八、王都の姫(四)

 宝劉、彩香、舜䋝の三人は国王の部屋を出て、中庭に面した廊下を歩いていく。

「陛下は、相変わらずでいらっしゃいましたね」

 紅い髪を直す宝劉を見て、彩香が苦笑する。

「そうねぇ」

 宝劉もつられて苦笑いする。

「でも、変わってなくて何よりだわ」

 この年齢になっても男性に容赦なく撫でられるのは、少し困るところではあるが、あの兄ならば仕方がない。

「兄様、嬉しそうで良かったわ」

 病弱と多忙ゆえに、城の外へ出る事すらままならない王は、何を楽しみに生きているのだろう。

「兄様の生きる希望になるなら、何だっていいの」

 病は気から、と言うだけならば簡単だが、実際にその気をどう持ち上げるかは、難しい部分もある。

「それに、大奥の事もあるしね」

 兄は一国の王だ。その愛情をめぐっては、激しい抗争が起きかねない。

「現王の一番の寵愛は、身内である私のもの。そう思っていた方が、大奥も安泰なんでしょう」

 王の妹。その立場を、聡い宝劉は重く理解していた。

 二年ぶりの自室へ足を踏み入れ、宝劉は畳に寝転がる。

「あー、疲れた」

 実家に帰ってきた途端、旅の疲れが全身を襲った。身体は重いし、脚はズキズキする。

「長い旅だったわねぇ……」

 しみじみしてから起き上がり。控えていた彩香と舜䋝に向き直る。

「二人とも、旅に付き合ってくれて、ありがとうね」

 その言葉に、二人は微笑む。

「無事に帰ってこられて、何よりですわ」

「お役に立てたなら、良かったです」

 人の上に立つ者は数多くあれど、ここまで家臣に礼を言う劉家はそういないだろう。

「そうだ、燿と空鴉にも、お礼を言わなきゃね。呼んできてくれる?」

「御意」

 舜䋝が立ち上がって部屋を出ていく。

 彩香と二人になった部屋で、宝劉は顔を曇らせた。

「ねぇ、彩香」

「はい」

「舜䋝の事、どうしたらいいかしらね?」

「……え……?」

 彩香が珍しく反応に遅れる。

「気付いていらしたのですか……?」

 宝劉は苦笑する。

「私、そんなに鈍く見える?」

 困ったように目を伏せ、舜䋝の顔を思い浮かべる。

「分かってるわよ。舜䋝の、私に対する感情くらい」

 いつからだろう。気付いた時には、舜䋝は自分に恋慕の視線を向けるようになっていた。

「その想いが嫌な訳じゃないの。むしろ嬉しいわ」

 しかし、扱いに困るのだ。

「私にとって、舜䋝は大切な友達なの。でも今は……そうね、今は、それだけ」

 昔交わした約束もあるからだろうか。宝劉は、舜䋝の事を友だと思っている。大切な存在である事は間違いないのだが、そこに恋愛感情があるのかと聞かれると、困ってしまうのだ。

「それに、私は王女だわ。きっと誰かを好きになっても、その人と結ばれることはないのよ」

 王女になんて、生まれたくなかったわ。

 その呟きを、彩香以外に知る者はいなかった。

 襖の外から声がかかる。

「宝劉様、お二人をお連れしました」

「ありがとう、入って」

 襖が開いて、燿と空鴉、舜䋝が部屋に入って来る。

「お呼びですかねぇ」

「ただいま参上仕りました」

 二人は相変わらず、城の中でもセットらしい。宝劉には、何となくそれが面白かった。

「二人とも、長旅に付き合ってくれてありがとね。助かったわ」

「いぃえぇ」

「至らぬ部分も多かったとは存じますが、そうおっしゃっていただけますと、嬉しいです」

 燿と空鴉はそろって微笑む。まあ、燿の方は元から笑っているような顔なので、変化はよく分からなかったが。

「殿下も、長旅でお疲れでしょ」

「ゆっくりお休みくださいませ」

「ありがとう」

 それから少し旅の話をして、燿と空鴉は退室した。

「宝劉様、僕もこれで失礼いたします」

 舜䋝が言う。太陽はもう、西の空を紅に染めていた。

「ええ、分かったわ。気を付けて帰るのよ」

「はい」

 舜䋝が居なくなると、部屋の中はまた宝劉と彩香の二人になる。

「終わったわね」

 宝劉がしみじみ言う。

「帰ってきたわ」

「ええ」

「でも、ここからまた、始まるんだわ」

「そうですわね」

 この先には、どんな日々が待っているのだろう。少々怖い気もするが、楽しみでもある。

 時は栄孟三年五月。朱倭国王女、宝劉の波乱万丈な旅路は、こうして幕を閉じたのだった。

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