おそうじクラブはゴーストバスター?

弓葉あずさ

第1話

 イヤだ。イヤだ、イヤだ!

 ぼく、天内あまうち若葉わかばは何度心の中で叫んだんだろう。

 泣きそうになりながら、ぼくは学校の廊下を走り続けた。全力疾走ってやつだ。先生に見られたら、きっと怒られちゃう。

 ちら、と見た窓の外は、ざあざあの雨。

 気のせいか廊下もうす暗い。

 なんだかとてもイヤな空気。

 だけど今のぼくには、天気よりももっと厄介な問題がある。


「しつこいなぁ……!」


 つぶやきながら振り返る。

 黒いモヤモヤとした影がぼくの後ろに近づいてきていた。

 人の形をした、だけど顔がどう見ても鬼みたいなバケモノ。目はうつろで、顔色だって出来の悪いナスビみたい。


「あっちに行ってよ!」


 叫んでみても、黒いモヤモヤはぼくの後ろをぴったりついてくる。

 このモヤモヤを、ぼくは何となく知っている。

 ――幽霊、ってやつだ。


 昔からぼくはいろんな幽霊が見えた。

 見えるのが当たり前だったし、「お母さん、あの女の人、ずっとあそこの電柱にいるけど何してるの?」なんて言って心配されたりもした。

 そのせいでクラスでも浮いちゃったりして……。

 だから、ここ、卯ノ花中学校に転校してきたぼくは、今度こそと思ったんだ。

 今度こそ、変なことをしないで、ちゃんとクラスに馴染むぞ、って。

 それなのに……。


「この学校、幽霊が多すぎるよ!」


 放課後で人が少ないのをいいことに、ぼくは思わず叫んでしまう。

 あっちにも、こっちにも、幽霊。

 教室にはもちろん、トイレにだっている。幽霊のオンパレード。

 「ここ、もしかして幽霊が通う学校?」なんて思っちゃったくらいだ。

 初めてこの学校に入ったとき、叫ばなかったぼくはとてもえらいと思う。

 とにかくガマンして、クラスに馴染もうとしたけど、やっぱり幽霊が見えると気になっちゃうわけで……。ぼくの新しい中学校生活のスタートは、散々だった。

 しかも、帰ろうとしたら、うっかり廊下にいた幽霊と目が合ってしまったから最悪だ。

 目を合わせると、幽霊にもぼくが見えていることがバレちゃう。バレるとあいつらはすぐに近づいてくる。だからいつも気をつけていたのに……。

 おかげで、ぼくは今、泣きそうになりながら廊下で鬼ごっこをしているのだ。

 ぼくは一生懸命走っているのに、さっきから幽霊との距離は変わらない。ぴったりとくっついてきて、不気味だった。逃げ足だけは、幽霊から逃げまくっているおかげで速くなったはずなのに。


 ああ、もうイヤだ!

 何でぼくばっかり!


 心の中で叫んで、角を曲がる。

 とにかく、学校から出てしまえば、きっとこいつも追ってこない。

 逃げて、逃げて――。


「わっ」

「きゃ!?」


 後ろばかりを気にして、前をちゃんと見ていなかった。

 そのせいでぼくは、曲がり角にいた誰かに思い切りぶつかってしまった。


「いたた……」


 おたがい尻もち。反動でぼくのメガネが落ちる。

 分厚くて、牛乳びんみたいだなって笑われたこともあるメガネ。

 だけど、ぼくにとってはとても大事なもの。

 なにせ、幽霊が見えすぎるぼくは、たまに相手が生きているのか死んでいるのか見分けがつかない。

 だけどこの分厚いメガネをかけているときは、幽霊はぼやけて見える。見たくないものをあまり見なくていいのは、けっこう便利だ。


 メガネはぶつかった相手の足下に転がっていた。

 反対に、ぼくの足下にはヘッドフォンが転がっている。

 ぼくは慌てて立ち上がる。

 よく見たら、ぶつかったのは、二年二組……同じクラスの女の子だった。


 桜田さくらだ桃香ももかちゃん。

 ショートカットで、おとなしそう。背も小さいから、何だか子犬とかハムスターを連想させる子。


 転校してきたばかりのぼくが桃香ちゃんを覚えていたのは、このヘッドフォンだ。

 学校にヘッドフォンをかけてくる子なんてあまり見たことがない。

 しかも、彼女はいつもヘッドフォンを首にかけているって聞いた。さすがに授業中は外しているみたいだけど、休み時間もよく耳に当てている。いったいどれだけ音楽が好きなんだろう。

 とってもまじめそうなのに、何だか変わった子。

 さすがのぼくでも、印象に残ってしまうというもんだ。


「ご、ごめん。ぼく、急いでて……ごめんね!」

「きゃあ!」


 メガネを拾って、ぼくは謝るのもそこそこに走り出した。

 だけど、桃香ちゃんは聞こえていないのか、悲鳴を上げてうずくまってしまった。

 ぼくも思わず止まって振り返る。

 様子が変だ。

 桃香ちゃんは耳を押さえて、ガタガタ震えている。顔色なんて真っ青で。

 しかも――しかもだ。

 幽霊は、ぼくを追いかけてこなかった。

 桃香ちゃんの周りを、興味深そうにうろうろしている。

 幽霊が桃香ちゃんに顔を近づけるたびに、桃香ちゃんは小さな体をますます小さくさせた。目をぎゅっとつぶって、今にも泣き出しそう。

 もしかして――桃香ちゃんにも見えてる!?


 ドクン、とぼくの心臓が飛びはねる。

 助けなきゃ。

 そう思うのに、足が動かない。足が床にボンドで塗りつけられているみたい。

 だって、ぼくは逃げることしかできない。どうしたら助けられるのかなんて、わからない。

 どうしよう。どうしよう。

 心臓がバクバクとうるさい。息が苦しい。汗がびっしょりで気持ち悪い。

 外で、雷が光った。

 幽霊が、桃香ちゃんにおおいかぶさろうとする。

 桃香ちゃんの目から、涙がこぼれる。

 だめだ。もう、見ていられない。

 ぼくは、思わず目をつぶった。

 ゴロゴロと雷の不気味な音が聞こえてくる。

 そして……。


「桜田さん。大丈夫かい」


 聞こえたのは、桃香ちゃんの悲鳴や泣き声じゃなかった。

 いかにも涼しげな、男の子の声。

 ぼくはおそるおそる、目を開ける。

 あ、と思うより、桃香ちゃんが声を上げる方が早かった。


「あかねくん!」


 そう。

 桃香ちゃんの背後からゆったりと歩いてきたのは、西園寺さいおんじあかねくん。

 学校一のお金持ちとして有名な子だった。

 成績優秀、運動神経抜群。

 顔もいかにもな美少年。

 御曹司おんぞうしとかいうやつらしくって、服装も見るからに上品そう。気品ってやつがぐるぐるとまとわりついてそうなくらい。

 送迎もすごい車に乗ってくるらしい。

 それでいて威張ったところがなくて、優しくて、みんなの人気者。

 女子はもちろんキャーキャーと夢中だし、男子だって、もはや嫉妬する気にもならないんだとか。

 確かファンクラブもあるんだっけ?

 同学年にすごい人がいるもんだと、ぼくは転校初日から度肝を抜かれたのだった。

 今見ただけでも、茜くんの周りだけオーラがキラキラと輝いているような……。


 それにしても、あの幽霊はどこに行ったんだろう?

 姿がぜんぜん見当たらない。

 ぼくがキョロキョロしている間にも、二人の会話は進んでいく。


「遅かったから少し心配してね。大丈夫だったかい」

「うん、ごめんね。あかねくんが助けてくれたんだよね? ありがとう」

「仲間のためだ。お安いご用さ。……ところで、君は……」

「え!」


 じっと見られて、ぼくはピシリと姿勢を正した。

 ……同学年なのに、何でだろう。先生に怒られるときより緊張する。


「ぼくは、その、通りすがりで……」

「天内若葉くんだね」

「な、何でぼくの名前」

「転入生だろう? 顔と名前くらいは知ってるよ。オレはこれでも生徒会だしね」


 ニコリと笑われて、はあ、とぼくはマヌケな返事をするしかなかった。

 生徒会……。

 そういえば、茜くんはまだ二年生なのに生徒会に真っ先に推薦されたとか、もう次期会長確定だとか。クラスの子が騒いでいたのを聞いた気がする。

 なんでも「茜様伝説」なんてものがあるらしい。

 どれだけ有名人なんだよ。びっくりだ。

 それにしても、生徒会だからって生徒の名前を覚えているものかなぁ……。

 しかも、ぼくみたいな地味なタイプの人間を……。

 そんなぼくの考えを知ってか知らずか。茜くんはニコニコとぼくを見ている。

 だけど、その目は、何だろう。優しそうなのに、どこか、するどくて。


「……ひっ!」


 ふいに、ぼくは気づいた。

 気づいてしまった。


 何だこれ。

 茜くんの後ろに、とても大きな幽霊がいる。

 幽霊といっても、本当に大きくて、天井につきそうなくらい。

 スライムみたいで、なんだか形はぐねぐねしている。

 目とか鼻はないのか、埋もれているのか、とにかく見えない。

 ただただ大きな口が、あんぐりと開いている。

 きっとあの口は、ぼくらを一口で丸飲みにできるんだろう。

 バケモノだ。


 そいつは、茜くんの後ろでおとなしくしている。

 まるで茜くんのお付きの人みたいだった。

 何で、こんなおそろしいものが茜くんの近くに……。

 思わずぼくは、茜くんの背後を見たまま硬直していた。

 そんなぼくを見て、茜くんはいっそう笑みを深めた。

 にっこり。白い歯がさわやかすぎる。なんだかモデルみたいだ。


「なるほど。君は、見えるんだね」

「……え?」

「天内くん。オレは君みたいな子を探していたんだ」

「え? え?」


 何を言っているんだ?

 話がぜんぜん見えてこない。

 困って桃香ちゃんを見てみたら、彼女もふるふると首を振った。

 ぼくが困っているのが桃香ちゃんにも伝染したみたいで、目がウルウルしている。

 チワワみたいだ……。

 ぼ、ぼくが悪者になった気がしてきたぞ。何もしてないはずなんだけど。


「天内くん」

「は、はい!」

「君さえ良ければ歓迎するよ。まずは話だけでも聞いてほしい」

「はあ……」


 茜くんは、スマートな仕草ですぐ近くの部屋を開けた。

 部屋のドアには、紙が貼り付けられている。

 手作りかな。

 白い厚紙に、黒マジックで大きく書かれた……なになに?

 ――『おそうじクラブ』?


「なぁに。取って食ったりしないさ」


 茜くんはそう言って笑ったけど。

 後ろのバケモノもニタリと笑ったから、ぼくは、ぜんぜん笑えなかった。

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