あまり怖くない短編怪談1 日本酒バー

@celicabook

第1話 日本酒バー

忙しかった仕事が一段落したので、思い立って1泊2日で旅に出ることにした。

私の仕事は、司法書士だが一人でやっているので気軽に休みを取ることができる。

旅は好きで、こうして仕事が一段落した時や、急に時間が出来た時に良く出かける。

観光を目的ではなく、あくまでのんびりとするために出掛ける。

温泉は必須だ。

泊るのはホテルではなく温泉のある旅館と決めている。

規模は大きすぎず、かといってあまり小さくて家庭的なものも

好きではないので選択が難しい。

適度に歴史があり、50室程度の部屋がある旅館。


あまり辺鄙なところではなく小さな温泉街があれば尚良い。

私は日本酒が好きで、旅先でおいしい地酒を探して楽しむことも

旅の目的の1つとしているからだ。

旅館でも飲めるが、食事の後、ふらっと散歩がてらに出掛けて、

地元の人が行く居酒屋やバーなどで飲むのを楽しみにしている。

だから、あまり辺鄙な場所にある温泉旅館だと、近くにそういったお店が無いため

ある程度の温泉街が必要なのだ。


この日も、どこへ行こうかとネットで探して、北陸地方でちょうど良さそうな

温泉街のある旅館を見つけた。

幸い平日でもあり、宿泊予約はすぐに取れたので旅に出ることにしたのだ。


目的地に到着したのはお昼すぎだった。

チェックインには早すぎるので、旅館に荷物だけ預けて、

ちょっと温泉街をブラブラと歩いてみる。

良い天気で、適当に土産店などを冷やかしながら、ついでに今夜行けそうな

居酒屋を探しておくことにした。

当然ながら、この時間帯居酒屋などの店はどこも閉まっているが、

それでも店舗の雰囲気だけで2~3軒の店に目星をつけておいた。

夜が楽しみだ。


夕方近くなったので、旅館に戻り温泉に浸かってのんびりした。

部屋は旅館の裏手にある渓流に面していて、眺めが良い。

8畳ほどの広さで窓際にちょっとした広縁があり、

椅子に座って景色を眺められる。

大浴場は、あまり広くはないが、清潔感のあるヒノキ張りの壁で、

小さな露天風呂もついていて、露天風呂からは渓流が間近に眺められる。

これはなかなか良い旅館を見つけた。

再訪決定だな。


一人でそんなことを思いながらゆっくりと温泉を堪能し、

部屋に戻って冷蔵庫の缶ビールを1本飲んでから、食事処へと向かった。

夕食も朝食も部屋ではなく、最近はどこも別室で食べるように

なっていることが多いが、この旅館もそのようだ。

人手の問題や、効率の問題もあるのだろう。

夕食に行くと、既に3組ほどが食事を始めていた。

あまりにも誰にも会わなかったので、もしかすると泊っているのは

自分だけかと思っていたが違っていた。

案内されたのは窓際のテーブルで、そこからも渓流が眺められる。

料理は主に地元の素材を使った郷土料理で、

野菜も肉もこの地で採れたものを使っているとお品書きに書いてある。

川魚は塩焼きにせず、洋風のムニエルにしてあったのが良かった。

どれも見た目の派手さは無いが、味はなかなか凝っている。

あまり手をかけていないように見せて、意外に手間をかけている料理だ。

何より味と量は若い時と違って再訪するかどうかの決め手になる。

その点でもこの旅館は及第点。

オーソドックスだが、味も量もちょうどいい。

満足。

料理に合わせて、冷酒の地酒を注文した。

すっきりとした辛口で、どの料理にも合いそうだ。

だが、ここで飲みすぎるとこの後のお楽しみがダメになるので、

1合でやめておくことにする。

旅館スタッフのサービスも、つかず離れずで何もかもがちょうどいい。

食事に満足して、いい気持ちで外に出た。


外に出ると気温が少し下がっていた。

浴衣だけでは肌寒く感じたので手に持っていた丹前を羽織る。

旅館の下駄を借りて、目を付けておいた居酒屋に向かって歩き始めると、

空の藍色が一層濃くなってきたように感じた。

空気が澄んでいるので、星もきれいに見えるなと思いながら、

まず最初に目を付けておいた居酒屋に行くと、既に満席になっていた。

カウンターとテーブル席2席ほどの狭い店だから仕方がないか。

ざわざわとにぎやかな声や物音が響いてくる店を背に、

次の店に向かって歩き始めると、なんと本日休業の札が。

夕方来た時にはなかったはずなのに。

何かあったのかな。

と考えながら、次に店に向かうつもりで1本裏通りへと入っていった。

そこは繁華街というより、もはや住宅地に近く、店もちらほらとあるだけで

薄暗かった。

少し歩くと角に雑草に覆われた空き地があり、その先はさらに暗くなっている。

この先にはもう店はなさそうだなと引き返そうとして、ちらっと赤い光が目に入った。

空き地の向こうに行燈のようにオレンジがかった小さな明かりが見える。

何かな?

近づいてみると、文字通り行燈だった。

黒板で覆われた小さな長屋風の民家のような建物の一番手前に、

表札を一回り大きくしたぐらいの大きさのかけ行燈があり、

「日本酒バー 灯」と書いてあった。


こんなところに日本酒バーが!

なんて幸運なんだ。日本酒バーともしびか。

これはついているぞ。


引き寄せられるようにその小さな行燈のある店の小さな引き戸を開けた。

「いらっしゃい。」

落ち着いた男性の声で出迎えられ、中に入るとそこはカウンターだけの店で、

カウンターの中に中年の男性が立っていた。

店内の明かりは薄暗いがカウンターの中は明るいので、マスターらしい

男性の様子が浮き上がるように良く見えた。

なかなか渋い二枚目の40代後半か50才ぐらいか。

「どうぞ、お好きな席へ」

と言われて、カウンターを見ると8席ほどのカウンターの

一番奥に中年の女性が一人座っている。

座っているというより、既に出来上がっているようで、カウンターに

寄りかかるようにしてうつむいていた。

彼女の座っている席の壁にドアがありそこはトイレのようだ。


女性から3席ほど空けて真ん中に近い席に座ると、

マスターがおしぼりを差し出した。

おしぼりを受け取り、手をふきながらカウンターの中をもう一度見る。

マスターの前、カウンターの下は調理台になっていて、

マスターの後ろには大型のガラス戸の冷蔵庫が備え付けられていた。

その中には様々な日本酒が並んでいる。

その隣は常温保存の日本酒を置くための狭い棚になっている。


カウンターの上にあるメニューを見た。

迷っていると、マスターが、

「何かお好みの酒はありますか?」と声をかけてきた。


「うん、あまり辛すぎない冷酒で、地酒がいいんだが。」

「それなら、すみたに酒造さんの焔がおすすめですよ。」

「ほむら?」

「ええ。純米酒ですのですっきりしていますが、厚みがあり辛すぎず、

のど越しのいい酒です。米の香りもフルーティでいい感じですよ。

すみたに酒造さんは、この裏手にある地元の造り酒屋です。」

「じゃあ、それにしよう。それと、もう夕飯は食べてきたので、

何か軽いもので、その日本酒に合うあてをもらおうかな。」

「わかりました。」


標準語で話すマスターだが、かすかに地元のなまりのようなアクセントがある。

この土地の出身なのかもしれない。


少し待つと、きれいな透明のグラスに入った冷酒の焔(ほむら)と、

小皿と小鉢が目の前に置かれた。

小皿の上には、からすみ3枚。

小鉢の中には塩辛のようなものが入っていた。

からすみ?!そんな高いものを?!!

不安に思うと、それを察したのかマスターは

「からすみはご心配なく。自分で作っているので格安です。

500円ですよ。まあ3枚でというなら高いですけどね。」と笑った。

ホッとして、小鉢の中身について尋ねる。

「小鉢は、甘えびの塩辛です。これも自家製ですよ。」


これは日本酒にぴったりなあてだな。


早速日本酒を一口飲む。

ふくよかな米の風味が静かに口の中に広がった。

強くはないが、まったりとした甘み。

が、一瞬でフルーティな香りに代わりすっと消えていく。

今まで飲んだことのない、不思議なおいしさだ。


「これはうまい!」

思わず声に出た。

マスターはにっこりと笑って、「でしょう~?」と答えた。

渋い感じの二枚目だから寡黙なのかと勝手に思ってしまっていたが、

話好きのようで、その後もからすみのうまさや甘えびの塩辛の味を

ほめると、作る事への熱い思いを語ってくれた。


すると突然

「マスター、おかわり!」

と隅で寝ていたはずの女性が、酒焼けしたようなかすれ気味の声で叫ぶように言った。


「まい子さん。今日はもうこの辺にしときましょう。」

「だめ!まだまだ飲むんだよ~!」

「じゃあ、あと1杯だけですよ。」

そう言うとマスターは、新しいグラスに入れた焔を彼女の前に置いた。


だが、彼女はそれに手を付けずまた突っ伏してしまった。


マスターは苦笑いをしながら

「毎日開店と同時に入って来て、ずっと飲んでるんですよ。

いつもこんな感じです。」と言った。

常連さんのようだ。


カウンターの奥はさらに薄暗く、彼女の顔はよくわからなかった。

正面に立っているはずのマスターも、顔は何となく奥を向いた

斜めの横顔で、真正面からの表情は見えない。


焔を飲み干し

「もう一杯何かもらいたいな。他にお勧めはある?」

「そうですねぇ。そろそろ外も冷えて来ましたので、

ぬる燗ではどうでしょう。燗酒は嫌いですか?」

「いや、日本酒は冷でも燗でも好きだよ。じゃあそのぬる燗で

おすすめの酒を。」

「ではまた、すみたに酒造さんですが、ぬる燗に合う酒で。」

「埋火(うずみび)と言います。」

と、猪口とちろりを乗せた小さな盆ごと前に置かれた。

いま時ちろりとは、なんとしゃれているんだろう。


まあ、ちろりを知っている世代も少なくなってきているからな。

と独り言ちていると、

「やっぱり燗酒はちろりでないとダメなんですよ。」

とマスターがまるで聞いていたかのように答えた。

「この酒は、吟醸酒なので熱燗には向きませんが、ぬる燗だと

パッと華やかな香りが楽しめます。肉料理にも合いますよ。」


「そうなんだ。じゃあ肉のたたきをもらおうかな。」

「承知しました。」


待つほどもなく、おいしそうな薄切りの牛肉のたたきが出てきた。


酒を口に含むと、マスターの言葉通り口の中に華やかな吟醸酒の香りが広がった。

こちらは先ほどの焔と違い、なかなか消えていかない。

まったりとした口当たりだが、あと口がすっきりとして、

吟醸酒ならではの高級感も味わえる。

そこにたたきをほおばると、最高の取り合わせだ。


マスターはかなりの食通でもあるようだ。

うん、常連決定だな。


マスターの方を見てそう伝えようとしたら、ちらりとマスターの

左半分の顔が見えた。

大きなやけどの跡があった。

そうか。

この火傷の跡をあまり客に見せないように、わざと正面を向かないように

していたのだな。

そう分かったので、気づかないふりをしておいた。

しかし、料理の腕も確かだし、酒の目利きも素晴らしい。

日本酒好きなら常連になることは間違いない店だ。


浴衣に丹前という、誰が見ても温泉客らしい格好をしている為、

「今日は観光でこちらに?」

とマスターが再び話しかけてきた。

「観光というより、温泉と地酒を目当てにかな。」

「それはいい。いや、うらやましいな。」

マスターは、その後も地元の日本酒のことやこの辺りの観光名所の

話などをしてくれた。


その日はなぜか客は奥の酔いつぶれた中年女性と私だけで、

他には来なかった。

まあ、そんな日もあるのだろう。


しかし、今回は大収穫だった。

こんないい店が見つかるなんて。

近いうちにもう一度来ることにしよう。

いい気分で旅館に戻り、渓流のせせらぎ音を聞きながら

ゆっくりと眠りにつくことができた。


翌朝も良く晴れたいい天気だった。

朝ぶろの後、朝食を食べてゆっくりとした後、旅館を出た。

昨夜の店は良かった。

思い出しても、また今夜にでも行きたくなる。

マスターの人柄も気に入ったし、何より日本酒と料理のうまかったこと。

来月にでももう一度行ってみるか。

駅へ向かうバス停に向かって歩いているうちに、ふともう一度店を見ておきたくなったので

回り道をしていく事にした。

表通りから1本中の道を住宅地の方へ向かって歩いていると

見覚えのある空き地が見えてきた。

あの空き地の向こうだったな。

そう思って近づいてみると、店が見当たらない。

「あれ?違ったかな?」

確かにこの空き地だった気がするが、夜で暗かったから似たような感じが

するだけかもしれない。

そう思って少し引き返すも、他に道はない。

もう一度空き地のそばまで行ってみた。

日本酒バーは無かったが、その向こうに自転車屋が1軒店を開けていた。

自転車屋の中には、店主らしい中年の男性が一人でタイヤのチューブを修理していた。

彼に聞いてみよう。

「すみません。」

「はい?」

店主らしい男性が手を止めてこちらを見た。

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが。」

「何ですか?」

「この辺りに、日本酒バーがあったと思うのですが、どこかなと思って。」


「ああ・・・。」

男性は、急に顔をしかめるようにして言葉に詰まったように沈黙した。

そして、立ち上がってタオルで手をふきながら近づいて来た。


表に出て来て、空き地の方を見ながら

「ありましたよ。あの空き地に。」


「ええっ!!あの空き地ってどういうことですか?!」


「あそこに日本酒バーの灯っていうお店があったんです。

今年の2月までね。

正確に言うと、灯っていう店と、もう1軒スナックがあってね。

でも、今年の2月に火事で両方とも焼けてしまったんだよ。」

驚きのあまり声が出なかった。

黙っているので、続きを聞きたいと待っていると思ったのか、店主が続けた。

「スナックのママが灯のマスターの事が好きでね。

自分の店そっちのけで毎晩通っていたんだけどね。

マスターは全然その気がなくて、ついにママがマスターの店に火をつけたんだ。」


「放火ですか?!」思わず声が出た。

「そう。マスターは消そうとして奥にある消火器を取りに行ったんだけど、

ママがその間に入口に鍵をかけてね。

煙が出ているのを見つけた近所の人が表の戸を開けようとしたけど、

開けられなくて、二人とも煙に巻かれてね。」


「じゃあ、灯とスナックの2軒が焼けてしまったんですね。」

「そう、灯とスナックまい子の2軒。」

「スナックまい子・・・。でも、私は昨夜その日本酒バーで・・・。」

自転車屋の店主らしい男性は、私の顔をじっと見て、

「あんたも見たのか。」と言った。


「まあ、忘れるこった。」

店主らしい男性は、手を振りながらまた店の中に入って行った。

私はしばらく呆然と雑草だらけの空き地を見ていた。


今でも時々あの夜の事を思い出してみると、また行きたくなる。

おいしい日本酒と料理。

幽霊でもいいので、またお店を開けておいてくれないだろうか。

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