第11話 フロイド


 フロイドとフランチェスカが婚姻し、共に暮らすようになっても、ふたりの距離が縮まることはなかった。

 常に距離を置き、互いの存在を霞のようにでも思っているかのように過ごしていた。


 フロイドがフランチェスカを始めて見たのは、彼女の社交界デビューの時であった。宰相とともに迎えた王宮での夜会に彼女は現れた。

 それ以前から彼女の美しさは讃えられ、彼女の社交界入りを今か、今かと皆が待ち構えていた。フロイドにとってみれば、特に気にする話題でもなくいつもの夜会と同じように過ごしていたのだが。

 父に手を引かれ現れた彼女を一目見た時に、彼の心は鷲掴みにされたようになり、その想いも思考も、全てを彼女に奪われてしまった。


 フロイドにとってのフランチェスカは正に女神であり、その神々しいまでの美しさは誰のものでも、いや誰のものにもなってはいけない美の結晶であった。

 箱に入れ、未来永劫その美しさを保ったままにいてくれればと願うフロイドだった。

 



 「お前たちが結婚してから、最近夜会で争いごとが起きなくなったと耳にする。やはり、お前が彼女を妻に迎えたことは正解だったな」

「そう言っていただけますと、少しばかりでも心の荷が下りた気がいたします」


「お前でも負担を感じているのか?」

「表立っては荒立ててきませんが、未だに婚姻したことを何かと言う者はおります。

 彼女を家に置き外に出さぬのは、私の我儘だとも。しかし、彼女を巡る争いが起きないことは、確かに良いことだと思います」


 時折、王太子はこうしてフランチェスカの様子を伺って来る。

彼自身もまた、フランチェスカに対して並々ならぬ興味があるのは明白。その立場から大きな声では言えないだけで、他の者達と同じように美しい者に惹かれるのは仕方がないのかもしれない。

 ただ、それをあからさまにフロイドにぶつけてこないだけ、彼にとっては有難かった。



 フロイドは仕事で帰宅の時間が遅くなることもある。たまに早い時や朝食を共にすることもあるが、そんな時でもふたりの間に会話はほとんどなかった。

 だが、フロイドは知っている。フランチェスカが自分を見ていることを。

 たとえ王命とはいえ、夫になった以上歩み寄りをしたいと考えても決しておかしくはない。いや、普通ならそうだろう。

だがフランチェスカ自身それに対して動きを見せることもなく、フロイド自身も行動を起こすこともないままに、ふたりの時間は進んでいくのだった。




 フロイドは執務室でいつものようにセバスチャンから、その日の報告を受けていた。


「本日、奥様は庭を少し歩かれた後、部屋から出ることもなく侍女とともに過ごされておられました」

「部屋で何をしている? 刺繍や読書か?」

「それが、部屋の掃除をするメイドによると、刺繍道具も本棚の本も増えている様子もなく、一体何をされておられるのか?」


「食事は?」

「お食事は普通に召し上がっておられます。少し食が細いようですが、あのくらいの年頃のご令嬢なら不思議はないかと。

 それと、侍女が時折町に出て何やら買い物をしておるようでございます。どうやら町で人気の甘味を買い求めておるようで、たまに我々にもお裾分けと称していただくことがございます」


「甘味を? 我が邸の料理人の出す物では満足しないのだろうか?」

「いくら大人しい方とは言え、王都での流行りにも少しは興味がおありでしょう。ましてや、若いご令嬢です。甘い物に目が無いのも普通のこと。まだフロイド様に対し、そんな可愛らしい我儘を言えるほどの関係では無い、と言うことでございましょう」

「なるほど。護衛を付ければ、ためには町に出ることも許可を出した方が良さそうだな」

「はい。若いお方がずっと家に閉じこもりきりでは、さすがにお体にも悪いかと思います。きっと喜ばれることでございましょう。

 それと、ご実家のグリーン伯爵家より包みがとどいております。中身はお母上からの文と、ご友人らしいお名前の手紙も入っておりました」

「またか。夫人からの文だけを彼女に」


「それと、グリーン伯爵家の領地内で何やら不穏な動きが見受けられます」

「誰だ?」


「アギール侯爵家の私兵が動いているようでございまして。王都に向かう川に架かる橋の周りで見かけたとの話と、作物に対する薬物の使用が少しばかり見受けられるようでございます」

「橋の落下と薬害による作物の不作を起こすつもりか?」


「おそらく」

「証拠などいらん。捻りつぶしておけ」

「かしこまりました」



 セバスチャンは数枚の封筒をフロイドの前に置いた。

 フロイドは「これも後で確認するが、いつものように」それだけを言うと、セバスチャンは深く頷き執務室を後にした。




 いつものように確認を取ると、フロイドは自室へと戻っていく。

 部屋のドアをバタンと閉めると、隣の部屋でわずかに人の動く気配を感じる。

 そして、彼は部屋の中を動き周りながら隣の部屋に意識を集中する。

 隣のフランチェスカに意識が向けられているなどと知られてはならない。

 これは王命での婚姻であり、自分が妻に興味を持っているなどと思われることは、決してあってはならないのだ。

 少し動きまわった後ゆっくりと壁際により、フロイドは耳を近づけ聞き耳を立てる。そこには、フランチェスカの生々しい「生きた」音が聞こえてくる。



 彼女が動く衣擦れの音。板張りの床の上を踏みしめる靴の音。デスクで作業をしている時には引き出しを開け閉めしている音。たまに早い時などは、侍女となにやら話す声や笑い声までも聞こえてくる時がある。そんな時、彼は嬉しさのあまり震えだし、鳥肌が立つほどに幸福感を感じる。

 そこには正に「生」が存在する。生きる為の生活音を確認することで、フランチェスカが夢まぼろしではなく実際に存在することを確認し、その人が自分の手の内にいることを改めて思い知ることで、安堵する。


 そして、彼女が就寝のため横になる時に聞こえる寝台の軋む音を確認して、フロイドの一日が終わる。




 フロイドにとってのフランチェスカは手が届きそうで届かない、そんな現実みのない虚像の姿こそが最上なのだ。

 そして、彼女は誰のものにもなってはならない。たとえそれが自分自身であってもだ。彼女は男を知らぬ無垢なままでいなければならないし、男を知り女の顔をすることも許されない。性欲にまみれ男を求めるような下衆い真似は許さない。

 彼女は白く、何色にも染まらずにいることで価値があるのだから。



 一昨日、セバスチャンからフランチェスカの身の回りから出たごみをもらった。

 その中には彼女が書いたであろう、書き損じの手紙があった。

 薄紅色に花柄の便箋に書かれた宛名は、母であるグリーン伯爵夫人だった。

 近況の報告を書いている途中で途切れている。当たり障りのない内容のようだかが、中身を変えようとでも思ったか? それは文章の途中で終り、折りたたまれ捨てられていた。彼女が書く文字は流れるように美しく、それだけで心を躍らされる。



 そして、先ほど渡された友人らしい名の封筒を開き始める。

これで何度目だろうか? 

 フロイドたちの調べで、フランチェスカに文のやりとりをするような友人がいないことは確認済だ。

 今までの文は全て、どこぞの令息からの物だった。

 自分の姉妹の名や、親戚の名を使い送られてくる。ここテイラー子爵家へはさすがに送り付けるのは難しいと理解はしているらしい。

 実家に送ればいつかは彼女の手に渡ると踏んだのだろう。だが、そんなことを許すフロイドではない。


 男達からの文の内容は、フランチェスカを忘れられずその身を焦がし続けていると伝えてくるものがほとんどだ。中には王命による無理矢理な婚姻から自分が助け出したいと言う強者もいる。だが、それが叶うことなどあるはずもない。

 フロイドは差出人の男たちの名を紙にしたためると、明日セバスチャンに渡し握りつぶすよう命じようと思う。


 想う事は自由だ。それを咎めるほど器が小さいとは思っていない。

 だが、それを超越し行動に起こすことは決して許さない。

 どんなに想いを募らせようと、その身を焦がそうと、フランチェスカは自分のものになったのだ。

 自分の手に入れたものを再び外に放つほどに、彼の心は優しくはない。

 たとえそれが誰であろうとも。

 彼女に並々ならぬ興味を持つ高貴な身分の者であろうと、それは変わらない。




 彼の想いが変わることはあり得ない。

生涯に渡り囲い、愛で続け、執着ともとれる愛を与え続けるのだ。

たとえそれを彼女が感じることが無いとしても、彼の中では存分に愛していると感じている。

それを誰に否定されようとも、彼の想いが途切れることは無い。




 窓辺で月明かりを見上げながら、今日も彼はつぶやく。




「あなたは誰にも渡さない」

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