スラッシャー

春雷

スラッシャー

 深夜。ドアを叩く音で起きた。

「誰だよ……、こんな時間に」

 ここは古いアパートの一室。僕は二十三歳で、就職のために地元を離れ、独り暮らしをしている。友達は少ないし、常識的な奴が多いから、こんな時間に何の連絡もなく僕の部屋を訪れるとは思わない。

 僕はぼんやりとした頭を振りながら、何とか起き上がる。パジャマ姿のままで、ベッドを降り、玄関まで向かった。

 ドアを開けると、若い女性が立っていた。知らない女性だった。彼女も寝巻き姿である。

「ええっと……?」

「あの……、ごめんなさい。こんな時間に……」

「いえ……、あの、どういった御用でしょうか」

「その……、非常に言いにくいことなんですけれど、その……、困ってまして」

「はあ」

「その……、殺人鬼がいるんです」

「……はい?」

「ですから、その……、殺人鬼が私の部屋にいるんです」

「はあ……、殺人鬼、ですか」

「はい」

 僕は頭を掻いた。

「ちょっとよく分からないのですが、どうして殺人鬼があなたの部屋に?」

「その、私もよく分からないのですが、どうやら殺人鬼の幽霊みたいなんです」

「幽霊なんですか?」

「たぶん……」

 僕は霊感がない。だから、幽霊の話をされても困ってしまう。助けにはなりたいのだが……。それに殺人鬼の幽霊というのも、寡聞にして知らない。

「それで……、僕は何をすればいいんですか」

 女性は僕を上目遣いで見る。

「この部屋に入れてもらえないでしょうか」

「ここに、ですか」

「はい……」

「ええっと、まあ、その……。逆に大丈夫なんですか? 僕のことよく知らないだろうし」

「すみません……。私越したばかりでここら辺に知り合いが少なくて……。その、ご迷惑でなかったら……」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ」

「本当ですか?」

「はい……」

「すみません、こんな形でご挨拶することになってしまって」

 涙眼になっている彼女を、放っておけなかった。僕は彼女を部屋の中に招き入れる。部屋の電気もつけた。

「すみません、散らかっていて」

 部屋には雑誌や服が散らばっている。僕はそれらを適当に集め、部屋の隅に置いた。

「いえ……」

「あの、どうぞ、座ってください」

 僕は椅子を持ってきて、言う。

「あ、ありがとうございます」

「コーヒー、飲みますか」

「あ、はい……。すみません」

 僕は薬缶で湯を沸かす。

「お名前、訊いてもいいですか?」と僕は言った。

「ええ。羽野紗里と言います」

「僕は野間です」

 僕はコーヒーを作り、彼女に差し出した。僕も椅子に座って、一口飲む。

「それで……、何があったんですか?」

「ああ……、何と言えばいいのか……。そうですね、その、夜中に突然ドアがノックされたんです。それで、出て見ると、男性が立っていたんです。サングラスとマスクをしていました。スーツを着てました。そして、右手にナイフを持っていました。そのナイフには血が付いているようでした」

「それは……、結構怖いですね。どうして男だと気づいたんです?」

「声で分かりました。招いてくれ、と言われたんです」

「招いてくれ……。それで、どうしたんです?」

「私はもう驚いてしまって、『困ります』って言いました」

 確かに、殺人鬼が部屋に来るのは困る。幽霊でも困る。両方ならもっと困るだろう。

「そうしたら、その人、私をナイフで刺したんです」

「え! 本当ですか?」

「でも……、そのナイフはそのまま私を透過していきました。ナイフも幽霊だったみたいです」

「な、なるほど……。そこでその男が幽霊だと気づいたんですね?」

「そうです」

「その後、どうしました?」

「男がずっと玄関先で立っているので、その横を通って、逃げました。そして――」

「ここに来た、というわけですか」

「ええ……」

「うーん、その幽霊は何がしたいんでしょうね」

「さあ……」

「知り合いではないんですよね」

「だと思います。顔が良く見えないので、断言はできませんけれど……」

「幽霊ってのは何か恨みがあるとかで、現世に留まっているとかって言いますよね。その殺人鬼の幽霊にも何か恨みがあるのかも」

「恨み……、ですか」

「いや、すみません。適当なこと言って。あの……、それで、どうするんですか、これから」

「分かりません。何しろ、突然のことでしたので……」

「そう、ですよね……」

 しばらく沈黙があった。時々カップを持つ以外、二人に動きはなかった。僕は何かを考えようとしたけど、何も考えられなかった。女性を部屋に上げるのは初めてだったし、幽霊から逃げて来た人と話すのも初めてだった。初めてのことが多すぎて、何をどうすればいいのか、さっぱり分からない。

「あの、ここで大丈夫ですか?」と僕は言った。

「え、えっと、その……」彼女は困ったような表情で僕を見る。

「あ、いえ、ですから、その……、羽野さんはこのアパートにお住まいなんですよね」

「ええ」

「だったら、もっと遠くへ逃げた方が安全なのではないか、と思いまして。羽野さんは、何階の部屋に住んでいるんですか」

「この部屋です」

「うん?」

「この部屋に越してきました」

「えーっと、どういうことです?」

 僕の混乱の度合いが増した時、腹の辺りに痛みが走った。

「うぐっ」

 咄嗟に腹を見ると、血がどくどく流れていた。何だ……、どういうことだ?

「すみません、嘘、吐いてしまって」彼女は立ち上がり、頭を下げる。

「ど、どういうことです……」

「私、殺人鬼の幽霊に憑りつかれているんです。それで……、その人はまだ人を殺し足りないらしくて……。私に手伝えって言うんです。幽霊は招かれないと部屋に入れないらしくて、それで、私がこうして部屋に招いてくれるよう、色んな人に頼んでいるんです。そうして町を転々としていて……。しばらくこの部屋に住まわせてもらおうと思いまして……」

 意識が朦朧としてきた。何が何だか分からない。

「うぐっ、うぶっ」

 何度も何度も、執拗に、その殺人鬼は僕の腹をナイフで刺しているようだ。鋭い痛み。僕は止めようとするが、相手は幽霊だ。触れることができない。姿を見ることもできない。完全に一方的な殺人。僕はただ殺されるだけ……。

「すみません」彼女が再び謝る。

 ああ……。くそ……、こんなところで……。

「何で、殺人鬼なんかに……、手を貸して……、いるんですか……」

「すみません。こうしないと、私が殺されるんです……。彼、元々は役者で、ホラー映画に出ていて、それで、亡くなった後に、本当に人を殺してみたいと、そう思ったみたいで……」

 迷惑な話だ。確かに、幽霊を裁くことはできない。これが完全犯罪か……。

 意識が遠のき、僕は倒れ込んだ。寒い……。もう、死ぬのだろうか……。

 最後に、彼女は僕に言った。

「ごめんなさい……、私、彼のファンだったんです……」

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スラッシャー 春雷 @syunrai3333

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