第16話~2022年12月8日の話(通関会社初日に退職)~

2022年12月19日更新


通関会社の初日。朝の通勤電車。久しぶりにラッシュアワーを味わった。電車内の二人座れる椅子を独り占めして座っているおじさんが何かわけの分からない事をずっと隣に座っている女性に向かって大きな声で話している。お酒を飲んでいる。手にはアルコールの缶を持っている。女性はずっと顔を背けて我慢している。時折、眉間にしわを寄せている。駅に着き女性が降りた。席が空いたので、女性が座っていた席に座った。酔っ払いのオジサンは、今度は私に向かって話しかけ始めた。声が大きく、訳のわからない言葉をずっと私に向かって耳元で話してくる。酒臭い。イライラしてくる。

しばらく目を閉じ我慢していたが、私は切れた。そのオジサンに向かって大きな声で言った。

「おれに話しかけるな!うるせえーんだよ!迷惑!前を向いて静かにしろ!分かったか!」と車内が静まり返った。私の方が精神異常者ではないかと思うぐらいだった。女性がそのオジサンに話しかけられ続けられ迷惑そうな顔をしていた一部始終を見ていたのに、わざわざそのオジサンの隣に座る私はやっぱり普通ではないと思った。普通の人なら避けてそこに座らないだろう。


会社に着いた。始業時間は9:00。その15分前に着いた。ビルの8階。マンションの一室である。鍵がかかっている。ベルを鳴らしても誰も出ない。そうか。電車内で遅延のアナウンスをしていた事を思い出した。みんな電車が遅れているのだろう。この会社は面接で一度訪れている。強面の男性社長と、口うるさそうな女性専務。女性社員が他に二人いるらしい。超零細企業だ。9時を過ぎても誰も来なかった。このまま今日は誰も来ないでくれと願った。エレベーターが動く音がして8階で止まった。「来たぁー」と恐怖した。面接では会えなかった女性社員だった。私の事はご存じだったらしい。無表情でドアの鍵を開け、どうぞと通してくれた。私の机があり、そこに座って待っていてくださいと言われた。そして社長と専務が入ってきた。

会うのは二度目。そうそう。やっぱり社長は怖そうな感じで、専務は何も話していないのに口うるさい顔をしていて、何もしていないのにすみませんと言いそうになった。私は席を立ちあがり、二人の元に近づき「今日から宜しくお願いします」と挨拶をした。早速仕事が始まった。

女性社員から白紙の用紙を渡された。「そこにタイプレコーダーがあるので、この見本の記載の通りに、この白紙の用紙にタイピングの練習をしてください」と指示された。職場を見渡した。私の他に怖そうな社長と専務、女性社員の三人だけ。この中で長い一日を過ごすのか。窮屈に感じ、息苦しくなった。私は急に自信がなくなってきた。

私は社長と専務の所に行き提案した。「お願いがございます。今日はお給料はいりませんので、その変わりお試しという形にさせてもらえないでしょうか。今日一日で辞めるかも知れませんので」と言った。

社長は目を丸くして言った。「そんな事を言う人は初めて会ったよ。だったら辞めた方がいいよ」と言われた。「そんな覚悟のない人に仕事を教える事はできない。こちらも年末で忙しいんでね」と怒られた。

専務の女性からも「あなたの言っている事は離婚するかもしれないけど、僕と結婚してくれませんかと言っているようなものでしょ。そんな人を誰が採用すると思う?やるのか、やらないのか決めて」と厳しい言葉を言われた。

そう言われても自分では決められなかった。「ちょっと電話してきていいですか?」と待ってもらった。就労支援センターの人からは何か判断をする時は妻の言う事を聞いた方が良いという事だったので妻に電話をかけたがパートの仕事中だからか出なかった。仕方なく、自分の両親に電話して状況を説明した。

両親からは「やっぱり仕事をするのはまだ早いよ。とにかくその会社は無理だよ。今は静養した方がいいんじゃない?」と言われた。「そうは言ってもね。お金を稼がないといけないから、それで焦って決めてしまうんだよね」と伝えた。


結局、会社の社長に「頑張ってみようという覚悟がないので、これで失礼致します」と言った。社長は「はい。ご苦労さま」と私の顔を見ず言葉を吐いて、私は会社のドアを出た。

滞在時間たった1時間の出来事だった。


私は外に出てすぐに、以前から気になっていた掃除の会社に電話をした。面接をしてくださいとお願いした所、急遽この日の午後に面接をしてくれることになった。深夜の商業施設のトイレや共用部のパート清掃だ。地元なので原チャリで15分で通勤できるのが良かった。

私は頭の中で清掃が簡単そうにできると思っていたが不安だ。全く初めての業界。どんな仕事内容なのかやってみないと分からない。人とどんな風に関わるのか。面接は決まったが不安でしょうがなかった。多分パートだからすぐに決まりそうな予感がしていた。通関会社の最寄り駅から電車に乗り、途中の乗り換え駅で構内の掃除をしているおばさんがいた。いてもたってもいられなかった。おそらくこの女性のような仕事をする事になるのだろうと思った。実際その仕事をしている人に仕事内容を聞いてみたくなった。不安を少しでも払拭させたかった。思い切ってその掃除の女性に話しかけてみた。

「お仕事中申し訳ありません。少しお話を聞かせてもらってよろしいでしょうか」と切り出した。

女性は少しキョトンとした表情で「はい」と答えた。

私は続けた。「実は私、無職で、この後、掃除の仕事の面接を控えているんです。商業施設のお掃除なので、今やられている仕事を見て、多分似たような事をするのではないかと思い仕事の内容について聞いてみたくなったんです。このお仕事は簡単ですか。私は実は精神科にも通っていて難しい仕事ができないんです」。

女性は「はい、誰でもすぐに覚えられると思いますよ。難しい事なんてないですよ」と私の事を少し理解した様子で打ち解けてくれた。

私は続けた。「雨に濡れる仕事ではないですか?」。

「大丈夫ですよ」。

「機械を扱う事はないですか」。

「ありますけど、すぐに覚えられますよ」。

「一人で黙々と作業する感じでしょうか」。

「そうですね。他の方を会うのは仕事を開始する時の点呼と終わった後に少し顔を合わしてミーティングをする時だけですね」。

「そうですか。お仕事中、いろいろ参考になりました。ありがとうございました」

「お仕事決められたら、頑張ってくださいね」と声をかけてもらって電車に乗り地元に帰った。私は面接の前に心の不安を少し軽減させることができた。


コンビニで履歴書を探した。転職用のは250円。アルバイト用は150円。アルバイト用の履歴書を購入した。

一服したくなった。駅前の公衆喫煙所に行った。大勢の人に交じってタバコを吸った。まさかこの場所でタバコを吸う事になるなんて夢にも思わなかった。タバコを吸いながらこれまでの事を思い出した。どんな仕事をしてもすぐに辞めてしまう。正社員で働く自信がない。自殺も怖くてできない。生きるしかないが、何をやっていいか分からない。アルバイトの清掃をやろうとしている。これもどうなるか分からない。スーツを着て凛々しい顔をして携帯を耳に当て何か話しながら働いている人を見ていたら、急に涙が出てきた。


カフェで大急ぎで履歴書を完成させたら、面接の時間になった。

面接する清掃会社は商業施設の地下2階にある。従業員用エントランスから入り、警備員に止められ要件を伝えた。清掃会社の担当者が迎えに来てくれるというので待っていた。現れたのは感じの良い好青年。トイレ清掃という汚いイメージとは正反対のイケメンの爽やかな男性が現れ驚いた。会社に入ると所長がいた。こちらも優しそうな感じだったので安心した。清掃する箇所の説明を聞いた。主に共用部の通路やエスカレーターの掃除、トイレ掃除がメイン。機械を使用してのワックスがけも定期的に行うが機械もすぐに覚えられるでしょうとの事だった。

勤務時間は深夜0時~朝の8;30。休憩は90分。時給は1100円。朝5時までは深夜時給になる。計算すると日給9400円前後になる。休みは月に8,9、10日が選べますがと言われ、「稼げる方でお願いします」と伝えた。

「では8日ですね」と言われた。


所長から言われた。「採用してもいいのですが、最近採用した人が立て続けに辞めてしまうので辞めてほしくないんですよ」。

「辞める理由はなんですか」と聞いた。

「深夜勤務だし、若い人でも体力的に無理と言ったり、こんなに覚える事があって想像と違ったとかですね」。

私はやる気を見せようと思った。「私はジョギングが趣味でフルマラソンも走れますので体力には自信があります。あと御社を志望した理由は、一年後に正社員登用制度があるからです。それを見据えて将来設計しています」とアピールした。

面接が終わり、3時間後に会社から採用の電話があった。


「一緒に働きましょう」と言われ、「宜しくお願い致します」と伝えた。

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