第9話
それから更に、半年が過ぎた。
やっぱり一向に彼らが帰る気配はなく、彼らがやってきてもう1年が経とうとしていた。
私も少し、覚悟をし始めた。
彼らとこのまま、ここで生きていくということを。
1人分から5人分に増えた生活費の支出の増加は凄まじく、貯金が激しい勢いで減っていく。
まだ生活に支障が出るほどではないけれど、『お金が増えずにただ減っていく』という事実が精神衛生上悪いと思い、私はまたバイトを始めた。
元々バイトしていたカフェに戻ろうかと思ったけれど、時給がそんなに高くないし、何より彼らがやたらとお客としてやって来そうな雰囲気だったため、やめることにした。
いやバイト仲間に「あのイケメン集団なに!?」と聞かれたらなんて答えていいか分からん。「うちの居候です〜」なんて言ったら騒ぎになるに決まってる。
代わりに、時給が高くて短時間でもある程度稼げる、携帯電話のコールセンターでバイトすることにした。週3で各日3時間程度の勤務だけれど、それでも生活費の足しになる。
大学に通いつつバイトをしつつ彼らの面倒を見るのは大変だけれど、まあどうにかやっていけそうだ。
しかしなんと、トラヴィスたちも完全に私に養われてる状況を心苦しく思ったのか、自ら「俺たちにも何かできることをしたい」と言い始めたのだ!王侯貴族である彼らが自ら進んで労働を申し出るなんて……!
と感動したけれど、確かに彼らは向こうの世界でも色々と執務で忙しくしていたのだ。むしろ毎日暇すぎたのかもしれない。
ということで、戸籍や住民票がない彼らにも出来る仕事を考えた。
ウォルトとトラヴィスは身分証不要の倉庫でのピッキング作業に行ってもらうことになった。彼らは肉体派じゃないし、私の口座を使ってFXとかやってもらおうと思ったけど、どうやらそれは違法らしい……と泣く泣く諦めた。
ちぇ。
2人ならなんか儲かりそうだったのに。
特にウォルトは非力だから最初のうちはヘロヘロだったけれど、肉体労働も何とかやっている。バイト先で知り合いもできたらしく、ヨーロッパからの留学生だと話しているからか、意外にもみんな優しいらしい。
知り合いたちから色んなことを聞いてきて、学んでくる。
時には揶揄われて「給料をもらったらその都度家族に額を大声で宣言するのが日本の慣わしだ」などと嘘を教えられて実行しようとしたこともあるけれど、まあ楽しくやっているようだ。ちなみに嘘だと教えると猛然と抗議しに行っていた。あんまり簡単に信じるものだから、ごめんごめんと笑われたそうだ。
ニコラスはなんと、Wetubeで「ニコちゃんねる」なるチャンネルを作り「歌ってみた」動画をアップして、そこそこ広告収入が入るくらいには人気を博している。
ちなみにチャンネル名を考えたのはトラヴィスだ。
『分かりやすくて女性が言いやすい語感が良い。「ニコちゃんねる」しかない』とあの威厳ある王子フェイスで真剣に言うものだから、みんなツボに入ってしまい、即決で決まった。
更には数多の動画を見て検証したトラヴィスが、『どうも! ニコちゃんねるのニコっす!』という始まりの挨拶まで考案してきた。
あの王子フェイスで、抑揚なく言うんだよ!?
私はもう腹が捩れるかと思うくらい笑った。あーあんなに笑ったのは本当に久しぶりだったな。
結局挨拶もトラヴィスの提案通りに決まって、トラヴィスはどことなく照れ臭そうに、でも嬉しそうにしていた。
採用されて嬉しかったんだね……少年よ……。
ニコラスは歌いやすいようにと目の部分だけ隠す仮面舞踏会に付けるようなマスクをしているのだけれど、それだけじゃ「この人、顔隠してるけどかなりイケメンじゃね?」とバレてしまっている。しかも体もバッチリ映っているから、マッチョな体格に似つかない甘い歌声のギャップに女性ファンが急増中だ。
一応アカウントや口座は私名義のため、私も共同配信者ということでたまに登場したりしている。当然顔を隠して。
関係を勘繰られると女性ファンが離れてしまいそうなので、ニコの姉という設定にしているのだけど、「姉は……なんか普通そう」という残念な評価が付いている。
悲しくないもん。弁えてるもん。ぐすん。
シリルも何かやる! と言ってくれたけれど、私がバイトに出てしまってシリルに負担が行っているため、これ以上負担にならないよう彼には専業主夫のような役割をしてもらっている。もちろん働きたいならいいよと言ったけれど、案外主夫は彼の性に合っているようで、何せ5人分の家事だし、毎日忙しそうに頑張ってくれている。
めっちゃ助かる。本当にシリルはイケメンだ。
一度「シリルは本当にいい夫になるね」と言うと、「本当? 嬉しいな……。姉さんの理想の男性って、家庭的な人なんでしょ?」と照れながら言われた。
そんなこと言ったことあったかな……?
もしかして幼い頃、ちらっと言ったことがあったかもしれない。
貴族社会で家庭的なんて言って、よく変に思わなかったなシリルは。しかし、何故そこでその話題が出るのか……。
お姉ちゃんちょっとよくワカラナイ。
そんな訳で、私は今日もバイト帰りにクタクタになって帰ってきたのだった。
「はぁただいまー」
「お疲れ様。今日は随分疲れてるね」
「すっごいクレーマーに捕まっちゃってさぁ。もうメンタルゴリゴリに削られたよ……」
水曜日は授業が午前中だけなので、午後からバイトをして上がりは夕方。
夕飯にももう少し余裕がある。
大家部屋にはエプロン姿のシリルと、ヘッドフォンをしながら腕立て伏せをしているニコラス、バイトで足が張っているのかクッションを足の下に挟んでソファーに寝転ぶウォルトが居た。
どうやらトラヴィスは居ないようだ。
「ウォルトも今帰り? トラヴィスは居ないんだね」
「ええ。バイト終わりにどこかに寄るところがあると途中で別れましたよ。そろそろ帰ると思うんですが……」
ウォルトが言い終わらないうちに、玄関からガチャっと音が聞こえて、トラヴィスが帰ってきたようだ。
「おかえりー。珍しく寄り道したんだね」
「あぁ……ちょっとな」
玄関の方に顔を出すと、トラヴィスの足元に何やら大きな紙袋が置かれている。
何か買って来たのかな。
彼らの使うお金はお小遣い制だ。
お昼を外で食べたり、好きなものを多少買えるくらいには渡しているけれど、トラヴィスはあまり物を買わない。
「無駄遣いしたらもったいない」という、王太子の口から出るとは思えない理由であまりお金を使えないようだ。
あちらの世界では金額など見ずにぽこぽこ買っていただろうに、なんという変化だろう。
私は知っているぞ。
ヒロイン(仮)のミシェルに王都一のサロンで仕立てたドレスを贈ったことを。
そのドレスに使ったお金があれば、半年はこのメンツで暮らして行けますけどね!
けっ。
まあ、ニコラスやシリルなどは今だに無駄遣いをしている訳だけど。
ニコラスは新商品とか新発売に弱くてすぐコンビニで衝動買いしているし、シリルは構造の分からない機械があるとすぐに買っては分解している。
ウォルトは……アイドルグッズに全力投球だ。
昼ご飯を抜いてまでお金を貯めて、アイドルグッズを集めている。
もういいのだ。
ウォルトにとってはあのアイドルに貢ぐことこそがこの上ない幸せなのだ。うん。
さてさて。
そんなことに思いを馳せている間、なんだかトラヴィスが顔を赤らめながらモジモジしている。
何? トイレ?
「ええと、あの、な。その……」
なんだなんだ。
あまりにも挙動不審。
え? なんかやらかした?
スマホでいかがわしいサイト見て法外な値段請求されちゃった?
心なしかシリルも険しい顔で見ている。
うん。ちょっと心配になるよね。
「…………蘭。ここ最近、学校に通ってバイトも始めて、大変だろう? その……この世界に来てから、お前には本当に世話になったと思っている。しかも考えて見れば、こっちに来てからお前の誕生日に何もしなかったと思って。だから、これは俺の気持ちだ」
そう言ってトラヴィスは、紙袋の中から、大きな薔薇の花束を取り出した。
途端。
視界がぐるぐると回って、あの光景が思い出される。
激しい音。
悲鳴。
強い花の香り。
舞い散る花弁。
じわじわと拡がっていく、赤、赤、赤。
私は思わず、花束をはたき落とした。
呼吸が乱れる。
気持ち悪い。
吐きそうだ。
嫌な汗が背中を流れる。
すぐ近くにいるはずのシリルの声が、遠く聞こえた。
「落ち着いて姉さん! 姉さん! 蘭!! ゆっくり息をして! 大丈夫、大丈夫だよ!」
シリルに背中を摩られ、ゆっくりとした呼吸に集中する。
「大丈夫、吸って、吐いて、吸って、吐いて……。大丈夫だから。落ち着いて」
シリルの声に合わせて呼吸を繰り返すと、段々と落ち着いてきた。
薔薇が視界から消えたせいもあるだろう。
10分もすれば、ようやく元の状態に戻ってきた。
私は、はぁと息を吐いて、いつの間にか突いていた膝を上げ、立ち上がった。
「い、一体どうして……」
「姉さんは、花、特に薔薇を見ると、昔からこうなんだ。姉さんに興味がなかったトラヴィスは、知らないだろうけど」
困惑して立ちすくむトラヴィスに、シリルが冷たい視線を向けながら言う。
そうは言っても、確かに花を見てこんな反応をする女はいないだろう。トラヴィスの困惑も分かる。今回に限っては善意100%だろうし。
ニコラスもウォルトも、心配そうに駆け寄って来ていた。
ああ。
私は彼らにこんなに心配されるまでになったのか。
「あの……花束ごめん。びっくりしたよね……」
「いやそんなものはいい。それより、大丈夫なのか? 一体どうして……」
「えっとね……」
つい、言葉に詰まる。
するとすかさずシリルが手を握って、私の目を覗き込んできた。
「無理に言わなくてもいいよ姉さん。昔僕がそのことを聞いたら、余計に酷くなったじゃないか」
「ううん、いいの。今なら、話せると思う」
私は一度、大きく深呼吸した。
「えっと、驚かせてごめんね。ずっと言えなかったんだけど、私、花にトラウマがあるの」
あれは、日曜日のことだった。
お父さんとお母さんと3人で買い物に出かけた帰りだ。
お父さんとお母さんは相変わらず仲が良くて、いつも2人並んで歩いていた。私はそんな2人の少し先を歩くのが癖になっていた。
私は時々2人の方を振り返り、すると2人は私を見てにっこり笑うのだ。
幸せだった。
血の繋がりなんて関係ない。
私にとって2人は、かけがえの無い家族だった。
横断歩道の信号が青になって、いつもの通り私は2人より少し早く歩きだした。
すると遠くの方で、大きなタイヤの擦れる音が聞こえた。
その音は遠いと思っていたのにすぐに近くなって、トラックが目の前に迫って来ていた。
あっ、と思った瞬間。
私はお父さんに激しく突き飛ばされた。
それと同時に、激しい衝突音が後ろから聞こえてきたのだ。
道路に倒れ込んで振り返った私が見たものは、この世のものとは思えない光景だった。
辺り一面に花が散らばっていて、強い花の香りがした。
花弁が宙に舞っていて、その花弁の向こうには、
横転したトラックと、血まみれで倒れている両親が居た。
赤い血がドクドクと道路に拡がっていく。
そして薔薇が。
赤い薔薇が、その血と同化していくのが見えた。
ともすれば美しいような錯覚を覚える光景に、私は頭が真っ白になった。
見ていた人々が悲鳴を上げていたような気がするけれど、どこか遠くの方に聞こえた。
私は病院に搬送されて、両親の死を聞かされた。
そんなの分かってた。
だって、明らかに。
明らかに、2人の命はもうなかったから。
そんな……状態だったから。
話に聞いたところでは、両親にぶつかったのは花屋のトラックで、たくさんの花を積んで運搬しているところだったそうだ。
運転手が急な心臓発作を起こしたことによる、不慮の事故だった。
そんなの。
そんなのあんまりだ。
運転手は亡くなり、両親は私を庇ったことで亡くなった。
分かってる。
お父さんとお母さんが私を助けようと走り出さなければ、私を突き飛ばさなければ、2人はきっと死ぬことはなかった。
いっそ飲酒運転とか居眠り運転だったなら、相手を恨むことが出来たのに。
私は他の誰も恨めないまま、私自身を責めるしかなかった。
「だから……今でも花を、特に薔薇を見るとあの時のことがフラッシュバックするの。あの、色鮮やかな花弁の中で、死んでしまった2人のことが」
今はこれでも落ち着いた方だ。
事故の直後はかなり酷くて、本物の花だけではなく花柄のものを見るだけでもあの光景が蘇った。
だから持っていた花柄の服や小物は全て捨て、お母さんのものは目に触れないよう押し入れの奥底にしまった。
おかげでタンスはガラガラになってしまったけれど。
向こうの世界に転移してからは、地獄だった。
あの国は名前の通り、花をとても大事にしている国だ。各家には花や植物の名前が冠され、家の紋章にも刻まれる。
家中の至る所に花が置かれ、私はそれを尋常じゃなく怖がって意識を失うことさえあったのだ。
だから、クローディアの両親も次第に私の周りから花を遠ざけ、いつしか私からも離れていった。
「まさかそんな……」
トラヴィスが酷くショックを受けた様子で、青い顔をしている。
当然だろう。
彼は今まで、私に花しか贈ってこなかったのだから。
向こうの世界でトラヴィスは私のことを嫌っていたから、「女には花をあげておけばいい」と、私の好みなど全く調べもせず、気にもしなかったのだろう。
だから私が「花は要らない」と遠回しに伝えても、一切気にせずに毎年花束を贈ってきた。
家の名に付く花を贈ることは愛情表現だとされているため、王家の名にある薔薇を贈られることはなかったけれど、それでも色とりどりの花束を見る事は、私にとって苦痛でしかなかった。
それをシリルは知っていた。
理由は言えなかったから、何故かは知らなかったろうけど。
シリルからもトラヴィスに伝えてくれたことがあったようだけど、それでも変わらなかった。いつしか届いた花束は私に渡されることなく、贈られた物の報告だけされるようになった。
使用人たちが考慮してくれたようだった。
「……あの国で花が嫌いだなんて言ったら、完全に非国民だし。表立っては私も言えなかったから、仕方ないよ。まさかそんな女が居ると思わないよね」
まあそれでも、ほんの少しでも私に心配りをしてくれたら、分かったことではないかなと思うけれども。
今それを言うのは、なんだか気が引けて言えなかった。
「そうか……。だから入学の時に付けたあの胸の薔薇を取ったんだな」
「えっ。見てたのニコラス?」
「ああ……すまない。てっきり身分が下の者に付けられたのが嫌なんだと思っていた」
「あー、なるほど。それは嫌な奴だね」
ニコラスはそれまで直接的に私に何かを言ったりはしなかったのに、アカデミーに入ってから私への敵対心が顕著になったと思っていたのだ。
その下地には、そんなこともあったのか。
「この家には花どころか花柄のものも何もないと思っていたんだ。……理由があったんだな」
なんとニコラス。
そんな細かいことに気が付くんだな。
実は最近薄々感じていたことだけど、意外と彼はただの脳筋ではなさそうだ。
「姉さんの花嫌いには、そんな理由があったんだね……。ごめん、全然分かってあげられてなかった。辛かったね……」
シリルが私の肩に手を置いて、自身の額をその手に置く。
慰めると言うより、まるで自戒しているみたいだ。
「実は、蘭さんはあの交差点の花屋の前で必ず視線を逸らすんだなと思っていたんです。あれも、花を見たくなかったからなんですね」
なんと。ウォルトには気付かれていたようだ。
そう、どうしても家から駅に行こうとすると、あの花屋の前を通らざるを得ない。だから花屋の前を通る時、必ず視線を外してしまう。
以前は前を通るだけでパニックになっていたけれど、今は通るだけなら平気だ。
それでもまだ、直視することは出来ない。
それ程までに、あの事故の記憶は私に深い傷を残していた。
「蘭……。すまない。今更かもしれないが、きちんと謝罪させてくれ。まさかお前をこんなに苦しめているとは、思っていなかったんだ。本当にすまなかった」
トラヴィスが私に深く頭を下げる。
驚いた。
王族らしく、彼は一度だって謝罪したことがない。なのに、私に向かってこんなに頭を低く下げるなんて。
それほどまでに、申し訳なく思っているのだろう。
「この1年、色々言い訳をして逃げてきた。けれど、きちんと話そう。話させてくれ。そして本当の意味で、君に謝罪がしたい」
トラヴィスは真剣な顔で私を見つめる。
ウォルトやニコラスも同じ顔だ。
シリルがぎゅっと私の手を握って、真剣な顔で頷いた。
私はその手をキュッと握り返して、トラヴィスの瞳を見つめ返したのだった。
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