第9話

 その日の夜、安眠効果のお茶を配り終えて自室に戻ると、ライラはベッドに倒れ込んだ。確かに仕事が欲しくて『何でも言ってくれ』と言ったのはライラだ。だから、妃候補達がいろいろと声をかけてくるのは至極当然のこと。だが、最近は本当に使いっ走りのような仕事も増えてしまい、体力的にきつい。


 それに加えてベルの事を考えると精神的に辛かった。村にいた時は迷いなく秘薬の出番だと思っただろう。けれど、秘薬は思っていた以上に様々な思惑を引き寄せるのだと気付いた。だから、ベルが生きる為に必要なら作るべきだと思いつつも、少し迷っている。


 ライラは倒れ込むように枕に顔を埋めた。


「お疲れさん」

「えぇ、本当に疲れた……って、は? どこから声がした?」


 慌てて起き上がり部屋の中を見渡す。けれど、ランプの明かりの範囲には誰もいない。


「やだ、幽霊?」


恐怖を少しでも紛らわせようと枕を抱きしめる。すると、ガサっと何か擦れる音がした。


「誰? いるんでしょ。いるって言ってよ」


 半泣きで訴えると、小さな笑い声が聞こえてきた。その声にライラは反応する。


「まさか、シン様?」


 ライラの問いかけに笑いがぴたりと止まった。


「正解。さっすがライラ」


 シンの声は窓の方から聞こえる。ライラが恐る恐る窓を見ると、シンが開け放たれている窓の外で手を振っていた。その姿を見た瞬間、ライラは抱きしめていた枕を投げつけた。


「いきなり投げつけるなよ」


 難なく受け止めたシンが、枕を投げ返してきた。


「待って……待って待って、ここハーレムだから。王子様以外、勝手に入ったら不敬罪で処刑されるかもしれないってのに何してんの?」


 ライラは小声で怒り、頭を抱える。


「大丈夫だって。俺、まだハーレムに入ってないから」

「何言ってるの。寝言は寝て言って。ほら、見つからないうちにさっさと帰ってよ」


 窓に駆け寄り、シンを帰らせようと肩を押した。すると、その手を握られてしまう。


「いいね。慌てるとフタが取れて、ライラが元に戻る」

「はぁ? 意味分かんない。ふざけてる場合じゃないでしょ。なんで来たのよ。お願いだから、こんな危ないことしないで」


 シンが見つかってしまったらと思うと、恐ろしくてたまらない。処刑されてしまうという事実が、ライラをじわじわと焦らせる。


「だって、ライラがハーレムから出てこないから」

「……それが、理由なの?」

「それ以外に理由なんてあるわけないだろ。せっかく手形渡してあるのに、あれきり全然出てこないじゃん。俺、寂しくて寂しくて、ライラが足りなくて夜も眠れない」


 シンに手を引かれ、自然と上半身が窓の外へと傾いた。お腹に窓枠が食い込んでくる。


「ライラ、知ってる? この部屋はハーレムの端っこなの。つまり、部屋の中は確かにハーレムだけど、外はハーレムじゃない。なので、俺はぎりぎり捕まらないってこと」


 シンはニヤリと笑った。


「それって、ものすごく屁理屈に聞こえるんだけど」

「気のせいじゃない?」

「いや、見つかったら絶対に捕まるから」

「捕まったら腹くくって、ライラをさらって逃げるさ」


 シンの右手が伸びてきて、ライラの頬をすっと撫でた。


「ちょ、ちょちょちょっと、触らないで」


 一気に心拍数が上がってしまう。ライラはとっさに体を引こうとするが、シンに手を掴まれていて出来ない。それどころか、シンは更に近づいてきた。


「なんで? 俺もっと触りたいんだけど」


 シンの顔が近い。


「な、なななんで、そそそんなこというの。かかからかうのも、いいいいかげんにして」

「からかいたいんだ。困るライラが可愛いから」


 シンの声が切なげに響く。


「ああああくしゅみ、いじわる、へんたい」


 ライラは震える声でなけなしの抵抗を試みた。すると、シンが呻きながら顔を伏せるではないか。


「うぐ……やばい、ライラに言われると興奮する」


 シンの鼻息が首にかかった。本当に興奮しているらしいと気付いたライラは、逆にぐんぐんと冷静になっていく。シンってこんなに変態だったのかと、心の底から残念に思う。


「はぁ、何だか馬鹿馬鹿しくなってきちゃいました。私は逃げませんから、シン様もちょっと落ち着いてください」

「本当に逃げない?」

「本当ですからちょっと冷静に。百歩譲ってハーレムには入ってなくてもですね、私はハーレムの女官なんですよ。その私にこうして触れるというのは、王子様を裏切る行為だと思われてしまいます。ですから、ほら、離してくださいよ」


 シンがしぶしぶ手を離した。そのことにライラはほっとする。


 しかし、すぐに窮地に立たされた。シンが真剣な表情で見つめてくるのだ。いつもヘラヘラとしているくせに、いきなりどうしたというのだ。そんなに見つめられると、恥ずかしいではないか。見つめ合うわけにもいかないから目のやり場に困るし。


 ライラが視線をうろうろとさまよわせていると、シンが話し始めた。


「ライラ、こっち見ろよ。話があるんだ」

「は、はなし?」


 思わず声が上擦ってしまう。


「そう。本当はハーレムに入る前に話そうと思ってた。けど、あの時のライラに話しても無意味だったから、ずっと待ってたんだ。一緒の時間を過ごしていれば、過去を取り戻せるかもと思ってさ。実際に手応えはあったから、一生懸命に時間をやりくりして会いに行ってた。でも……ハーレムに閉じこもられたら、無理矢理入り込むしか手がないだろ」


 シンの言う『過去を取り戻す』とはどういう意味なのだろうか。ライラには分からなかったけれど、これがムキになってライラに会いに来た理由なのだろう。


「本当は、こんな間男みたいなことしたくなかったんだけどな」


 シンが自嘲するかのように儚く笑う。


「な、なら、しないでくださいよ」


 シンの弱々しい笑みに、心が絞られるようだと思った。


「間男でもなんでもするさ。だってたいぶ戻ってきたから。本当は全部取り戻したいけど、きっとそれは無理なんだと思う。でも良いんだ。今のライラ、すごく可愛いから」


 シンが優しく微笑む。


 その言葉と優しい笑みに、ライラの心はあっという間に火がついてしまった。

 ダメだ。今までのぽかぽかと暖かいくらいの恋心なら、黙って持っていられた。でも、シンのせいで燃え始めてしまったではないか。もう簡単には消せない。黙って持っていたら火傷してしまう。酷い。シンは酷い。どうしてこんな惑わすようなことをするのだ。自分は他に好きな人がいるくせに。


「そ、その、取り戻したいものと、私に会いに来るのと何の関係があるんですか。あ、あと、そういう思わせぶりな事は、言わない方がいいですよ。本命の方に嫌われます」


 ライラは必死で言葉をひねり出す。すると、シンは呆れたような表情を浮かべた。


「あのさぁ、本命とか何なんだお前。良い流れだったのにどうしてねじ曲げるんだよ。そのまま素直に聞けって。俺はっ――やばい。見回りが来る……ライラ、また来るから」


 さっとシンは屈むと、樹木を隠れ蓑にしながら去って行く。そして気が付くと、もう気配はどこにもなかった。少し離れた場所で、見回りのランプの明かりが揺れているだけだ。


 いったい、今のは何の話だったのだろうか。急にぶった切られて、思考が現実に戻ってこれない。ライラは呆然と、窓の外を眺め続けるしか出来なかった。








*** お読みくださりありがとうございます ***


第3幕はここまで、次話は幕間となります。


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