4. 『無敵コンビ』

 ガスの身体がお花畑の上を、一、二回飛び跳ね、転がり止まる。頭の中が真っ白になり、立ちすくむ私に

「勇者殿!!」

 ローラさんが再び襲ってきた蔓を払って叫んだ。

 ……ガスが……。

 彼が蔓に飛ばされる様子がぐるぐると繰り返し繰り返し頭の中を回る。ガスの身体はピクリとも動かない。……次第に息がつまり苦しくなってくる。

 まさか……そんなはずは……。

 力の抜けた手からショートソードが落ちそうになったとき

「落ち着け、勇者殿。薬屋は生きている」

 ローラさんの声が耳を打った。

「今、かすかに手が動いた」

 歴戦の戦士の彼女の目が、ほんのわずかな動きを捕らえたようだ。

「気持ちは解るが勇者殿。ここで勇者殿が我を見失っては薬屋も助からない」

 彼女の声に大きく息を吸い吐く。少し頭が動くようになった私に

「……蔓が薬屋を見失ってる……?」

 次いで、ローラさんの訝しがる声が届いた。

 金獅子草から飛び出した蔓が、うつ伏せになっているガスの上や周囲をさまよっている。それは確かに彼の位置が解らなくなり、周囲を探りながら捜しているようにも見えた。

 ガスの影から影丸が現れる。彼はしばらくガスの顔の前に膝をついていた後、またとぷんと影の中に沈んだ。今度は私の影から影丸がフランを抱えて現れる。

「坊ちゃまから伝言よ」

 フランが小声で私とローラさんに告げる。

「『あの金獅子草の怪物は振動で相手の位置を感知している』」

 ……!? 

 ゆらゆらと蔓はまだ揺らめいている。そういえば、お店で習った薬学で、植物の側で楽器を演奏したら成長が良くなったという話を聞いたことがある。植物には音を振動で感知する力があるのだ。

「それで……!」

 ローラさんがギリと歯を鳴らす。

「お花畑で見つけた土砂の跡を詳しく調べようとして、高度を下げたときに襲われた。私の羽音の振動に反応したんだな」

「『今から影丸が怪物の動きを止める。その間に音を立てないように移動し、奴に自分達の居場所を見失わせてくれ。影丸の力では、ほんの少ししか止められないから気をつけて。その後、ミリーが皆を連れて、お花畑から脱出する。ミリー頼むよ』」


 左腕にローラさんの身体を抱え、右肩にフランを乗せ、準備する。

「…………!!」

 左肩に乗った影丸が影から作り出した黒い針を怪物に投げる。怪物の動きがビクンと止まる。

 その隙に十分集中し力と素早さを上げた私は、一気にガスの元に走り出した。ガスを右腕に抱え、更に怪物から出来るだけ離れようと飛ぶ。

「勇者殿! 奴が動き出した!」

 腕の中のローラさんが小声で叫ぶ。今度は、ふわりと音を立てないように地面に足を着ける。『撫子七変化事件』でトーマスの後を追ったときにやった足音を消す方法だ。

「うまいぞ。勇者殿、奴は我々を見失った」

 探るように蔓が空を揺れる。ゆらり、ゆらりと探る蔓を

「勇者殿、右から来る」

「左下」

「お嬢、足下、右下から来るわ」

 周囲を伺うローラさんと影丸、フランの指示を聞きながら、ゆるり、ゆるりと避けていく。

「ミリー、もう少しで森だ……」

 苦しげなガスの声が聞こえた。私達の身体をひんやりとした木陰が包む。やってきた森の入り口まで辿りついた。それでも慎重に足を進める。

「……もう大丈夫だ。勇者殿。奴が諦め、蔓を下げた」

 ローラさんの声にやっと足を止め、力を解くと、私は腕の二人を地面にそっと置いた。森の木々の向こう、遠くなった花畑の中では、金獅子草の怪物が蔓を土の中に戻したたずんでいる。

「ありがとう、ミリー」

 ガスが大きく息をついて目を閉じる。彼の胸はシャツが裂け、赤い血がにじんでいた。それに視界が歪んでくる。

「……すぐにハニービーのお城に連れていくから」

 私は袖で目を拭うと、もう一度、そっと彼を抱き上げた。


 * * * * *


 お城の木に着くと、先に知らせてくると帰ったローラさんの報告を受けて、薬師のハニービー達が治療の準備を整えて待っていた。

「薬屋さんをこちらに……」

 彼を滞在用に作ったという小さな仮小屋に連れて行く。

「ハニービー族の薬師は、うちの店から薬や治療法を伝授されているから大丈夫よ」

 そう言ってフランも影丸と一緒に彼に着いていった。独り残った私は草むらに座り、ぎゅっと膝を抱えた。

 ……ガスに怪我をさせちゃった……。

 うるうると潤む視界に膝に顔を着ける。

 ……この一年間すっと支えてくれた、一番大切な人を守れなかった……。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一年前の夏。私は皇国のお使者が来てから全く訪れてなかったオークウッド本草店を訪ねた。

 ……例え、敬遠され距離を置かれてもかまわない。ガスには伝聞ではなく、私の口から『公女で勇者』であることを告げたい。

 そう決心したものの、実際には怖くて怖くて、延ばし延ばしていた。が、正式にアルスバトル分室の聖騎士に任命され、いよいよお父様に私とガスの婚約の話をすると言われた。その前に話そうと、必死に勇気を振り絞って向かったのだ。

 思い詰めた顔をしていただろう私を、ガスは『なんだか久しぶりだね』とふにゃりと迎え、自分の部屋に通してくれた。

『実はね、うちでは以前からミリーのことは『ワケありのやんごとない身分の子』だと感づいていたんだよ』

 私を一般の子が通う寺院の教室ではなく、お店の夜の勉強会に通わせて欲しいとおじいちゃんに頼まれたときから、おじさんもおばさんも番頭さんも、うすうす気がついていたらしい。

『多分、おじいさんは皇国と繋がりのある寺院にミリーを近づけるのは避けたかったんだろうね』

 そう笑んで、安堵から涙目になった私の為に気を鎮める香を焚いて、お茶を淹れてくれた。

 その後、婚約の話に顔を赤くしながらも

『オレを選んでくれてありがとう』

 礼を言って、私の手を取り

『オレはずっと変わらずミリーの隣に居る。だから、君を守らせて』

 真剣な顔で誓ってくれたのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それを聞いた途端、私はひっくり返った『世界』に張りつめていたものが切れて、彼に抱きついてわんわん泣いてしまった。ガスはずっと泣き止むまで抱きしめて、背中をぽんぽん叩いて慰めてくれて……。

 そんな彼を守れなかった……。

 私をかばう姿がよみがえる。

 ガスは小さい頃から運動が苦手だ。商売で旅に出る前に一応護身術を習ったが、先生が早々に匙投げるくらい鈍いし、腕力も無い。性格もあって、戦いどころか喧嘩もしたこともなかった。

 ……それなのに……。

 蔓に飛ばされ、お花畑を転がる彼。

『こっちの協力は、もう少しミリーの元気が戻ってからにしたかったんだけどなぁ……』

『偵察はローラ様とオレとフランと影丸で行くって言ったのに……』

 彼のいうとおり着いて来なければ良かった。私が強引に着いて行かなければ、頭の良いガスのことだ。もっと上手くローラさんや影丸を助けて、あの場から逃げ出せただろうに。

 なのに、なのに……。

 やっと芽生えた『私にも出来ることがあるのでは?』という気持ちが一気にしぼむ。

『ここで大人しくしていろよ』

『頼むから、降嫁するまでは目立たないようにしてくれよ』

『どうか、今の立場に甘んじていてくれ』

 先生にセシル、お父様。三人の言葉が駆け巡る。

 やっぱり、私には何にも出来ないんだ。三人の言うとおり、何もしないでいるのが正解なんだ。なのに調子に乗るからこんなことに……。

「……私って最低……」

「ま~た、そんなこと言ってる」

 吐き捨てるように口にした言葉に、すぐ近くからフランの声が響く。

「坊ちゃまは無事よ。運河で船に乗るときに川風対策に厚着をしていたのが良かったみたい。傷は浅いわ」

 顔を上げると、フランが目の前の地面にいた。

「仮小屋にいらっしゃい。坊ちゃまがお嬢に謝りたいんですって」


 仮小屋の隅に柔らかな草を置いて作ったベッド。そこに影丸に寄り添われて、ガスは座っていた。

 血が着いた服は内働きのハニービー達が洗濯と繕いをしてくれているらしい。着替えの服を着て、自分で煎じたという鎮痛の薬湯を飲んでいた。

「……ガス、本当に大丈夫なの?」

 私が声を掛けると、よほどひどい顔をしていたのだろう。薬湯の器を影丸に預けてハンカチを出す。

「ミリー、はい。顔を拭いて」

 立ち上がり、頬を拭ってくれる。その後、彼は深々と私に頭を下げた。

「ごめん。オレの判断ミスで、ミリーを危ない目に合わせて」


 実はガスは私が聖騎士になった頃から、表立って動けなくなった私を自分の『人ならざりしもの』の相談を請け負う仕事のバディにしたいと思っていたらしい。

「……え? でも、ガスは着いて来ない方が良いって……」

「それは、今回の相談が死人も出る危ない事件だったから。ようやく自信がついてきたミリーが、張り切り過ぎて無茶をしたら命に関わるし、もし失敗したら大きな心の傷になってしまうって考えたからだよ」

 ガスは私が皇帝から逃れる為とはいえ、ガチガチに固められてしまった未来に自分を見失い掛けていたのを、ずっと心配していたという。

「だから『撫子七変化事件』のときは、すごく嬉しかったんだ」

 ナタリー嬢の事件依頼をガスは私に私自身を取り戻させる切っ掛けになると考えた。だからその為にトーマスの説得にフランを着けてくれたのだ。

「そして、カゲマルの依頼。こっちは解決には至らなかったけど、ミリーと御両親との仲を取り戻す切っ掛けになった」

『ミリーは最低なんかじゃないよ』

 私の気持ちを代弁してくれた帰り道を思い出す。

「オレは十三歳で薬師の資格を取ってから、母さんを手伝って、こっちの仕事を引き受けるようになったんだ」

 ガスが被った布から出た黒い髪を引っ張る。その仕事は代々『おじい様』に育てられた初代のお母さんの血と特徴を受け継ぐ者の仕事なのだという。相談は今回のような危ないものから、『縄張り争いの仲裁をして欲しい』等という軽いものまで様々ある。

「でも……悔しいけどオレだけじゃ、上手く解決が出来ない相談もあって……。だから、ミリーに手伝って貰えるなら、もっと良い解決方法が見つかるってずっと考えていたんだ」

 それにはまず私に自信を取り戻させることが大切だ。だからガスは影丸の依頼の後から少しずつ、こちらの軽い事件を私と一緒に解決していって、私が元に戻ったら改めて頼むつもりだった。

「なのにいきなり『腐土』に関わる事件が来てしまうなんて……」

 ガスがもう一度私に頭を下げる。

「本当にごめん。ローラ様から相談を受けたとき、ちゃんと全部話して、今回はダメだってミリーを置いていくべきだった」

 なのに、元気になっていく私に水を差すような気がして言えなかった。ふにゃりとした顔を歪めて謝る。

「この後はオレとローラ様達で怪物を何とかする。だから、ミリーは……」

「そんなのヤダ!!」

 私は叫ぶように声を張り上げた。ガスがびっくりして細い目を丸くして私を見る。

 ガスが私を自分の仕事のバディとして、必要だと考えていてくれていた。そのことがしぼみ切った心に再び力をくれる。

 頭が良いだけにガスは最良の結果を描きつつも、力が及ばなかったことを、いくつも経験してきたのだろう。その及ばない力に『私』を選んでくれたのだ。

「私もハニービー達を救いたい! この仕事をきちんと最後までやりたい!!」

「そうよ、坊ちゃま。ここまで来てお嬢に大人しくしていろって方が酷よ」

 フランがピンとガスの膝に跳ね乗る。影丸もこくこくと頷いた。

「こういう簡単に諦めないお嬢だからこそ、坊ちゃまは一緒に組もうって思ったんでしょ?」

「それはそうだけど……」

 渋るガスに私は思い出した。

 小さい頃、陣取りゲームがシルベールの子供達の間に流行ったことがある。そのとき、私はいつも切り込み隊長役でガスは指令塔だった。私の大胆な攻めとそんな私の行動を熟知したガスの作戦で、私達は他の子のチームからも応援に頼まれ、取り合いになるくらい、ひっぱりだこだったのだ。

「大丈夫だよ、ガス。私達『無敵コンビ』なんだから」

 にっと笑ってみせると、ガスもそのときの事を思い出したのか、ふにゃと目を細める。

「……そうだったね。オレもこの一年でミリーに慎重になり過ぎていたみたいだ」

 ガスがようやく笑みを見せて手を出す。

「ミリー、改めて怪物を一緒に倒そう」

「うん!」

 その手をしっかりと掴む。

 ……でも、私達、婚約者同士なんだから、こういうとき握手だけでは違うような……。

「えっ……!!」

「お嬢っ!!」

 ガスの顔を両手で挟む。誓いとおり、ずっと変わらず側に居て守ってくれる人に、私はにこっと笑って、そのまま彼の唇に唇を重ねた。

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