第15話 悪戯

 わたしたちが向かったのは、駅から徒歩十五分、少し奥まったとこりにある『チアフルリリックス』という名前のカフェ。特別に飾った空間ではないのだけれど、シンプルさの中に洗練されたセンスを感じるお店。明るく陽気で、清潔感がある。一つ目立った特徴として、壁にシルクスクリーンで少年が描かれており、有名な落書きアーティストを彷彿させた。


「こういうところ、瑠那は好きじゃない? 変にごてごてしてないけど、綺麗な雰囲気作りが上手くてさ」

「……うん。いいところだと思う。妃乃はいいお店を知ってるね」

「喜んでくれて良かった。探した甲斐があるよ」

「……そう」


 わたしのために、探してくれたの?

 そういうことで、いいんだよね?

 妃乃がほいほいと放ってくる好意の欠片。わたしは上手く受け止められなくて取りこぼす。これ……拾ってもいいの? いい加減はっきりしてほしい。


「と、とりあえず注文しようか……。ここは何がおすすめなのかなー?」

「パスタって言ったじゃない。もう忘れたの?」

「え? そんなこと……あ、言われたのか。わたしは今日、お昼にパスタを食べるって」

「そうそう。伏線回収って奴だよ」

「……あってもなくてもいいような伏線とその回収だったよ」

「酷っ。そんなはっきり言わなくてもいいのに! 素人がそんなに上手く演出なんてできるわけないでしょ!?」

「それもそうだね。ごめん。しょうもないけど……なんか嬉しいよ」


 伏線云々はさておき、妃乃はわたしのために色々と考えてくれたのだ。その事実だけで、もう胸が一杯だよ。

 そんなにわたしを惚れさせようとしても無駄だぞ。元から惚れちゃっているのだから。

 わたしは海鮮パスタ、妃乃は季節野菜の彩りパスタを選び、それにサラダセットを加えた。


「そういえば、七藤さんがくれた本ってなんだったのかな?」


 妃乃に尋ねられて、わたしも気になる。


「なんだろう? 開けてみようか」


 七藤に渡された青い袋を取り出し、その中身を机に置くのだが……。


「はぁ!?」


 それは一冊のラノベで、百合ものだった。表紙では女の子同士がかなり積極的にひっついている。っていうか、わたしは読んだことのあるタイトルだった。

 何でこんなもん渡してきた!? どういう意図で!?


「あ、百合ものって奴? 女の子同士の恋愛を描いた話だよね?」


 妃乃は特に動揺も見せず、ごく普通にその本を手に取る。


「そ、そうみたいだね……。全く、一体なんでそんなものを渡してきたんだか……。意味わからないよねー。ははは……」


 わたしの中では、今この手の話題は非常にセンシティブなのだ。触れて良いのかいけないのかわからず、保留にしていた。


「瑠那はこういうのも読むの?」


 むしろそういうのばっかり読んでいるよ。


「そ、そうだなぁ……。まぁ、教養として? 一応目は通してるって感じかな?」

「へぇ……面白いのかな?」

「そりゃ、人によっては面白いんじゃないのかな?」

「瑠那はどうだった? 面白いと思った?」

「……う、うん。悪くないと思うよ?」


 無難な返しってなんだろう? 変に思われない返しってなんだろう? それはめっちゃ面白いしおすすめだよ! と叫びたい気持ちを誤魔化すにはどうすればいいだろう?

 妃乃の言動からして、わたしをそういう目で見ているだろうとは察している。でも、確信が持てない。九十パーセントの自信があっても、残りの十パーセントの可能性がわたしを怯ませる。


「瑠那は、これ、読んだことある?」

「……あるよ」

「じゃあ、これ、私が預かってもいい? 帰ってから読んでみる」

「うん……。いいよ」

「瑠那はさぁ」

「うん?」

「女の子を好きなったこと、ある?」

「え!? な、なんで急にそんなこと訊くの!?」


 っていうか、女の子しか好きになったことないけど!?


「瑠那なら、こういう話でもちゃんと答えてくれるかなって思って」


 妃乃の端正な顔が、悪戯好きの猫のように僅かに歪む。


「わたしじゃなくても……こういう話題に付き合える人はたくさんいると思うし……」

「そうかもね。でも私、他の誰かじゃなくて、瑠那のことを知りたいんだよ」


 なんでわたしのことを?

 訊けばいいのに。その答えにも察しがついているのに。核心に迫る一歩は踏み出せない。


「……わたしは、そういうことは、ないかなー。あ、もちろん、友達として好きになることはあるよ? ははは……」

「ふぅーん」


 妃乃の目がやけに細められる。君の嘘なんて全部見抜いているよ、とでも言わんばかりに。

 見抜いているなら、さっさとそっちから核心に迫ってよ!

 こっちは心臓がもたないぞ!

 好きなら好きだって言ってよ!

 そっちから言ってくれないと、わたしからなんて無理だよ!

 心の中だけでぎゃーぎゃー喚き、表では無言で見つめ合う時間が続く。

 見つめてくるのもやめてほしい。そろそろ心臓がとまる。

 そうしているうちに注文の品が到着し、ほっと一息。無言の時間が終わって、二人でまったりと食事を始める。

 パスタはとても美味しくて、しかも妃乃が目の前にいて、わたしの幸福メーターは常時振り切れていた。

 はぁー……もう死んでもいいかも。

 嘘だけど。

 もっと妃乃に近づきたい。

 曖昧な関係じゃなくて、お互いの気持ちをきちんと通わせ合いたい。

 好きだ好きだ好きだ。

 想っているだけじゃなくて、想われたい。

 わたしはもっと、幸せになりたい……。わたしの心が全部、壊れてしまうくらいに。

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