第7話50年ほど前、私の周りのサッカー風景は、、

現在ドーハ時間で11月30日午前 3時40分。スペインとの対戦マイナス1日。どうしても時差ボケが直らないのか、試合の余韻やスペイン戦が気になり夜中に起きてしまう。もう破れかぶれで、記録を始める。


 今日は私がサッカーを始めた1960年代の話をしたい。

始めたと言っても、草サッカーでボールを蹴り始めたという方が正確である。私は1954年生まれなので60年代は小学生時代になる。当時の子供の好きなものに「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉があったが、男子はスポーツといえば野球しかなかった。私の家は神田駿河台下にあり、後楽園球場が近く、よく見にも行ったし、ナイターのカクテル光線が水道橋の方向を見ると夜空を明るくしているのが家からでも見えたし、風向きによっては観客の歓声も聞こえた。巨人の黄金期で長島、王の活躍に、小学生の誰もが夢中だった。当然、休みの日には友人と草野球をするのだが、都会で場所がないので、神宮外苑の絵画館前の空いてるところや、市川の江戸川河川敷まで行って野球に夢中になっていた。余談だが、絵画館前で草野球をやってると、知らないお兄さんらが、「一緒に野球やろう」と言って始めたが、友人の一人は「ジャニーズさんですよね」と言って、彼らの正体がバレた。翌週の女性週刊誌に、「少年らと野球を楽しむジャニーズ」なる記事が写真入りで掲載された。今のジャニーズ事務所の初代のグループである。

 そんな時代、1960年代のサッカーはというと、1964年のオリンピックで川淵チェアマンの活躍でアルゼンチンを破りベスト8になり、「サッカーが静かなブーム」と言われた。でも当時小学4年の私の記憶では、区立の小学校だったが、やっと教室にテレビが備えられ、オリンピックを授業中に見る事があったが、サッカーを中継してると、みんな「つまんない、他の」と言ってた記憶がある。映画「三丁目の夕日」で男優の温水さんのセリフに同様なものがあったが、当時の風景をよく現してると思う。

 さて、そんな野球小僧がサッカーにハマるきっかけは、小学校6年生の時の教育実習できた先生だった。彼は東京教育大(現在の筑波大)のサッカー部の一員で、休み時間に校庭で「みんなでサッカーやろう」と言い出した。最初は、私も「サッカー?やっぱ野球だと」拒否してたが、みんながやるので、入って最初にボールを蹴った時の気持ちいい記憶が今でも残っている。そしてゲームをしていると、野球にない楽しさに魅了された。野球はバッターボックスに立つと緊張するし、相手チームの野次にムカついたり緊張する、子供ながらに心理戦のゲームでもある。それが、サッカーだとそんな心理戦よりも、夢中になってボールを追う楽しさだけの爽快感を子供ながらに感じたのを覚えている。

 近くの区立の中学に入ると、校庭はコンクリート舗装でテニスコートが4面取れるだけの小さな校庭なので、休み時間ににボールを蹴るのは禁止、蹴るのを先生に見つかるとその場で正座というスパルタ式の学校だった。サッカー部はないので、バスケット部に所属しながら、友人と草サッカーチームを作り、日曜日には江戸川の河川敷まで行ってサッカーを楽しんだ。

 中学入学が1967年で翌年がメキシコオリンピック。私が最初に代表、その当時は全日本と言ってたかもしれないが、代表の試合を見たのは、記憶が定かではないが、この1966年か、67年あたりで、国立競技場でのソビエト中央陸軍との試合で、確か引き分けに終わった試合で観客は1万から2万は言ってなかったと思う。試合を見る観客は静かなもので、終了のホイッスルで、静かに終わり、「そんなもんなんだ」というのが試合後の実感だった。(上記中央陸軍は現在のチェスカモスクワの前身)

 代表に試合に完全にハマったのは、あの「伝説の日韓戦」からである。1967年翌年のメキシコオリンピックに向けて予選が東京で集中開催され、ライバルの韓国との試合には、国立が東京オリンピック以来、満杯に近い観客に溢れた。点の取り合いで3-3のドローに終わるが、最後の方で韓国選手の蹴ったボールがバーに当たり、当時の金属製のゴールにカーンという音を立てたその音がまだ記憶に残っている。私の席はバックスタンドのコーナー寄りだったので、そのシーンを真横から見ていたので視覚的にも音響的にも未だに記憶している。もし、あのキックがゴールしていたら翌年のメキシコオリンピックの銅メダルは無かった。翌月のサッカーマガジンにはこのキックにセービングで飛ぶ日本のゴールキーパーの横山謙三氏の悲痛な表情が載っていて、その写真も映像として記憶に残っている。名解説者で代表監督でもあった岡野俊一郎さんによると、あのバーにはしばらくの間、ボールの泥の跡が残っていたとの事である。

 それから半世紀以上経ち、今では子供は物心つく前からボールを与えられ、近くのサッカー場で日常の一部として観戦を楽しむ時代になった。メキシコオリンピックの頃、私が中学2年の頃だったか、サッカー界で「日本でW杯を」という噂が立った事がある。当時のFIFA会長がそんな事を言ったか言わないかで噂になったのだが、中学生にしてみれば、「まさか、日本で?出るのも夢なのに、開催など、夢のまた夢」であった。1966年のW杯イングランド大会を記録した「ゴール」という映画が静かなブームとなり、W杯が一般に少しずつ浸透してきた時代である。

 そのW杯に、しかも「あのドイツ」を破る。夢は持つもので、持てば必ずいつかは実現する。「日本がW杯優勝!」という夢も必ず実現する。その風景、ランドスケープを見てみたい。

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