第10話


 フロイドとフランチェスカの婚姻は一週間後の運びとなった。

 花嫁道具も、衣装すら準備が出来ぬと伯爵家からの苦言はあったが、王命により事を急ぐと、その口を黙らせた。




「お嬢様」


「アンナ、私は大丈夫よ。心配しないで。

子爵家には女性のご家族がいらっしゃらないから、侍女を連れて来ても良いとおっしゃって下さったの。これからもずっと、あなたと一緒よ。これからも私を支えてね」

「お嬢様、もちろんでございます。私はお嬢様のもの。ずっとおそばにおります」


 頭を下げるアンナを見つめ、フランチェスカも少しばかり寂しさを覚えた。

 突然言い渡された婚姻。心の準備など出来ているはずもなく、ましてやこの婚姻には婚約期間が存在しない。

 子爵とは言え、相手は国の重鎮になる身。その夫人としての教育もないままに嫁がなければならないのだ。だが、夜会にも茶会にも出なくて良いという事は、夫人としての社交をしなくても良いという事だ。いわば、お飾りの妻。


 デスクに座り、鍵付きの引き出しを開ける。中から「あの方」からもらった薔薇の花びらが入った瓶を取り出し手の上に乗せる。

 それを少しずつ動かすと、中にある乾燥した花びらがカサリと音を立てながら動き出す。


「この薔薇も、もうもらえなくなるのね。この花びらも持っていくことは出来ないわ。アンナ、後で処分しておいてちょうだい」

「……かしこまりました」


 花嫁道具など準備する暇も無い。いや、むしろ必要ないとまで言われてしまった。

 持参金も無く、その身ひとつで嫁げとのこと。

 必要な物は追々届けてもよし、全て一新し新しい物を子爵家で用意しても良いとは、王命による無理矢理な婚姻の割に好条件にも思えるほどだ。

 

 元々、フランチェスカはドレスや宝飾品に興味はない。夜会や茶会などの社交の場も得意ではなかった。それなのに、誘われるままに出席していたのは「あの方」に会えるかもしれないからだ。

 いつも言い表せない赤い色に染めた薔薇を一輪送ってくれる、あの方。

 名も名乗らぬ薔薇に想いを馳せ、顔も知らぬ者にその心を奪われていた。

 薔薇に結ばれたリボンも大事に保管してある。だが、それももう見ることは叶わない。せめて、せめてもと、リボンを一本だけ忍ばせ、後は全て処分するしかない。


 誰とも知れぬ者への想いを捨て去り、フランチェスカは嫁ぐことになる。




 式は王宮内の大聖堂で、見届け人は王太子殿下自らが務めた。グリーン伯爵家の家族のみが参列し、テイラー侯爵家は参列しない。

 間に合わない花嫁衣装は、フランチェスカの母が着たものを手直しした。


「よくお似合いです」

 

 フロイドに告げられた言葉に少しだけ頬を赤らめながら、彼の手に引かれ神の前で厳かに、そして静かに二人は夫婦となった。





 初めて足を踏み入れた子爵家は伯爵家にくらべ小さく、しかし調度品などは一目で高級品であるとわかる物が並んでいた。

 執事のセバスチャンを始めメイドや使用人に挨拶を済ませると、フランチェスカはフロイドの執務室で向かい合わせに座っていた。

 

「今日から私たちは、神も認めた夫婦になりました」

「はい。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 フランチェスカは緊張した面持ちで、それでも無理に笑顔を作りフロイドに視線を向けた。


 この屋敷には夫婦の間と言う物が存在しないこと。しかし、世間体を考慮して隣合わせの部屋をそれぞれが使うが、その間に続きのドアは無いことを聞かされた。


「若く美しいあなたには、この婚姻に不満があるでしょう。だが、これは王命です。その意味をよく理解し、耐えてもらわねばなりません」

「はい。わかっているつもりです」


「この婚姻において重要な事はただ一つ。あなたをこれ以上他の家の者に関わらせないこと。それだけです。私はそのための防波堤です。

 そして、この婚姻に貴族としての意味も世間体も必要ありません。

 王命での婚姻はいずれ皆が知ることになります。その時に、見栄を気にして仲の良いふりなどという馬鹿げた行為も必要ありません。

 そしてこの子爵位は元々、父である侯爵の持っていた物を貰ったにすぎません。わずかばかりの領地も兄が侯爵家の領地とともに面倒をみてくれています。

 いずれは侯爵家に帰し、兄の子が継ぐことになるでしょう。

 ですから、私たちの間に子は必要ないのです。この意味が分かりますか?」


 フランチェスカは、フロイドが動かす唇をじっと見つめ、その声に気を集中させていた。そして、少しばかりホッとしたような顔で、


「白い結婚と言うことでしょうか?」


「そういうことになります」


 フロイドもわずかに口元を緩ませ答える。


「私自身、名ばかりの子爵位です。無理にあなたが何かをする必要はありません。

 あなたは好きなようにここで過ごしてください。

私は帰りが不規則ですので、どうか気にせず、ご自分の生活リズムで過ごしてもらってかまいません」


「わかりました。では、そのようにさせていただきます」


 フランチェスカは座ったまま頭を下げ、それをフロイドは安堵したような表情で見つめていた。




 挙式後、何事もないままにふたりは過ごし、迎えた翌朝。

 フロイドはいつものように朝食を食べ、身支度をして王宮に向かった。

 いつものように出勤したフロイドを見つけ、王太子が慌てて声をかける。


「おい、フロイド。お前は何をしているんだ?」

「何と言われましても。いつも通りに執務を……」


「いや、そうじゃない。お前は昨日挙式を挙げたばかりで、その、花嫁はどうした?」

「ああ、彼女でしたら私が家を出る時にはまだ自室に居りましたので、まだ眠っているのかもしれません」


「自室? なぜ初夜に自室なんだ? それに、初夜の後は花嫁だって心細いだろうに、そばに付いてやらんでどうする。お前はもう帰れ!」


 しばらく「?」と考えポカンとした顔をするフロイドだが、すぐに納得し


「初夜ですか、なるほど……。それなら心配はご無用です。私たちは王命で一緒にいるだけです。生涯白い結婚を貫くと彼女にも説明してありますので」

「なっ! そ、そんなことを面と向かって言ったのか? お前は正気か?

 白い結婚など何を考えている。それでは子が出来ぬ。後継ぎをどうするつもりだ」


「後継ぎは兄の子が継げば良いと思っておりますので、何ら問題はありません」

「フロイド……。ああ、すまない。こんなことになるとは思っていなかった。お前だけが一人犠牲になってしまっている。本当にすまない」


「殿下、私は納得してこの話を切り出したのです。殿下が気に病まれることはありません。それに、彼女も納得しております」

「そんなわけあるか! 今からでも父に掛け合ってこの婚姻を無効にしてもらおう。そして、グリーン伯爵令嬢には予定通り修道院に入ってもらったほうが……」

「殿下!!」


 フロイドが王太子の言葉を遮る様に大きな声を上げた。


「これ以上、混乱させるような真似をおやめください。私も彼女も納得した上で、王命によるこの婚姻を受け入れておるのです。これ以上の口出しはお止めいただきたい!」


 王太子は、フロイドの射貫くような視線に体が凍ったように動かなくなる間隔を覚えた。じっと見つめられるその瞳を見ていると、何故か汗が滲んできて緊張しているのがわかる。これほどまでに恐ろしいフロイドを王太子は知らない。


「わ、わかった。お前たちがそれで良いなら、もう何も言わない」

「ご理解いただき、ありがとうございます」


 少し目尻を下げるように微笑んだフロイドは、やっといつもの彼に戻った。

 それを見て、少しだけ安心する王太子だった。





 こうしてふたりは夫婦となり、一生涯に渡りフロイドはフランチェスカをそのそばに置き続けた。

 フランチェスカが社交界からその姿を消し去ると、しばらくは彼女の姿を求め子息たちの不謹慎な行動も目についたが、それも一時。

 段々と落ち着きを取り戻すと、あきらめ出した子息たちが一斉に婚約、婚姻をし、華やかな時を迎えるようになる。



 人目を避けるように家に籠るフランチェスカも年に一度、王家主催の夜会にはフロイドとともに参加を果たす。

 その美しさは年々磨きを増し、老いも若きも、紳士淑女問わずにその美しさを讃えざるを得ないほどになっていく。


 そしてその容姿はいつしか「ラステノック王国の秘宝」とまでに呼ばれるようになっていくのだった。

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