第6話「ガンケイン屈す」

「ねえ、まだぁ?」

「まだだ。もう少し待ってくれ」

「さっきも同じこといってたじゃない!」

「わたしは時間の流れが遅いのだ!」

「ああ、だからいまだに思春期なのね」

「ぐぬぬ……!」

 ガンケインの番が回ってきてから結構な時間が経過していたが、彼はいまだにつぎの願いを思いつけずにいた。

 ジニーは待ちくたびれたといって草地にうつぶせになり、頬杖をついて、透明な緩衝材で覆われた水晶球で魔術書を読んでいる。交互に振られる細い脚は、無言のうちに時間を数えているかのようだ。

 唯一の慰めは、ふたりのいるところが日陰で、これがピクニックであれば日が暮れるまで寝転がっていたいほどに過ごしやすいことであった。

「わたし以外のすべての人間を女性にするとか……」

「聞かなかったことにしてあげる」

「はい」

 こんなやりとりも、もう数回目である。

「……もう! しょうがないなあ」

 やがてジニーは溜息まじりにそういうと、水晶球を懐にしまい、身を起こしてあぐらをかいた。そして首をかしげるガンケインにこう持ちかけた。

「いい? こういうときは、前提を疑うのよ」

「前提?」

 ガンケインが前傾姿勢になりながら復唱する。ジニーは重々しく頷く。ふたりでジニーの願いを考えるはずが、何故かガンケインの願いを考えることになっている。そのことに気づいているのかいないのか、とにかくジニーはつづけた。

「あんた、恋人が欲しくて樹に願いにきたんでしょ? 恋人ができないのは、女の子が苦手だからでしょ? それなら、そもそもなんで苦手なのかを考えてみたらいいじゃない! そうしたら、別の願いが思いつくかもしれないわ」

 天才! ジニーは現状を打破、あるいは改善するには、ときとして前提を疑い、破壊する必要があることをよく心得ているのである!

 しかし、ガンケインは腹痛でも堪えているかのように巨体を折りまげ、唸った。

「そこに踏みこもうというのか……我が暗黒の時代に……」

「えっ?」

 ガンケインは、見えざる刃に貫かれ、息も絶え絶えといった感じの掠れた声を絞りだした。ジニーは怯み、恐るべき想像を口にした。

「ま、まさか……ちっちゃいころに、お母さんとかお姉さんにいたずらされたとか……?」

「ちがう」

「じゃあ、近所のお姉さんとかおばさんとかお婆さんにいたずらされたとか……?」

「ちがう。というか、ほかにないのか!」

「あとは頭の病気ね」

「ちがう! 天才というわりには視野が狭いな!?」

「うるさいわね! じゃあ、なんなのよ!?」

「……わたしは……」

「わたしは……?」

 ガンケインはさらに体を折りまげ、ついにはその兜のてっぺんを地に突きさした。そして、ゴーストの悲哀と怨嗟えんさに満ちる嗚咽おえつめいた声を漏らした。

「わたしは、男子校出身なのだ……」

「……は?」

「六歳で入学した騎士養成学校も……実際に戦場に立つようになってしばらくしてから、見込みがあるということで編入させてもらった大学も……どちらも、男子校だったのだ!」

「え? ちょっと待って、よくわからないんだけど……」

 地がぜた! ガンケインが凄まじい勢いで頭を上げたため、兜のてっぺんが地面を掘りかえしてしまったのだ! 舞いあがった土煙はしかし、つづく騎士の咆哮じみた主張で吹きとばされた!

「何故、わからない!? 想像してみたまえ! わたしは女性を女性として意識するようになるべきころに、女性のいない社会に放りこまれ、以来、大人になるまで抜けだすこと叶わなかったのだ! 生まれたばかりのオオカミをらえて檻に閉じこめ、大人になるまでミルクだけで育ててから野に放つようなものだぞ! どうして狩れよう!? いや、狩れない! 男とて同じことだ、いわく男はオオカミなのだから!」

 ガンケインは騎士に由来する奥ゆかしさを忘れはて、叫んだ! なおも叫びつづける!

「だいたい、おかしいと思わないかね!? 大人になってから進出する社会に女性のいないところなどないし、当然、騎士だって一人前になったら女性との付きあいを必要とする! それなのに、何故男子校などというものが存在する!? 男だけの社会で育った者が、男も女性もいる社会でなんの問題もなく活躍できるわけがないだろう! ずっと物理攻撃だけでダンジョンを進んできたのに、突然物理攻撃が効かない敵が出てくるようなものだぞ! しかもこの敵ときたら、未知の魔術を使う! 思わせぶりな態度とか、涙とかいったものだ! わたしに実によく効くんだな、これが! トーナメントの決勝で女性に負けて、決まり手に『泣き落とし』と書かれたときは泣きたい気持ちになったものだ! 一見して技の名前のようだから、騎士たちから『ガンケイン殿! 貴殿ほどの騎士を破った泣き落としとはいったいどのような技なのですか?』と聞かれるのが、なお一層の恥ずかしさであった!」

「ちょっと、落ち着きなさいよ!? つまり!?」

「つまり!」

 両手で耳を塞いだジニーが叫びかえすと、ガンケインは両腕を振りあげ、のけぞりにのけぞり、限界まで引きしぼられた弓の弦のごとく震えてから、その両拳を大地に叩きつけた! 丘が揺れ、「願いの樹」は身動ぎし、その枝葉はざわめき、ジニーは一瞬浮かんだ! そして、騎士は雄叫びをあげたのである!

「全部男子校が悪い!」

 ……その残響がやんでからしばしのち、腕を組んで首をかしげていたジニーは、

「ちょっと待ってて!」

 というと、きびすを返して丘をおりていった。

 かと思うと、すぐに戻ってきた。ひとりの盗賊を引きずりながら。気を失っているその盗賊の顔は、影のなかにある以上に、鼻が完全に陥没していることから誰ともわからなくなっていたが、むしろその事実がガンケインをして、盗賊の身元を知らせた。

「そやつは……」

「そ。さっき、あたしに不意討ちを食らわせようとしたやつ」

 つまり、さきほどガンケインがメイスを投擲し、その鼻を陥没させた盗賊である。

「何故、そやつを連れてきたのだ?」

 とガンケインが尋ねると、ジニーは盗賊を蹴り転がして仰向けにしながら答えた。

「こいつ、あんたと同じ男子校の出身だから」

「なんだと? 何故、わかる?」

「だって、動きがあんたと同じだもん」

 天才! そしてジニーは、いまだ気を失ったままの盗賊の頬を情け容赦なく張りはじめた!

「ちょっと、聞いてみたいことがあるんだぁ。さっさと起きなさいよ。ほら、ほら! 起きなさいって!」

「う、うう……ぎゃあっ!?」

 リズミカルな平手打ちで目を覚ました盗賊は、起きぬけにさらに一発、平手打ちをくらって悲鳴をあげたが、かえってそれで平静を取りもどしたようだった。しかし彼は、目のまえのジニーと横手のガンケインを見比べると、さっそく混乱した。

「お、おまえらは……えっ? 願い、まだ叶えてねえの? いままでなにやってたんだ? ちちくりあってたのか? ぎゃあっ!?」

 ジニーの平手打ちが盗賊を黙らせる!

「うるさいわね! あんたはあたしの質問にだけ答えりゃいいのよ。あんた、あいつ――ガンケインと同じ騎士養成学校にかよってた。そうよね?」

「は、はい! かよってましたあ!」

 盗賊はジニーとガンケインを交互に見ながら、尻上がりの声をあげた。ジニーは顎をしゃくってガンケインに流し目をくれた。ガンケインは拍手した。それを見届けると、ジニーは尋問に戻った。盗賊の胸ぐらをつかむと、ガンケインのほうを向かせながら問う!

「あいつがさ、男子校のせいで女の子と話すのが苦手になって、恋人ができないっていってるんだけど、どう思う?」

「おい!?」

 唐突に第三者におのれの恥部を暴露されたガンケインは大声をあげざるをえない!

「なによ、いいじゃない! いまさら隠すことでもないでしょ!?」

「わ、わたしにも体面というものがだな……部隊の士気にかかわる!」

「だったら、女の子を寄せつけないための方便とかいえばいいじゃない。我が身は剣、王に捧げしものにして、つねに戦のなかにあり――って、ほらかっこういい!」

「そうしたらますます恋人ができなくなるではないか!」

 そのときである!

「ぶっ……」

 ガンケインを見たまま固まっていた盗賊が、噴きだしたのだ。

「ぶはははははははは! ぎゃーっはっはっはっはっはっ! ひーっ、ひーっ! あひひひひひひひひははははは!」

 そして、たちまち哄笑しはじめた! その笑いが、ジニーとガンケインの口喧嘩に向けられたものではないのはあきらかだった。盗賊はガンケインを指さして笑っていたし、その顔は鼻が潰れてなおそれとわかるほどの嘲笑に歪んでいたからである!

「なにがおかしい……!」

 職業柄、侮辱に敏感なガンケインはすぐに察して問うた。盗賊は笑いすぎて傷がひらいたのか、血を吐きながらあえぐようにいった。

「なにがおかしいって、おまえ……! 男子校のせいでモテねえだって? ばかも休み休みいえよ! 俺は在学中、女を絶やしたことは一度としてなかったぜ!」

「な、なんだと!?」

「確かにあの学校には女はいなかった。だが、俺は、俺たちは諦めなかった! 性欲の導くままに、夜な夜な先生どもの目を盗み、寮を抜けだしてナンパに励んだ。当時身につけた鍵開けの業前わざまえは、いまも役に立っているぜ。

 当然、身だしなみにも気を遣った。課外授業中に先生の目を盗んでスライムを捕まえて、その分泌物から整髪料をつくって髪を固めたりしてな。女と遊ぶ金がなくなると、こっそり傭兵の真似事をして金を稼いだものだ……

 その結果! 俺たちはモテた! 大いにモテた! 騎士見習いってのはモテるんだぜ、知らなかっただろう! もっとも、俺は見習いのまま終わっちまったがな。やりすぎて、退学になっちまったからよ」

「な、なんたる不良!」

「そうとも! だが俺の仲間のなかには、上手くやって卒業までこぎつけ、騎士に叙されたやつもいる。一度として規則を破らず、祭典やらなんやらのわずかなチャンスにすべてを賭けて、女とよろしくしたやつもいた。

 俺がおかしがったわけがわかったかい? 伝説の騎士さんよ。いや、不屈のガンケイン先輩よ! ええ!? おい! 男子校のせいでモテねえなんてのが、負け犬の遠吠えにすぎねえってことがよ!」

「うぐっ!?」

「いや、おまえは負け犬ですらねえな! そもそも、勝負してねえんだからよ! てめえが臆病なせいでナンパのひとつもできなかったやつが、長じてなお女ができず、その責を母校に負わせるたあ……情けねえと思わねえのか!? ちったあてめえを客観視しろ!」

「うごごごご!?」

「どうした? 前かがみになっちまってよ。それじゃ、不屈じゃあなく腹痛のガンケインだぜ!

 それにしても、男子校にはそういう情けねえ男が大勢いたが、まさかガンケイン先輩もそうであらせられたとはよ……なあにが伝説の騎士だ、この腰抜け! 母校に責任を転嫁しやがって、男子校じゃなくたって、おまえみてえな卑怯者に女ができたとは思えねえぜ! まさか、樹に『女が欲しい』って願いにきたんじゃねえだろうな? もしそうなら、これからは他力本願ケインって名乗るんだなぎゃあああ!?」

 盗賊の波濤はとうめいた罵倒を止めたのは、なめらかな曲線と質感を持つ手だった。

「いいすぎ!」

 ジニーが盗賊のうなじに手刀を叩きこんで黙らせたのだ。だが、少し遅かったかもしれなかった。ジニーがいかにもばつが悪そうに、ゆっくりとガンケインのほうを見たとき、不屈と謳われた伝説の騎士は前のめりに倒れてしまっていた。

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