第8話 マタンゴのポタージュ 後編

「もうなにも信じられない」


さっきまで泣き顔だったシセルが、ブツブツつぶやいている。


いきなりの人間不信。原因は――調理に使う材料のせいだった。


「俺から生えたキノコを使うってマジかよ!? そんなの弟に食わせられねえ!」


シセルは不満を隠そうともしない。


「落ち着け。こいつらは勇者だ。悪いようにはしない」


暴れる少年の首根っこを押さえているのはジェイクさんだ。


「離せっ! ワンコー!!」


「俺は犬じゃない。気高き狼だが?」


巨躯の獣人は完璧にシセルを抑え込んでいる。やけに手慣れた様子だ。シセルはピクリとも動けないようだった。


「おねえちゃんのすることに文句言うなんて。生意気だなあ!」


プリプリ怒る妹に、思わず苦笑を浮かべた。


「まあ、わからなくもないけどね」


自分から生えたものを口にするなんて、私だってゾッとする。


シセルが「毒味してからじゃないと弟に会わせない」なんて言い出すのも納得だった。


「ま、とりあえず作ってみましょ」


作るのは、マタンゴのポタージュ。


マタンゴはキノコの時点では胞子を飛ばさない。


成体でないと、己の分体を作ろうとしないのはなぜか?


答えは簡単だ。


生存競争を勝ち抜くためである。


栄養分となった死骸からは、多数のキノコが生えてくるが、実際にマタンゴになれるのはそのうちの一本だけだ。


競争に勝つため、それぞれのキノコは他のキノコへ対して強烈な除草作用のある成分を発している。


最後まで生き残った者が成体になれる……そういう仕組みだ。


「だから、キノコを使う必要があるんだな?」


「そうなんですよ。彼等の習性を利用するわけです」


キノコには除草成分がたっぷり含まれている。


これがなによりの薬になるというわけだ!


シリルから収穫したキノコと、玉ねぎを粗みじん切りに。


拠点から持って来ていたベーコンは賽の目に切っておく。


下ごしらえはこれだけ。あとは順次炒めていくだけだ。


じゅわっ!


温めた鍋にバターを入れると軽快な音がした。香ばしい匂いにうっとりしながら、ベーコンを加えて焼き色がつくまで炒める。


絶対に焦がさないように注意しつつ、ベーコンはいったん待避させる。玉ねぎをしんなりするまで炒めたら、キノコを加えて……。


「しっとりとバターで濡れるまで炒めたら、お水と牛乳、顆粒コンソメを加え、沸騰寸前まで煮立たさせる……」


鍋を火から下ろして、おもむろに異次元収納から〝とある〟道具を取り出した。


棒の先がお椀形になっていて、一見するとなんだかわからない。


とたんにシセルが怪訝な顔になる。


「な、なんだそれは! 変な道具を使うんじゃねえ!」


「変な道具じゃないってば。魔道具なの。知り合いに作ってもらってね――」


魔石がはまったボタンを押す。ぶいいいいんっ! 内臓されたプロペラが勢いよく回った。


「フッフッフ。これ、ブレンダーなのよ……!」


鍋のなかにクリームチーズを投入。道具を差し込む。再びプロペラが回ると、あっという間に具材が粉砕されていく!


「異世界でもブレンダー使えるの、本当に最高……!」


おかげでスープ類のハードルがすごく下がった。


発明家の〝あの人〟には感謝しかない。


「…………。意味わかんねえ」


「わかんなくてもいいの。美味しければ正義なのよ」


唖然としているシリルを余所に、テキパキと調理を進めて行く。


再び鍋を火にかけて、塩を振る。


器に盛って、最初に炒めたベーコンを加えて胡椒を振れば――。


「完成! マタンゴのポタージュ!」


真っ白なスープにベーコンのいかだが浮かんでいる。


バターの風味がなんとも嬉しい、濃厚な一杯だ。


「……う、美味そうではあるけどよ……」


シセルがたじろいでいる。


困惑の色が強い。いまだ忌避感が拭えないようだ。


「食べてみせようか?」


「えっ」


ふう、ふう。ぱくり。


シセルが驚いている間に、ポタージュをすくった匙を口に含んだ。


「んん~~っ! 美味しくできた!」


思わず笑顔になる。


じっくりベーコンを炒めてから煮込んだので、すみずみまで脂の旨みが行き渡っている。山盛りのキノコを入れたからか、複雑な味わいが舌の上に広がった。


チーズ入りなのがいい。まったりとしたコク! 牛乳の柔らかさ。なんとも嬉しいまろやかさだ。


すぐに慣れてしまいそうな濃厚な味も、ベーコンの薫香や歯触り、胡椒の刺激で飽きることなく食べ進められる。心ゆくまで満足できる一杯だ。


「あ、おねえちゃんだけずるーい!」


「ん? 俺らも食べて大丈夫なのか」


「もちろんですよ。ないとは思いますけど、いちおう予防のために食べておきませんか」


「ぜひそうさせてもらおう」


ちょうど小腹が空いている。せっかくだからとみんなでポタージュを分け合う。ジェイクさんやまもりにも「美味しい!」と好評だった。


「……本当に、大丈夫なんだな?」


ポタージュ入りの椀を持ったシセルが、ぽつりとつぶやいた。


「大丈夫だよ」


胸元からペンダントを取り出す。神の代行者、勇者の証を見せて笑ってみせた。


「私を信じて」


「――わかった」


ポタージュをすくう。ふう、ふうと息を吹きかけ――。


ゆっくり口をつけた。


こくり。シセルの喉もとが動くと、とたんに泣き顔になった。


「うめえな」


眉尻を下げて困り顔になる。


「俺から生えたキノコなのになあ」


味は気に入ってくれたようだ。


二口目、三口目と匙を進めながら、シセルは私に訊ねた。


「なあ。アンタ、あの子の姉なんだろ?」


視線はまもりを捉えている。うなずくと、シセルはしみじみと語った。


「下がいるって大変だよな」


「……弟さんの話?」


「ああ。今年で六つになるのかな。俺とずいぶん年が離れてるから、本当に甘ったれな奴でさ。母さんが本当に好きで……」


手が止まる。どこか苦しげに言った。


「手がかかる奴なんだ。ひとりじゃなにもできない。だからさ、町にふたりぼっちで取り残された時、途方に暮れちまって……。飯を食わなくちゃ死ぬっていうのに、泣いてばかりでさ。なにも手伝っちゃくれない。何度、弟がいなけりゃって思ったことか」


シリルはまだまだ未熟な子どもだ。


十代中頃なんて、本来なら自分のことしか考えなくてもいい時期に、弟の命を背負わされた。想像以上の苦労や葛藤があったに違いない。


正直、幼すぎる弟を厭わしく思う気持ちも理解できた。


だって――


「それでも今日まで守ってきたんでしょう?」


シリルが顔を上げる。


「愚痴はこぼしてもさ。見捨てられなかったんだよね」


確信を持って告げると、シリルの顔がくしゃりと歪んだ。


「……俺は兄ちゃんだからっ……!」


みるみるうちに瞳が濡れた。透明なしずくが滴り落ちる。


ポタージュの海にいくつも波紋が広がっていった。


「母ちゃんがいつも言ってた。弟を守ってくれって。だから、ずっと、ずうっと気を張ってたんだ。いつかは旅人が通りすがってくれる。助けてもらおうって思ってて……。なのに、目を離しちまった。気がついたら弟が親を探しに出てて」


慌てて捜し回ったという。


そしてマタンゴに襲われている弟を見つけた。


「俺がッ! 俺が目を離さなかったらッ……!!」


こんなことにはならなかったのに。


ぽつりとこぼした瞬間、シリルの全身が淡く光った。


「あ……」


シリルの身体から生えていたキノコが、みるみる萎れていく!!


料理の効果が表れたのだ。


「すげえ。すげえやっ……!」


薄汚れた顔に満面の笑みを浮かべたシリルは、嬉しげに目を細めた。


「ねえちゃんの言葉は本当だったんだ」


ポタージュが入った椀をしっかり抱える。宝物を見つけたように顔をほころばせたシリルは、しみじみと言った。


「ありがとうな。これで弟も救われる」


少年らしい純な笑顔だった。


……よかった。


本当によかったなあ。


「おねえちゃん、私もおかわり!」


「はいはい」


ふと視線を外す。再び戻した時にはシセルの姿がなくなっていた。


「……シリル?」


「どうした」


「シリルがいなくなっちゃったの」


「えっ!? なんでよ!?」


慌てて三人で捜し回る。


町の中に人気はない。


あちこち捜しているうちに、地下室がある家を見つけた。


「もしかして……」


頷き合って、階段を下りていく。


もともと、農作業道具をしまう納屋として使われていたらしい。


暗闇の中、分厚く埃が積もった地下室の奥に――シリルたちがいた。


「嘘……」


石の床の上に、キノコの山がふたつあった。


大きめの山が小さい山を抱きかかえるようにしている。


マタンゴの苗床となってしまった遺骸だ。


キノコの下には、人骨と、ボロボロになった服が見えた。信じたくはないが、見覚えがある。


物言わぬまま横たわる彼等のそばには椀が置いてあった。


異様だった。


静まり返った地下室の中で、白い湯気だけがゆらゆら立ち上っている。


「私が作ったポタージュ……」


かくりと膝をつく。


救えたと思ったのに。


私なら救えると豪語したのに!!


……なにもかも手遅れだったのだ。


「もう死んでたってこと……?」


「だから、腹が減らないなんて言ってたのか」


妹とジェイクさんの声が地下室に響いている。


思えば、いろいろと不自然だった。


彼等が取り残されてから三ヶ月。子どもふたりで、そんなに長い間生きられるとは思えない。


魔物が頻繁に出没する深い森。各家庭に残された食料をかき集めたって、そう長くは保たないだろう。


「死んだ後も弟を守ろうとしたんだね」


妹が寂しげにつぶやいた。


シリルと思わしき遺骸に手を合わせ、ひどく優しい声色で言った。


「いいお兄ちゃんだ」


涙が瞳からあふれる。


現実を認めたくなくて、おもわず嗚咽がこぼれた。


「お前のせいじゃない」


ジェイクさんが言う。


「そうだよ!」


まもりも賛同してくれた。


「むしろよかったと思う。死んだって気づいてなかったシリルが、向かうべき場所に行けるようにしてあげたんだ」


「…………ッ!」


洟をすすって奥歯を噛みしめる。


震える手をそっと合わせた。


「シ、シリル。がんばったね……。お疲れ様。本当に。本当にがんばったよね。――ごめんね、ごめん……」


ふたりの言うとおりだ。


間に合わなかったのは、たぶん誰のせいでもない。


だけど、私になら助けられた。


それがなによりも悔しい。


「ごめん……」


何度も何度も謝った。


気が済むまで、兄弟の前で祈りを捧げる。


兄弟の魂が安らかであるように願い続けた。




――――――――――――

マタンゴのポタージュ


マタンゴ(ホワイトマッシュルームやしめじ、まいたけ等) 150グラム

ベーコン 60グラム

玉ねぎ 中一個

牛乳 200ミリリットル

水 200ミリリットル

クリームチーズ 50グラム

バター 20グラム

顆粒コンソメ 小さじ2

塩・胡椒 少々


*レシピ本で見つけて、うちの定番になったメニューです。キノコは何種類かミックスするとなお美味しい。牛乳を入れた後に沸騰させると、分離してえらいことになるので注意。鍋から目を離したらいけない(自戒をこめて)。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る