5、メンテナンス・ブランチ ②

「それ取って」

「ん」


 葵は自分の食事に集中しながら、卓上に置かれてるポン酢を手に取り、詩音に渡す。

 ユメがメンテナンスに行ってる間、葵と詩音は通いなれた定食屋で昼食をとっていた。

 葵はいつものアジフライ定食(キャベツ多め)、詩音は生姜焼き定食を注文している。


 晴川詩音、丁寧に櫛を入れたカカオ40%くらいのチョコレートみたいな長い髪を後ろで邪魔にならないように一まとめした、いかにも女性刑事ですといったピシッとしたスーツ、意志の強そうなパワーのある瞳にシャープでインテリな要素を付与する最強装備のアンダーリム眼鏡を着用した知性的でクールな雰囲気と、有無を言わせない圧力を兼ね備えた女性だ。


「最近、忙しくない?」

「それな」


 受け取ったポン酢を小鉢のサラダと千切りキャベツに欠けたあと、葵に戻してもらう。


「室長が言ってたけど、近いうちに新宿署にどっかの捜査班を出向させようって、検討してるんだって」

「行きたくねぇ……この間のマル暴の一件も新宿署からの出動要請だったくね? あそこ、反社案件多すぎ」

「ここまで来るともはや文化ね」

「新宿とか近過ぎだし、絶対寮から直で登庁だぜ。いっそどっか田舎にでも飛ばしてくれよ……」


 心底、自分たちの班が出向組に選ばれたくないと言った様子で葵はアジフライをかじる。


RINGうちは政令指定都市にしか支部機関ないわよ。多分どこ行っても忙しい」

「なんだって指環持ち俺らはこんな仕事ばっかなんだよ」

「警察、海上・陸上自衛隊、後は政府お抱えの研究機関。選べたのはこんくらいだっけ? かかりつけの病院も政府の指定、仕事もお国が認めたとこしか選べない、夢も希望もあったもんじゃないわね……」

「忙しくてもいいから、せめて血の気の少ない仕事に転職してぇ」


 おそらく、そう言った葵の希望に合うのは研究職だが、彼には適性が欠けていた。そうなってくると選べる選択肢は狭まってくる。


「うちの暴力担当が何言ってんのよ。まあ、その意見には賛成するけど」

「……」


 思案顔、と言っていいのか葵は箸を止め顔をしかめている。


「なに? 悪党面晒して」

「うるせぇ。ちょっと考えてたんだよ……」

「何を?」

「ユメだよ」

「六年も警察やってなにを今更……アタシらは、あの子の決断を尊重する。そう決めたはずでしょ」

「でもよ、アイツの選択肢なんて俺らよりも少なかった。本当に警察官なんかになりたかったのか? なんてよ……」

「そうだったとして、アタシらに何ができるわけ? んな、どうしようもないことばっかり考えてる暇があったら、もう少し考えて行動したらどうなの? この間の作戦はなに? 結局、ユメに要らない手間かけさせて」

「あぁ? 作戦本部が逃走経路見逃してたのがそもそもの原因だろ、その上、危険運転の指示出したのは何処のどいつだ?」


 和気藹々、とはかけ離れた剣呑な雰囲気に場の空気が凍る。

 そんなところに、ガラっと戸を開く音が聞こえる。


「二人ともお疲れ」


 検査を終えたユメだ。

 遅れて入ってきたユメは店員に「とんかつ定食、ご飯大盛り、豚汁に変更で」と慣れ親しんだ口調で伝え、詩音の隣に腰掛ける。


 二人が話をしていると、ガラっと戸を開く音と共に検査を終えたユメが定食屋に入ってきた。


「二人ともお疲れ」

「お疲れ」

「検査どうだった?」


 二人は会話を中断し、それぞれの言葉でユメを迎える。


「問題ないって。けど、プラネットに無茶させ過ぎって怒られた」

「あぁ……誰のせいだろうなぁ」

「えぇ……誰のせいでしょうねぇ」


 ユメからの報告を受けて、心当たりしかない二人は互いを薄く睨む。


「まあ、ある程度は仕方ないよ。現場には出ないといけないんだから。最近はこの間みたいに激し目の抵抗してくるマル暴多いし」


 先日の一件のことだろう。ユメの言葉通りに受け取るなら。二人よりは警察官という仕事に『誇り』のようなモノを感じる。


「いやもう、一生デスクワークしててぇ。ていうか溜まってた……午後からやんなきゃ」


 山積みの残務を思い出し辟易しているのか、アジフライの尻尾を飲み込み項垂れる。


「効率悪い癖に」

「現場よか百倍マシだろ。この間の一斉検挙だって、連中は一晩でパクられたと思ってんだろうけど、下っ端吐かせるためだけに、何日も寝れなかったんだ」

「やめて、防カメ精査思い出す……もうしばらく液晶見たくないわ」

「俺らの健康のためにも定時退庁推進してこうぜ」

「せめて残業禁止デーが週一は欲しい」

「君らねぇ……気持ちはわかないでもないけど、ほら、市民の日々の暮らしのためのやりがいのある仕事、的な感じでモチベーションならない?」


 ユメがぐっ、と胸の前で拳を構える。


「「ならない」」


 二人は口を揃えて答える。


「えぇ……」

「そんな殊勝な心掛けな奴は、やる気のある交番勤務の新人くらいだろ」

「刑事課とか生活安全課なら感謝とかされるだろうし、それがモチベーションになるだろうけど、うちらは組織犯罪対策そたい、被害者と直接顔を合わすことはない。公安も交通課も似たようなもんでしょうけど、うちらの仕事で市民は守れていても、市民にとってはそれが当たり前」

「逆に少しでも隙を見せたら非難の的だ。貧乏くじもいいところじゃね」

「はぁ……それ、絶対大きな声で言わないでね」


 そこに詩音のスマホに着信が入り、すぐさま詩音が電話に応答する。一瞬ピクンと反応を見せ残りのご飯をかき込む葵とすぐ様店員を呼び止め勘定を済ませようとするユメ。ユメの分は残念ながら間に合わなかったようだ。


「行くよー」

「本部?」

「新宿署」

「またかよ……」

「残務処理はまた今度だね、手が空いたら手伝うよ」


 三人は詩音を先頭に、休まらない現場戦場へと足を向けるのだった。

 

 警察として慣れてしまった緊急招集、それぞれに「だるい」とか「今日帰れるか」とか「いつも通り頑張ろう」など思っていた。

 誰一人として、この事件が、取りこぼした過去に触れるなど、夢にも思ってもいなかったことだろう。

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