第2章 松代温泉

7湯目 彼女の歓迎と、ツーリング計画

 5月中旬に、一緒に草津温泉に行ったことで、温泉ツーリング同好会に入ることになった、新入生の花音ちゃんこと、夜叉神花音。


 ツーリング当日には、出逢えなかった、残りの二人の先輩と引き合わせるべく、私とまどか先輩は、翌日の放課後に彼女を部室に呼んだ。


 その日は、件の二人も用事がないらしく、琴葉先輩は緊張気味の表情で、一方でフィオはワクワクしているというのが、もう表情からわかるくらいに明るい笑顔をしていた。


 真面目だが、心優しいところがある琴葉先輩は、私が「妹に似てる」という点もあるのだろう。


 しきりに、

「大田さん。足は大丈夫?」

 と気にかけてくれていた。


「大丈夫ですよ」

 一応、転倒したのがまだ昨日のことで、湿布を貼った応急処理のみで、まだ病院にすら行っていなかったが、この後、私だけ病院に行くことになっている。


 そして、待つこと10分あまり。

「失礼します」

 少し、恐る恐るという感じで、遠慮がちにドアを開けて入ってきたのが、ショートボブに猫目の小さな少女、花音ちゃんだった。


「おおっ! Bellaベッラ! 可愛い子ネ!」

 フィオがいきなり花音ちゃんに覆いかぶさるように抱き着いており、


「えっ、えっ」

 さすがに冷静な花音ちゃんが目を丸くしていた。


 というより、1年前に私が経験したのと、全く同じ状況だった。そのことに苦笑していると、

「な、なんですか、この人?」

 戸惑いながらも、満更でもない様子だが、やはりどうしていいかわからないような表情の花音ちゃんが訴えるように口に出していた。


「まあ、気にするな。フィオ流の挨拶だ」

「フィオ?」


「Si! ワタシ、フィオリーナ・碓氷うすいPiacereピアチェーレ!」

 これも去年と全く同じ挨拶だった。


「え、イタリア人ですか?」

「イタリア人と日本人のハーフネ」


「すごい。ちょっと、私の憧れのバレンティーノ・ロッシについて教えてくれますか?」

 抱きつかれた腕を振り解き、いきなり食いついていた。しかも、ロッシの名前まで出しているし。なかなかマニアックだ。バレンティーノ・ロッシについては、私でも名前くらいは知っている、イタリア人の元バイクレーサーだが。


「ロッシ? 友達じゃないから、知らないヨ」

 そりゃそうだろう。当たり前だが。それにフィオは幼い頃に、イタリアを離れている。


「そんな~」

 露骨にがっかりする花音ちゃんが、少し滑稽に見えた。


 だが、そんな歓迎ムードとは裏腹に、彼女に鋭い視線を向けていたのは、もう一人の先輩だった。


「夜叉神さんと言ったかしら?」

「はい」


 フィオがようやく体を離した後、そんな彼女に琴葉先輩が声をかけた。

「まどかから聞いてるわ。ただ、あなた、かなりのスピード狂らしいわね。公道はサーキットとは違うのよ。交通ルールを露骨に破るようなら、わたしはあなたの在籍を認めない」

 いきなり、キツい一言が飛んでいた。


「そんな。琴葉先輩、それは言い過ぎじゃ。第一、フィオだって、しょっちゅう交通ルール破ってるじゃないですか?」

「えー、そうかなあ。ワタシはちょっと出してるだけだヨ」

 それが、「ちょっとじゃない」のが問題なのだが、本人に自覚は全然ないらしい。


 だが、そんな訴えにも、「彼女」は屈しなかった。

 意志の強そうな瞳を、2つ年上の、初対面の先輩に向ける。


「スピード狂とは違いますよ。私は物心ついた頃から、ポケバイに乗っている身です。バイクがいかに危険で、どうすれば事故るのか、逆にどうすれば事故らないのか、わかってるつもりですから」

「つまり、良心的にスピードを出してると言いたいのかしら?」


「ええ。スピードを出すことを否定はしませんが、それでも『安全』だとわかる範囲でしか出しません」

「それはただの言い訳ね」

 早くも二人の間で、火花が散っているように見える。

 というより、私が危惧したように、この二人、真っ向から性格が合わない気がする。


 片や、現役警察官の娘で、交通法規の鬼。片や、子供の頃からポケバイに乗ってた、将来的にレーサーを目指している、レーサーの卵。

 正反対すぎて合わないのだろう。


 そこはしかし、

「まあまあ、二人とも、落ち着け」

 割って入ったのは、やはり会長だった。こういう時は、なんだかんだで、頼りになる人だ。


 と、思ったら、

「要は事故ったり、警察に捕まらなきゃいいんだ」

 根本的に何も解決になっていない回答だったから、私は少し拍子抜けしてしまった。


「ちょっと、まどか先輩」

 訴えかける私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は私を手で制して続けた。


「一緒に走ったあたしが見た限り、カノン砲は、そんなに危険な運転はしてなかった。それに、言っちゃなんだが、琴葉よりはるかに運転テクニックはあるぞ、こいつは」

 逆にそう言われた琴葉先輩が、珍しく動揺したように、視線を逸らして、拗ねたように口に出していた。


「わたしの運転技術のことはどうでもいいのよ」

 どうなるかと思っていたら、話題の中心にいる彼女自身が、意外な提案をしたのだった。


「それならこうしましょう。もし、私が公道でスピードの出しすぎで事故を起こした場合。責任を取って、この同好会を辞めます」

「花音ちゃん。何もそこまでしなくても」

 彼女がいなくなると、それこそ来年の私の問題に関わるから、慌てて止めようとしたが、彼女の意志は固かった。


「瑠美先輩。心配しなくても大丈夫ですよ。私はそんなに運転が下手じゃないですから」

 薄っすらと笑顔で、しかし強い意志の籠った瞳で言ってくる彼女が、頼もしくは見えたが、逆に「怖く」もあった。


 自信が、「過信」になる時、事故は起こる。


 それはともかく、一応は、琴葉先輩も納得したようで、彼女は無事に同好会の一員として迎え入れられた。


 そこで、会長殿が、声を大にして提案するのだった。

「花音の歓迎会と、瑠美の慰安を兼ねた、温泉ツーリングをしよう」

 と。


「いいですけど、どこに行くんですか?」

 当然、私としてはこの痛めた脚のこともあるから、そうホイホイと行けるようなものではないだろう、と危惧していたら。


松代まつしろ温泉だ」

 彼女が提案した先は、意外な場所だった。


「松代? ってどこですか?」

「知らんのか。長野県だ」


「遠いです。第一、私は足を怪我してるんですよ」

「わかってる。だから、お前はフィオの後ろに乗せてもらえ」


 突然、振られたフィオは、喜色満面で、

「瑠美が乗るの? もちろん、いいヨ!」

 賛意を唱える。


 一応、免許取得から1年以上は経っているから、フィオはタンデムが出来るものの。3年は経っていないから、高速道路でのタンデム走行は出来ない。


 つまり、下道で行くことになった。


 そして、この松代温泉が、なかなかに特殊な温泉だと私は知ることになる。

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