第8話 願いの先①


*加筆のお知らせ*

第1話冒頭、侍女サーシャの特徴(目)について加筆しております。



 


 ピクリ。

 小さく体が揺れた。


 

「……えっ?!」


 誰かが発した驚きの声。

 それに刺激を受けた私の両目が、ゆっくりと開いていく。


 見えたのは、ひだと弛みがある布らしきもの。

 それが天蓋カーテンだろうことを感知した私は、ここが寝室で、自分は寝台の上にいるのだと推測する。


 

「う、嘘?!~あ、ありがとう!ありがとう神様!!」

 

 歓喜の声が、右耳から伝わってきた。

 声がしたほうに意識を向けると、右手が優しく包み込まれていることに気づく。

 

 ……誰、だろう。

 声音から考えれば侍女のサーシャだが、その可能性は低い。

 理由は明白。

 彼女はいつだって、私に対して戦々恐々した態度を見せていたからだ。

 私に対してはっきりした口調で発言すること、私の手を握ることなど有り得ない。

 

 サーシャではなければ、誰が?

 そもそも、私の手を優しく握る人など、この10年誰もいなかった。

 奇特な人と言っても過言ではない人物。

 それは、一体誰なのか。

 疑問に思った私は、右側にいる者の姿形を確認しようと試みる。

 しかし。

 身体が鉛のように重く、体を起こすことはおろか、握られた手を握り返すこともできなかった。

 

 かろうじで少し動かせた後頭部と眼球。

 それをゆっくり右に動かせば、見慣れたレース付きの帽子とエプロンを着用した、垂れ目のブラウンアイが印象的な女性の姿を確認する事ができた。

 信じ難い。瞬時に思ったことはそれだったが。

 私の右側、ベッドサイドに居るのは、サーシャだった。



「~うぅ」

 

 私と目が合ったサーシャは、眉を八の字にし、ぽろぽろと大粒の涙を零した。


「す、すみません。8年ぶりだったので。目を覚まされて本当によかったです」


 涙を拭うサーシャを見ながら、私は疑問を抱いた。

 8年ぶり?

 目を覚まされた?

 

 私の記憶は、ジハイト様との任務前、リリア様になった自分を見て思案した所で途切れているのだが。

 サーシャの話を聞くに、8年間眠っていたということなのだろうか。

 

 なぜ?

 私の記憶にはない“任務”が相当にショックだった……とか?

 

「ずっと会えなくて辛かったです。でも、信じてました。目を覚ますよう、毎日祈ってました。だっていつも生きてる様に綺麗だったもの」


 混乱する私に、サーシャが安堵と歓喜の意を示した笑みを向ける。

 心配や賞賛。歓喜に満ちた笑み。

 そんな想いや表情を向けられたのは、王宮に来てから初めてだ。

 8年という長い間眠りについたことで、同情されたのだろうか。

 ……いや、そのような事で、私へ戦々恐々の態度が変わるとは思えない。

 引っかかるのは、それだけではなく。

 サーシャの話口がやけに親しげな事、それも不審に思う。

 


「ゎ……ぁぃ」

 

 サーシャに問いかけようと口を開いてみたが、上手く発語ができない。


「っ!すぐにお水と喉に良い物をお持ちしますね!!」


 今の私に必要なもの。

 それを察したサーシャが、発言と共に勢いよく立ち上がる。

 そうして、慌ただしく部屋から出ていった。


 

 人気の無くなった部屋で、小さく息を吐く。

 そうして、自分の置かれた状況を確認するため、私は思考を巡らせ始めた。

 

 上手く声が出せない。

 身体が鉛のように重く動かせない。

 その2点から考えられる事は、筋力や機能が低下している可能性だ。

 長い期間寝台に横たわる場合、使わない体の機能は落ちてしまうといった知識を、完璧になるために読んだ医学書から得ている。

 その知識から判断するに、眠りについていたという話は本当である可能性が高い……のだが。

 長年眠っていた理由が、私には全く思いつかない。


 唯一思い付くものは、ジハイト様との“任務”。

 そのショックから眠りについた説だ。

 しかし。

 任務を遂行したという記憶は、全くといっていい程になく。記憶に無いバーンアウト時期から回帰した際に感じた不思議な感覚、身体は出来事を記憶している重苦しい感覚もない。

  つまり、ジハイト様との“任務”は行われていない。

 その可能性もあるということだ。

 


 …………いや、あの“任務”がなかったことになるなど、自分が置かれていた状況的に有り得ない。

 まさか。

 私が体験してきた苦境らは夢だった、というような話なのだろうか?

 夢ならば、どこからどこまで?


 

 ………………駄目だ。

 頭が上手く回らず、正常な思考回路になっていない。

 あの、長年感じてきた苦境、“任務”の前に感じた体感らが夢だった。

 そんな結末になるはずはない。

 自分の身に起きた出来事苦境は、1部を除き、記憶にも体感にも、しっかり残っているのだから。


 

 明確な現状把握をしなければ。

 

 そう思った私は、辺りを確認しようと試みる。

 後頭部が動かせる範囲で左右を確認し、なんとか捉えたものは、見たことのない部屋に居るという情報。

 全てを見渡せたわけではないが、この部屋は、白や淡いピンクを貴重とした色味で構成されている、可愛らしい雰囲気であることを感じ取った。

 

 印象的だったのは、程よい明るさと温かさ。

 室内は優しい色合いの光が広がり、適温に保たれていること。

 そして。ほのかに薫る、花の良い香り。

 何の花なのか特定はできなかったが、部屋には鮮度の良い花が飾られてるようだ。

 

 

 辺りの様子から現状把握をするのは、困難。

 そう認識した私は、自分自身に意識を向けることにした。

 確認できる範囲が限られている中、唯一捉えることができた右手の甲。

 肌色がおかしい気がするその部位を、私は注視する。

 

 かなりの低速ながら、右手が見やすくなるよう動かす。

 それにより、違和感はさらに増した。

 私の肌は、透き通るように白い肌ではないし、短めの爪、シェルピンクと言われる色調のネイルをしたこともないのだ。

 


 早く。姿形を確認しないと。


 妙な感覚に駆られた私は、上手く力の入らない身体を精一杯動かし、横這いしながらベットの端を目指す。

 そのまま、掛け布団に肌を密着させる形で、寝台から降りようと試みた。

 結果、40~50cmの高さから落下し、顔面を打つ形になったが、柔らかな質の良い白い絨毯に助けられ、怪我は免れた。


 ベッドから降りた私は、床に這いつくばる形になりながら、懸命に前進し始める。

 亀のような歩み。

 そんな状態ではあったが、手狭な部屋のおかげか、目的のものがある壁際まで、なんとかたどり着くことができた。

 そうして。

 ゆっくり顔を上げた私は、目の前にある立ち鏡を覗き見る。


 瞬間、


「っ!?」


 思わず息を呑み、目は自然と見開いた。

 


 鏡が映した容貌は、小顔の美女。

 

 光輝くプラチナブロンドの長髪。

 シーブルーの丸い瞳。

 透明感のある肌とピンク色に色づいた唇。

 

 何度目を開閉しても、変わらぬ容貌。

 丸くて大きな瞳は、瞬きをしても違和感を感じることはなく、染色では出せない艶色のある髪は、本物である旨を主張している。

 色づく唇には温かな息を感じ、透明感のある肌からは、気温が適度である事や柔らかな絨毯の感触が。全身からは、ドクドクと脈打つ音が感じられる。

 


「……ぅ、ぉ……」 


 鏡で確認できたのは、“ただ在るだけで魅了されると評判な美女”。

 この場に存在しているのは、私ではない人物だった。

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