第16話 帰ってこない

 食事が終わってからもデート? は続いた。

 特に目的もなくぶらぶらしている感じだったのだけれど、その時間がとても愛おしかった。

 妃乃は終始思わせぶりな態度を取るだけで、結局その気持ちをはっきり伝えてくれることはなかった。いっそ、本当にわたしが何か勘違いしているのかと思ったくらい。

 だけど……勘違いじゃないよね? 妃乃は……わたしのこと、好き、なんだよね?

 妃乃は、わたしに勘違いさせて、それを楽しむような性根の曲がった人ではないはずだ。


 気づけば午後六時を過ぎていて、わたしたちは帰路についた。

 このまま妃乃の部屋にお呼ばれして……流れで関係を深めてしまえればいいのにね。

 明日は休みだし、わたしを朝まで逃がさないでくれればいいのに。

 はぁ……朝チュンしたい。


「ねぇ、瑠那」


 帰りの電車にて、並んで座る妃乃がわたしの名前を呼ぶ。もっと呼んでほしい。耳元で囁いてほしい。


「何?」

「私の家まで、その本、運んでくれるよね?」

「え……? うん。それは、いいよ。定期があるから電車代もかからないし」

「そう? 良かった。ありがと。本ってなかなか重いよねー、一気に買いすぎちゃった」

「本当だよ。文庫サイズだけならまだしも、大判なら一度に買うのは二、三冊程度だよ」

「だよね。次からはそうする」


 ふむ……? 妃乃の家まで行くことが確定した? これ、そのまま流れでお泊まりコース? んなわけないか。


「瑠那、晩ご飯は家で食べるのかな?」

「夕飯までには帰るって言ってるから、そうなる予定」

「キャンセル不可?」

「不可ではない、よ? 今ならまだ、たぶん……」


 え? なんでそんなこと訊くの?


「じゃあ……うちで食べない? 晩ご飯」

「……いいよ」


 心がざわついた。これって……もしかして、本当に朝まで一緒にいられる? いやいや、そんな期待をしてはいけないよね。わかってるわかってる。


「じゃあ、ちょっと親に連絡するね」

「うん」


 スマホを取り出し、母に連絡。晩ご飯は食べて帰ると伝えると、了解、と軽い返事。


「了解、だって」

「そっか。良かった。いつも一人で食べてるから、結構寂しいんだよね」

「へぇ……親の帰り、遅いの?」

「ううん。帰ってこないの。私、一人暮らしだよ」

「え? そうなの? ……え?」


 一人暮らしということは、瑠那の家で二人きりになるということに相違ない?

 あの……もしかして、これって色々と期待しちゃっていい?

 でも……帰ってこない、という言い方は少し気になるな。

 ただ、それを電車の中で尋ねて良いものかはわからない。

 星見駅まではただの雑談に終始して、駅の改札を抜け、周りに人がいなくなってから尋ねる。


「ねぇ、さっき、親は帰ってこないって言ってたよね。あれは、どういう意味? その……不幸なことでもあった?」


 例えば、もう死んでしまったとか……?

 そんな心配は不要だったらしく、妃乃は首を横に振った。

 でも、まだ明るいはずの空の下、その横顔はとても寂しげに見えた。


「両親は健在だよ。……私が、一人にしてほしいってお願いしたの。それで、両親はそれを受け入れて、出て行った」

「一人にしてほしい……? 一人暮らしって、妃乃が一人暮らしのために家を出たんじゃないの?」

「私はそれでも良かったんだけどね。両親の微妙な心理として、私を放り出すようなことはしたくなかったみたい」

「……その、何かちょっと暗めな事情があるのかな?」

「まぁ、ちょっと」

「ふぅん……。それ、訊いてもいいのかな」

「……うん。むしろ、私の話、聞いてほしい」

「うん……」


 妃乃は何を考えているのだろうか。今までの陽気で軽やかな雰囲気がなくなって、萎れかけの花みたいになっている。

 似合わない。でも、きっと、わたしは妃乃の深いところに触れようとしている。

 覚悟した方がいいのかもしれない。何か衝撃的なことを聞かされると。


 妃乃の家は、駅から十分程の住宅街にある二階建ての一軒家だった。家族が住むための家のはずなのに、駐車場には車もないし、自転車も一台だけ。人の気配がなく、とても寂しい家に思えた。

 妃乃に導かれて、わたしは家の中へ。

 蛍光灯に照らされるだだっ広い空間が、とても白々しく感じられる。


「お邪魔しまーす……」


 当然、返事はない。妃乃も「ただいま」と言わない。


「ご飯、先に食べよっか。本はその辺においといて。ご飯作るから、ちょっと待っててね」


 妃のがリビングに案内してくれて、わたしは四人掛けのテーブルにつく。

 一人暮らしだというけれど、室内は手入れが行き届いている。一人でこの家の管理をするのは大変そう。


「瑠那、何か食べられないものとかアレルギーはある?」

「よほど変なものじゃなければ食べられるよ。アレルギーも特にない」

「わかった」


 妃乃はキッチンに立ち、黙々と作業を進める。話しかけて良いものか迷って、結局わたしは無言を選択する。妃乃がどういう心持ちでいるのか判然とせず、気軽に話しかける勇気が出なかった。

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