4、愛の告白

 ペンギンが飛んでる。


 小さな翼で、さも当然のように、日の下をおよぐ。アクリルで創られた偽りの空だというのに、大空を羽ばたくように、悠々と空を切っているつもりの翼は愚かしくも小さな波を立てる。


 少年は無言で、それを羨ましそう恨めしそうに見上げている。

 平日の午後、人もまばらな中、その少年を見つけるのは、そう難しいことではない。

 それは少年が二人を見つけるのも同じことだが。


「本当にすぐ来た」


 水槽越しに反射するスーツの二人が見える。

 アリスの服装は初めて会ったときのような制服の姿でも、私服の姿でもなく、夏場だというのに真っ黒なコートと黒キャップで身を包んだ、見ているこっちが熱くなるようなそんな格好だった。

 顔を見ずとも、ギターケースと見つけてくれと言わんばかりのその姿で、すぐに葵も詩音も彼だと分かった。


「俺に話があるんだって?」

「なんで、あおいさんだけじゃなくて、他の刑事さんもいるんですか?」

「別に一人で来いって書いてなかったぜ」

「それもそうか」


 アリスはペンギンを見上げたままで、二人の方に向かない。


「深海太陽は先天性オリジナルの指環持ちだった。それを家族のお前が知らないはずがない……俺たちを騙したのか」

「そうだね、深海太陽は僕の兄なんかじゃないし、アイツに水族館ここに連れてきてもらったことなんてない――全部嘘だよ」


 最後に会った日と、口調が違う。

 もう『深海愛里寿』の皮を被る必要はないということだろう。


「嘘を吐いて、アタシらを誘き寄せた理由はなに?」

「殺すため」


 抱えていたギターケースを少し開ける、そこから、僅かに銃口が見える。


「お前が狙撃手だったのか」

「そう、そして、君たちが追っている事件の実行犯」


 悪びれる風もなく、当然のように、自分の正体を明かしていく。


「それは、自白と取っていいの?」


「いや、『愛の告白』だよ」


 そう言って、アリスはゆっくりもったいぶるように振り向く。


「久しぶり」


 アリスの顔を見て、二人にビルから突き落とされたような衝撃が走る。

 ユメと同じ、十年前の香澄夢芽と同じ顔。


「なんで……」


 それは葵の口から漏れていた。


「なんで、『生きているんだ?』ってこと?」

「だって、夢芽は……あの日……

「やめて!」


 愕然とする葵の声を遮るように、詩音が叫ぶ。

 その事実を――『香澄夢芽』が死に、そして、今、ユメとして機械として死体を動かしていることを。詩音も葵も、知っていた。

 知っていたから、認めたくなかった。


「やっぱり、知ってたんだ。二人とも……なら良かった」


 安堵したような表情を浮かべるアリスは、ゆっくり歩いて、屋上テラスの方へと向かう。


「少し歩きながら話をしようよ。積もる話もあるでしょ、なんせ十年ぶりなんだから」


 まだ現実を受け止められていない詩音と葵に着いてくるように言うと、二人も、アリスの後ろに着いていく。


「何から話そうか……そうだね、キミら的には結局僕は何なのかしりたいよね」


 そう言って、アリスは話す。

 自分が香澄夢芽から切り離された頭部と左腕であることを話す。


「あっちのユメは声帯を失くしたくせに、過去の音声データから声を再現してるみたいだね、ボイスロイド? みたいな。こっちの声帯はズタズタなのに下手に残ってたせいでちょっと声変わりしちゃった」

「だから、ライブの時点で気が付かなかったのか……」

「気に病まないでよ、アレはキミらにバレないように変装してたんだし、むしろ、作戦通りって感じ?」

「けど……気付かなきゃいけなかった」


 あの面影を感じていたのに。葵はそんなことを思いながら俯く。


「あおいが僕の作戦を見抜けるわけないじゃん」


 あの頃のままに、屈託のない笑顔を葵に向ける。


「……本当にアンタが今回の事件の犯人なの?」


 詩音の表情は葵とは違う。アリスに対してどこか、敵愾心らしいものを感じる。


「本当だって言ってるじゃんかよ。信じてくれるのはうれしいけど、事実は覆らないよ、しおちゃん」

「日本で殺人は罪よ。銃も持ち込んではいけない。そんな当たり前のことも忘れたの?」

「忘れちゃいないさ。色んなものを失って、記憶しか残らなかったんだから。僕は自覚して罪を犯している」


 間違った使い方だが『確信犯』と、言えば伝わりやすいかもしれない。間違った使い方をしているのは、言葉だけではないが。


「動機らしい動機は、今、世話になってるとこからの依頼でね。今の僕は『殺し屋』、キミらと対極の無法者アウトローなんだ」

「世話になってるとこって?」

「それは言えない。殺されちゃう。一回死んでるけどね」


 笑えない冗談を飛ばす。


「僕のこの身体を作ったとこでさ、依頼を断れば僕のこの身体のメンテナンスを受けられない。生命線を握られてるのさ」


 その為に彼は生かされた。それが、生かされた彼の使われ方。

 そして、それは、アリスが二人の元に戻れないことを意味している。

 何でもないように語るアリスを、葵は何か言いたげに見つめ、詩音は何か言いたげに睨んでいる。


「アンタはアタシらを恨んでるの?」

「どうして?」

「殺すって、言ったじゃない」

「あはは、勘違いさせたね。キミらが僕の死を心から悼んでいてくれていたことは、草葉の陰から見ていて伝わったよ。なんせ――僕そっくりの人形を、ユメだなんて呼んで、大事にしていたんだからさ」


 詩音は、アリスに掴みかかっていた。


「アンタッ!!」


 一切抵抗することなく、壁に押し付けられるアリス。

 睨みつける眼差しには憂いと、怒りが浮かんでいる。


「詩音、落ち着け!」

「別に構わないよ、あおい……僕も少し言葉が過ぎた」


 「けど」、と続ける。


「僕の気持ちも分かってほしいよ。名前も居場所も奪われて、やりたくもない殺し屋にさせられて……この感情はどこに向ければいいのさ」


 小さく笑いながらその顔を向けるアリスに、詩音の力も抜ける。


「だから、僕はユメを殺すよ」

「やめて、お願い……今の話は聞かなかったことにしてあげるから………」


 すがるように、詩音は言う。


「香澄夢芽は、死んだんだ。だから、本来はこれが正しいんだよ」

「もう、アタシたちから、アタシたちの前から、あの子を……アンタを奪わないで!」

「ごめん……」


 詩音はへたり込んでしまう。


「なあ夢芽」

「違うよ、僕はアリス」

「夢芽、戻ってきてくれよ。お前は嫌かもしれないけど、ユメも殺さなくて、お前も前みたいに一緒に入れるかもしれないだろ!」

「無理だよ……今回だけじゃない、もう何人も殺してる。それをキミらが許してはいけない。だって、警察官なんでしょ?」

「それでも! 無理やりやらせてんだろ! お前が、本当に人を殺していたとしても、まだ、やり直せる!」


 手を伸ばそうとする葵を慈しむように眺めて、アリスは詩音から離れる。


「手を伸ばすのは、僕にじゃないよ」


 アリスは手を取らない。躍り出た先は屋外テラス。


「八月二十四日、もう一度ここに来る。捕まえたかったら来てよ」


 その言い回しは犯行予告のようで、あの頃共に見た特撮のヒーローと怪人のようで、犯罪者と警察。両者を線引くには、あまりにも決定的で致命的で十年という時間は、全てを塗り替えてしまうほどに十分だ。


「……?」


 サンシャイン水族館は屋上にある。そこから、まるで立ち去ろうとする素振りに葵は疑問を感じる。


「それじゃ」


 その声は、けたたましいエンジン音にかき消されそうになる。

 上空からゆっくりと降下してくるのは、アリスの随行支援ユニット、流星。


「夢芽!」


 葵のその声すらも流星が搔き消そうとする。それに飛び乗り、一度だけ、それぞれの表情を見せる詩音と葵を見た後……。


「またね」


 流星は離陸する。

 その声が届いたかは、分からない。

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