第2話 アンブレイカブル

 エリンは慣れた手つきでジャッカルを肉と皮に処理し、俺たちは残った死骸を路肩にうずめて出発した。森を進む間は心配されたような遭遇もなく、俺たちは枯れ木の梢を透かして見える曇った空の下、ぼそぼそと話しながら歩き続けた。

 

「お名前をまだ聞いてなかったですね……」


「ん。ああ。俺は箕形亮介。リョウスケでいいよ」


「リョース・ケイン?」


「何かちょっと違うな……」


 今まで自覚はなかったが、あちこちの職場で誤解されるもとになった、俺のぼそぼそとして滑舌の悪いしゃべり方は生前そのままだったようだ。おまけに、俺は日本語をしゃべっているつもりだったが、どうも彼女の耳には日本語とはかけ離れた音韻の言葉として伝わっているらしかった。

 

 だが、彼女はそのへんを気にする様子もなく、頬を少し紅潮させて嬉しそうに話し続けた。

 

「リョースさん、凄いんですね……びっくりしましたよ、あのワライヤマイヌをあんなに簡単に片づけちゃうなんて!」


 ん、ニタリジャッカルはここじゃそういう呼び名なのか。


「あ、まあ昔この辺にいたときには――」


 自分の体験がどこまでもゲームでのそれであることに気付いて、気恥ずかしさにちょっと言いよどむ。

 

「散々狩ったからな。慣れてるよ……」


「うわぁあ……」


 赤毛の少女が尊敬のまなざしで俺を見ている。あまり心酔されてもそれはそれで厄介なことになりそうな気がするのだが、取りあえず気にせずに調子を合わせておこう。

 

「それだけ強かったら、きっと騎士団のみなさんにも歓迎してもらえると思います! ずっと人手不足だって聞いてますし……!」


「人手不足? レヴァリングの騎士団と言えば王宮を守る近衛のやつだろ……? 精強で大陸中に名前が轟いてたはずだ、入団希望者も大勢いたんじゃないのか」


「えぇ……リョースさん、どんだけ王都を離れてたんですか? そんなのもうずいぶん昔の話ですよ」


「え、そうなのか?」


「そのころは、空ももっと明るくて、ここいらには薬草もお花もいっぱいだったって話ですけどねぇ……」


 なんと。どうやらこの薬草取りの娘は、世界がこんなになる前を知らないらしい。

 


 やがて森の切れ目が見えてきた。広々とした湖水が灰色の水面を鈍く光らせ、その上に凸凹した不揃いな石壁が見える。

 

「見えてきましたよ。あれがレヴァリングのお城です……いまはもう、王様なんていませんけどね」

 

 崩れかけた城門を遠目にみとめて、俺はぱたりと足を止めた。

 在りし日の盛時には隙なく武装した兵士が門衛所にたたずみ、堀にかかる橋の上には物売りや旅行者が行き来していたものだった。

 

 今や橋の床は半ば崩れてところどころに穴があき、そこに不ぞろいな板を渡してどうにか人が通れる体裁をたもっている。門の奥に見える城内の風景は記憶よりも輪郭がおぼろげで、くすんだ緑色をしている。恐らくは荒れた街路に丈高く草が生い茂っているのだろう。

 

 とにかく、中に入らねば仕方がない――俺は、後ろを振り返って同行者に声をかけた。

 

「エリンといったっけな。じゃあ案内を頼むよ」


「はい、ついてきてください。あの橋は結構危ないんで、私が歩いた通りに注意してお願いしますね」


 エリンは俺の前に出ると、橋の上を歩き始めた。穴の開いた部分に渡された板も場合によっては使わずに、橋脚や欄干に近い足場のしっかりした場所を縫うように、奇怪なコースを取っている。

 その跡を追って進むうち、通りすぎた箇所で石材が崩れる音を何度か聞いて肝を冷やした。

 

 

 南側の城壁に沿って内側に拡がる区画へと入って行くと、崩れかけたような民家や何かの庁舎らしき遺構に囲まれた広場があった。位置的に考えて、かつての下町。商店街のあった辺りだ。

 そこにいくつかの古ぼけたテントが立ち並び、ひときわ大きな円形のものが入り口の垂れ幕を開け放っていた。

 みすぼらしいかがり火一つがその大テントを照らし、傍にたたずむ人物の影を薄汚れた幕の上に大きく映し出している。

 

 ――その足音はエリンか……もう一人いるようだがそっちは誰だ? 聞き覚えがないように思うが……?

 

 テントの前の人影は、こちらへそんな風に呼びかけてきた。驚いたことに若い女の声のようだ。近付きながら目を凝らすと、黒く染めた鉄の甲冑をつけて剣を携えた、金髪の女騎士らしき姿だった。

 

「デジレさん! ただいま戻りました、薬草、たくさん持ち帰れましたよ! それに、山犬の皮とお肉も! こちらのリョースさんが助けてくれたんです」


「そうか……お客人、あなたが何者か分からないが、エリンのこと深く礼を申し上げる。私は元レヴァリング騎士団、第一分隊隊長、デジレ・フォーリオンだ。今は自警団のまとめ役をやっている」


 少しかすれているが張りのある、強固な意志を感じさせる美声だ。

 だが、見るも無残なことに――彼女の目元は黒い帯状の布で隠され、その周囲の肌には帯で覆い隠しきれない引き攣れた火傷の瘢痕が波打っていた。

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