第20話 ビックホーンの角煮込み 中編

子どもの冗談だ。


リリィの件は置いておいて、家事をしながら、帰るための手がかりがないかと捜し回る。


そもそも、ここがどこなのかもわからない。


魔女の家は、苔がびっしり生えた洞窟にあった。


逃げ出したとしても、戦闘能力皆無な私が無事で済むとは思えない。できれば助けを呼びたいのだが……。


「外部との連絡手段なんてないのかなあ」


スマホを自由に使えた頃が懐かしい。


ブツブツ言いながら掃除をしていると、一冊の本を見つけた。


「うわあ。すごい埃」


革製の表紙が真っ白になっている。


ふうっと息を吹きかける。タイトルから、古代の伝承を扱った本だとわかった。


異世界の文字が読めるってすごいわよね。


これも神様から賜った恩恵のひとつだ。意思疎通に問題がないようにという配慮らしい。もちろん、会話も問題なくできる。


「それにしても綺麗な表紙」


革表紙に彫り物がされている。太陽と……月だろうか? 竜や魔物らしき動物、人間の姿も見えた。


興味をそそられて、そっと本を開く。


長々しい文章の横に挿絵がついている。


地面深くに掘られた穴の中で、人や動物が逃げ惑う絵だ。


「それ、ドワーフ」


「え?」


リリィが横から本を覗き込んでいる。


小さな手で、挿絵を指差した。


「ドワーフがね、アースワームに襲われたの」


「えっと?」


「帰る家がなくなっちゃった。可哀想だね」


どう考えても言葉足らずだった。


混乱しつつ、横に書かれた文章を確認する。


……確かに、古代のドワーフが見舞われた大災害について書かれているようだ。


アースワームは、本来ならば人にとってさほど脅威ではない。


目は退化していて、地中深くで土を喰らっているだけの大人しい魔物。地下洞窟などで稀に遭遇しても、手を出しさえしなければ襲っても来ないという。


だのに、数百年前に一度だけ、アースワームが暴れた事件があった。


それが挿絵で描かれている場面だ。原因は不明。ドワーフの里は壊滅的なダメージを受けてしまったという。


もともとドワーフは少数民族だったが、ますます数を減らしてしまったとある。


「……大変だったんだね。ドワーフ。……ドワーフかあ」


私にとって、ドワーフといえばギギである。


あの破天荒で自分勝手で、欲望に忠実な彼女。実はかなりの年齢であると聞いた。


ドワーフはエルフに次ぐ長命種だ。当時のことを覚えていたりして――。ま、さすがにそれはないか。


パタンと本を閉じて、深く嘆息する。


いまとなってはラボでの騒動すら懐かしい。


「ギギ……元気かなあ」


「なんじゃ? ワシが恋しくなったか?」


「……!?」


ギョッとして目を剥く。


慌てて顔を上げると、目の前に桃色の瞳があった。


「ワハハハハ!! 酒じゃ。酒がおる。なにをしておるのだ!」


人をとんでもないあだ名で呼ぶのは、まぎれもなくギギだ!


「ど、どうしてここにッ!?」


「どうしてって。ダーニャとワシは共同研究者だからのう。いつも通りに互いの成果を確認しにきただけじゃ」


そういえば、「時の欠片の箱」の開発にダーニャも関わっていたのだった。


「あっ、あのっ!」


興奮気味にギギに近づく。どうしても確かめたいことがあった。


「妹は私がいなくなって心配してませんでしたか!」


「どうだったかのう。ワシ、基本的にラボから出ないから」


「お・も・い・だ・し・て!! 下さいィィィィィ~!!」


「あわ、あわばばばばば。お、落ち着くんじゃ……!!」


ガクガク肩を揺さぶると、ギギは目をクルクル回している。


無理矢理私の手を引き剥がすと、やや青ざめた顔で言った。


「お、お主の妹がどうかは知らんが。ここ最近、神殿の中がやけに騒がしいとは思っておった。ドッカン、ドッカン、なにかが爆発する音が――……」


「妹だ」


「は? なんじゃ? 主の妹は爆発物なのか?」


「わ、わかりませんけどっ! たぶん妹が暴れているんだと……」


根拠はないが、確信があった。


大丈夫かなあ。


教皇や騎士たちにひどい態度を取っていなければいいんだけど。


冷たいものが背中を伝う。


――こうしてはいられない。一刻も早く帰らなくちゃ。


「ギギさん。私を連れて帰ってくれませんか」


真剣な眼差しを向ける。私にとってギギは唯一の希望だった。


「そうは言ってもなあ……」


ギギはなにやら渋っている。


「ダーニャの家にあるものには、すべて魔法がかかっていてな。勝手に持ち出すと、すぐに持ち主に警告が飛ぶのじゃ。前に、こっそり材料をパクッたら、えらい目に遭った」


「いや、なにをしてるんですか。あなた」


「だって~。貴重な材料だったんじゃもん。ワシのプリチーさに免じて許してくれると思ったんじゃが。ダーニャのババァったら、ぜんぜん許してくれなくてな~。一週間ほど宙づりの刑に処されてしまった。心の狭い奴じゃ」


カッカッカ。


朗らかに笑っているが、どう考えても笑える状況ではない。


恐ろしい魔女の家から逃げ出すのは、やはり容易ではないようだ。


けれど、このチャンスを逃がすわけにはいかない!


妹の元に帰るためにはなんだってする。


「……半年間」


「ん? なんじゃって?」


「これから半年の間、毎日ラボにお酒を届けましょう。キンッキンに冷えたビールを!!」


「なん……だ……と……!?」


こくりとギギの喉が鳴った。ぷるぷるっと首を横に振る。


「で、でもお~。さすがのワシも逆さづりは勘弁じゃし~」


ギギはモジモジしている。だが、チラッチラッとこちらの様子を窺ってもいた。


――行ける。もう一押しだ!


「わかりました。季節のおつまみも付けましょう! なんならお酌付き!!」


「よしっ! のったァ!!」


ギギが喝采を上げる。


「酒のためならなんでもしよう。ぐふふ。楽しみじゃのう」


ニコニコ顔になってご満悦だ。


さすがはドワーフ。酒好きの魂には逆らえないらしい。


「よし、これで帰れますね! 待っていてね、まもり……!」 


すぐに行動を起こす。出発の支度をしようとした。


「おっと、待て待て。焦るでないわ」


「どうしてです?」


「逃げ出しても、すぐに気付かれるじゃろうな。この家にあるものには、すべて魔法がかかっておる。主も例外ではない」


「あ……」


つまり。ダーニャに気付かれないような工夫が必要だ。


「どうすれば……」


途方に暮れていると、ふむ、とギギが考え込む仕草をした。


「そうじゃ! おあつらえ向きの食材があった」


荷物を探る。中から取り出したのは大きな角だ。


「ビックホーンじゃ。覚えているか? 主の妹が狩った奴じゃよ。研究の材料にと分けてもらったのじゃが。これさえあれば……なあ?」


「確かに……なんとかなるかもしれません!」


ニヤリと妖しい笑みを浮かべる。


ガッシと握手を交わす。これにて取引が成立した。


ダーニャ家脱出大作戦、開始である。

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