ころしてない:3

 目の前がやけに明るくなった。赤色灯の点滅や交通整理をする案内板の明かりが俺の視界に入り込んだ。

 俺は前方の対象物を確認した。事故車両が目の前に見える。

 この位置からは事故の全景は見えないが、二台の車が重なるようにくっついている。ひとつは黒のワゴン車、もうひとつは白の軽トラックだ。

 先程照会した交通情報ネットの画像と同じである。

 事前情報との違いとしては、緊急車両や事故対応に追われる作業員がいることだろう。

「この先、渋滞解消されます」

 俺はモニタに表示された情報を読み上げた。

 俺のトラックも前方の車載カメラが事故車両を映し、それを交通情報ネットへ即座に送信する。

 こうして後続車へもリアルタイムで情報を連携するのだ。

 しかしこれほどまでも激しく追突するとは、自動運転車ではなくマニュアル車だろうか。意図的に突っ込んだとしか考えられない。


 事故のせいで片側一車線に変更されている。徐行運転を余儀なくされ、手動運転に切り替える。貴明はゆっくりとハンドルを左に切り、徐行の列に割り込んだ。

 事故車両がちょうど真横に来る。

「これはひでぇな」思わず声を漏らす。

 六人乗りの黒のワゴン車の後方部分に軽トラックが突っ込んでおり、四人乗りほどの大きさになっている。原型をとどめていない。軽トラックは荷台部分しか確認ができない。

 路肩に運転手らしき人物が呆然と立っていた。作業員はたくさんいるが一般人らしき人は見たところ一人しか見当たらない。他の人はどこに行ったのだろうか。すでに救急搬送されたのだろうか。それとももう手遅れだったのか。道路にはガラス片や車の部品、荷台に積んでいたものと思われるものが散乱していた。何か液体のようなもので地面が濡れている。それがガソリンなのか、あるいは別のところから流れ出たものなのかは暗くてよく分からない。

 ゆっくりと事故現場が後方へと流れていき、やがてバックミラー越しでないと見えなくなった。車線規制も解かれ、詰まっていた車の流れもスムーズに流れ始めた。何事も無かったかのように貴明の車も通常の速度に戻った。

「この先道なりです。到着予定時刻は五時三十五分です」

 ナビシステムからアナウンスが流れる。当初の到着予定時刻よりも二十分ほど遅くなりそうだった。

 仮眠する時間が少なくなりそうだ。疲れているのに。


 俺は到着時間を当初の予定に戻そうとスピードを上げた。

 その後の高速道路はスムーズだった。渋滞も事故もなく、等間隔に並べられた道路照明と車線境界線を目で追いながら法定速度内で急いだ。

 伊予灘サービスエリアに入り、トラックを止めた。高速を降りると大型トラックを止められるような広い場所があまりないのだ。

 時間が時間だけにトラックの駐車が多い。伊予インターチェンジまでは七キロほど先だ。

 時刻は五時前。遅れ分を取り戻した。

「今日の伊予市の天気は晴れ。気温は二十二度。過ごしやすい一日になるでしょう」

 カーナビ表示の情報を読み上げる。


 指定の納品場所は企業が営業開始する十時以降になる。ここから納品先までは目と鼻の先、十五分ほどだ。休憩時間を五時間確保できた。

 一旦ここで仮眠を取ることにしよう。貴明はフロントガラスのカーテンを閉め、座席後方の小さな仮眠スペースに横になった。

 ナビシステムに話しかける。

「四時間後に起こしてくれ」


 俺はアラームをセットした。


 貴明は一直線の高速道路を猛スピードで走っていた。後方からサイレンの音が聞こえる。バックミラー越しに赤い赤色灯も見える。

 アクセルペダルをベタ踏みして走らせるが、思うようにスピードが出ない。それもそのはずだ。いつもよりも相当大型のトレーラーを運転してるのだ。

 前方車両を抜かそうとするが小回りが効かず、なかなか車線変更できない。そうこうしているうちにパトカーが運転席側面までやってきた。

「スピード出し過ぎです。急停車します」ナビシステムがそう言うと、急ブレーキがかかった。

「おい、やめろ!」貴明は自動運転のスイッチを切った。

「自動アシストを停止します」

 アシスト機能がなくなると少しだけ加速した。加速防止されていたようだ。これなら逃げ切れるかもしれない。

「スピードの出し過ぎです」

 しかしまた、ナビシステムからアナウンスが流れる。

 スピード出さなければ捕まってしまう。

「そうだぞ、貴明。スピード出し過ぎだ」

 助手席を見ると何故か親父が座っている。それもいつもよりかなり老いた姿になっていた。

 骨に皮がついたような痩せこけた姿になっていて、目もくぼんで黒ずんでおり、唇も肌もカサカサで、わずかに見える歯もところどころ抜けている。

 もはや親父かどうかも怪しい。しかし貴明にはそれが親父だと感じられる。

 そんな姿なのに、ボケずにしっかり話していることに違和感を覚えた。

「スピードの出し過ぎです」ナビシステムが同じ言葉を繰り返す。

「そうだぞ、貴明。スピード出し過ぎだ」

 親父も同じ言葉を繰り返す。

「うるせぇ」

 逃げ切らなければ。パトカーが貴明の運転するトレーラーの前に出ようとした。咄嗟にハンドルを右に切り車体側面をパトカーに接触させた。途端にサイレン音が一つ消えた。だが後方にはまだいくつもの赤色灯が見える。

「貴明、何してんだ」

 親父は骨のような手でハンドルを掴み、車を止めようとした。

「おい、やめろよ!」親父の手を掴み突き放した。

「あんたのせいで追われてるんだ。あんたがいなければこんなことにはならなかったんだよ!」

 前方の一般車にトレーラーをぶつける。一般車は横に逸れ前方の道が開く。

「スピードの出し過ぎです」ナビシステムが話す。

 サイレンの音が近づいてくる。

「貴明、スピード出し過ぎだ」親父が話す。

 バックミラーは赤色灯で埋まっている。

「スピードの出し過ぎです」ナビシステムが話す。

 いつの間にか前方にもパトカーがいて、前後左右包囲されている。

「貴明、スピード出し過ぎだ!」親父が叫ぶ。

「うるせえよ!」貴明は大きくハンドルを回した。トレーラーは大きくUターンを始めた。しかし荷物が重すぎるのか回りきらずに後方から横転した。

 目の前がぐるぐると回り、運転席が下になる形で回転が止まった。貴明の頭上で助手席の親父が、シートベルトが首に絡まり目を瞑りぐったりしていた。

 事故だ。これは事故だ。

「俺は殺してない」

 貴明は車から逃げようとするが身体が挟まって動けない。ここから出なければ。逃げないと捕まってしまう。

 狭い車内で身体を揺さぶりなんとか起き上がる。上方にある助手席の運転席のドアを掴むが、ドアがひしゃげて開かない。閉じ込められた。

 貴明はドアを叩くが開かない。パトカーが回りを包囲しているのを感じる。

 ドアを開けようと必死に叩く。

 横でぐったりしていた親父が、突然、カッと目を見開いた。

「お前もここで死ぬんだよ」

 そう言うと、歯のない口を大きく開け笑い出した。さらに骨を折られるぐらいの強力な力で首を絞められる。骨と皮だけの親父のどこにそんな力があるのだろうか。

 苦しい。貴明は気を失いそうになる。親父は力を緩めない。親父の乾いた笑い声が横転した車内に響き渡った。

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