第7話 マタンゴのポタージュ 前編

草原を抜けると、ふたたび深い森が現れた。


最初の森よりも、木々が密集しているからか薄暗い。


あちこちキノコが生えていて、樹齢何百年もありそうな巨木にびっしりと蔦が巻き付いている。なんだか不気味だ。


「森を越えると、遠くに街が見えるはずだ。お前らの拠点にしている街だな」


「そうですか!」


やっと家に帰れる……! 涙が出るくらい嬉しい。


「は~! なかなか遠かったね。おねえちゃん!」


妹も嬉しそうだ。


往路は別ルートで来たせいで、峠越えがどれくらいかかるか予想がつかなかったのだ。


正直、クタクタだった。


戻ったら数日は休養するべきかもしれない。


「早くお風呂に入りたいね」


「本当……。柔らかいベッドで眠りたい」


目的地までの距離がわかると、いくぶん足取りも軽くなった。


相変わらず森の中は薄暗い。怖さを紛らわせるため、わざと明るい声で話しながら歩いていたのだが――。


「…………」


しばらく歩いていると、そんな余裕はなくなってしまった。


「なにこれ……」


「おねえちゃん、わ、私から離れないでねっ!」


思わず妹と肩を寄せ合う。


カァ!


カラスが鳴く声がして、びくりと身をすくめた。


「……ひどいものだな」


ジェイクさんがぽつりとつぶやく。


目を背けたくなるような光景が目の前に広がっていた。


森の中に続く道沿いに廃墟が建ち並んでいる。


レンガで組まれた家々は、見るも無惨に朽ちかけていた。


屋根は崩れ、柱は折れている。レンガにはびっしりと苔が生え、床からは木々の若芽が顔を出していた。


なにより特徴的なのは、どこもかしこもキノコだらけという点だ。


森の緑にいまにも呑み込まれそうな廃墟の中で、キノコの鮮やかな色だけが不気味に際立っていた。


「……放棄された村でしょうか」


「たぶん。ここには、峠越えをする旅人向けに宿屋があったはずだが――」


キイ、と金属が軋む音がする。一軒の廃墟の軒先で、朽ちかけた看板がユラユラ揺れていた。


「魔素の大量噴出で、魔物の活動が活発化した。人が住むのに適さなくなったのかもしれない」


「悲しいね。……故郷を捨てないといけないなんて」


まもりが寂しげにつぶやく。


視線の先には、放棄されたのだろう家財道具があった。薄汚れた人形の瞳が、ぼんやりと虚空を見つめている。


「早く行きましょう」


なんとか笑顔を浮かべて提案する。


「ここにいたら、気が滅入ってしまいそう」


まぎれもない本音だった。


一刻も早く立ち去りたいくらいだ。


チリチリと心がヒリついている。


「気が滅入る? 故郷に戻れないのは、自分たちも一緒だからか?」


ハッとして顔を上げた。


ジェイクさんが私たち姉妹をまっすぐ見据えている。


「……なんでそんなことが気になるんです?」


「いや、すまない。なんとなくだ。異世界から強制的に喚ばれたそうじゃないか。だから、故郷に特別な思い入れがあるのかと――」


ボリボリと首を掻いたジェイクさんは、少し困った風に続けた。


「縁もゆかりもない世界の住民のために、命がけで旅をするなんて、普通ならあり得ないだろう。ふたりとも、旅慣れているわけでもないようだし。もしや、神に難題でもつきつけられて苦労しているのかと思ったんだ。……悪い。不躾だった。年寄りのたわ言だ。忘れてくれ」


しん、と辺りが静まり返る。


当然の疑問だとも思った。


だからこそ、どう答えたものか迷わざるを得ない。


「狼のおじさんの馬鹿!」


妹が声を上げた。


ぎゅうっと私の腕を掴んで、強く地面をにらみつけている。


唇がツンと尖っていた。妹が感情を押し殺す時の癖だ。


「……みんながみんな、故郷に戻りたいわけじゃないんだよ」


それだけ言って、私に抱きついた。


「まもり……」


かすかに震えている妹の手を、ポン、ポンと優しく叩く。


「お前たちッ!! ここでなにをしているんだ!!」


その時、誰かが背後で叫んだ。


妹が私を守れる位置に素早く移動する。ジェイクさんが大剣の柄に手をかけた。


「「――……!?」」


同時に動きを止める。


現れた人物の姿に目を奪われてしまったからだ。


「早く去れ。ここにいちゃいけない」


声をかけてきたのは、十代中頃に見える少年だった。


全身薄汚れ、ボロボロの服を着ている。瓦礫の上に立って私たちを見下ろしていた。


一見すると浮浪者の子どもだ。


けれど――どう見たって普通じゃなかった。


「う……」


ふらり。少年がバランスを崩す。


「危ないッ!」


すかさずジェイクさんとあかりが動き出した。


間一髪、地面に接触する前に受け止める。


少年は意識を失ってしまっていた。


思わず顔を見合わせる。


少年の身体には、大量のキノコが生えていたのだ。



   *



マタンゴ。


キノコの魔物で、生き物に寄生して己の分体を増やしていく。


マタンゴに襲われた生き物は、身体に植え付けられた菌に養分を吸われ、体中からキノコを生やして、やがて死に至るという。


死骸を長い年月をかけて分解。そこから新たなマタンゴが生まれるのだ。


「近づいて大丈夫なのっ! おねえちゃん!」


意識を失っている少年を介抱していると、妹が落ち着かない様子で言った。


「おねえちゃんまでキノコに寄生されちゃったりしない……?」


「大丈夫だよ。神様からもらった知識によると、マタンゴ本体がいなければ新たな菌を植え付けられることはないみたい」


「俺もそう記憶している。ざっと周辺を見てきたが、魔物の気配はなかった。落ち着くんだ。まもり」


「う、うん……」


それでも、妹は不安そうだった。


私の服の裾を掴んで離さない。心配性なんだから。


「ううん……」


少年が身じろぎをした。


そろそろと瞳が開いていく。虚ろだった瞳は、私たちの姿を捉えると、とたんに輝きを取り戻した。


「うわあああっ! お、俺から離れろってば!!」


びょんっと奇怪な動きで飛びずさる。


ポコポコキノコを生やした顔に脂汗を流しながら言った。


「お前らもキノコ人間になりたくないだろ!?」


どうも、マタンゴについて誤解しているようだ。


顔を見合わせ苦笑する。まあ、当然だろう。いかにも他者に感染させそうな雰囲気がある。


「……そ、そうなのか」


マタンゴについて説明してあげると、少年はようやく落ち着いた。


名前はシセル。この町で暮らしているという。


「こんな場所で?」


思わず声が険しくなった。


どうみたって町は壊滅していて、人が暮らせる場所だとは思えない。


「……仕方ねえだろ。他に行くところなんてない」


「ご両親は?」


「出て行ったっきり、戻ってこない」


「どこへ行ったの……?」


そろそろと訊ねると、少年は地面に視線を落として言った。


「たぶん、マタンゴを倒しに行ったんだ」


三ヶ月前の話だ。


町の近くで大量のマタンゴが生息しているのが発見された。


マタンゴは人里を壊滅させる。なんとか被害を食い止めようと、大人たちは揃って討伐に出発したらしい。


母親は、シセルに幼い弟と共に家の地下倉庫に隠れるように告げた。


『ここから出ちゃ駄目よ。お腹が空いたらパンをひとつずつ食べて。なくなったら外に出るの』


それが母親からもらった最後の言葉。


言われた通りに外に出たシセルたちは、あまりの変わりように驚いた。


町は荒れ果て、何十年も放置されていたような廃墟と成り果てていたのだ。


しかも、あちこちに見たことのないキノコが生えている。それが人の形をしていると知った時は、恐ろしくて逃げ出したという。


「こんな風に町を変えたのはマタンゴってこと……?」


「マタンゴは、あらゆるものを腐らせるブレスを吐くらしいな」


「キノコが繁殖しやすい状況にするためかな。ひどいね」


改めて魔物の恐ろしさを感じる。


「大変だったね」


弟とふたり、人がいなくなった町に取り残されたのだ。


助けを呼ぶわけにもいかなかった。街道に出るまでは、魔物がウロついている深い森を抜けなければならないからだ。


きっと食べるのにも苦労したに違いない。


どんなに心細かったろう。辛かったろう。


がんばったね、と褒めてあげたかった。


「ね、お腹空いてない?」


笑顔で語りかけると、シセルは困り顔になった。


「……わかんない。こんな身体になってから、あんまし腹減らねえんだ」


身体じゅうに生えたキノコを眺め、どこか複雑そうにしている。


「でもさ、変じゃない? 町がマタンゴに襲われた時、君たちは隠れてたんでしょ? その時は難を逃れられたのに、どうしてキノコが生えているの?」


妹が不思議そうに言うと、シセルは悔しげに口を引き結んだ。


「……弟が。目を離した隙に、母ちゃんと父ちゃんを探して森に入っちまって」


その時、たまたまマタンゴと遭遇したのだという。


命からがら逃げ出したものの、身体に菌を植え付けられてしまった。以来、身体からキノコが生え始めたそうだ。


「じゃあ、弟さんにもキノコが!?」


「うん。うちの地下室で寝てる」


さあっと血の気が引いて行った。


視界の隅に、こんもりとキノコが生えているのが見える。


このままじゃ、この子も弟もあんな風に――。


「なんとかしなくちゃ」


「本当か!?」


ぽつりとつぶやいた言葉に、シセルは表情を輝かせた。


「なんとかって……こ、こんな状況から治せるのかよ!?」


「……うん。私にならできると思う」


神様から授かった知識を思い出しながら答える。


すかさず妹が胸を張った。


「へへん。うちのおねえちゃんはすごいのよ! きっと助けてくれる。期待してもいいと思うよ!」


じわりとシセルの瞳に涙がにじんだ。


「本当に?」


ぽろり。大粒の涙がひとつぶこぼれた。


「俺も、弟も。助かるのかなあ……?」


掠れた、疲れ切った声。


子どもには似つかわしくない苦みが混じっていた。


「任せといて」


ドンと胸を叩く。


「私なら君たちを救えるよ」


涙で濡れたシセルの瞳のなかで、私が笑みを浮かべていた。

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