第8話『工月から天城へ』

 「耕史さん、はいどうぞ〜」

「うん?」


 朝、耕史さんが玄関で靴を履いたのを確認すると、持っている物を差し出す。


「あぁ、お弁当か、サンキュー」


 ランチクロスに包んだお弁当箱を耕史さんに手渡した。

 

「それじゃ、行ってくるな!」

「いってらっしゃい〜」


 耕史さんは私に向けて親指を立てると鞄を持って玄関から外へと歩き出していた。

 


 あれからそれなりの年月が経っていった。

 私はこうやって耕史さんにお弁当を作ってから見送り、日中は家のカフェの手伝いをして、夜は家に来て夕飯を作っていた。

 耕史さん曰く、まるで通い妻だなと笑っていた。

 

「それじゃ、掃除とお洗濯しないと〜」


 そう呟くと、私は洗濯物が大量に入った洗濯機を動かすために洗面所に向かっていった。



「紫、今週末空いてるか?」


 夕飯を食べ終わると、いつも通り私を家まで送ってくれる。

 仕事で疲れているのにそこまでさせるのはさすがに気が引けたのだが、気晴らしにいいと話している。


「大丈夫ですよ〜」


 私が答えると、耕史さんは「よしっ!」とガッツポーズを取っていた。


「それじゃ、土曜日に家まで行くからちゃんと起きてろよ!」

「耕史さんじゃないんですから、ちゃんと起きてますよ〜」



 来る土曜日の朝、耕史さんがあの時と変わらぬバンタイプの車で私の家の前に来ていた。


「おはよう、ちゃんと起きてたな」


 ドアを開けた耕史さんは少し眠たそうな表情をしていた。


「ちゃんと起きてますよ〜」


 助手席に座るとすぐにシートベルトをつける。


「それじゃ出発するぞ!」


 私がシートベルトをつけたのを確認すると、車を発進させていった。


「耕史さん、どこへ行くんですか〜?」

「それはついてからのお楽しみってことで」


 耕史さんはニヤニヤとした表情をしている。こう言う時の耕史さんは楽しいことを考えているのが大半だ。


 車はバイパスに入ったと思ったら、すぐに高速道路に入っていった。


「遠出するって久しぶりですね〜」

「たしかにな……県内をうろうろするのはよくやるけどな」


 高速道路は車は多いものの、混雑している区間もなく順調に進んでいた。


「あれ〜……この道って〜」


 私が気づいて運転手の方に顔を向けると、耕史さんは不敵な笑みを浮かべていた。




「耕史さん、なんでここに来たんですか〜?」


 耕史さんに連れられてきた場所は私がサークルに来た時に連れてきてもらったオートキャンプ場。

 あの時以来、来たことがなかったので数年ぶりになる。


「だってほら、紫と初めて一緒にきたところだろ、ここ?」

「たしかにそうですけど〜」


 耕史さんは答えながらも薪や古い新聞紙を使って火を起こしていた。

 慣れた手つきで火がつくと、その上に網を置くとその上に長年使っているヤカンを置いていた。


「コーヒー飲むか?」

「いただきます〜」


 ここに来る途中で買ったコーヒーポットをマグカップに入れると沸かしたお湯を注いでいく。

 それで何故か、会話が途切れてしまっていた。

 いつもなら耕史さんが仕事の愚痴だったり、最近読んだ本やテレビの話をしてくれてくれるのだけれども。


 それがしばらく続き、お互いにコーヒーをゆっくりと飲んでいく。


「……あのさ、紫」


 その沈黙を破ったのは折りたたみの椅子に深く座っていた耕史さんだった。


「どうしました〜?」


 私が返事をすると、耕史さんは頬をかく仕草をしながら横を向いていた。

 なんか顔が少し赤くなっている気がしなくもない?

 

「なんか洒落た感じで言おうと思ったんだけどさ、語彙力がなさすぎてチグハグになりそうだからストレートに言うわ」

 

 その言葉に私は首を傾げてしまう。

 そして耕史さんは大きく深呼吸をすると、私の顔をじっと見つめる


「紫、お、俺と結婚してくれ……!」

 

 顔をリンゴのように真っ赤にしながら震えた声でそう告げた。


「はい、いいですよ〜」


 いつもの調子で答える私を見て、耕史さんは肩を深く落としていた。


「い、いやさ……そこは戸惑う様子を見せたりとかしてもらいたいんだけど」

「うん〜……そう言われても〜?」


 もちろんこれがプロポーズであることはわかっていた。

 テレビやマンガでは言われた方は驚いたり、泣いたりしている場面をみるのだが……。


 不思議と私はそういうことにはならなかった。

 いつか耕史さんから言われることを待っていたのかもしれない。


「まあいいや……それじゃ必要な物を買いに行かないとな」


 そう言って耕史さんは携帯電話を開いて画面を見ていた。


「必要なものってなんですか〜?」

「まずは婚約指輪とか……」


 耕史さんはそう告げるが……。


「耕史さん……」

「どうした? 指輪の件は心配するなよ、こっそり貯めていたからな」


 耕史さんは右手の親指をピンと立てていた。


「そうじゃないんです〜」

「どういうことだ?」

「指輪なんて別にすぐじゃなくていいってことを言いたいんです〜」


 私の言葉に耕史さんは目を大きく開きながら首を傾げていた。

 全くいらないと言うわけではないけど、それよりも必要と思うものがあった。

 

「ちなみに何を優先させるんだ?」

「調理用の包丁とお鍋一式です〜!」


 何年も耕史さんの家で調理をしているが、そもそも包丁が一般的な三徳包丁しかなく、お鍋もそこまで数がなかった。

 ……いくつか買ってはいるが、それもそろそろ限界を迎えようとしていた。

 結婚して一緒に暮らすとなれば、これを機に新しい物を用意しておきたかった。


 ——そうすれば、今まで以上に彼に元気がつく料理を作ってあげることができるのだから。


「……何ていうか紫らしいな」


 耕史さんは乾いた笑いをこぼす。


「ま、じゃなきゃプロポーズなんてしなかったけどな」


 そう言って耕史さんはニカっと歯を見せて微笑んでいた。



 そして、互いの両親に挨拶を済ませ、役所で届出を提出して……。


 ——私は天城紫となり、その数年後に2人の母親になったのである。


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【あとがき】

▶当作はカクヨムコンに参加中です!!

 

お読みいただき誠にありがとうございます。

次回もお楽しみに!

 

千智編っていうか紫編?も次回が最終回です!

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