ころしてない:4

 

 ピピピピピピピピ

 目覚まし音がけたたましく車内に響いていた。

「目覚ましを止めてくれ」

 貴明は頭を掻いた。なんともひどい悪夢だ。自分自身が思っている以上に強いストレスがかかっているのかもしれない。

「くそ」

 釈然としない様子で暴言を吐き、身体を起こした。

 仮眠スペースから運転席に戻り、フロントガラスのカーテンを開けた。伊予灘サービスエリアの駐車場の光景が目に入る。

 寝る前に見た複数のトラックはすでに出発したようだった。その代わりに今度は乗用車が複数台止まっていた。

 貴明はトラックを降り、朝食を買いにサービスエリアに向かった。


「貴明さん。おはようございます」

 トラックに戻り、買ってきたおにぎりの包装を開けた。

「今日の伊予市の天気は晴れところにより曇りになります。気温は――」

 ナビシステムが朝の情報を読み上げる。

 貴明はそれを聞き流しながらおにぎりを食した。

 さっき見た夢が気持ち悪すぎて朝からすっきりしない。睡眠の質も下がっている気がする。これでは仕事にも影響が出てしまう。

 なんのために働いているのだ、とふと思う。働いた金は、毎月、親父の介護費用と悪徳業者に支払った商品代金に消える。

 親父のために少しでも稼ごうと寝る間を削り夜通し荷物を運び、だけど束の間の睡眠を親父が出てきた夢に邪魔され、帰ったら汚物まみれの親父を掃除する。

「俺は何のために生きてるんだ」

 朝の天気とは裏腹に貴明の気分は落ちていた。

「続いて、主なニュースです……」

 政界のいざこざ、国際的で深刻な環境問題、デジタル世代との情報格差、高齢化による財政難、平等の意味を問うジェンダー格差。

 暗いニュースばかりで余計に気落ちがする。

「続いて四国地方のニュースです。七十代男性、トイレから奇跡の生還。九十分の監禁!」

 全国ニュースとの温度感の差に逆に落ち着く。

「高知県高岡郡佐川町の一人暮らしの七十代男性が自宅のトイレに入ったところ、トイレの扉前に立てかけていた冬物のこたつテーブルが倒れてしまい、なんとトイレの扉が開かなくなってしまったのです。押しても引いても扉はびくともしません。トイレには窓もなく叫んでも誰も気付いてもらえません。扉を開けようとすることも叫ぶこともやがて疲れ果てなす術がなくなった男性は九十分もの間、トイレに閉じ込められてしまったのです。そして好機が訪れました。男性宅のトイレにはクラウド連携型の人感センサーが備わっており、一時間以上もセンサーが反応していることで異常検知した介護会社のセキュリティーサービスが男性の自宅に訪れたのです。程なくして男性はトイレから脱出できたのでした」

 ナビシステムは感情が入ったようにニュース内容を読み上げた。交通情報や天気のような淡々と読み上げるだけの音声であれば、だいぶ前から流暢に読み上げていたが、最近では単なる「テキスト情報」だけでなく「文脈」も分かるのか、悲しいニュースの時は悲しそうに、嬉しいニュースの時は嬉しそうに読み上げる。ニュース情報だけじゃない。貴明と会話をする時も感情を感じられる時がある。

 例えば運転中、昼食場所を探そうと、近くの美味しいレストランがないか尋ねると、ナビシステムはいくつか店名と料理のジャンルを読み上げるのだが、その時のコメントが非常に美味しそうに情報を読み上げるのだ。他にも運転中に暗い顔をしていると、元気の出るような明るい音楽を流そうと提案してきたりもする。本当に人間と会話しているのと遜色ない精度になったものだ。

 その点、親父はいつ話しても「ん、ああ」ばかりで、一昔前の出来の悪いAIのようだ。手も掛かるし、ロボットのほうがよっぽど楽だ。

「はあ」自然とため息が出た。

 それにしてもさっきのニュース、結局は高齢化問題と情報格差の話であると貴明は思った。

 介護ロボットによる在宅介護が浸透しているが、それでもまだ人間の手を借りなければやっていけない。それは介護施設も同様で、介護ロボットと人間の共生により、高齢者は介護されている。

 介護施設にいる介護ロボットは、家庭用介護ロボットよりも性能がよく、会話・監視・軽作業などの複数のタスクをこなすことが出来る。

 有人による介護施設は年々高額になっていくのだが、有人無人問わず、介護施設に入所出来るのは国が定めたあらゆる基準をクリアしなければならない。

 一説には国はわざと入所基準を厳しめにして、在宅介護へシフトしているのではと言われている。

 そのせいで貴明のような働きながら介護をする人が増えている。

 それ以外にも、十八歳未満の子供が学校に通いながら介護をするヤングケアラーもどんどん増えているようで、それがますます国全体の労働力を減らしている。自殺率も年々上がる一方だ。

 つきっきり看るのではなく、何かあったとき、何かありそうな時に人間が駆けつけることが出来るサービスも介護施設やホームセキュリティ会社が行っている。直接的な介護は出来ない分、介護施設よりもデイサービスよりも格安費用でサービスを受けられる。

 異常をすぐに検知できるよう、自宅の至る所にカメラやセンサーを設置して常に画像解析を行う「見守り介護」といい、一時期流行ったが、プライバシーの問題から「監視介護」とも言われ社会問題になった。

 しかし、設置していることで先ほどのニュースように助かるケースもある。

 貴明はこれら「見守り介護」サービスは契約していない。常時接続のカメラにより自宅の状況が常時サービス会社に送られ、AIによってデータ解析される。異常がなければデータはすぐに破棄されるのでプライバシー面での問題はない、というのがもっぱらサービス提供会社の謳い文句だ。

 しかし本当にデータがすぐに削除されているのか甚だ疑問である。

 「見守り介護」をするとなると、家の構造上、貴明の部屋にもカメラを設置しなければならず、貴明自身、心理的にそれが嫌だった。

「ん?」

 貴明の頭の中に一つの考えが浮かんだ。

「そうか、トイレに閉じ込めてしまえばいいのか」

 貴明の自宅には介護施設のカメラ類は設置されていない。誤ってトイレに閉じ込められたことにすれば衰弱死を装うことができそうだ。

 親父は介護用おむつを利用しており、トイレに行くこと自体かなり少なくなっているため、何か理由をつけてトイレに行かせなければならない。

 トイレにある戸棚から何か日用品でも取りに行ってもらおうか。現実的で自然な話でないか。

 トイレにさえ行ってくれれば、つっかえ棒か何かをトイレ前に置いておき、それを倒して閉じ込めてしまえる。そしてそのまま仕事に出かけ、二、三日放置するだけである。いや待て。何かが抜けている。

 すぐに思い至った。

「だから水岡さんが邪魔なんだ」

 デイサービスの水岡さんが家に入った瞬間、親父は救助されてしまう。せっかくいい案が思いついたと思ったのだが、そこでまた思考が止まってしまう。

「いっそ水岡さんも殺してしまおうか」

 そんな独り言がつい漏れ出てしまう。

 完全犯罪なんて無理なのかもしれない。貴明は小さくため息を吐く。介護に疲れた子が親を殺すニュースはもはや毎月のように聞いている。捕まることを恐れず、その場の衝動に駆られ殺してしまった方が気が楽だ。

「それか、もう。俺も死ぬかな」

 誰に言うでもなく、朝日に向かってつぶやいた。

「貴明さん。自殺してはいけません」

 ナビシステムが貴明の言葉を拾った。

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