3、ノーウェイ

 葵と詩音は数日の入院の後に特捜に復帰していた。


「負けたな」

「そうね」


 二人は一度RINGの本部に戻って、先日の深海と狙撃手に関する報告書を作成している。

 時刻は昼間、二人しかいない部屋でエアコンを使わせて貰えず、うざったい熱気が部屋中を浸食していた。


 ここ数日、二人はユメに会えていない。

 ユメは右腕の損壊と全身打撲の治療でまだ復帰までに時間が掛かるらしい。 


「完全に待ち伏せされてた。これがどう意味か分かってる」

「ああ」


 二人はそれぞれの席で報告書を作っている。席は背中合わせで、互いの表情は見えない。


「深海愛里寿、あの子がアタシらを誘き出した」

「……ああ、そうだな。俺の責任だ」

「そんな話してない」


 報告書を作る動きは止まらないが、僅かに音が止む。


「……俺が、あの子を連れてきたんだ」

「黙らないと、殺す」

「……」

「責任がどうのの話はなし。深海を探れと言ったのは課長よ。そんなの上の人間のせいにしちゃいないさい」


 それよりも、と椅子ごと葵の方に向き、葵の椅子も無理やり自分に向かい合わせた。


「報告書途中なんだが」

「おっそ……そんなの後でいいのよ。先にこれに名前書きなさい」


 これと言われたものを受け取る。


「……そうだな」


 室長に提出するなにかの申請書類の様だ。


「あの野郎もクソ狙撃手も顔面ゆがませてから逮捕してやるわよ」

「ああ、俺だって手加減する気はねぇよ……」


 互いの目が合う。その目は不揮発性の不完全燃焼の種火で彩られていた。


「アタシは許さないから」

「俺もだよ」


 何をとは言うまい。

 それは、自らの判断への過ちにか、互いの油断にか、はたまた、報復すべき敵にか。


「アタシらは、ユメを悲しませるものを決して許さない」

「必ず、報復する」


 そういう契約だ。

 自らへの責めは必ず報いる。それよりもまずは目下の敵を叩き潰す。

 受け取った書類に、『晴川詩音』の名前に『雨森葵』の名前が連なる。


◇♦◇♦◇♦◇♦◇♦◇♦


「受理しない」


 二人が持ち込んだ書類を、矢車室長は突っぱねる。

 室長室は部隊員のデスクでは許されていないエアコンが効いており、清涼な空気が充満している。

 ただし、空気の重圧は加味しないものとする。


「どうしてですか! 相手は先天性の指環持ちな上に、違法性のあるユニットを所持してる。うちらも相応の装備を持って対応すべきです」

「晴川、お前の言う通りだ。だが、その任に当たるのはお前たちではない」


 矢車は冷酷だった。一切二人の目を見ようともしない。


「どうしてです⁉」

「班員の一人は現在入院中、残った班員もホシに手傷を負わされ、挙句逃げられた。この成果で……捜査の継続を許可するとでも」

「アタシらでは力不足ですか……」

「そうだ」

「あんなの相手がユニットを持っているなんて想定外だっただけで」


 声を荒げるのは葵だ。


「『想定外だった』? それが何だ?」


 その冷ややかな一言に思わず口を噤む。


「我々、警察官は市民の平和を脅かす犯罪者どもに如何な状況でも、臆することなく毅然としていなければならない。その責任を遵守できなかったお前らに、今回の事件は不適格だ。晴川班は今回の特捜から外す。代わりにより現場経験の高いRINGの隊員を派遣する。話は以上だ。通常業務に戻れ」


 それだけ言って矢車室長は口を閉ざし、二人から顔を背けた。


「……室長、一ついいですか」

「……」


 矢車室長から返事はない。詩音はそれも気にせず話し始める。


「先ほどのお話、大変耳が痛く、返す言葉もございません。ですが、恥を忍んで申し上げますが……」


 静かに、深く大きく息を吸う。その姿を見て、葵が慌てるのが分かる。 

 彼女は音使いだ。強弱、指向性は意のままだ。

 葵は耳をふさぐ。詩音から目を外していた矢車はそれに気付かない。



「理由になってねぇぞ!!!! クソババアぁぁぁぁ!!!!!!」



 ふさいだ耳の上からでも貫通して銅鑼を叩かれたかのように劈き、部屋のありとあらゆるものが大きく振動する。その激しい脈動は心臓にまで伝わってくる。

 その巨大な声の不意な衝撃に、内容どうこうの前に、矢車室長は若干のダメージを受けたように眩暈を起こしていた。


「……は、晴川……何を?」


 耳に残響を住まわせながら、思わず詩音の顔を見る。


「ようやく、目を見てくれましたね。室長」

「なんのつもりだと聞いている?」

「目ぇ見てくんなきゃ、何も伝わらないって言ってんですよ」


 詩音の聴覚は常人のそれではない。平静を装った室長の声から、『嘘』特有の震えを聞き逃すことなどない。


「そりゃ室長が怒ってるのも分かります。不測の事態に対応できなかったのはアタシらの油断と軽率な判断が招いた完全な過失です、認めますよ!」


 それはもはや逆切れにも似た剣幕だった。


「ですが、それで捜査を外されるのは納得がいかない! 取り逃がしはしましたが、敵の装備、名前、人相! 最低限の成果は残せたはずです! 他の捜査ならバチクソに叱られたあとでも、このヤマに最後まで責任を取らせてくれるはずです! それなのに、なんで今回はダメなんですか!」

「……それは……」


 矢車の表情が揺らぎ、言い淀む。


「俺も聞きたいです。やられたらやり返す。それが俺らでしょ? やられっぱなしで俺らを引かせるなんて、らしくないです」

「わめくな! 子供かお前達は! これは上長命令だ!」


 また逃げようとする矢車の態度に、再び、詩音が深呼吸をしようとする。


「馬鹿! やめろ!」

「ちゃんと話してくれないなら。喉が枯れるまで叫び続けます」

「……」


 ある程度、食い下がってくることは想定していたが、流石にここまで実力行使に打って出てくるとは思っていなかった矢車は頭を抱える。

 今回の二人は、ユメが傷ついたこともあってか、事件から手を引く気が一切ないのだ。

 どうしたものかと、矢車が悩んでいると、室長室のドアがノックされ、そのまま返事を待たずに開かれる。


「そのくらいにしておけ二人とも」


 そう言って、新宿署、組織犯罪対策課課長。彼が室長室に入ってくる。


「来てたんすか?」

「お前らの報告書受け取りに来たんだよ。どうせまだ全快じゃねぇだろうからな」


 課長自らが取りに来るということは、課員はみんな現場に出払っているのだろう。


「高木課長、ただいま取り込み中なので」

「私はこの馬鹿二人に用があるんですが、いつまで経ってもこないから、署に帰れないんで。それに、室長、あんたもこのままじゃ平行線で埒が明かんでしょう」


 二人と矢車室長の間に、課長が入る。


「私はこの二人をまだ、特捜から帰す気はありませんよ」

「課長……」


 大して出番もなかったのに……とはいわないが、現場責任者として二人を庇ってくれている。


「高木課長……この二人はうちの所属だ、貴方にその権限はない」

「だから、お願いに来たんです。漏れ聞こえてきましたが、責任どうのを理由に外すんでしたら、その責任は我々上長職にある。違いますか?」

「だから、ですよ。その責任をとって。私に出来る範囲のことをしているに過ぎません」


 高木課長は、ただの警察官だ。ユメの話は高い権限で秘匿されている、知る由もないだろう。RINGの中でも室長や実際に関わった篝理が知るのみだ。

 何も知らないくせに、と子供のような駄々を捏ねたくなる。


「いいや、それは無責任だ。あんたも私も、そこにいる晴川班を信頼したから、今回の特捜に入れた。それを今更、覆して何が責任ですか。そんなんじゃ、若いもんはずっと逃げ続けちまう」


 きれいごと。警察官だ。それが正しい。

 逃げるべきではない、「べき」なのだ。

 それでも、冷血と言われようと、理不尽だと言われようと、矢車もまた、人間なのだ。

 しばし頭を悩ませ、矢車は口を開く。


「この話は一度保留にしておく。晴川、雨森、両名は外せ。高木課長に話がある」

 課長も同意したのか、二人に部屋から出るよう促し、不安そうな顔を見せる二人も渋々ながら退室する。

「ご配慮ありがとうございます。では……今から話す内容は、機密事項です。内外問わず一切、口外なさることないよう。ご注意ください」


 そして、矢車は話す。

 これで、彼の気が変わればと、肌寒くなった内に心を落とし込んで。


………………


 部屋を出た矢先、タイミングを見計らったように。葵のスマホから通知音が鳴る。


『話があります。サンシャイン水族館で待ってます』


 待ち合わせの時間も書かれていない、そんな一文。


『すぐに向かう』


 飾り気のない文面の返信。


「どうしたの」


 聞いてくる詩音に葵は画面を見せる。

 覗き込む彼女の眼が細くなる。

 

「来るか?」

「ええ」

 

 そこに映る、相手の名前は『アリス』

 二人は、室長の判断など待つ気は、ないらしい。

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