教会にて

「おすすめの本とかってある?」


 なんとなく切り出した話題に、ニゲラが反応した。ネモネがうなる。


「アタシ、あんまり本読まないからな〜」

「ニゲラなら分かるんじゃね」


 手札から視線をあげ、チアはニゲラを見る。見られた彼は目を合わせないように手札を凝視する。


「ほらほら、お前のおすすめ教えてあげろよ」


 ニヤニヤ笑いながらチアは催促する。蛇そっくりの目がらんらんと楽しそうに光を反射させた。


「うぅん…ノラは、普段、どういう本読むの?」


 首を傾げ、下から伺うように見つめてくるニゲラの問いに、ノラはしばし悩む。ジャンルなど意識せずにとりあえず文字を追っていくような読書をずっとしてきたせいで、普段読む本同士に近しい雰囲気はあまりなかった。論文、ファンタジー、ミステリ、伝記、ノンフィクション、ホラー、近未来、童話、強いて言えば恋愛ものはあまり読まないくらいの特徴だ。ただ、そう答えてもニゲラが困るだけだろう。


「フォンタジーとかかなぁ」


 適当なジャンルを選び、ニゲラに伝える。彼は黙り込んでうつむいた。藍色の髪が重力に従う。綺麗な指先で手札の右から二番目のカードを弾く。


「今頃頭の中の図書館を駆け回ってるぞニゲラ」

「…静かにして、チア」


 ニゲラに黙ることを要求されると、チアはベェ、と長く細い舌をイタズラっぽく出した。その間にネモネもブルーシートの上に座った。いつもぷらんぷらんと揺れているベルトも、金属音を小さく鳴らして着席した。


 教会内は静まりかえって、ニゲラの返答を待っている。ピリリと張り詰めたような空気に、ノラは少し居心地悪さを感じた。足を組み替える。


 考え込んでいた彼は、そうっと静かに口を薄く開いた。一つの本の題名が空気を介してノラの鼓膜に届く。


「ロオズドオルのオルゴール」


 いつもみたいにつっかえることなくするりと耳に飛び込んできた声に驚いて、ノラは見つめていたブルーシートから目を外した。


「ノンフィクション、だったかな。昔あった世界戦争の時代のちょっと後の話。言い回しとか、若干古いけど、それがおもしろくって。女の子と人形の話。主人公の一生が描かれてて、何度読んでも楽しくて、もう五周くらいしたかな」


 楽しそうに語るニゲラに、一瞬遅れてからノラも頬をゆるませた。


「うん、ありがとう。探してみるね」


 興味を示してくれて嬉しいのか、ニゲラはいっそう笑顔になって、それから手札に目を戻した。一気に四枚ほど捨てる。形勢逆転だ。


「うっわ逆転された。許さねえ」


 口の端を類を見ないほどに歪ませて、ブルーシートに置いてあるカードの山を睨め付ける黒い蛇。手札を見渡すが、出せるカードは一つもない。一方相手の手札は残り一枚。厳しい状態だ。


「出せるカード、ないの?」


 めずらしく挑発的にニゲラが言った。悔しそうにチアは縦に首を振った。


「あがり〜」


 ニゲラが満面の笑みで最後の一枚を捨てると同時に、チアは悔しそうに最後まで手札に残った三枚のカードをブルーシートに叩きつける。


「だぁクッソ。勝てると思ったのによぉ」


 蛇の尾の末端でブルーシートを叩いた。次だ次!と早々に切り替えてぐしゃりとカードたちを一まとめにする。がさつな集め方ではあるが、少しも折れ目はついていない。パッパッパッパと慣れた手つきでカードをきっていく。


「アタシもやりたい!」


 元気よく言うネモネに、ニゲラはカップの中の硬貨を取り出しながら、普段よく見せる柔らかい笑みを浮かべた。つられてノラも笑顔になる。チアは呆れたようにため息をつくが、その唇はゆるく弧を描いていた。


 ある程度混ぜたカードをチアは手際良く配っていく。特に喋ることもない、ただの雑談をするのも気まずい状況だ。そういう印象を持っているノラは口をつぐむ。それとは対称的にネモネは配られていくカードたちにわくわくとした感情を込めた眼差しを注いでいた。


「っつかお前ら二人賭けるための金ねーじゃん」

「あ、確かに」


 配っている途中でチアが手を止めた。ニゲラが硬貨を二枚ずつノラとネモネに渡した。


「ぼくの方がチアより持ってるからね」


 一度も見せたことのない、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、ニゲラはチアに言う。


 笑みを向けられた彼は先程まで行っていた動作を再開させようとしていたが、ぴたりと一瞬止まって苦笑しかけた顔でニゲラを見る。藍色の彼がくすくす笑った。髪の毛がぱらぱらと別々に動く。


 初めてみたニゲラの表情に、ノラは心の中で目を見開いた。決して表面上には出さない。変わらず笑うだけ。


 けれどノラの心の中では、少年とノラという二つの存在が混じり合って、あの論文を見つけた時のような、好奇心が膨れ上がっていた。


 もっと知りたい。


 ノラの中で、まだ存在が確かになっていなかったものが、一気に輪郭を獲得した。目前に広がるソレは、ノラにとっては禁忌の魔術だ。ここでそんな欲求を抱いてしまったら、全てが崩れ落ちるだろう。ネモネ達がずっと守ってきた、美しい均衡が、全て壊れていく。


 しかも自分の手によって。


 いつの間にかカードは配り終わっていて、手元にできたそれらの山をノラは手に取る。


(まあまあの手札かな)


 手札を見て、ノラはぼんやり思う。

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