16湯目 飛騨ロードレース決着

 一方、その頃。

 これ以降のことは、後で私が花音ちゃんに聞いた話なのだが。


 もちろん、その頃、花音ちゃんも鳥居さんも、とっくに高山市中心街を抜けて、飛騨の山中を走っていた。なお、両者は互いのヘルメットに、カメラを装着して回していた。

 飛騨地方はこの高山市を離れると、一気に快走路になる。


 高速道路は使わないというルールのため、道の駅ななもり清見きよみを抜けた後、松ノ木峠あたりを越える。


 ちなみに、最初こそ花音ちゃんが珍しくスタートダッシュにつまずき、追い抜かれていたが、すぐに追い返して、この松ノ木峠付近では、かなりの差をつけて突っ切っていた。


(やっぱ余裕じゃないか。誰も私にはかなわないんだ)

 小さな身体、小さな手足を持つ彼女は、実はポケバイではその身体の小ささが有利になっていた経緯がある。

 ただし、公道をバイクで走る場合、信号機で停まらないといけないため、足の短さや身長の低さは、足つきの悪さという点では不利になる。


 だが、長年レースで培ってきた彼女のライディングセンスとテクニックだけは、確かなものだった。


 前傾姿勢のライディングポジションには慣れていたし、疲れにくい身体の使い方や、腰への負担の少ない乗り方を熟知していたし、リーンアウト、リーンウィズと言ったライディングテクニックはもちろん、コーナーを最速で回る、アウトインアウトは得意中の得意だった。


 だが、そんな彼女に強烈なプレッシャーが迫る。


 道の駅桜の郷荘川しょうかわを過ぎた辺りだった。


―ガォオオーン!―


 後ろから猛烈な勢いで加速して、急追してきたバイクがサイドミラーに映っていた。もちろん、鳥居さんが乗るヤマハ MT-25だった。カウルつきより、風の抵抗を受ける、ネイキッドバイクながら、恐ろしいほどの加速を見せた彼女のバイクが一気に迫りくる。


(ちっ。意外と速い)


 焦りながらも、なんだかんだで真面目というか、律儀なところがある花音ちゃんは、ルールの「制限速度+20キロ」をギリギリ守るべく、スピードメーターを見ていた。


「時速80キロ、ぎりぎり」

 そこの制限速度は60キロだった。


 何とか追いつかれずに、御母衣ダムに差し掛かった辺りだった。

 たまたまなのか、それとも長い間やっているのかはわからなかったが、片側交互通行の工事をしていた。


 それを見た花音ちゃんが、一瞬だが、アクセルを緩めていた。何しろ、普段はサーキットを中心に走る彼女だから、こんな道路工事なんていう不測の事態はない。


 焦ったというか、戸惑ったのが、一瞬の判断ミスになる。


 道路工事の信号機前で、あっという間に鳥居さんに抜かれていた。

 しかも、そのすぐ後に、道路工事の赤信号が点灯したため、花音ちゃんは急ブレーキを踏み、ABSが効いてタイヤはロックしなかったものの、工事信号機前で急停止。


 一方、ギリギリながらも青信号を抜けた鳥居さんはもう先に行っていた。


「くそっ!」

 後悔するも後の祭りだった。


 結局、花音ちゃんはイライラしながらも、工事信号が青になるのを待って、フルスロットルで出発。


 だが、幸いにも自ら設けた、「休憩ポイント」である旧遠山家住宅がその先にあり、しかもMT-25はそこで待っていた。


 花音ちゃんが、その巨大な合掌造りの建物の脇にある駐車スペースにバイクを停めて、ヘルメットを脱いで、鳥居さんに向かう。


 彼女は、バイクを降りてヘルメットも脱ぎ、付近の石段に座ってくつろいでいた。

「くそっ。あんなのありかよ。工事はズルいだろ」

「だから、ここで待ってたんですけどね。何か文句ありますか?」

 売り言葉に買い言葉。


 という言葉通り、鳥居さんは不敵な笑みを浮かべて、言い返していた。

「サーキットなら負けない」

「負け惜しみですね」

 両者は、レース外でも、火花を散らしていた。


 なお、この旧遠山家住宅も、実は花音ちゃんが見たアニメの聖地らしく、外側だけだが、彼女は携帯のシャッターをひたすら押して、写真を撮っていた。


 短い休憩の後、両者は同時に再スタートを切る。


 今度は、加速に成功した花音ちゃんが先手を取る。


 白川村中心部に入り、有名な合掌造りの集落、白川郷の看板を見ながら、国道360号に入る。


 そこから先は、ひたすら山道だ。

 この辺りは、そもそも人家すらほとんどなく、周囲は山ばかりなので、警察のパトカーすら滅多に来ないのだ。


(80キロなんてちんたら走ってられないって。もっと交渉しとけばよかった)

 内心そう思いながらも、アクセルを開けるのを我慢している花音ちゃん。

 だが、後ろの鳥居さんも律儀にスピードは守っているようだった。


 花音ちゃんは当然知らなかったが、馬籠さんがつけたこのカメラには、実はスピードを計る装置が密かに取り付けられており、それによって、バイクのスピードがわかる仕組みになっていた。


 つまり、後で確認して、+20キロのルールを破った場合は、失格扱いにするつもりだったのだ。優しそうに見えて、彼女は「抜け目がなかった」。


 そうとは知らずに、ルールを破っていれば、花音ちゃんは失格負けだっただろう。


 だが、彼女もまた、「律儀」というか変に「生真面目な」ところがあったから、ルール自体を破るつもりはなかったし、ルールの中で勝ちたいとも思っていた。


 それが功を奏したのか、しばらくは花音ちゃんの優勢が続いた。


 だが、この国道360号は、九十九折つづらおりが多い、かなり曲がりくねった山道だった。従って、その急カーブを前にすると、いくら花音ちゃんでもスピードは自然と落ちる。


 その間隙を縫って、アウトインアウトで切り込んできた鳥居さんに抜かれていた。


(くそっ!)

 悔しがりつつも、コーナー立ち上がりでアクセルを開けて、今度は花音ちゃんが追い抜く。次のコーナー入口で抜かれる、コーナー出口で抜き返す。


 両者は激しいデッドヒートを、この峠道で繰り返していた。

 まるで昭和時代の、バイクブームの頃の、バイク乗りのように、互いに一歩も譲らない勝負が続く。


 やがて、この「酷道」とも言うべき、国道360号の長いカーブ区間が終わると、比較的長い直線区間に入る。


「私は負けん!」

 その瞬間、一気にスロットルを開けて、加速する花音ちゃん。


「生意気です!」

 負けじとスロットルを開ける鳥居さん。


 両者はこの直線ではほぼ横一線の互角の戦いを続ける。


 国道471号から、国道41号へ。そして、再び国道471号へ。ここまで来ると、旧神岡町、現在の飛騨市神岡町の中心部に入る。


 道の駅や小規模な店舗はあるが、実にのどかな田舎町の様相を呈している。


 そこを抜けてしばらく進むと、右手に高原川という川を見ながら走る快走路になるが、やがて道幅が狭くなる。


 実はここも「抜ける」ポイントの一つで、狭い道幅とカーブにより、減速するタイミングを狙って、鳥居さんが仕掛けてきた。


 ギリギリのタイミングで花音ちゃんがブロックする。その瞬間、対向車が来て、鳥居さんは抜けなくなっていた。


 「栃尾」と書かれた交差点を右折すると、上り坂になり、奥飛騨温泉郷に入る。


 あとは、ひたすらこの坂道を登って行くだけだ。


 結局、最後の最後まで、花音ちゃんがブロックして抜かさず、このままゴールするかと思いきや。


 ゴールまでの残りわずかとなった陸橋付近で、彼女は仕掛けてきた。


「やるな」

 と思いつつも、花音ちゃんは再度ミラーを見ながら、懸命にブロックに入り、先に行かせない。


 両者は、ギリギリまでもつれあうようにして、ゴールの平湯インターチェンジの交差点まで差し掛かり、最後はほぼ横一線に並びながらゴールイン。

 ゴール付近の交差点には、すでに馬籠さんが立っていた。


 両者はどちらが勝ったのか、わからないようなデッドヒートを展開していた。


「どっちだ?」

「私ですよね?」

 両者が互いに急いでヘルメットを脱いで、馬籠さんに駆け寄って行った。


 抜け目ない彼女は、実は手にビデオカメラを持っていた。それは彼女が学校に立ち寄って取りに行った、ビデオカメラだったが、部の物ではなく、個人の私物だった。


 それをわざわざゴール付近で回していたのだ。


 その映像を再生していた。

 それを見ていた、彼女が、静かに宣言する。


「勝者、夜叉神花音さん」


「よっしゃ!」

 瞬間、右手で握り拳を作り、花音ちゃんは天に掲げていた。

 勝負は、ほとんど互角ながら、最後の最後で、ほんのわずかながら、花音ちゃんが上回っていたらしい。

 まさに競走馬の「鼻差」みたいな勝負。


「負けましたか。やりますね」

「あんたもな」

 両者は、まるで、一昔前の少年漫画のヒーローのライバルのように、がっちりと握手を交わしていた。


 飛騨地方を巡った、ロードレースはかくして終わるが、タイムは何と3時間30分程度。4時間を下回る驚異的な速さだった。

 しかも、馬籠さんが取りつけた装置で確認したところ、両者共にスピードの+20キロのルールは守られていた。もちろん、それ以外のルールも。

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