あぁ、分かるぞ!完璧だ!」


-ぼ く は み み が き こ え ま せ ん-

(耳が…そうか、さっきの声の発音に聴き覚えがあったが…聾唖者なのか)


 陸路むろじ龍生たつおの手を握り返し、彼の手を使って手話を話した。


〈凄いな〉〈分かるよ〉〈君は〉〈誰だい?〉


 〈誰?〉の手話で、彼の頬を手でなぞった時、その感触がしとどに濡れていることに、陸路むろじは気付いた。


〈触手話…⁉︎〉

〈私がまだ見えていた頃、師匠が教えてくれたんだ。君は手話だけじゃなく、点字キーまでマスターしているのか?凄い、バイリンガルじゃないか。いや、それに加えて日本語も使ってるんだから、トライリンガルかな〉


「ひぐっ」というしゃくり声と共に、二人の手に熱い液体が落ちた。


〈僕は…バイリンガルなんかじゃない。ロクに日本語の文章も書けない木偶の坊なんだ〉


 それから龍生たつおは、陸路むろじ教授をバス駅まで案内し、一緒に目的地に向かう道中、ずっと触手話で会話した。周りの乗客が指さしたり、ヒソヒソ話をしていたが、こんなにも周囲の視線が気にならなかったことはなかった。


〈やっぱり君は生まれた時から聞こえないんだね〉

〈はい〉

〈でも弁護士になりたいと〉

〈はい〉

〈で、今通ってる通常学校は楽しいし、先生も良くしてくれるけど、日本語能力の差を痛感して辛いんだね?〉

〈はい…〉

〈じゃあ、今から少しテストをする。〈静かな部屋〉〈長い傘〉これを指点字で日本語に訳してみなさい〉


 龍生たつおは戸惑いながらも、一文字ずつ陸路むろじの指に打ち込んだ。


[静かい部屋 長いな傘]


〈なるほど…では、〈きれいじゃない花 小さくない部屋〉〉

[きれいくない花 小さいじゃない部屋]


〈私が君に花をあげることを、「あげる」「もらう」を使って二文作りなさい〉


 龍生たつおはかなり悩みながら、指点字で打ち込んだ。


[僕が教授から花をあげる 教授が僕に花をもらう]

〈ふむふむ。さらにそれを尊敬語と謙譲語に直してみてごらん?〉

〈け、けんじょうご?〉

「次はぁ、〇〇駅〜」

〈おっといけない!今どこかね?〉


 龍生たつおも慌てた。駅を見るが、電光掲示板がない。【ここ何駅ですか】と書いたメモを運転手さんに渡して確認し、ようやくここが目的地だと分かり、すんでのところで二人はバスから降りた。


〈君の弱点は大体分かったよ。実は私、近々君のような聾唖者や知的障害者のための日本語教室を作ろうと思ってるんだ〉

〈日本語教室?〉


 邪魔にならない所に降りたのに、中年男が、白杖をついた陸路むろじ教授を迷惑そうに睨んで、わざとこっちに突進してこようとするのを避けさせながら、龍生たつおが聞いた。


〈そうさ。ちゃんと言葉は理解しているのに、情報に触れる機会が少なかったり、手話言語と日本語の違いから日本語文章が苦手だったりして、周りから誤解を受けやすい人達のために、日本語を楽しく分かりやすく教えてあげる場所が必要だと感じてね。良かったら君、生徒の第一号にならないかい?初めての被検者ということで、今なら授業料半額!〉

〈日本語を分かりやすく…?ぜ、ぜひ通いたいです!それと、幼馴染みにも紹介していいですか!〉

〈勿論だよ。…しかし、聾唖者が弁護士になるというのは、本当に並大抵の努力ではない。人の倍…いや、百倍努力しなければならないだろう。健聴者ですら非常に狭き門なのだから…やはり弁護士以外に人を助ける職も考えておいた方がいいと思うよ〉


 希望が見えかけた矢先、憧れの人にそんなことを言われ、また龍生たつおの心は急降下していった。


「あ、来た!陸路むろじ教授ー!」

〈すまない、迎えが来た。わざわざ点字ブロックの上に誘導してくれるなんて、本当に賢くて良い子だね。ここからは一人で行けるよ〉


 龍生たつおの手から力がすっと抜けていくのを感じる。その手に罪悪感を感じながらも、こうするしかないのだ、と陸路むろじ教授は思った。


(世間が盲者や聾唖者など、人との関わりにハンデがある者たちにどんなに冷たい仕打ちをするかは、私が一番知っている…コミュニケーション能力が必須である弁護士業なら尚更危ない。下手すれば逆に騙されて、人生をぶち壊されたりしかねん。…熱海あたみ龍生たつおの為でもあるのだ…仕方ない…)

龍生たつおおかえり…「どうしたのその顔‼︎」


 泣き腫らして真っ赤になった龍生たつおの顔を見て、喋子ようこが仰天する。


〈近所の家が玉ねぎを干してて、その臭いがきつかったんだ。参ったよ〉


 胸の前で玉ねぎの形に手を合わせ、超下手な嘘を吐いた龍生たつおはふらふらと部屋に入っていった。


陸路むろじ教授…〉


 何回も読み直してボロボロの自伝著を指で触る。


 幼い頃、突然瞳が鳶色に変色し始め、「目の色が変わるなんて有り得ない、気のせいだろう」と笑われる中母親が何件も病院を回り、ようやく牛眼という難病であることが分かったこと。片目が義眼になってから、近所のいじめっ子に、「おかしな目で見るな」「義眼を皆の前で外せ」などと言われる仕打ちを受けたこと。

 

 片目が義眼になると、近所のいじめっ子に、『義眼を皆の前で外せ』などと言われる仕打ちを受けたこと。段々残った片目も悪くなっていくなか、弟から『小さい頃から兄ちゃんの案内役をさせられて遊ぶ暇がなかった。それに兄ちゃんの弟だからといじめられる』と怒りをぶつけられた時、死にたいと思ったこと。弱視時代、『白杖は全盲者しか使わないもの』と誤解した人に、『障害年金を受け取るために詐病をしている』と言われたこと。それでも夢を諦めず、日本最高峰大学教授になるまでの道のり…。


(あなたは盲者でも、特別恵まれていたから大学教授になれたの?何の取り柄もない木偶の坊の僕は、夢すら見られないの?…でも、竜ちゃんは特別だ…竜ちゃんなら、夢を叶えられる…)


 辛さのあまり、朦朧とする意識の中、せめて有能な幼馴染みに夢を託そうと、龍生たつおはスマホを取り出した。ところが、LINE既読がつかない。


(ブロック…されちゃったかな…)


 それもそうかと思う。


〈聾者が健聴者と同じ権利を持つなんてゼータクだっつー、クソレイシストをぶっ飛ばす大人になんだよ〉


 いつもそうだ。


〈これでは困る〉

〈いつも健聴者の意見ばかり通さないでくれ〉


 そんな当たり前の権利を主張するだけで、聾者は散々聴者から叩かれ、嘲笑されてきた。


「聞こえない奴らが我慢するのは当たり前だ!」

「なんで俺たち多数派がお前ら少数派に合わせなきゃならないんだ」


 いつも聾者は聴者に合わせられ我慢させられていて、少しはこちらの身になってくれと言うだけで、この仕打ち。竜二りゅうじはそんな奴等に絶対負けないということを、小さい頃から身をもって証明してきた人間なのだ。

 それなのに、自分はいじめに屈して、もう逃げたいと言った。それも、他ならない、ずっと彼と一緒に、聞こえない世界にいた自分が。


(…嫌われて当たり前かぁ)


  結局、〈玉ねぎの匂いを嗅ぎすぎて気分が悪い〉というまたしても猛烈に下手な嘘で、龍生たつおは夕食も食べず、その日はまんじりともせずに一夜を明かしたのだった。


将来の夢



龍生たつおへ。同じパートの人達のお子さんが、三人も風疹にかかっちゃったの。看病で休むママさん達の代わりに、どうしてもって出勤のお願いされて、断りきれなくて。授業参観、行けなくてごめんね』


 翌朝、そんな置き手紙が、ラップのかかった目玉焼きの横に置いてあるのを見て、龍生たつおは残念よりホッとした気持ちの方が大きかった。


〈風疹か…早く治るといいね〉


 耳が聞こえないことをいいことに、目の前で差別用語を吐かれ、集団で好き放題言われている自分を見られずに済む。例え聴こえる保護者がいるところではしないとしても、一年中、自分がサンドバッグになっている教室に母が来ること自体が悲しかった。


 電車を乗り継いで、波舟校の門を出来るだけそっと潜る。普通に気を抜いて歩いていたら、後ろから偶然を装って体当たりされて、吹っ飛んだ補聴器を壊されたことがある。


「おはよう熱海あたみくん!さぁ、おはようって言ってごらん?」

「おはようはこの前言ったから、こんにちはの方がいいんじゃないか?さあ、こ・ん・に・ち・は!」

「くぉ、くぉぉん、いぃちぃわぁ?」


 小さな声で言ったつもりが、教室中に聞こえてしまったらしく、こちらを見てげらげらと笑う生徒が視界に映る。あの担任になってから、「発声練習」と称した晒し刑が習慣付いてしまった。


(少数者に対するいじめって、どこでも同じなのかな…)


 龍生たつおは思った。知的障害の子に苦手な演算を無理矢理解かせたり、視覚障害の子に杖なしでここまで来てみろと言ったり。わざとその人のできないことをさせて笑うのだ。


 竜二りゅうじはそれに対して〈だったらてめえもヘッタクソな手話やってみろや‼︎笑ったるわ‼︎〉と啖呵を切ったが、「何言ってんのか分かんねぇ」と言われて手話を笑われた挙句、先生には「日本語が不自由な奴が冗談も理解できずに暴れてる」と、例の如く竜二りゅうじだけ悪者扱いされてしまった。


 その竜二りゅうじをちらと横目で見て、龍生たつおは一瞬心臓が止まりかけた。


(目尻が、赤い…まさか、泣いてた?)


 その時、騒いでいた生徒が談笑しながら自分の席に戻って行った。後ろを振り返ると、いつの間にか担任が来ていて、何かを指示していたと分かった。とりあえず、自分も席につく。


 黒板に、国語で習っている単元の題名が書かれたあと、ガタガタと皆がテーブルを動かす。戸惑っていると、青白い顔の上戸が、口パクで竜二りゅうじに何かを言っているのが見えた。


(ぐ・る・ー・ぷ・み・ー・てぃ・ん・ぐ)

(グループミーティングか…お母さんが来なくて本当に良かった)


 班ごとに机を合わせるが、龍生たつおは両隣と前の席の人に「喋れない菌がうつる」と机をくっつけてもらえない。

 それに、複数人が一斉にガヤガヤと喋るミーティングで、雑音が全部補聴器で拡大されるなか、早口の口の動きを見て何を話しているのか察するなんて、不可能だ。軽度伝音性難聴の上戸と下田でさえ難しい。彼らは強張った笑みを張り付けてフンフンと頷いていたが、笑うテンポが一拍遅れているところを見ると、やはり聞こえないけど必死で合わせているのだ。


 一年の時の担任は、他の生徒に紙に話の概要をメモ書きさせてくれたが、それですら不十分だったし、新担任になってからは完全にほっとかれるようになった。竜二りゅうじ竜一りゅういち手にしろとばかりにふんぞり帰り、龍生たつおは貝のように押し黙って下を向くしかなかった。


(自分だけ、言葉の通じないガラス張りのカプセルに閉じ込められたみたいだ)


 目の前で楽しそうに話すクラスメイトを見ながら、龍生たつおは早くこの孤独で惨めな時間が終わることを願うしかなかった。


「…、…⁉︎」


 ふいに、補聴器に入る雑音がなくなり、目の前の生徒がぎょっとした顔で教室の後ろを見た。


(なんだ?)


 龍生たつおも一緒の方向を見ると、そこには息子とは似ても似つかないほど穏やかな性格の竜一りゅういちが、大柄な中年女性-おそらく手話通訳者だ-を伴って教室に来ていた。

 龍生たつお以上にびっくりしているのは竜二りゅうじで、両足を机に乗せて全員無視を決め込んでいた竜二りゅうじは、そのまま椅子からずり落ちそうになっていた。


〈こんにちは。早く来すぎましたかね〉


 竜一りゅういちの手話を通訳者が丁寧な口話に直していたが、龍生たつおは、いつも優しい竜一りゅういちが、見たことがないほど冷たい怒りの表情で、担任を見据えていたことに背筋が凍った。


 担任は一瞬キョトン顔になった後、憤懣やるかたないという顔で、竜一りゅういちではなく手話通訳者に何かを怒鳴った。竜一りゅういちは彼女を自分の斜め後ろに庇いながら、〈文句なら私に向かって言ってください〉と言った。


 担任は舌打ちし、また何か口を動かした。通訳者が訳した内容はあまりに酷いものだった。


「参観の時間が遅れることになったと連絡したでしょう⁉︎」

〈電話の連絡網で?すみません、昨日から妻が出張で、竜二りゅうじ君と僕しか家にいなかったものですから、聞こえませんでした。だからFAXで連絡してくださいと何度もお願いしているのですが〉

「あぁそうですか!それより教室に第三者を入れないでくださいよ!生徒の情報が外部に漏れるでしょうが!」

〈彼女はプロの手話通訳です。仕事上得たプライベートな情報を外部に漏らすなんてあり得ません〉

「そんなの知りません!保護者以外の立ち入りは禁止!それに手話通訳を珍しがった生徒の気も散るし、退出してください!」


 三人の大人に注目していた生徒達が突然、別の一点を注視した。龍生たつおもその目線を追うと、竜二りゅうじが自分の机を数メートル蹴っ飛ばしていた。


〈おいこのクソ先公!手話通訳がいなかったらジジイは何も分からんだろうが‼︎それとジジイもジジイだ、参観来なくていいっつっただろ‼︎〉


 竜二りゅうじがこの教室で手話を使うのを、龍生たつおは久々に見た。早速目を付けた生徒が、クスクスと笑いながらふざけた手真似をし、それを別の生徒が笑いながら制したのを見て、龍生たつおは腹の底から怒りが込み上げた。

 すると、竜一りゅういちは、手話通訳者に〈息子とのやり取りは、訳さないでください〉とお願いして、竜二りゅうじに目を合わせてこんなことを言った。


竜二りゅうじ君がそう言う原因が、ただの反抗期だったら良かったんだけどね。でも僕は、大切な息子とその友達がいじめられているのを、黙って見過ごせるほどお人好しじゃないんだ〉

〈なッ…!〉

「おい!何を喋ってるんだ!訳せ!」

〈い…じめられてねぇし!何言ってんだ!〉

〈あ、葉梨さん、ここからは訳してください。先生、なぜ息子と龍生たつおくんの席は、あんなに先生の口が見えにくい所なんですか。上戸君や下田君もですが、グループミーティングなのに、メモ書き程度の配慮もないんですか。今年に入って、今まで一度も補聴器を壊したことのない二人が、立て続けに二回も補聴器が故障したと持ってきたのは、なぜなんですか?その他にも色々聞きたいことがあるんですが、今生徒が息子の手話を真似て笑いましたよね?なぜ注意もしないんですか?〉

「耳が聞こえないからと特別扱いしたら、こういう子たちはどこででもそうしてもらえるのが当たり前だとつけ上がるでしょう?それに手話を笑いや冗談のネタにしてもらえることも、有り難いことでしょう」

〈は⁉︎〉


 あまりの暴言に、今度は龍生たつおが思わず独り言を発してしまった。同じ班の生徒がそれを見て吹き出したのを感じたが、そんなことよりも。


(笑ってもらえるだけ有難いって…僕らは聴者の中では、ピエロのように笑い者の役にさせられてるだけでも感謝しろってこと⁉︎)

〈…先生は、眼鏡をかけていますよね〉


 面食らう先生から、竜一りゅういちは無言で眼鏡を奪った。


「な!何するんだ!」

〈何するんだは僕の台詞です〉


 言葉は丁寧だが、竜一りゅういちの手は怒りで震えていた。


〈あなたは周りが皆視力がいい生徒の中で、眼鏡を外されて、特別扱いはできない、根性で見ろと言われて納得できるんですか。目を窄める動作を真似られ笑われて、それでも教室にいられるだけ有難いと思えるんですか‼︎〉


 ダン、と竜一りゅういちが床を踏み鳴らす。龍生たつおは勿論、竜二りゅうじも他の生徒達も、息すらできなかった。

 だが、四人だけ分かるその手話が、音声に直されることはなかった。訳す途中の通訳者の胸ぐらを、担任が掴んだからだ。

 「あっ」と手話通訳者の口が動き、恐れが表情筋に現れる前に、龍生たつおが椅子を蹴り倒して飛び出し、竜二りゅうじ竜一りゅういちが咄嗟に担任の腕を掴んで止めた。


〈逃げてください‼︎〉


 竜一りゅういちが片手で通訳者に叫んだ。彼女は何度も、〈でも、でも〉と言い振り返りながらも、筋骨隆々な担任の凄みには耐えられずに退室してしまった。


 ふん、と荒い鼻息を吐き出した担任は、転げ出てきた龍生たつおを一瞥し、大股で黒板に向かうと、こんなことを書いた。


【あなた方は、そうやってギャーギャーと感情的に権利ばかり主張するから、健常者達に疎まれ敬遠されるのだと分からないんですか?大体竜二りゅうじ君も龍生たつお君も、日本人なのに日本語の文章が下手すぎるんですよ。それを直さないまま、普通学校に来たら、笑い者になるくらい分からないんですか⁉︎】

〈僕らはただ人間扱いしてほしいだけだ!神様みたいに祭り上げろなんて要求してない、ただ聞こえないこと、日本語が苦手なことをを分かってほしいだけです‼︎〉


 龍生たつおが、ずっと封印してきた日本手話で担任に猛抗議し、その手と激しい表情の動きにクラス40人の目が一斉に集まる。いじめっ子達の目が三日月のように細まり、声は聞こえなくとも「何だアレ」「馬鹿みたい」と嘲られているのが分かった。


【なんて言ってるのか分からんなぁ、熱海あたみ!ここはお前のいた猿真似言葉の学校とは違うんだよ、誰も手話なんか分からんのだ!それと冷泉さん、おたくは一体どんな教育をすれば、中三にもなる息子さんの日本語能力があそこまで壊滅的なんですかね⁉︎ひょっとして、あなたもなんですか⁉︎】


 龍生たつおは一気に青ざめた。竜一りゅういちの子どもの頃の世代は、聾者の『暗黒時代』だ。聾者は聴者に近づけと強要され、聾学校でも手話を禁じて口話を強制した時代。聾の生徒は聴者並に話せるようになるわけもなく、先生の言うことも分からず、結果竜一りゅういち龍生たつお竜二りゅうじ以上に日本語が苦手なままである。


 馬鹿にしたように教師にチョークを渡され、竜一りゅういちの顔がそこで初めて、幼い子供のように不安に泣きそうになる。好奇を剥き出しにした40人の視線が、一斉にその手元に集まる。


 だが、その残酷な静寂をぶち破ったのは竜二りゅうじだった。龍生たつおのすぐ隣、まだ聴こえる耳の側に竜二りゅうじがいたので、その声は辛うじて僅かに龍生たつおにも認識できた。


「おぁぉぇに゛ぃなぁにぃ…あ゛ぁがぅぅ⁉」


 クラス全員の目が、ギョッとして竜二りゅうじに集まる。


「おむぁぇえいだいな゛ぁぢょぅざぁのぜぃでぇ、おぁじぃはぁろぉがぁこぉえ゛ぇあともぉいべぇんこぉぎぃながっ…うッ、げほ、ゴホッ…!」


 一瞬の間があって、いじめっ子達が大爆笑の大口を開けた。無理に発話して咽せ、目尻に浮かぶ涙を見た途端、龍生たつおは天啓のように、なぜ竜二りゅうじの目尻が赤かったのか合点がいった。


 既読にならないLINE。出張でいない聴の月雫るな。部屋で発声練習をしても、気付く家人はいない。手話では「分からない」とはねつけ、筆談では「日本語がおかしい」と突き返す教師。それならばと。


(もう、自分の声を聴きとる聴力なんか無いのに…喉を潰しながら、言い返せるように発話の練習してたのか…‼︎竜ちゃん…‼︎)

【何を訳のわからん事を喚いとるんだ!聾学校でも、ハツワとかいうものをやるんだろう⁉︎それでこれか⁉︎】

「い"い"がえ"ぇんい"じろ"ぉ‼︎」


 今度は龍生たつおに40人の視線が集まった。


「がっゃんばぁおぃやあんぃ"あぃだいの、ぉじぃあんぉみ"み"ぁいあお"ぉあぉぅみたぁぃでこぉがこぉにぃぁ、あぉ"いぃごんぁぉあんあぢぃあぁ‼︎」


 泣き叫びながらだし、声のイントネーションも強弱も分からないし、日本語の文法も怪しいところがあったので、聴者に聞き取ってもらえないことは分かっていた。それでも思いの丈を込めて叫んだ言葉は、いじめっ子達の更なる大爆笑と、担任の嘲笑で迎えられた。


熱海あたみ-」


 担任がこの上なく楽しそうな顔で、普段いくらそうしてくれと頼んでもしてくれない、ゆっくりとした口の形が分かる話し方をしようとした、その時だった。


〈そこまでだ〉


 聾の3人以外、椅子から転げ落ちる者も出るくらい、みんなびっくりした顔をしていたので、相当大きな音で引き戸が開け放たれたのだろうと予想はついた。だが、開け放たれた扉の向こうにいた、怒りに燃える3人組は、どう転んでも予想できない面々だった。


〈え…?ろ、聾児の英語教材開発者の栗くるみ…?〉

〈それに…は…陸路むろじ教授…⁉︎〉


 3人組のうち2人の素性を知る聾の3人が完全にポカンとしている前で、栗がうっすら微笑みながら担任に近づく。その笑顔に般若のような怒りが込められているのが3人にはすぐ分かったが、彼女の抜群のスタイルに釘付けの担任は、鼻の下を伸ばすばかりで気づかない。


「こ、こんなしがない中学校にこんな美女が何の用ふぐっ‼︎」


 言い終わる前に、彼女のハイヒールが担任の顔面にめり込む。


《「くるみさん、暴力は最後の最後まで取っておくと言ったのはどこのどいつですか」》

〈ごめんごめんショウキ…あまりにドクズだから思わず体が動いたとよ…。それと、この日本語文、間違ってないと…?〉


 鼻血を出して喚く担任をガン無視し、小柄なくるみが抱えるサイズのスケッチブックを、ショウキと呼んだ男性に見せ、確認した。そして、栗は精一杯背伸びをし、そこに書かれた内容をクラスの生徒達に晒した。


【おい、ここのクラスの女子達!今までこのクソ野郎に何かされなかった?こいつ、前にいた特別支援学校で、女子中学生の胸を掴んだよ!】


 隣のショウキが切り抜きの新聞記事を拡大したコピーを生徒達に見せ、女子生徒が一斉に怯えた顔で椅子ごと担任から逃げた。


「な、何を根も葉もないことを!」

〈根も葉もないってのは、何の根拠も無いって意味よ〉


 いつの間にか、陸路むろじ達に付き添われて一緒に教室に戻ってきていた手話通訳者の葉梨さんが、丁寧に担任の言葉を手話に訳してくれた。


《「根拠がない?相当悪質なセクハラだったにも関わらず、父親が大物議員なのを笠に揉み消し、被害者に知的なハンデがあるのをいいことに虚言扱いしてセカンドレイプしたことがか?まあいい。今のこの三人に対する、許し難い侮辱の数々から、お前の自称冤罪の言い訳は一気に信憑性が薄くなったな」》


 無表情だが、瞳が血走るほど担任を睨みつけるショウキが、龍生たつお竜二りゅうじを庇うように前に立つ。


〈昨日熱海あたみ少年が、親切にも私を道案内してくれた際、教えてくれた担任の名前に聞き覚えがあってね。急遽総出で調べ上げてみて正解だったよ。ところで小吉ショウキ、悪いが直線上に生徒がいない角度で、担任の前まで誘導してくれないかな?〉

《「はあ…はい、どうぞ」》

「ありがとう。早打ッ‼︎」


 白杖をついた痩せ型の陸路むろじが、大岩のような担任をパンチ1つでその場にひっくり返し、くるみとショウキ以外の人達の顎が一斉に外れた。


〈私の目が悪くなっていく最中、どうしても諦めきれない母が、民間療法として1日玄米一食に加え、10キロのマラソンと50キロのダンベル上げをノルマで課してね。お陰様で今もバッチリ健康体だよ!〉

《「陸路むろじ教授、あんたもですか…後で事情聴取が大変ですよ…今から代理筆記派遣申請しときますね…」》


 言葉の内容はやれやれという感じだが、吹っ飛んだ担任を汚物のように見るショウキ。聴者というのは、表情と言葉が全く違うのだから不思議だ。


「な…なんてことをするんだ‼︎障害者だからって何しても許されると思ってんのか‼︎こういう風につけ上がらないように、俺が今から教育してやってるんだろうが‼︎」


 叫ぶ担任の言葉を、苦い顔の葉梨さんとショウキが訳してくれる。どんな酷い言葉でも、訳さないことは聾者にとって一番の非礼なのだ。


陸路むろじ教授が障害者だからじゃないんですぅ〜あんたがホントにゴミ以下のロリコンドクズだから許されるんですぅ〜〉


 手話と一緒に、馬鹿にした顔つきで舌を出しながら、くるみが挑発する。


〈あ、申し遅れたけど私はこういう者だよ。名刺を受け取ってもらえるかな。見えなくなってから名刺渡しのポーズを練習したんだけど、お辞儀の角度とか合ってる?〉

「この期に及んで何をほざ…え…T大教授…⁉︎」


  担任の顔が面白いほど青くなり、クラスメイト全員がざわついたのが分かった。


《「障害者だから何をしてもいいと思っているだと?確かに、残念ながらそのような考えで生きている当事者も少数いる。だが目の前の彼らは一体何をした?手話通訳派遣の依頼、口の形が見える席の配慮、他人に迷惑がかからない程度でもいいから集団討論でのメモ書き要請。どれも彼らが生活していく上で必要最低限の要求なのに、お前はそれに対してどう応えた?」》

〈手話通訳派遣の制度があまりに不安定なのは、彼らではなく健聴者中心の社会のせいだ。なのに、生まれつき困難を抱えた者への必要最低限の支援すら、本人のわがまま、特別扱い。そして本当に許し難いことに…彼らの日本語能力の低さを論ったね?〉

「い…いえ、そういう訳では!ただこの子達が、このままでは社会で困るだろうなと指摘していただけで…」


 さっきの高圧的な態度とは打って変わり、冷汗をかきながら床に正座して頭を下げる担任を、ショウキが腕を捻じ切る勢いで無理やり立たせた。そして、陸路むろじの指示で、くるみが先程龍生たつお達の手話を笑ったいじめっ子達も前に集める。


「さて…〈天保の改革はなぜ頓挫したか答えなさい〉はい、質問に手話で答えてください」


 一斉にきょとんとするいじめっ子達と担任に向かって、陸路むろじが日本手話で問うが、勿論彼らは分からない。


〈勿論、日本語対応手話ではダメですよ。手話本来の文法の、日本手話で答えてくださいね〉

「は⁉︎えっ…」

「できないの?ダメだなぁ。バカだなぁ。…君たちが熱海あたみ少年や冷泉少年にしたのはそういうことだ‼︎」


 バァン、と陸路むろじが床が揺れるほど踏み鳴らし、いじめっ子たちと担任が、声も出せず目を見開いて固まる。


「彼らの第一母語である日本手話は、聴者の日本語と文法や表現が違う。我々健聴者は、何の努力もせず、聴こえる耳で日常の会話を聞き取っていれば、自然に日本語能力が身につく。だが彼らは一生、どう努力してもそれができない。普段日本手話を目にする機会が無い君たちが、自然に私の手話が理解できるようにならないようにね‼︎」


 あまりの剣幕に、生徒も担任も言い返しもできず、じりじりと後ずさることしかできない。


〈君たちはそれだけではなく、彼らの手話を見て笑ったそうだね。ならば君たちも、聾者の集団の中に放り込まれて、一人だけ無表情でパクパク金魚のように口を開閉するだけでバカみたいだと詰られてみればいい。言ったら本当にやってみたくなっちゃった。栗くるみ、この地域のデフコミュニティのメンバーで、都合のつく人を片っ端からこの学校に集める手配してくれる?〉

〈ほーい〉

「な…なんの騒ぎですか⁉︎」


 あまりの大騒ぎに、校長が他の先生方を引き連れて、赤ら顔に脂汗をかきながら駆けつけてきていた。


《「これはこれは。確か前の学校で、黒人ミックスや生活保護世帯の生徒に差別的な扱いをして問題になったにも関わらず、「差別の意図は無かった」の一言で無理矢理無罪放免にさせた教頭じゃありませんか。謝罪の1つもなく、ちゃっかりここの校長になられてたんですね」》


 ヤクザかと思うような眼光で、ショウキが校長に凄む。


《「なるほどなぁ、こんなのが校長だから、「お前は本当に日本人か」って多方面に差別的極まりない発言が平気でできる教師がのさばる訳だ。…あんたらのせいで、聾の生徒が、大衆の面前で無理矢理口話をさせられる拷問を受けたんだぞ‼︎」》


 校長と担任の頭を鷲掴みにし、竜二りゅうじ龍生たつおに向けて頭を床まで下げさせるショウキ。…そして、あまりの事態に頭が追いつかなくて唖然としている竜一りゅういちに、自身も頭を深々と下げた。


《「私からも、本当にすみません。すぐにでも助けに入りたかったのですが、ギリギリまで証拠の録録画のために引き伸ばしてしまったことを、心から謝罪します。お前ら、本当に辛かったな。よく耐えた」》


 最後の台詞は龍生たつお竜二りゅうじに言われた言葉で。その瞬間、龍生たつおは何もかも吹っ飛んで大号泣してしまった。


〈えーと、熱海あたみ少年達のいる方向はこっちで合ってる?私からも謝るよ。にしても熱海あたみ少年、いい泣きっぷりだ!今から君をそこまで泣かせた張本人達を、私が10倍泣かせてあげるから安心してね!〉


 龍生たつおは混乱と嬉しさの極みで、陸路むろじの片手を取って触手話をした。


〈ありがとうございます…‼︎竜ちゃんの分もお願いします‼︎〉

〈ふざけんな俺は泣いてねぇ‼︎〉


 もう片方の手を使って竜二りゅうじが言うが、その後そっとショウキが陸路むろじに指点字をしていたのを、龍生たつおは見た。

 

-いや、泣いてます。正確には泣きそうです。でも本人のプライドに障りそうなので、別室で事情聴取しますね。-


 そこから龍生たつお陸路むろじと一緒に、誰もいない理科準備室へ、竜二りゅうじはショウキと音楽準備室に避難させられた。〈なんで俺が陸路むろじ教授と一緒じゃないんだ〉から始まって、〈悪いんはあのクソ担任と同級生なのに、あいつらじゃなくて俺らが逃げなきゃならん意味が分からん〉〈こんなの何でもないからババアは呼ぶな、ジジイも帰らせろ〉とゴネていたが、その間もずっと泣くのを堪えている表情なのが分かったので、しまいにはショウキが竜二りゅうじを半ば肩に担ぐようにして引きずって行った。


〈彼、凄いタフネスだねぇ…去るべきは虐げられた者では無く、加害した者だとはっきり理解している上、あれほど恥辱の限りを尽くされた教室から立ち去ろうとしないとは〉

〈うぅ、うぅっ、僕小さい頃から竜ちゃんにずっと助けられてきたのに、竜ちゃんがあんな酷いことを言われてる時に全然役に立てなかったぁぁぁ〉


 最大雨量150ミリメートルの大号泣が、ようやく100ミリくらいに落ち着いてきた頃、龍生たつおがそう語った言葉に、陸路むろじは両手の指文字を『ム』の形にする。


〈それは違う。あれほど残酷な聴者の群衆の中で、君は堂々と自分の言語、日本手話を使った。苦手な口話を使って、好奇の的になるなら自分だと我が身を投げ出した。昨日あんなことを言ってしまったのを謝るよ。君は弁護士になる為に産まれてきた人間だ〉

 

 びっくりして、涙がピタリと止まる龍生たつお


〈僕が…弁護士に…?〉

〈そうさ。勿論まともな弁護士も沢山いるが、あまりにも弱者の置かれた状況や気持ちが分からなすぎる司法関係者も多い中、君のような人間こそが必要だ!ただし、そのためには日本語の猛特訓が必要!日本手話は勿論ずっと後世に伝えていくべきだが、困っている人を助けるため、日本語を覚えておくことも必須だ。早速明日から君と冷泉竜二、あと冷泉竜二の父も我が聾者の日本語教室に招待しよう!〉


 一旦止んだ涙の雨が、今度は嬉しさで再び160ミリメートルになる。


〈その泣き虫も治さないといけないかも…あ、栗くるみ、生徒の聞き取り、どうだった?〉


 足音を聞き取ったのか、陸路むろじが部屋に入ってきた、憤懣やるかたないという顔のくるみに問うた。


〈酷いもんだとよ…。体操服のシャツを直す名目で肌着に手を突っ込まれたり、生まれつきの顔貌を貶された女生徒が5人…。しかも、親が忙しかったり家庭環境が厳しかったりして、保護者が騒がなさそうな家庭の子を狙ってやってるとね…。男子生徒も、家の経済状況や、親に犯罪や浮気や離婚歴があることをクラスの皆の前でバラされた子が6人〉

〈あ、あの担任に虐められてたの、僕が一年の頃ずっと仲良くしてて、二年からもずっと助けようとしてくれてた子達もなんです!なのに…僕はそのことに筆談で抗議する度に『日本語の文章もまともに書けない奴が、とやかく言う資格は無い』って言われ続けてて…うぅぅ…〉


 悔しそうに肩を震わす龍生たつおに、くるみも陸路むろじも顔を歪める。


〈君の日本語能力はぜひ引き上げてあげたいが、苦手な日本語を駆使して必死に友達を守ろうとするその勇気、正義感、やはり弁護士になるべきものだよ〉

〈あら、弁護士志望け…?龍神高校入学予定者の聾の子に、もう一人いるとよ…〉

〈龍?神?〉

〈そうそう、龍生たつおの龍に神で『りゅうじん』ね。もっぱらハンドサインの『龍』で通じ合ってる。実は今年、やっと日本で唯一『日本手話』のみで日本語を学ぶ、聾と聴文化バイリンガル・バイカルチュラルの高校が認可されたんだ!〉


 嬉しそうに龍生たつおの両手を持ってヒラヒラ振る陸路むろじ。聾文化の『音のない拍手』だ。


〈いやぁ、手話文化や聾教育の暗黒時代を何も知らない癖に『手話なんて日本語を簡素化した手真似語だ、聴覚口話法を使わない学校なんて認可できない』だの、しまいに『そんなに手話に偏った過激な思想を持ってたら、健常者とケンカになっちゃうでしょう。もっと聾の子に音声言語を教えなさい』なんて言ってくる議員と『手話の本を一冊でも読んだことがあるのか‼︎』『あんたは車いすの子に、そんな物使ってても足の代わりにならない、コケて大怪我してもいいから、普通の授業時間を潰して歩く訓練をする学校に行けって言うのか‼︎』って何度も取っ組み合い怒鳴り合いした甲斐があったよ!それでね、聴覚障害者の更なる社会参画を目指して、君のような将来有望な生徒を募集しているんだ。君さえ良けr〉

〈行きたいです‼︎そこに入学したいです‼︎〉


 地獄のような中学生活から助けてくれただけでも夢のようなのに、こんなに嬉しいことが立て続けに起こって、本当に運を使い果たして死んじゃうんじゃないかと思った。


〈そ、それで、僕と同じ弁護士志望の聾の子までいるんですか…⁉︎〉

〈あぁ。五世代続く生粋のデフ・ファミリー出身の女の子なんだけど、彼女も君と同じく『公的な手話通訳派遣の制度が当たり前の世界』を目指してるんだよ〉

〈え、女の子かぁ!デフ・ファミリーなんて、羨ましいなぁ〉


 デフ・ファミリーとは、親も子も聾の家族のことだ。ちなみに、聾者の中で、聾の親から生まれてくるのは全体の1割程度と言われている。


〈彼女はずっと聾学校だったが、日本語もはじめから完璧でね。貴重なケースとして、学業優秀者の奨学金制度に加え、『聾者の日本語習得に必要な環境』についての研究材料になるのを条件に、更に授業料を少し減免する対象にしてるんだ〉

〈聾の両親から生まれた聾者が?そんなことってあるんですか…⁉︎だって竜ちゃんのお父さんも…〉

〈ああ…聴覚口話法で聾の生徒に教えていた時代、聾の子は手話をすれば叩かれ、ただ口パク同然の先生の授業を見て学ぶしか無く、日本語はおろか手話も身につかなかった。第一言語も第二言語も中途半端になってしまう、ダブルリミテッドにされてしまった聾者が続出した訳だ。しかし彼女は、大正生まれの聾の高祖父母から脈々と受け継がれてきた日本手話と、厳しい筆談練習を幼い頃から兼ねることで、驚く程高い日本語能力を有することに成功したんだ。つまり、聾者にとっての第一言語である日本手話を習得してこそ、第二言語となる日本語もマスターできるというれっきとした証拠だ。『日本手話なんて文法が無いから、教育に使うな』ってゴタクを並べる議員達の反論材料にしてみせるよ〉

〈す、凄い…‼︎その子に会ってみたいです…!〉

〈ああ…彼女も、弁護士になるにあたって、出来るだけ沢山の聴覚障害の仲間と会いたいと言っている…が、その、少し人見知りをするので、あまりグイグイいかないであげてね。あ、龍神高校については、くろショウキが今、お母さんに事情を説明してる頃だよ〉

〈あ…〉


 保護者、という言葉に、ようやくお母さんのことを思い出した。このことを説明するためには、お母さんにもいじめのことを知られてしまう…。


〈君…私のこと知ってるなら分かるやんね?大人になってから、恥ずかしい思いするのはいじめられた方じゃなく…いじめた方とよ〉


 くるみの手話を見ながら、龍生たつおはしゃくりあげながら頷いた。


 遊び人の父親は、栗くるみが幼い頃無責任に蒸発。その事と、耳が聞こえない事で近所の子から差別されるも、彼女はいつか広い世界に飛び出して、色んな景色を見たいという夢を諦めなかった。お金がないので、レンガ運びなど過酷なバイトをして生活をした海外留学生活の中で、くるみは『日本には、聾児向けの外国語教材が殆ど無い』事に気付いた。そして、『自分のような夢を持つ聾児に、分かる言葉での英語教育を授けたい』と、帰国後手話による英語教育プロジェクトを立ち上げた。

 その頃は今以上に聴覚口話法による聾児教育が主流で、関係無い第三者はおろか、聾の子を持つ聴者の親までもが『必死で我が子に口話教育をしているのに、手話の英語教材なんて』とくるみを批判した。だが、誰ならぬ聾児達本人が、『栗くるみ先生の英語が1番分かる』とレビューを行ってくれたのだ。徐々にネットで話題となり、やがてくるみは『画期的な聾児の英語教育方法を開発した偉人』として、メディアに取り上げられる人になったのである。


〈私をいじめてた男共は…私が有名になったら、『実は昔から好きで意地悪してたんだ』とか言って擦り寄ってきたとよ…。私のアカウントのDMに、一方的に送りつけてきた自撮りと口説き文句があまりに見苦しかったけ…虐めの内容と一緒にインスタに上げてやったとね…〉


 もったりスローペースな手話で、『見苦しい』を、顔を顰め、額に当てた手の下から覗く動作で表すくるみ。この辺りではあまりしない表現だ。どこの地方の方言だろう?龍生たつおはくるみが出ている番組をいつもチェックしていたが、何事にもスパスパ直球で返す彼女はいつも、出身地だけは『大きな川があるとこ』だの『サツマイモが嫌になるほどあるとこ』だの、のらりくらり躱して明言を避けていた。


「た、たつお…」


 パッと準備室の扉が開け放たれ、パート先の制服も着替えていない喋子ようこが、へたり込みそうになりながら、葉梨さんに支えられて入ってきた。


〈おかあさ…〉


 龍生たつおが頬に人差し指を当て、小指を立てようとする前に、喋子ようこ龍生たつおに飛びつくように抱きついた。声は聞こえなかったが、「ごめんね、ごめんね」と何度も謝っているのが分かった。


〈お母さん。あなたが謝ることでは無い。悪いのは聴覚障害の学生の学びの保障が全くなされていない制度と、聾者や手話に無理解な健聴者の教師と生徒です〉


 ひとしきり親子が抱き合い泣き合った後、喋子ようこにそう声をかけるまで、喋子ようこ陸路むろじ教授達の存在に気づかなかった。


《「む、陸路むろじ教授…⁉︎」》

〈お宅の息子さんは素晴らしいですな。私を目的地までバスで案内してくださったのですが、誘導のスピード、肩に手を載せ半歩前を歩くこと、何もかも完璧でしたよ。その上指点字までマスターしているとは、凄いの一言だ〉


 喋子ようこは涙を拭きながら、ようやく僅かに笑みを溢した。龍生たつおは少し安心した。よかった、お母さん笑ってる。


《「龍生たつおは数少ない私の自慢の一つです。幼い頃から、私を厄介扱いする家族に代わって、周りの友達の家庭や先生が、人に優しくする術を沢山教えてくれたんです。それを一つ残らず、龍生たつおにも教えてあげようと思って」》

〈…穏やかな人柄に似合わず、なかなか壮絶な思いをされたようですな。しかし、これ以上貴方に辛い思いはさせますまい。こちらに立ち上げた手話サークルの面々が、前の校長先生が作ったボランティア制度を利用して、熱海あたみ少年と冷泉少年の残りの学業生活には、手話通訳をつけると言ってくれています。悪質ないじめをした者にも、今彼らが相応のお仕置きをしています。校長と担任は、以前から我々が教職者として不適格だと目を付けていた者でして、私が必ず罰を与えます〉

《「あ、ありがとうございますうぅぅ‼︎龍生たつお‼︎手話通訳だって‼︎やったね、やったね‼︎」》


 飛び上がる親子に、陸路むろじもくるみもやりきれない思いになった。

 もっと聴覚障害者の社会参画が進んでいるアメリカなどでは、公費負担で、聴覚障害の学生には手話通訳がつくのが当たり前だ。ところが日本は、一応一定の割合で公費負担はあるものの、実情は学校や地元行政の努力に任されていて義務ではないという、あまりに不安定な状況だ。どうしても学びたい科目を日本語で教えてくれる教師がいなくて、グロンギ語やマサイ語の学校に通う日本人に、『通訳が付くかどうかは校長や市の人がいい人かどうか次第。付かなくても我慢しなさい、贅沢だ』と言われているようなものである。しかも、グロンギ語もマサイ語も、時間をかけて努力すれば聴者は何とか理解できるようになるが、聾者が音声語を理解するのは一生できないのだ。


〈それでお母さん…先程黒ショウキからもちらと話があったと思いますが、私がようやく今年、手話文化に無理解な議員を説得し、時には拳を交えて誕生させた龍神高校に、龍生たつおくんも入学希望なのです〉

《「あ…やっぱり、龍生たつおなら行きたいって言うと思った。だけどね…お母さんは嫌よ」》


 珍しくキッパリと言い切った喋子ようこに、龍生たつおは瞠目した。


《「龍神高校では、通常の学業の他に、社会の聴覚障害者への差別についても問題提起し、社会運動を起こす活動もしてるのですよね」》

〈は…はい、そうです。聴覚障害当事者、またはその家族や支援者を目指す学生が自ら抗議活動をすることで、普段無関心な健聴者に、どれだけ彼らが日常的に不便を強いられているかを知ってもらうのです〉


 喋子ようこは見開いていた大きな目を、ふっと伏せた。


《「両親が不和になってから産まれた私は、小さい頃から邪魔者扱いでした。怠け者の親の代わりに家事全てを押し付けられ、たまに本でもゆっくり読もうと自室に篭れば、父に引き摺り出されて殴られたものです。兄も加え、私の話が通じる人は、家にいませんでした。兄のやった悪戯は全部私のせいにされ、いくらやってないと弁解しても、下着で外に放り出されました」》


 喋子ようこの幼少期の話に、龍生たつお陸路むろじ、くるみの顔が怒りとやるせなさに染まる。


《「でも、近所の優しいおじさんおばさんが、放り出されて泣いている私を見つけては、自分の家に匿ってご飯を食べさせてくれました。友達の家族も、運動会で兄の分だけお弁当を作って、私にはアンパン一個しか持たせない両親の代わりに、作りすぎたと言っておかずを分けてくれました。同じような家庭の子と、親の愚痴を言い合えました。バイト代を親に取られると知った店長は、大部分をお店で預かってくれて、高校卒業の日に利子付きで返してくれました。私を住込で働く旅館に送り出す時、高校の先生達は、拷問されても両親に私の居場所は漏らさないと約束してくれました。彼らのところに逃げ込めば、私にはちゃんと話が通じる人がいたんです」》

〈なんという…〉


 それでも、近所の人も見て見ぬふり、学校でもいじめを受け、先生からも「どんな親でも敬わなきゃいけないだろう?」と言われるケースもあるのだから、喋子ようこはまだ恵まれていたのだろうか、と陸路むろじは一瞬だけ思って、すぐにその考えを引っ込めた。そんなの、腕を骨折している人に、両手足をもがれた人もいるのだからお前はマシだと言うようなものだ。


《「けど、龍生たつおは、どこに行っても、手話が通じる人がいない。大好きな聾学校ですら、電車で2時間以上かかります。一歩私や聾学校のもとから外へ出れば、一瞬にして無理解な健聴者に囲まれ、誤解されたり、好奇の目で見られたり、いじめられたり…うっ…私の比じゃないほど、幼い頃から、鬼じゃないかって思う人達から、沢山の酷い仕打ちを受けてきたんです」》


 喋子ようこの目に涙が膨れ上がる。


《「家で私が家族に『たまにはバイト代を家に入れるんじゃなくて自分で使いたい、私もお兄ちゃんみたいに大学に行きたい』って言ったら、凄い勢いで『搾取子の癖に生意気だ』って罵倒されるんです。でも、先生や友達はこぞって『おかしいのは親だから、君は悪くない』って言ってくれました。…でも、龍生たつおが『聾でも弁護士になりたい、聴者みたいにどこでも授業が聞けるよう、手話通訳が欲しい』って…生きるのに当たり前のことを主張したら、私の何万倍も『聴こえない奴が生意気だ』って責められるんですよね。…それも、片手で足りる人数、1つの家の中だけじゃない。健聴者中心に回ってる、世間全体から一斉に…。『君は間違ってない、おかしいのは聾者のことを考えてない社会だ』って、分かってる人の方が少ないんです。…聞こえないだけでも大変なのに、その上私以上に傷つくと分かっていて、この子を龍神に送り出せません」》


 涙を溜めた目で、しっかりと陸路むろじを見据える喋子ようこに、しばらく誰も何も言えなかった。すると、突然バッと陸路むろじが、机に手を付き、深々と頭を下げた。机の位置が見えないので、勢いよく額が机にぶつかる。


〈勿論、『子どもをダシにして「弱者特権」を振りかざそうとしている』などと言う者も出ることは、予想済みです。ですがこちらは弁護士も携えて、そのような不届き者から全力で生徒達を守る事を誓います!しかし何より、今の社会、龍生たつおくんのような弁護士こそ必要なのです‼︎〉


 激しく手と表情を動かす陸路むろじに、一同が唖然となる。


〈弁護士に相談したい聾者は、全国に沢山います。しかし、聾文化と聴文化との違いから、言いたいことを曲解して受け取られてしまったり、聾教育の暗黒時代のせいで言語が十分に身につけられず、主張したいことそのものが上手く言葉にできない聾者も多くいるのです。どうか…そんな彼らを救うために、龍神高校に龍生たつお君を預けてください‼︎〉


 そうして真摯に頼む陸路むろじと、〈どんなことになったって、今度こそ僕は負けない〉と言う龍生たつおに根負けし、最後は喋子ようこも入学を認めたのだった。


 続いて陸路むろじは、ショウキに任せていた竜二りゅうじのもとに赴いた。


[冷泉竜二りゅうじはさっき親に概要を説明した後、ヒマだから宿題をすると言って隣の物置に篭ってますが、多分泣いてます。そっとしてあげてください。あと父親は息子とその友達へのいじめの酷さを改めて認識して号泣してます。出張を早く切り上げて帰ってきた母親も尋常じゃないほど泣くのを堪えてるので、そこも突っ込まないであげてください]


 あれほどのことがあったのに、なんて勝気で気の強い母子なんだと驚きながら、陸路むろじは誘導された席に座った。


 そこで、月雫るな竜一りゅういちとお互いに出会い、竜二りゅうじを授かり育てた経緯を知ることになる。


 竜一りゅういちは『聾者の暗黒教育時代』サバイバーだ。竜一りゅういちを授かった聴者の両親はどう育てていいのか分からないなか、『聾児は聴の子に近づくべく、音声言語と口話で学ぶのがよい』という1880年のミラノ会議の結果に飛びつくしかなかった。竜一りゅういちは聾学校で、口パクの先生の口話を見て学ぶしかなく、算数の時間なのに、ひたすら「みかんが5個、リンゴが3個」という口話を復唱させられ、友達と手話を使って話せば『ぼくは手真似語を使って話をしました』と書いた紙を貼られて廊下に立たされたという。このままではまともに勉強できないと子供ながらに悟った竜一りゅういちは、高校生の時、親に内緒で地元の手話サークルに入り、初めてきちんと手話を学んだ。


〈大学に行くため、塾にも入りました。でも、先生は感音性難聴で音が歪んで聞こえることを理解してくれず、『補聴器をしとるんなら聴こえるだろう』と最後まで誤解したままでした。僕を迷惑がった同じ塾の子が、僕にわざと試験がある日が休日だと教えたことも、先生が放送で周知した事項を僕だけ把握してなくて、『なんで聞いとらんのだ』と叱られたこともあります。大学に入学後も、手話通訳をお願いしたら『大学は自ら学ぶ場だ、障害者のための配慮など考えておらん』と言われ、結局ほぼ独学でしたねぇ〉


 苦労の末入社した、建築会社の図案構成部署でも、苦難続きだった。


〈日本語がおかしいと罵倒されるんです。そのうち、メールでも子どもに言うような口調で命令されたり、目の前で文章がおかしいことを口で言われたり。それだけじゃなく、社内のちょっとした雑談にも加われず、筆談をお願いしても『お前は日本語がおかしいから』『お前には関係ない話だ』と疎外されて、辛かったなぁ〉


 一流企業に就職した聴覚障害者の40%が、このようなコミュニケーションの困難や誤解によって、五年以内に離職している。さらに企業側も、『コミュニケーションは取れないし、安全管理は任せられないし、障害者雇用率を満たしていない罰金を払ってでも、もう聴覚障害者は雇いたくない』という所もある。


〈本気で辞めようかと思っていた矢先、月雫るなさんに出会ったんです〉

《「当時は建築業界に来る女性の数が少なくてね。毎日のように、いつ結婚して辞めるのかだの、女は能力が無いだの言われました。挙げ句の果てに、私の方が営業成績が良いのに、ずっと仕事ができない男社員が先に出世した時、普段穏やかな竜一りゅういちさんが、部長が飛んでくるほど足を踏み鳴らして、日本語の文章を精一杯使って上司に抗議してくれたの」》


 お互いに惹かれあった2人。月雫るなは手話サークルで手話を学ぶ傍ら、他の社員に竜一りゅういちが日本語が苦手な理由を説明し、もっと雑談に竜一りゅういちを入れるように働きかけ、スキルアップ向上の研修に手話通訳者の立入を禁止するのは差別だと抗議し、今も竜一りゅういちは視覚優位の特性を活かして建築デザインの仕事を請け負っている。


〈建築業界で使う定型文の日本語文は、月雫るなさんに教えられて丸暗記したんですけどね…〉

《「その後すぐに竜二りゅうじが産まれて、忙しいのもあったけど、どうやったら2人に日本語の応用能力を身につけさせられるのか、分からないまま時が過ぎてしまって…」》


  俯いて肩を震わす月雫るな。赤いハイヒールに、透明の雫がポタリと落ちる。両親とも、『自分が息子にちゃんと日本語を教えられなかったばっかりに』と、ひたすら自分を責めているのがヒシヒシと伝わってきた。


〈ご両親は悪くない。「聴者に近づけなければ、聾者は幸せになれない」と、誤った認識のもと、聾者から手話を取り上げて口話を強制した聴者達の教育のせいです。そして、聾者への日本語教育をする場があまりに少ない社会の問題です。せめてこれからは、私に冷泉少年の日本語教育をお任せください。そして、才能溢れる彼の、医者になりたいという夢を後押しさせてください〉

《「はい…はい。お願いします。あの子はそれ以外のことは何でもできてしまうから、慢心してしまった部分もあると思います」》


 月雫るなが、これ以上泣くまいと口元を引き結ぶ横で、ボロボロと惜しげなく涙を晒す竜一りゅういち


〈本当によろしく頼みます…。あの子は小さい頃から、病院で僕がどんなに不便をしていたかをよく見てるんです。聞こえないことを受付で言ったのに、何時間待っても呼ばれないので聞きに行ったら『お呼びしましたが、返事が無かったので』と言われたり、医者が何故か筆談を異常に嫌がって、大きな声で言えば聞こえるだろうと勘違いして、病院中の人に筒抜けになるような大声で検診結果を叫ばれたり。表向きは『聾者は聴者の半分くらいの給料で、それでも幸せですと笑ってろっつークソ健聴者を見返す』と言ってましたが、きっと僕のために…〉



 そこからの龍生たつお竜二りゅうじの中学生活は本当に快適で、目が回るほど忙しかった。


 まず、担任と校長は、日本最高峰大学教授の直訴に腰を抜かした教育委員会が重い腰を飛び上げたことで、正式に処分が下された。それから、陸路むろじ支援のもと立ち上がった手話通訳者がボランティアで来ることになった。


〈しかしながら、発達障害やHSP(ハイパーセンシティブパーソン・生まれつき繊細で敏感な感性を持つ人)など、狭い教室に過度に多い視覚刺激があると気が散ってしまう生徒もいる。そのような生徒と聾の生徒、両方快適に過ごせるようにしなきゃね〉


 陸路むろじ教授は、そういった生徒が手話通訳の動きで気が散らないよう、パーテーションを用いた。また、先生方にBluetooth搭載のマイクを用いてもらい、龍生たつお竜二りゅうじのみならず、周りの雑音が気になり易い生徒にも、ワイヤレスイヤホンで先生の声を直接耳介に取り込めるようにした。それに、補聴器に入る雑音を少しでも無くすため、机や椅子の脚に使い古しのテニスボールを埋め込み、人体から出る音の削減のため、ティッシュや生徒用マスクを常備した。それでも雑音が妨げになる場合には、誰にでもホワイトノイズなどのリラックス音源に限って音楽用イヤホンの装着を容認。これには生徒全員から、勉強が分かりやすくなったと好評だった。


 地獄のような一年半の勉強の遅れを取り戻す傍ら、2人は放課後は毎日陸路むろじが立ち上げた日本語教室に通った。


〈名詞の前にきた時、『長い』のようにイ型になるものと、『きれいな』のようにナ型になるもの。否定形になった時、『じゃない』『くない』に分かれるもの。『あげる』『くれる』『もらう』など、自動詞と他動詞に分かれる接受表現。日本手話を知っていれば、この違いが聾者にとっていかに難しいものか分かるだろう。それに、手話に丁寧語、尊敬語、謙譲語などと言った区別はない。『言う』が『おっしゃる』『申し上げる』などに変化するのも、手話では全て人差し指を口の辺りから前に出す表現一つで表せてしまう〉

〈『もし』というのがついたら、『たら』『なら』が付く。『に』は存在と状態の場所、『で』は動作と出来事の場所を表す時に使う〉

〈『私が』と『私は』も、手話では同じだが、『は』は主題が私であり、『が』は複数の中からピンポイントで名乗り出る時の助詞だ〉


 日本語の複雑さに頭を抱えつつも、必死で齧りついていった結果、龍生たつおは学校で友達に『筆談の文章が上手くなったね』と言われることが多くなったのが、何より嬉しかった。


熱海あたみ君、『ノートテイクが悪くなかった』って書いてた時、実は結構高圧的な性格なのかなってびっくりしたけど、全然そんなことなくて安心したよ】


 龍生たつおは謝りながらも、不思議に思った。悪くないよって、褒めたんだけどな?なんで傷つけちゃったんだろう?


 日本語の文章が上手くなって嬉しかったのは竜一りゅういちもらしく、2人が卒業した後もしばらく日本語教室に通うと言っていた。


《「いやぁ、俺らなんも出来なくてごめんな。実を言うとあの担任になってから、俺らも補聴器使ってるからって一部の奴等からバッサリ線引かれて辛かったんだわ」》

《「すげーな、あの陸路むろじ教授が立ち上げた高校、偏差値70もあるんだって?ここらの通常高校よりめちゃくちゃ難しいじゃん。けど俺ら、殆どの事は聞こえるから、家でも親とは口話だし、授業で教えられた日本語対応手話しか使えないからどっちにしろ入学は無理だなぁ」》


 上戸と下田はそう言って別れを惜しんでいたが、龍神高校が開校直前、『聾者でありながら、様々な理由で日本手話を教えられていない者もいる』ので、日本手話を使えない者も補習をする条件で入学可能となったと聞かされた。


〈それと熱海あたみ少年。被害を受ける側に自衛しろと言うのはあまりにナンセンスだが、君はもう少し身体も鍛えるべきだね。龍神高の校舎は、廃校だった場所を格安で買い取ったんだ。新学期が始まったら、鍛錬兼ねてまだ終わってない部分の掃除も手伝って貰おうか〉


 ホームページの写真を見てみると、確かにボロボロの校舎に所狭しとガラクタが散らばっていた。


陸路むろじ教授は日本手話で教える教育方針で議員達と争ってくれただけじゃなく、資金難の問題とも戦ってくれたんだなぁ〉


 そう思うと、感慨深かった。かくして、日本一給料の低い高校教師の座にくるみとショウキが着き、日本唯一の日本手話の高校・龍神高校が始動したのである。

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龍の耳の英雄  @tukimibaku

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