第7話

 あれは夢じゃなかったのだ。映像だけではあるが、ちゃんと現実の記憶だったのだ。

 ということは、やはり秘薬を飲んでいたのだなとライラは思った。今までも記憶が曖昧だったり、覚えていないことがあった。それらは秘薬を飲み、恋心と共になくした記憶だったのだ。そう考えればすべてが納得できる。


「ごめん、ちゃんとは覚えてないの。言ってくれた言葉も私にはもう分からない」


 おそらく薬のせいで音声はなくなってしまったのだろう。


「いや、ちょっとでも覚えてくれてたなら、それでいいんだ。もう完全に消え去ってるんだと思ってたから」


 シンが嬉しそうにしている。そのことにライラの胸が温かくなった。


「ねぇシン、どうして身分を隠していたの? 変に距離を置かれたくないのは分かったけど、いずれはバレることだよ」

「だって、ライラは俺を貴族の養子って思ってる時点でかなり身分の差を感じてただろ? これでもし王子だって伝えたら、絶対に身分の壁は越えてくれないと思った。だから貴族ってことにしておいて、ライラの言質を取りたかったんだ」

「それって……かなり悪質じゃない?」


 つまり騙して捕まえようとしていたということか。何て恐ろしいことを考えているのだと、ライラは頬が引きつるのを感じる。


「むぅ、一途だと言ってくれ。権力をかざして命令すればライラは手に入るんだ。でも、そういう問答無用の力尽くで手に入れたいんじゃない。俺のことが好きで、俺を選んで欲しかった。だから身分を感じさせないよう、なるべく幼馴染みの顔をして接してたんだ」


 単に距離を置かれるのが嫌なのだと思っていたけれど、確かにいつもシンは幼馴染みとして接してきた。思い当たる出来事の数々に、ライラの頬がだんだんと熱くなってくる。


「本当は、全力で口説いていたかったんだぞ。でも、それは幼馴染みのシンじゃない。ふざけてからかって、悪戯してちょっかい掛けて、そうやってライラを困らすのが、幼馴染みのシンだから。その姿を壊さないように、たまに口説くんだ。そうすると、ライラはすごく可愛い反応をしてくれたから。これは、もうすぐ俺のところに落ちてくるぞって、わくわくしてたのに……秘薬飲みやがって、酷いぞ!」


 シンがふくれっ面で怒ってきた。何その顔、胸がきゅんと切なくなるんですけど。


「ご、ごめんなさい」


 ライラは思わず謝る。すると、シンがふくれっ面をやめて、柔らかく微笑んだ。


「いーよ。薬を飲んだってことは、俺のことが好きだってことだから。今、これからのライラが手に入るなら、それでいいんだ」


 その言葉に、ライラは衝撃を受けた。あまりの理不尽さに、泣きたくなる。だって、これからシンの恋心を消さなければならないのだから。


 シンは、ライラが自分の元に来るのだと疑っていない。やっと両想いになって、二人で幸せになるんだと思っている。でも、そんな未来はやってこない。ライラが、今からそれをぶち壊すから。


 ――本当に、壊して良いの?


 ライラの心に、疑問の声が響く。


 ――シンに、助けを求めたら?


 甘えろと声が響く。


 シンに秘薬を飲ませずに、すべてを話し、助けを求める。そうすれば、ライラはシンと一緒にいることが出来る。ずっと片想いだと思っていたけど、両想いだったのだ。ライラの恋は、散ること無く、成就するのだ。


 でも、サリム達はどうなる。マーリが見張っているのだ。ベルに脅されていることをしゃべった時点で、人質であるサリム達は殺されてしまうかもしれない。いくらシンが王子とは言え、シンが命令してサリムを探して助け出すまで時間がかかるだろう。その時間があれば、サリム達をどうにかするには十分だ。選択をしなければならない。


 マーリが言ったこと。『どんな結末になるかは、ライラ次第』本当にその通りだ。

 ライラの中で、天秤が揺れ動く。どちらを選んでも地獄だ。シンの心を失うことも、家族を失うことも、耐えられない。


 けれど、最悪の中での最善は……生きていること。ライラは腐っても薬師だ。どんな状況であれ、生きていることが大切なのだ。死ぬほどつらいこともあるだろう。そんな人に生きろというのは、時に非情だということも分かる。それでもだ。薬師としてのライラは、命を軽んじることだけは出来ない。だから、ライラにはこの選択しかなかった。


「シン、お茶を……飲みませんか?」


 お茶に混ぜて秘薬を飲ませ、サリム達を助ける。シンではなく、弟達を選ぶのだ。きっと、サリムが知ったら、悲しい目をするんだと思う。でも、この決断しかなかった。だって、どんなことをしてでも、サリム達を助けると約束したから。


 シンは静かな目をして、ライラを見つめてくる。


「いいよ。それが、ライラの答えなんだろ。俺は、受け入れるさ」


 シンが寂しそうに笑った。


「ただ、他の奴が入れたお茶はいらない。ライラの作った、その青い薬だけで良い」


 その言葉で、ライラは悟った。

 シンはすべてを知っている。ライラが脅されていることも、シンに何を飲ませようとしているのかも。


「何が起こっているのか、知ってるんですね」

「これでも、王子だからな。でも……騒動を未然に防ぐことも、すぐに解決することも出来やしない無能な王子だよ。ライラのした選択は、サリム達を助けるためなんだろ。だから、俺はそれを手伝うだけさ」


 ライラは涙がこらえられなかった。

 シンの前で、ライラが泣いていいわけがない。シンよりも弟を選んだ、酷い奴なのだから。それでも、シンの優しさに、涙が次から次に溢れてしまう。


 シンは机に置かれた小瓶を手に取ると、躊躇いもなく蓋を開けた。


「あっ……本当に、飲むの?」


 飲ませようとしているくせに、そんな言葉が出てしまう。


「飲むよ。俺はライラのこと、大切に思ってるんだ。だから、ライラが守りたいものを、俺も守りたい。これは俺の我が儘だから、ライラが気にする必要はないよ」


 シンはそう言うと、何の躊躇いもなく、一気に薬を飲み干してしまった。コトリと、空になった小瓶が机に戻ってくる。それをライラは無言で見つめた。

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